08 悪霊退治
「ここまでが前置きね。要するに私は今この鍛え上げた霊力で悪霊退治の仕事中なわけ。悪霊っていうのはさっき会った幽霊で、依頼人さんを呪って……取り憑いて? まあとにかく依頼人さんに悪さしてる。清明くんのお願いは本当に聞いてあげたいんだけど、この仕事をほっぽって清明くんのお願いを聞くのはちょっと無理。ごめんね」
「いや。そういう理由ならこちらこそすまない。無理を言った」
助けを乞う人に否を突きつけるのは心苦しい。巴のような性格なら特に。断りたくて断っている訳ではないのだから。
だが俺にも俺の事情がある。急かしはしないが、巴には可及的速やかに依頼を片付け俺のお願いに取り掛かって欲しい。巴に通訳してもらい、少女に俺の言葉を伝えられればきっと心安らぐ。少なくとも壊れかけの正気を繋ぎとめる縁となるだろう。
「急かす意図は無いが、その悪霊退治はいつ終わる? 手伝える事はあるか? 可能な限り早く俺のお願いに取り掛かって欲しいのだが」
「……あー、清明くん。私だから本当に急がせるつもりはないんだなって分かるけど、その言い方は急かしてると思われるよ」
「なぜだ。急かす意図は無いとはっきり明示したのにか?」
「うーん、まあ、そうなんだけど。まあいいや」
巴は諦め顔で笑った。
誤魔化された気がするが、俺より遥かに社交・意思疎通能力が高い巴が「まあいい」と判断したのなら、まあいいのだろう。
「それで悪霊退治はいつ終わる?」
「うーん。予定では今日終わるはずだったんだけど。逃げられたからなー」
「う。それについては大変申し訳なく思う。ごめんなさい」
「いいよいいよ、悪気無かったんでしょ」
「無かった。あー、後学のために聞いておきたいんだが、悪霊というのはどういうものなんだ? 語感と状況からある程度の推察はできるが、正確な情報を知りたい」
「ん。悪霊って言うのは……悪さする幽霊だね」
巴は簡潔に答えた。
俺は黙って続きの説明を待ったが、巴は何も言わない。たっぷり三分待ってから、俺は念のために確認した。
「それ以外の情報は?」
「え? うーん……急に出たり消えたりする能力があるとか。あとポルターガイストみたいなのも使うかな」
「その能力は俺も見た。巴は悪霊退治をしていると言ったな。東京近郊の幽霊が最近退魔師に除霊されているという噂があるのだが、本当か」
「え、違う違う! 私はやってないよ! あの悪霊が共食いしてるみたい。何回か食事現場見つけて殴り倒そうとしたんだけど逃げられて。あいつ手足千切っても叩きつけてバラバラにしても元に戻るんだよね。で、頭守ってるのに気付いたのが三日前。頭を潰そうとしたのが今日ってわけ」
指を鳴らして言う巴に俺は思わず自分の頭を守った。恐ろしい。
「悪霊は頭が弱点なのか」
「さあ? 私もよく分かんない。たぶんそうなんだろうなって思ってるだけ」
「退魔師なのに知らないのか?」
「知らないよ、全部自己流だもん。先生も師匠もいないし教科書だってないんだから。あ! 今ちょっと馬鹿だなと思ったでしょ? 『分からないなら調べて観察して実験して検証すればいいだろう、それが人類を進歩させた科学の精神なのだから』とか?」
「退魔師は読心術が使えるのか?」
「や、清明の考える事は小難しいけど分かりやすいから」
巴は友達だし分かるよ、と付け加え、飲み終えたプロテインのタンブラーを台所の流しに突っ込んだ。
「私も清明ぐらい頭良ければ良かったんだけどね。私の頭じゃ調べて考えてもよく分からなくて。そりゃもう実地調査するしかないよね? 千切ってダメなら潰してみるとか、細切れにしてみるとか。色々試してどれが効くのかみたいな」
