19 まだ終わりじゃない
トラック事故現場に到着した警察に事のあらましを説明するのは難しかった。「東京から逃げてきた悪霊が夜羽に取り憑き、体を操って退魔師である守屋巴を殺そうとした」だなんて馬鹿正直に説明したら馬鹿だと思われるのが関の山だ。
現実的に考えると、これは大河ドラマのメインキャストに抜擢されるほどの有名俳優が帰省中に幽霊騒ぎに巻き込まれ、その数日後にトラックを暴走させた挙句狂乱して通行人に襲い掛かる、という事件になる。
警察は幽霊騒ぎを発端とした精神失調だと判断するだろう。大体正しい。
しかし夜羽は頭がおかしくなったのではなく、頭のおかしい悪霊に取り憑かれただけだ。悪霊は巴に退治され、夜羽は完治した。精神病院に入る必要はない。大規模交通事故の主犯として検挙されるのは間違いだ。邪悪な悪霊に操られただけの哀れむべき被害者なのだから。
……という内容を巴は警察に上手く説明しようとしたが、上手い説明を思いつかなかったらしい。俺も目線で助けを求められたが、そんな急には上手い説明をひねり出せなかった。何しろ白昼堂々衆人環視の下の事件だった。狂乱する夜羽を多くの人々が目撃している上、彼に取り憑いていた悪霊は一般人には視えない。
「つまり暴行を受けた時、彼が二重人格に見えたという事ですか?」
「二重人格というか別の人格に乗り移られていたんです」
「…………? すみません。もう少し詳しくお願いできますか?」
巴はなんとか事を丸く収めようと穏便な説明を試みているが事情聴取している警察官はピンと来ていない。
悪霊とか憑依とか退魔だとかオーラだとか、そういうオカルト用語を持ち出すと一瞬で説得力が消えうせる。かと言ってオカルト用語無しで説明しようとすると要領を得ない。
「詳しく。えーと、そのー、なんて言えばいいのか」
「見たままをそのまま言って下されば大丈夫ですよ」
警察官に優しく促され、巴はためらいがちに尋ねた。
「本当にそのまま言っていいんですか?」
「ええ、むしろそのまま言って下さるのが一番助かります。正確な情報が一番ですからね」
「分かりました。実は東京から逃げてきた悪霊が夜羽さんに取り憑いて、体を操って私を殺そうとしたんです。私はトラックを撥ねて、中から出てきた夜羽さんに取り憑いていた悪霊を引っこ抜いて殴り飛ばしました」
警官は固まり、ゆっくり瞬きをした。
それから仏のような慈悲深い微笑みを浮かべ言った。
「ショッキングな事件でしたからね。お疲れでしょうし、後日改めて伺います。住所と名前、電話番号を控えさせて頂いても?」
「はい」
信じて貰えなかった巴はしょんぼり答え、トボトボ帰路についた。
実家に帰る道すがら巴が隣に浮かぶ俺に不安そうに聞いてくる。
「私がもっとしっかりしてれば夜羽さんもあんな事にはならなかったのかな。悪霊は退治したけどあの人これから大変だよ」
「まあ精神疾患と暴行、交通事故で評判ガタ落ち事務所にクレーム仕事キャンセル減俸精神科通院ぐらいで済むだろ。十分だ」
「どこが十分? 最悪でしょ」
「最悪は悪霊にオーラ吸われて死ぬ事だろ」
「それは最悪過ぎるよ。そういうのじゃなくて、こう、もっと、分かるでしょ?」
「巴はよくやった。巴がいなければあの悪霊はどんだけ強大化したか分からん。街一つ、国一つ消えてもおかしくなかった」
「うーん」
巴は釈然としない様子だが、これは正当な評価だ。
視認不可能、物理無効、物体透過能力持ちの敵性存在なんて悪夢だ。巴が、退魔師がいなければ本当に天災レベルに成長していた可能性がある。
「人の事ばかり考えるのも考え物だ。自分のこれからを考えたらどうだ? 随分仕事を休んだだろう。東京に帰ったら巴も大変じゃないのか」
「ん……そうだね。帰ったら依頼人さんに報告して、事務所に顔出して。夜羽さんの事務所にも話通した方がいいかな。清明くんはどうするの?」
「世話になった幽霊に顛末を話す。その後はまだ考えていない」
お菊さんを筆頭とした東京幽霊達には世話になった。仲間を随分食われたし、悪霊の最期は気になるところだろう。俺には彼女達への説明義務がある。
