16 全ての問題はパワーで解決できる
人が撥ねられる凄惨な光景を幻視したのだろう、潮が引くように一斉に下がっていた交差点の通行人たちは、子供に投げられたオモチャの車のように撥ね飛ばされたトラックを揃って目で追った。
まるで急に映画の世界に入ったように現実味の無い光景は宙を舞うトラックの運転席から運転手が飛び出した事で更に現実感を失う。
運転手はギクシャクした奇怪な動きで地面に着地し、そのまま滑って巴に突進してくる。
そう、滑っていた。足が動いていないのに移動している。
不可視の高速動く歩道に乗っているとしか思えない奇天烈な動きで迫る運転手の正体は、事もあろうに夜羽竣だった。白目を剥き半開きの口から泡を吹いて、見るからに正気を失っている。
「ひ、ひ、ひひ!」
「あわーっ!?」
狂った音程で哄笑し掴みかかってくる夜羽に巴は完全に腰が引け顔が引きつっている。
もっとも腰が引けていようが二人の間には隔絶したパワー差がある。正気を失った夜羽渾身のタックルも山脈を体当たりで動かそうとする蟻のように意味がなく、ビクともしない。
なんだこれは。どういう事なんだ? 巴の人間を超越したパワフルさは置いておくとして、夜羽に一体何が?
「夜羽さん!? ちょっ、待っ、どうしたんですか、やめて下さい、ちょっと! 危ない危ない危ないって!」
「ひ、ひひひひひぃ!」
夜羽は巴の服を掴み、ポケットから出したナイフで突き刺そうとする。
が、巴はそのナイフを握りつぶして後ろに投げ捨てた。そのまま拳を握り振りかぶるが、途中で固まり、振り上げた手を降ろしてしまう。
「どうした巴! 彼はどう見ても正気ではない! 引っぱたいて取り押さえてしまえ! できるだろう!」
「いやっ、でも、私人殴った事ないし……! 力加減間違えて、あの、殺しっ、ええと、やっちゃったらどうしよう!?」
「じゃあ引っぱたかなくていい! 組み付け! 抑え込め!」
「組み付く!? 潰しちゃわないかな? 手足もいじゃいそう……! どれぐらいの力で抑え込めば、ちょ、夜羽さんやめてやめて! わーっ!」
ナイフを奪われた夜羽は血走った目で巴の白く柔らかそうな首筋に噛みつき、食いちぎろうと無駄な努力をしている。
いかなる理由か、夜羽は明白な殺意をもって巴を殺そうとしていた。
一方で巴は夜羽に乱暴できず両肩を掴まれ首を噛まれるがままにオロオロしている。
周囲の野次馬は悲鳴を上げたり逃げ出したり隠れたりと忙しい。が、何人かはスマートフォンで警察に連絡してくれている。
突然の顔見知り通り魔には驚いた。しかし幸い巴は1万人の通り魔が束になっても傷一つ付けられないぐらいの物理的強さがある。現に首を噛まれて食いちぎられるどころか、噛みついている夜羽の歯の方が折れそうだ。
「あーっ、涎が! ばっちいなぁもう! どうしたんですか夜羽さん! 夜羽さん!? しっかりしてくださいよ!」
「ひひひーっ!」
弱り切ってされるがままの巴と、狂気的笑みで巴を殴り噛みつき引っ掻いている夜羽を成すすべもなく見ていた俺は妙な部分に気が付いた。
妙といえば目の前の光景10割が妙なのだが、特に妙なところがある。夜羽がオーラのようなものをうっすら纏っているのだ。
体の表面にぼやけた半透明の膜があり、それが体内に引っ込んだり出たりしている。
というより、半透明な何かが夜羽の中に入っていて、それがこぼれ出ているようだ。
俺は幽霊たる自分の半透明な体を見て、夜羽が薄くまとっている半透明のオーラを見る。
似ている。
まさか夜羽は幽霊になりかけて? いや違う。夜羽が悪霊に狙われていたという背景から考えるに。
「巴、夜羽の体のオーラが見えるか? 半透明の」
「何て? オーラ? ……あ、ほんとだ!? なにこれ?」
「分からない。が、悪霊が夜羽の体に入り込んで取り憑いていると考えるのが妥当ではなかろうかと思う。中にいる推定悪霊を追い出せば夜羽も正気に戻る公算が高い」
俺が推論を述べると、暴れていた夜羽が動きを止め、口の端が裂けるような邪悪な笑みを浮かべた。
