20 情報を辿れ
俺が命と引き換えに助けた西暮マリアは、最後に見た時精神に若干の異常をきたしていた。夜な夜な俺の墓の前にやってきて虫や魚の生贄を捧げ、死者蘇生黒魔術に手を染めていた。
平気で人を殺したり殺人教唆し自分は高見の見物を決め込むようなサイコパスも、最初から人間を殺さない例が多い。アリを殺し、トカゲを殺し、猫を殺し……と段階を踏んでエスカレートした結果殺人に行きつく者が大半だ。人は唐突に人を殺さない。まず間違いなく前兆がある。
その一般例に則るとマリアは危険だった。生贄はどんどんエスカレートしていて、人間を生贄に捧げるまで幾許もないように思えた。だから助けを求めに俺は東京に向かった訳だが。
悪霊を追って帰省した時、マリアはだいぶ精神的に持ち直したようだった。引きこもりをやめ、休んでいた学校に復学し、傷心旅行に出かける余裕もできていた。
虫や動物を殺す人間がみな人殺しに手を染めるならセミを殺したりアリの巣を水没させたりさせる田舎の少年はみな殺人狂になってしまう。動物を殺し始めるのは危険な兆候ではあるものの、では動物殺しは必ず人殺しになるかと言えばそうでもなく、大半は踏みとどまる。
マリアも人殺しに行きつく前に踏みとどまり、心を入れ替え真っ当な道を歩き出したのだろう。そう思っていた。それが常識的な想像というものだ。俺の「マリアが精神崩壊するのではないか」という心配は喜ばしくも杞憂に終わった。
はずだった。
しかし一連の奇妙な事件に触れ、今回こうして巴を襲撃した女性の口からマリアという名前を聞くに至り、杞憂が真実であった可能性が浮上した。
ここしばらくマリアを直接見ていない。精神が持ち直したというのもマリアの母から聞いた話に基づく推測に過ぎない。
西暮マリアが俺と別れた後も順調に精神の変調を進行させ、発狂していたとしたら?
証拠はない。だが、悪霊に襲われ悪霊に取り憑かれた夜羽はどういう訳かマリアに付き添って傷心旅行に出かけたという話だったし、悪霊に操られた夜羽同様に巴を殺そうと襲い掛かってきたこの女性の口からマリアという名前が出てきたのは偶然とは考えにくい。
では偶然でないとしたら何なのか?
「マリアというのは西暮マリアちゃんの事ですか?」
「…………」
「事情を話してくれたら力になれるんですけど」
「…………」
「あっいや大丈夫です警察に突き出したりはしません。人を殺そうとするってよっぽどの事情があったんですよね? 話を聞かせて下さい」
「…………」
巴が自分を殺しにかかってきた女性に優しく質問しているが、女性は堅く口を噤んでしまっている。祈りを捧げていたのに「マリア」について探りを入れた瞬間にハッとして黙り込んだから、探りを入れられてマズい存在であるのは確定的。
マリアというのは欧米圏ならいざ知らず、日本では珍しい名前だ。称号や渾名ではなく実名ならだが。これまでの事件の関係者でマリアという名前は西暮マリア一人しかいない。十中八九彼女が祈っている相手は西暮マリアに相違ない。確認を取るまでもない。
そうなるとだんまりを決め込んだ女性と西暮マリアの関係性が分からない。
一体なぜ襲ってきたのか? 悪霊に憑かれていないなら自分の意思で襲ってきたのだ。巴は大変な善人で、殺されるほど恨まれるとは考えにくい。モデル業をしている以上知名度は高く、理不尽な恨みも買うだろうが、そういった理不尽な恨みで殺しに来た狂人が進退窮まってマリアに祈り始めるのもまたおかしい。
一体何をどうすれば神でも仏でもなくただの一般人に祈るようになるのか。
マリアが神に等しい存在だとでも? ただの一般女子高生が神なら巴は神の数段上の格をもったナニカになってしまう。
彼女、そしてマリアに何かあるのは間違いないがそれが何なのか分からない。
聞いても答えないのなら聞かずに答えてもらう他あるまい。
「巴、財布を探してくれ。免許証か店のメンバーカードを見れば名前が分かる」
「すみません、財布を見せてもらっても?」
馬鹿正直に尋ねた巴に女性はそっぽを向いた。
困り顔の巴が体を触ってボディチェックし、首を横に振る。
「ナイフしか持って来なかったんですか。家は近所です? 帰りの電車代大丈夫ですか?」
