21 強行突入
巴はムア真理教のSNS公式アカウントに相談したい旨を書いて伝えたが、返事が無かった。
これはおかしな事だ。ムア真理教アカウントには担当者が常駐しているらしく他の書き込みに対しては素早くレスポンスがついている。が、巴のメッセージだけが無視されている。見逃されたのかと二度三度文面を変えてもやはり無視されたから、意図的に無視されていると考えて間違いない。
それどころか巴のアカウントは程なくしてブロックされてしまった。
「ええ? そんな失礼な事書いたかなあ?」
「問題があるのは巴ではなく向こうだろう」
動揺する巴に端的に答える。巴のメッセージは極めて礼儀正しい一般的な文面だった。あれで失礼なら人類の99.9%は失礼にまみれて生きている計算になる。
巴に過失があってブロックされたというより、ムア真理教側に巴に知られたくない、近づかれたくない事情があると考える方が自然。
信者が命まで奪おうとしてきたぐらいだ。ムア真理教にとって巴は何かしらの理由で極めて不都合な存在なのだとみえる。
ネットを介しての接触が不可能で、信者にも控え目に言って死ぬほど嫌われている。
となるともう直接教会(?)本部にお邪魔するぐらいしか調査方法はない。
巴と俺は東京に戻って早々、発ったばかりの地元にとんぼ返りをするハメになった。
全て気のせいであればいい。
あの襲ってきた女性信者はクスリをキメるか何かして頭がおかしくなっただけで、彼女が口にしたマリアの名は西暮マリアとは全く無関係の他人で、ムア真理教はたまたまバズって波に乗って信者を増やしているだけの人畜無害な新興宗教であって欲しい。
しかし気のせいで済まない怪しげな企ての破片が視界にチラついている。
絶対気のせいじゃないけど気のせいだったら良いのにな、という儚い望みを胸に列車を乗り継いで地元に戻りムア真理教総本山を訪ねると、建物の周囲にぐるりとカラーコーンと立ち入り禁止テープが張り巡らされ封鎖されていた。
しかも立て看板には目立つように赤色で大きく『ガス漏れ事故発生 命に関わります 立ち入り禁止』と書かれている。
通行人は看板を見るとギョッとして口を押さえ急ぎ足で立ち去り、立ち止まって看板をじろじろ見ている巴(と俺)は浮いていた。
「怪しい……! これ本当かな? 中で人に見られたくない犯罪してるから近寄らせないための嘘だったりしない?」
疑り深く看板を指でつつく巴の懸念はもっともだ。目に見えない毒ガスは人を遠ざける方便として非常に使い勝手が良い。巴が来たこのタイミングでこのような事故が偶然起きるのは出来過ぎている。
しかし。
「フム。そうだな、屋根の右端が見えるか? あそこに乗っている黒いのはカラスの死骸だろう。その下の窓の向こうに見える水槽の魚も死んで水面に浮いている。建物内部に致死性の毒ガスが充満していて、外にも少し漏れ出してしまっているという見立ては恐らく正しい。致死性のガスだ。入れば死ぬだろう」
基本的に家庭で使われている都市ガスは引火こそするが吸って命に関わる有毒性はない。都市ガスでないなら一体なんのガスが漏れたのだろう? 酸性とアルカリ性の洗剤を混ぜて発生する塩素ガスが最もあり得そうに思えるが。
こういった事件の管轄は警察なのか消防なのか。通報はもうされているのだろうか? 封鎖こそされているものの周囲に警察や消防の姿は見えない。
毒ガスともなると対処には専用の防護服が必要になる。通常装備の警察消防がいないのはむしろ自然であるようにも思えるが、見張り役すら見当たらないのは不自然だ。
幽霊なら毒ガスは効かないから、ここは俺が偵察するのが適任か?
「本当に入ったら危ないんだ」
俺が思案していると巴は神妙に呟き、立ち入り禁止テープの下を潜って本部の敷地を横切った。そして止める間もなくガムテープで目張りされた玄関のドアを力任せに開けて中に入ってしまう。
唖然とする俺の目の前で巴は大きく深呼吸して頷いた。
「ほんとだ。致死性のガスか何か漂ってるみたい」
お前は
何を
言っているんだ。
「話聞いてたか? 致死性のガスが漂っているから入るなと言っただろ。致死性というのはな、死に至るから致死性なんだ。分かるか? 吸ったら死ぬガスなんだよ。どうして生きてるんだ」
「そりゃ生きてるよ。どうしてっていうと、えーとね、私事務所の仕事で富士山ロケした事あってさ。高地トレーニングって分かる? 山の上って空気が薄いから、そこで暮らしたり運動したりすると肺が強くなるの。富士山って標高高いでしょ? 一週間ぐらいロケしてたら肺鍛えられてね。去年測った肺活量成人男性の5倍とかじゃなかったかな? だから毒ガス吸ったくらいじゃ死なない。清明くんが警告してくれたから覚悟もできてたしね」
「意味がわからない。説明になっていない説明で説明したような顔をするのはやめろ」
なんでも「鍛えたから」で説明できると思わないで欲しい。頭がおかしくなりそうだ。
いや待て、本当に巴がおかしいのか?
