03 上京幽霊
最初はまだ大した問題ではないと自分に言い聞かせる事ができた。
墓荒らし。出血を伴う怪しい儀式。精神科の受診が必要な蛮行だが、それでもまあ無害といえば無害だ。墓荒らしは墓に埋まっている本人(?)が別に構わないと思っているから問題ないし、出血も本人の意思でやっているならまあ自己責任だ。
発狂して人に噛みつくとか、斬りつけるとか、トチ狂って放火するとか、人の言葉を喋れなくなるとか。そういう手に負えない狂乱と比べればカワイイものだった。
女子は幽霊や妖怪を信じてコックリさんをやったり、星占いに夢中になったりするものと聞いている。死者復活黒魔術も似たようなものだろう。たぶん。思春期の少年少女にありがちな若さゆえの過ちというヤツだ。
こういう混乱からくる頓珍漢な愚行と失敗を通して「人は生き返らない」という単純明快にして難解な事実を学び、少女は大人の女性になっていく……
それが一般的な人生だし、彼女もそうなるだろう。そうなって欲しい。
しかし俺の願いも虚しく黒魔術はエスカレートした。
復活儀式の翌日、少女は冷蔵庫からくすねたシャケの切り身を生贄に再び真夜中の儀式を行った。もちろん、俺が生き返るはずもない。1パックいくらの安い魚で人が生き返るなら葬儀屋は廃業だ。骨になって骨壺に収まった人間を蘇らせようなんて無理、無駄、無知、無謀である。
骨髄からDNAを抽出してクローン人間を作る科学的アプローチならまだ可能性が無くも無いのかも知れなくもない気がしなくもないが。
無駄な儀式で時間を浪費する暇があったらちゃんと寝てちゃんと食べて、ご両親か友達、あるいは信頼できる心療内科のカウンセラーさんに悩みを打ち明け相談して欲しい。それが建設的だ。
シャケの切り身儀式の翌日、少女は草むらで捕まえたバッタを生贄に再び真夜中の儀式を行った。もちろん、俺は生き返らない。
少女の手の中で暴れるバッタは呪文と共に首を落とされ、動かなくなった。それを見ても爛々と輝く少女の目には動揺一つなく、ただただ一心に俺の黄泉がえりを祈っていた。
俺はまだ問題ないと自分に言い聞かせた。バッタを殺すのが犯罪なら、かつてわんぱく虫取り少年だった全ての男が前科者だ。
もちろん倫理的に悪しとされる奇行ではある。
しかし自分を助けた人間に生き返って欲しいという、無駄で純粋で無垢で尊い願いから出た行動でもある。
情状酌量の余地は十分だ。それに二夜連続で家を抜け出した娘に流石にご両親が気付くだろう。死者たる俺がどれだけ気を揉んでも言葉は一つも届かない。家族の絆が彼女を正気に戻すのを祈った。
バッタ儀式の翌日、少女は近所の貯水池で捕まえたカエルを生贄に再び真夜中の儀式を行った。もちろん、俺は生き返らない。
俺は悟った。認めざるを得なかった。これは極めて危険だ。
最初は魚の切り身。次はバッタ。次はカエル。
カエルがネズミか猫になり、人間になるまできっとあまり猶予はない。
少女は周到で、学習能力が高かった。普通なら賞賛すべき優れた資質だが今回に限っては裏目に出ている。
二日目の儀式はパジャマではなくジャージを着て靴を履き、玄関に「コンビニに行って来ます」という書置きを残していた。深夜外出に気付かれても言い訳できる単純で有効なカバーストーリーだ。
三日目には部屋から出て両親と一緒に食事をとり、健全さをアピールして安心させるという手の込みようである。
彼女は完璧に家族を欺き、正気を装っている。自然な成り行き任せの事態解決は期待できない。
取り返しのつかない事態が起きてしまう前に、俺は解決策を求め東京へ旅立った。
東京は日本国内どころか世界有数の人口密集地。聖職者や占い師の仕事も多く、本物が紛れ込んでいる可能性は(本物が存在するなら)高い。
それに人口が多ければ死亡も多い。もし人が低確率や希少な遺伝的資質、何かの条件で幽霊になるとしたら、地方都市よりずっと幽霊の発生確率が高いだろう。
東京の人口は1400万人。仮に1000万分の一という低確率で霊能力者がいるとしても一人か二人は期待できる。
俺一人では何もできない。誰かの助けが必要なのだ。