「む。むむむムダだぁ……!」
「あ、喋った。喋れるんだ?」
巴は呑気に感心している。夜羽は夜羽自身の口を借りた出来の悪い腹話術のような喋り方で続けた。
「お。お前、お前、人間、はぁ、殴れぇない、だろう!? ひ。ひひひひひっ! どうだ! この男の、中にいれば! おま、お前は殴れない! おれ俺のか勝ちだ! ぃひひひーっ!」
この言いぶり、やはり夜羽の中に入って取り憑いているのは例の悪霊らしい。
小賢しい事だ。
そして厄介でもある。
力任せに殴って除霊するやり方しか知らない巴ではこれはどうにもできない。夜羽の中にいる悪霊を殴り倒そうとすれば、必然的に夜羽を殴り倒す事になる。そんな事をすれば夜羽は到底直視できない肉塊と化すだろう。
けたたましく嗤う夜羽から目を離し周りを見る。ざわつく群衆のいくらかは巴に狼藉を働いているのが「あの」有名俳優夜羽竣だと気付いたようだ。ショックを受けた様子で囁き交わし、スマホで撮影している者もいる。
加えて遠くからパトカーのサイレンの音も聞こえてきた。
厄介な事態になってしまった。
このまま警察が到着して捕まっても事態は好転しない。
警察が幽霊案件を適切に処理できるなら悪霊はとっくの昔に退治されているだろうから。
警察に捕まった夜羽が精神疾患の烙印を押される未来が容易に想像できる。
とんだ濡れ衣だ。それは避けなければ。せっかく散々追い回した悪霊が目の前にいるのだから。
「そうだ、思いついたぞ。幽霊捕獲装置がある! 高圧電流を上手く使って幽霊だけ閉じ込めて……いや夜羽が感電するか、だから絶縁スーツか何かで皮膚を覆って、いやそれだと悪霊も絶縁されるか? だから、つまり……つまり?」
「あ、私も思いついた。大丈夫、任せて!」
必死に頭を回転させる俺に巴は頷いた。
何を思いついたのかと尋ねる前に、巴は夜羽の体から漏れている悪霊の霊体の端っこを指でつまむ。
「えいっ」
そしてゴリラも蒼褪める桁外れの指の力で夜羽の体に居座ろうと抵抗する悪霊を強引に引きずり出した。
「ええ……?」
そんな力技を見せられては俺はもう呆れるしかない。そういう力任せの解決法が通用するならもうなんでもアリではないか。
巴は引きずり出した悪霊に無邪気に喜ぶ。
「あ、いけた。指の力鍛えててよかった~!」
「ひ、ひぃ……! そんな馬鹿な……! 化け物……!」
引きずり出された若い男の姿をした悪霊が頬っぺたの端をつままれたまま怯えている。
その怯え顔に、巴は情け容赦なく鉄拳を叩き込む。
音速を超える拳は乾いた音と共に衝撃波を出し、悪霊を断末魔さえ許さずいともたやすく粉砕した。
「よし。悪霊退散!」
巴は悪霊の消滅を確認し、満足そうに頷く。
流石に戦慄を禁じえない。凄いが、怖い。無茶苦茶だ。結局全て腕力でねじ伏せてしまった。
さてはこの悪霊退治、俺がいる意味などなかったのでは? 論理だの、高圧電流トラップだの、理屈をこね回すより巴の腕力の方がよほど雄弁で有益だった。
だが俺の自省はとにかく決着は決着だ。
悪霊は圧倒的暴力でぶん殴られて消滅した。
あれだけてこずらされた悪霊退治も終わってみれば呆気ない。
巴は駆けつけたパトカーから降りてきた警官に気を失いぐったりした夜羽を見せ、救急車を呼んで貰うように頼んでいる。警官も心得たもので、無線でテキパキと救急に連絡を入れている。
放り出されて横転されたトラックは民家の塀にぶつかって止まっている。そちらの方も特に怪我人が出たような様子はない。
力が抜ける。どうやらこれで一件落着と見て良さそうだ。
俺が助けた少女、マリアは気を持ち直し復調しつつあるという。その復調を助けてくれたらしい夜羽は御覧のあり様ではあるが、彼の凶行の原因は消えた。
巴も依頼人に頼まれた悪霊退治を完遂し、堂々と東京に凱旋できる。
紆余曲折の末、概ね全ての問題は解決を見た。
そのはずだ。
しかしなぜだろうか。
悪霊から解放され失神した夜羽の顔が、安らかな寝顔からほど遠い、舌打ちせんばかりの忌々しげなものに見える。
それが一抹の不安を残した……