「用心深いな」
不覚にも少し感心した。現代人ならスマホと財布ぐらい持っていそうなものだが、両方持っていないとなるとこれは襲撃失敗に備えていたようだ。
いずれ名前や思惑を知られるとしても、少しでも発覚を遅らせようという思惑が伺える。計画的だ。これは自暴自棄の通り魔ではない。
巴を見ると、困り顔でおろおろしている。巴は決して馬鹿ではないが、腕力で解決できない問題に弱い。
「巴、この問題は放置できないように思う。俺達は今まで悪霊を追い詰める攻める側でいたようでいて常に受け身の守勢だった。情報を集め、先手を打たないといずれ大惨事になる」
霊視能力がないであろう女性の手前、迂闊に幽霊と話せない巴は黙って頷いた。不安そうだ。俺も懸念は強い。いずれ大惨事になるというか巴が相手でなければ死人が出る交通事故が発生しているから大惨事は既に起きている。
幽霊関係の殺人未遂である可能性も鑑みて警察への相談も慎重に考慮する必要がある。
どうやって情報を抜こうかと女性を観察し、首にかけているネックレスに目を留める。なんのことは無い服飾品であるようでいて、注目に値するモノだ。
「巴、ネックレスを確かめてくれ」
「ん。ちょっと失礼しますね」
「? あっ!」
首元に手を伸ばされた女性は体を強張らせ警戒したが、ネックレスを取られそうになった瞬間にハッとして全力で抵抗しネックレスを庇い後ずさった。
「ご、ごめんなさい。かわいいネックレスですね?」
「ネットで宗教関係のグッズを検索してくれ。同じ物があるはずだ」
何も分かっていない巴に頼むと、巴も閃いた様子でスマホを出して検索を始めた。
ここは日本だ。窮地で祈りを捧げる習慣は薄い。彼女の祈りは困った時の神頼みとは明確に違った。
咄嗟に聖句か何かを諳んじたなら、恐らく彼女は何かの宗教の信者。そして宗教はグッズ販売や説法イベント開催で儲けがちだ。その宗教のディープなファンであればあるほどイベントへの出席率は高く、グッズを買い集め身に着ける。
彼女のネックレスがそういった宗教系グッズである公算は高い。ネックレスを取られそうになった時の反応から察するに推測は正しそうだ。
そうなるとマリアとの関係は……同じ宗教の信者だろうか? 精神的に疲弊した人間は宗教にハマりやすい。マリアが俺が目を離した隙に何かの宗教にハマって、同じ信者のこの女性と知り合うという流れはいかにも有りそうだ。が、それでは女性がマリアに祈る理由が説明できない。
「! あった」
小声で呟いた巴のスマホを覗き込むと、『ムア真理教』という宗教団体公式ホームページの通信販売コーナーを開いていた。そこに載っているペンダント(¥198,000)は確かに一瞬見えた彼女のペンダントに酷似している。
公式ホームページを見た限り、教義は普通だった。死後の幸福と現世での救済をうたったよくある方針を打ち立てている。
ただ信者数が五万人を超えている。最近設立したばかりの新興宗教にしては相当な規模だ。
ネットの噂を追うとここ一カ月ほどで急成長中だと分かる。
成長の理由は判然としない。ただ、信者が増えている。
ムア真理教は素晴らしい、説法を聞きに行って人生が変わった、病気が治った、不仲だった家族が絆を取り戻した、そんなどの宗教でも聞く賛辞が並べられている。
人を攫って監禁しているとか、実は国家転覆を企んでいるとか、陰謀論めいた陰口も散見され、よくある有名団体という印象だった。
悪い噂は大抵根も葉もないものか事実の曲解拡大解釈で信じるに値しない。
が、実際に信者の一人が殺人未遂を起こしたとなると話は変わる。
狂人が偶然信者だっただけなのか。信者だから狂人になったのか。
前者なら不幸な事故。彼女がおかしかっただけで、宗教は関係ない。
後者なら彼女とムア真理教関係の繋がりがあると思しきマリアが一層怪しくなる。
俺達は目配せをして頷き合い、早速ムア真理教の捜査に向かった。今度は何かが起きる前に間に会えば良いのだが。
なお、女性は巴が首を手刀でトンッてして気絶させ茂みに隠した。丸一日は起きないらしい。
腕力ってすごいなあと思った。