新幹線に無賃乗車して東京に着くと、少し探しただけで簡単に占い師や手相診断師、お坊さんや牧師さんが見つかった。
そして墓地で幽霊を見つけた。驚くほどあっさりと。
その幽霊は20歳か30歳、もしくは40歳、10代後半の可能性もある女性だった。女性の年齢は判別が難しい。しかし俺と同じ半透明だから幽霊なのは間違いない。
彼女は墓参り中らしい壮年の男性の背後に立ち、彼のスマートフォンを肩越しに覗き込んでいる。
「もしもし、そこの20歳か30歳、もしくは40歳、10代後半の可能性もある女性の幽霊の方。俺が助けた少女が今大変精神が不安定な状態にあるので助けて欲しい」
声をかけて事情を説明すると、女性は振り返って俺を見た。ちょっと不意を突かれた様子で目を瞬かせ、大声で言う。
「なんだい!! 見ない顔だね!! 新人かい!!? 名前は!!?」
「新人とは?」
「お前さんいつ死んだんだい!!?」
「47日前」
死んでるのに威勢がいいな、と思いながら答えると、彼女は手で口を押さえ気の毒そうに叫んだ。
「あらまあ!! まだ若いのに可哀そうに!! 大丈夫だよ!! 幽霊はね、なんも怖い事なんてないからね!! アタシは『門前町のお菊』だよ!! このへんの元締めやってる幽霊さ!! アンタ、名前は!!?」
「清明。お菊さん、俺が助けた少女が今大変精神が不安定な状態にあるので助けて欲しい」
「なんだい、ぶっきらぼうな子だね!! もうちょっと愛想よくしな!! 損するよ!!」
お菊さんは日本語が分からない幽霊なのだろうか。さっきから俺のお願いを全く聞いてくれない。
「よく言われる。死んでも治らないと思っていたし、死んでも治らなかった。お菊さん、俺が助けた少女が今大変精神が不安定な状態にあるので助けて欲しい」
「何!!? なんだって!!? おばちゃんにも分かるように話してくんな!!」
三度目でようやく耳を傾けてくれたので、事情を説明する。
命懸けで助けた少女が闇落ちしつつあるのでなんとかしたい旨を時系列を追って丁寧に伝え助力を乞うと、お菊さんは感心した様子で何度も頷いた。
「清明は良い子だねぇ!! それと変わった子だね!! 普通はね、死んで幽霊になったら自分の心配をするモンだよ!! どうやったら成仏できるのかとか、逆に成仏しないで現世にいるためにはどうしたらいいのかとかね!! みーんなそういうのを聞きたがるのさ!! 清明はそういうの気にならないのかい!!?」
「非常に気になる。しかし少女の健全で幸福な未来の方が優先順位が高い」
「ははあ!! なるほどね!! そんなにその子のことが好きなのかい!!? その子の名前は!!?」
何故かお菊さんはちょっとワクワクした様子だった。身を乗り出して食いつくお菊さんに訂正する。
「好きではない。幸せになって欲しいだけだ。名前はマリア。どういう漢字を書くのかは分からない」
「あらあらあら!! そんな真面目な顔で幸せになって欲しいだなんて!!」
「不真面目な顔で言う事ではない。俺は至極真面目だ。嘘偽りなく、彼女には幸せになって欲しい」
「愛だねぇ!! 愛だねぇ!!!! おばちゃんそういうの好きだよ!!」
きゃっ、と頬を染めて身をよじるお菊さんが支離滅裂な事を言うのでまた訂正する。
「理論上、これは愛ではない。少なくともお菊さんが誤解している類の愛ではない。俺は彼女が不幸になると自分が苦しいから助けたいだけだ。根本的には自分のための行動であるからして、これが愛だというなら自己愛に分類されるだろう」
丁寧に誤解を解くと、お菊さんは変な顔をした。俺が誰かに何かを説明するとよく見る顔だ。何か説明に不足があっただろうか?
訝しんでいると、お菊さんは少し考えて勝手に納得していた。
「清明は頭が良い子なんだね!! アタシにゃそういう哲学はわからんよ!! でも気に入った!! そのマリアちゃんを助けるのを手伝ったげるよ!! 大船に乗ったつもりでいな!!」
「助かる。ありがとう」
「ま、アタシは江戸湾の大船に乗って溺死したんだけどね!! アッハッハ!!」
お菊さんは途轍もなく不安になる事を言いながら胸を張り、大笑いした。
大丈夫だろうか。心配を解決しに来たのに心配が増えた気がする。