ここまで当然のように言うのだ、当然なのではという疑念が頭をもたげる。
もしかしておかしいのは俺の方ではないか?
俺が無知なだけで、鍛えればトラックを撥ねたり毒ガスを美味しく吸ったりできるようになるのは常識なのか?
いやそんな馬鹿な……
混乱する俺をよそに巴は開けた玄関をしっかり閉めガムテープを内側から張り直し、内部の探索を始めた。
薄暗い屋内の電気は落ちていて、非常灯の心もとない赤い光が足元をぼんやり照らしている。広めの廊下は綺麗に掃き清められ、壁紙も真新しく傷汚れがない。大きな下駄箱は学校の昇降口にあるサイズで、額縁に入った達筆な宗教的格言が飾られていなければここは公民館だと勘違いするところだ。
「これって不法侵入かな? でも調べた方がいいよね? 逃げ遅れた人とかいるかも知れないし」
玄関に並んだ十数組の靴を見下ろし巴は眉根を寄せて俺を見る。
俺は頷いた。これがガス漏れ事件なら救助が必要だし、ガス漏れにかこつけて何か良からぬ事が進行しているなら(ガス漏れそのものがテロリズムの一種なら)阻止が必要だ。どちらにせよ周辺を探っておきたい。
本来なら俺一人で壁をすり抜け探索するはずだったが、巴も致死性ガスが充満する中で平気で息をしている。探索の手は二倍で、効率よく調査は進んだ。
毒ガスの原因は予想通り洗剤を混ぜて発生する塩素ガスだった。
ただし事故や不注意で発生したものではない。一階二階、全ての部屋にドロリとした液体入りのバケツが巧妙に隠して置いてあり、押し入れには洗剤の空容器が大量に詰め込まれていた。わざと毒ガスを発生させたのだ。慌てて逃げたような痕跡はどこにもなく、争った跡もない。
靴があるのだから裸足で逃げたのでもなければ人はいる。しかし誰一人見当たらない。
わざわざ毒ガスをまき散らし、手間のかかった大がかりな人避けをして、いるはずの人はどこへ消えたのだろう?
集会室と思しき座布団が並んだ畳敷きの大部屋で、巴はやはり逃げたのではないかと言った。
「東京で私を襲ってきたあの女の人がさ、こう、まず毒ガステロを仕掛けてさ。自分は逃げて東京に行って私を襲って、テロされたここの信者の人達は急いで逃げたとか。本当に急いでたら靴履く時間も惜しいんじゃない?」
「じゃあ玄関の靴は蹴り散らかされてるはずだろう。急いでいるなら密集しておいてある靴を丁寧に避けて走るはずがない」
「うーん?」
巴は懐疑的な様子で腕を組み首を傾げている。
何も無いが、何も無いはずがないのだ。
薄暗い室内は不気味なほど静まりかえっていてまるで異界のようだ。人がいる証拠は靴しかない。
どの部屋にも誰もいなかった。冷蔵庫の中も押し入れの中も調べた。箪笥の中も屋根裏すら調べた。
……いや、そうだ。
まだ地下があるかも知れない。
地下階段が見あたら無くても地下へ続く隠し扉ぐらい家具を置けば簡単に隠せる。
霊体を生かして床を這うように探し回ると、まさに今いる大部屋の畳の下に嫌な感じのする空洞を見つけた。
嫌な感じというのは抽象的な表現になってしまうがそうとしか言えない。寒さを感じないはずの霊体でも寒気を感じる。それは悪霊に相対した時の感覚と少し似ていた。
巴に頼んで地下への入口を隠す畳を剥がしてもらう。
その瞬間、隠されていた異常が露わになり、巴は口を押さえてたじろぎ後ずさった。
「うっ……! こ、これは」
巴が何に怯んだのかは明らかだった。
開かれた地下の暗い入口からは俺でも分かるドス黒い瘴気が溢れ出してた。
現実を浸蝕するような黒いモヤは悲壮に歪む人間や崩れかけの腕、骸骨の形を作っては崩れ、低い怨嗟の呪いの囁き声と共に巴の足元を侵す。
語るまでもなく明らかだった。
この地下に、この下に、何かとんでもない力をもった邪悪な存在がいる!