全ての義務を果たした後は、さてどうするか。目的に困る長すぎる余生の過ごし方についてはお菊さんが色々案を出してくれるだろう。
悪霊事件解決の翌日、巴は警察の事情聴取をなんとか取り繕って済ませ、昼前に東京に舞い戻った。
駅構内売店で売っている新聞の一面には有名俳優が起こした大事故が不名誉な大見出しを飾り、電車待ちの間にSNSを見ていた巴は苦々しげにページを閉じた。
一応、巴は警察に「夜羽は第三者による脅迫を受けていたようだ」という嘘のようでギリギリ嘘でない報告をした。脅迫されて仕方なく……という流れになれば夜羽の不名誉もいくらかは軽減されるだろう。スキャンダルが軟着陸するかどうかは夜羽本人の対応力にかかっている。
巴は住宅街にある小奇麗なマンションのオートロックを解除しながら聞いた。
「私は色々済ませて夜戻るけど、清明くんはどうする?」
「どうするとは?」
「ん-、要するに、」
要するに何なのか巴が言う前に、マンション入り口の植え込みから飛び出してきた女が巴に体当たりした。
「え!?」
驚きの声が上がる。
大樹のようにびくともしない巴に驚いたのは女の方だった。握りしめたナイフを、半ばから折れ曲がり欠けたナイフを見て唖然としている。
巴はというと「またか」という顔をしていて、俺は驚きはしたが平然とし過ぎている巴を見て一瞬で落ち着いた。
なんだか分からないがナイフなんて巴にとって割りばしと何ら変わりない。無害そのものだ。もちろん俺にとっても。
「な、なんで、まさか防弾チョッキ!?」
「んーん、私腹筋堅いので。そんな危ない物持ってどうしたんですか? 悩みがあるなら聞きますよ」
「……くっ、死ね!」
巴の場違いな気遣いに女性は一瞬怯み、しかしスタンガンを取り出し頭を攻撃しようとする。
が、巴はスタンガンを無造作に鷲掴みにしてクッキーのように粉々に握りつぶした。
風に吹かれて散るかつてスタンガンだった物の粉末を見た女性は勢いを失い、静かに失禁した。
怖い。
「ひ、ひぃ……!」
「あの、そんなに怖がらなくても」
「いや俺も怖い」
怯えた女性に巴は悲しそうだが、俺は膀胱も霊体で良かったと感謝するばかりだ。漏らさずに済んだ。
巴は恐怖に凍り付きガタガタ震える女性をなんとか落ち着かせようとするが、触れようとすれば目をぎゅっと閉じてぶつぶつ何かに祈りはじめ、声をかければかけた回数と同じだけ震えあがる始末。
既視感のある光景だ。昨日も突然襲われた。昨日は悪霊の仕業だったが、今日はなんだ? 悪霊は消えたはず。
「どうしようこれ……あっ、清明くんはこっち見ないでね」
「なぜ」
「女性のっていうか人としての尊厳の問題だから。あの、とりあえず着替えましょう? 着替え持ってきましょうか?」
「彼女も悪霊に憑かれてるのか」
「や、違うと思う。悪霊は視えないね。変なオーラの……残り香? みたいなのはある気がするけど」
俺も目を凝らすが、幽霊は視えなかった。相手が幽霊なら俺にもオーラが視えるはず。確かに悪霊に憑かれているわけではないらしい。
という事は、霊と無関係の一般通り魔か? いやオーラの残り香はあるというから、つまり?
女性は完全に怯え切り、猛獣を前にして死を覚悟した敬虔な信者のように両手を組んで祈っている。
彼女の祈は小声で早口で分かりにくかったが、よくよく聞いてみると何かおかしい。
こういう時は神や仏に祈るものだ。だが祈っている相手はどちらでもなかった。
「……の導きあれ、哀れな使徒に導きあれ。どうか私に御身の御加護を。お助け下さい――――マリア様」
「マリア様?」
その名前は速やかに俺の思考に滑り込んだ。
マリアといえば聖母マリアだが、俺はもう一人マリアを知っている。
夜羽の凶行。地元での事件。潜み隠れる違和感。
その全てを結び付けるモノがあるとしたら……
「巴、彼女を絶対に逃がすな。話を聞き出す必要がある」
恐らく俺は勘違いしていた。
巴と俺の事件は終わるどころか、どうやら表面しか見えていなかった。