「塩で除霊とか、お経で除霊とかは試したのか」
一般お坊さんや凡庸占い師の霊媒儀式に意味はなくとも、本物の霊力(腕力?)を備えた巴がやればまた違うのかも知れない。
尋ねると、巴は訝しげに言った。
「殴ればいいんだったらわざわざ塩用意してばら撒いたりブツブツ唱えたりしなくて良くない?」
「それはそうだが、除霊の手段を検証し増やす事に意味が」
「増やしてるよ。最近は蹴りも使おうと思って足腰鍛えてる」
「それは……合理的だな。武器が増える」
納得してしまった。
話がひと段落すると巴は俺の事情を聞いてきた。
巴の猿真似をして己の価値を試し、少女を命賭けで助けてみたと言うとヒュッと息を飲んで蒼ざめ、「私のせいで」とか「ごめん」とか「どうやって償えば」とか意味の分からない事をしきりに繰り返しはじめた。
が、こうやって死ねて嬉しかった、と胸を張ると頭を抱え、君は最初からそういう人だったね、と呟き思考放棄したようだった。思考放棄はよくないぞ。
一通り事情を話すと巴は今の案件が片付き次第少女のカウンセリングに取り掛かると約束してくれた。
俺も早く彼女の悪霊退治が済むよう、微力を尽くすつもりだ。
それから巴との共同戦線が始まった。
巴は退魔師業を始めたばかりで、今回の悪霊退治はモデル事務所の件を含めて二度目の仕事だという。俺が幽霊初心者であるように、巴は退魔師初心者なのだ。
例の悪霊は共食いをして力を高め、日に日に強力なポルターガイスト現象や長距離瞬間移動を使うようになってきているそうだ。巴に依頼をした人などは生気を吸われ入院までしたようで、悪霊がどこまで強くなってしまうのか、どんな能力を隠しているのか計り知れない。
もっとも、その悪霊も巴に遭遇すると顔色を変えて逃げの一手だから殴り倒せば終わる話ではありそうだ。俺は物体をすり抜ける幽霊の体を活かし、東京中をうろついて件の悪霊を捜索。見つけ次第巴に連絡する作戦を遂行する。
巴にも生活があるから、日中はモデル業で動けない。巴の悪霊除霊は24時間働ける俺の捜索精度にかかっていると言える。
一人での捜索は効率が悪いので、俺は早々にお菊さんに事情を説明し、巴に引き合わせ、捜索協力を取り付けた。
東京幽霊の元締め的存在であるお菊さんにとって、東京の幽霊を共食いしている悪霊の存在は捨て置けない。協力してくれる幽霊に声をかけ、たちまち幽霊数十名による東京大捜査線が展開される事になった。
いくら強力な悪霊といえど顔が割れ、数十体vs一体の構造で探されては身を隠すのも難しいだろう。特に共食いで力をつけているという情報が広まってしまえば幽霊は警戒する。更なる捕食は難しい。
早晩、悪霊は見つかるだろう。
……という予想は裏切られた。
三日経ち、五日経ち、一週間経ち。
十日が経っても悪霊は全く見つからなかった。今までの頻度であれば2,3日に一度は遭遇するか痕跡を見つけるかするはずなのだがそれがパッタリなくなってしまった。
巴の脅威を前にどこかで息を潜めているのだろうか? ほとぼりが冷めるまで?
流石の巴も見つからない相手は殴り倒せない。
俺達は焦れながら地道な捜索を続ける。
そして捜索開始から二週間が経った時、俺はテレビのワイドショーで失策を知った。
そのワイドショーでは、俺と巴の地元で起きた謎の心霊現象の特集をやっていた。
事件の一部始終を激写したとうたう心霊写真に写った朧気な影は確かにあの悪霊の姿だ。
悪霊はとっくに幽霊が集まる東京の狩場に見切りをつけ、どういう理由なのか俺の地元で暴れていた。