15 トラック再び
知恵を振り絞り巴の財布も絞り、実験に実験を重ねてようやく作った幽霊捕獲トラップも一つしか無いのではほとんど役に立たない。
この町のどこにいるとも知れない悪霊が町に一カ所だけ仕掛けた罠にホールインワンするなんて期待するのも馬鹿らしい。
せっかく作ったとはいえ幽霊捕獲トラップが役立たずなら仕方ない。次善の策を考えなければ。
「清明くんの実験に付き合いながら足鍛えたから、前よりもっと早く探せる。大丈夫、私に任せて!」
と主張して街中をくまなく走り回り悪霊を探そうとする全身筋肉な巴を俺は引き留めた。
流石にそれは力技が過ぎる。筋肉とパワーでねじ伏せてしまえそうなのが巴の凄いところではあるが、少しぐらいは頭を働かせて良いだろう。
例えば、そう。悪霊の思考や行動を読めれば巴の捜索範囲を狭められる。
これまでの悪霊の行動を考えるに、奴は襲う相手を選んでいると分かる。
曰く、巴の依頼人さんは悪霊に襲われ、巴に退治を依頼した。
お菊さんやキャバクラおじさん幽霊の話を統合すると、悪霊が幽霊を喰い始めたのは巴が依頼人のガードに入ってからだ。
二つの事実を安直に繋げると「悪霊は依頼人を襲っていたが、巴のせいで襲えなくなったため、標的を幽霊に切り替えた」となる。
襲って餌にするのが幽霊でも人間でも誰でも良いなら、悪霊は自分をぶん殴って消し去れるトンデモ腕力退魔師が徘徊する東京から早々に逃げたはず。
人間なんてどこにでもいる。東京から遠く離れた地方なり外国なりまで逃げて、誰にも邪魔されず心ゆくまで餌を食らえばいい。
しかし悪霊はそうしなかった。巴に追いかけ回されながら、本当に消滅の瀬戸際になるまで東京にこだわり居座った。
つまり誰でもは襲えないのだ。襲う相手には条件がある。満たすのがかなり困難な条件が。
巴の依頼人はその条件を満たしていたから悪霊に襲われた。きっと夜羽もその条件を満たしていたに違いない。恐らく幽霊も満たしている。
ではその条件とは?
残念ながらそこまでは分からない。
誕生日、性別、年齢、血液型、血筋、名前、何かしらの人生経験。どんな条件でもあり得る。夜羽と依頼人さんに幽霊まで含めて全員に共通項を見出すのは無理だ。「生きている」という誰にでも当てはまりそうな条件ですら幽霊がいるから当てはまらない。
条件は分からない。
分からないが、夜羽はきっと条件を満たしている。
ならば夜羽を見張っていれば再び悪霊は現れる。彼を襲い餌にするために。
問題は夜羽の居場所が分からない事だ。
彼のホテルを訪ねた一件で巴は完全に警戒されていて、連絡が取れなくなっている。
ホテルは既に引き払われ、従業員に行先を尋ねても教えてくれない。もちろん実家の家族にも話が通っていて、二度目の訪問を試みた巴は邪険に追い払われた。
夜羽が所属する東京の芸能事務所は「何もお話できません」の一点張りで、彼のSNSも事件以来更新が止まっている。
駅前幽霊騒ぎのほとぼりが冷めるまで活動を休止するつもりなのだろう、というのがネットでまことしやかに囁かれる夜羽ファンの見解だった。
困った事になった。
死んでからというもの困りっぱなしだ。
妥協案として、巴は町内のホテルや宿屋周辺に絞ってパトロールをする事にした。
どこかに夜羽が泊まっていれば、そして悪霊がそれを狙って再び現れれば、悪霊退治の機会にも恵まれる。仮定に仮定を重ねた曖昧な妥協案でも無策で取り掛かるよりはずっと良い。
俺もパトロールに参加するのだが、悪霊を見つけても巴に通報するしかないのがもどかしい。俺自身に悪霊を撃退する力があれば良いのだが。
その悩みを巴に打ち明けると、巴は朗らかに言った。
「そんな清明くんの悩みを解決する良いモノがあってね」
「部屋の隅のダンベルの事を言っているならそれ以上喋らなくていい」
「…………」
巴はしょんぼりしてそれ以上喋らなくなった。
巴の鍛錬信仰には困ったものだ。どうやら全てが筋力トレーニングで解決すると思っているらしい。
本業のモデルをやる上でも体型維持トレーニングは必要であろうし、トレーニングに夢中になるのも理解はできるのだが。あれだけの馬鹿力を発揮できる筋力があるのにモデルとして活躍できる細身スタイルを保っているのは不思議だ。
巴ではないが、俺も鍛錬で成長するという手段については考えた事がある。
この宇宙に不変の存在は有り得ない。老いず朽ちずの幽霊であれ変化はするし、変化するなら成長もできると思っていた。
悪霊はその成長の手段を教えてくれた。ただし鍛錬ではない。食らい、吸収する成長法だ。
悪霊は他の幽霊を食らったり、依頼人さんの生気を吸い取って強くなっていったという。なるほど、それも「鍛える」の一種なのだろう。要はご飯を食べてスクスク育っているわけだ。
しかしそれが幽霊の成長手段だというなら俺は遠慮願う。一人の幽霊が育つために複数の幽霊・人間を消費するのは非合理的だ。他の方法を探さねばならない。
こんなことは算数ができるなら誰でも分かる。だからあの悪霊はきっと算数ができないに違いない。かわいそうに。義務教育から脱落した落ちこぼれだったのだろうか。
悪霊が現れないまま二日が過ぎ、三日が過ぎ、一週間が過ぎた。
巴の有給休暇の終わりが近づいていた。もはや潮時だった。
巴は退魔師だが、モデル業の傍らにやっている半分趣味の副業だ。本業に支障があってはいけない。
彼女にも生活がある。仕事をしないと金を稼げず、金を稼がないと生きていけない。特に俺の実験に付き合って散財してしまった今となってはなおさら。
定期報告を受けた依頼人もこのまま悪霊を追って貰うべきか、依頼を打ち切るべきか迷っているらしい。
悪霊が巴を警戒し、自分に今後一切近寄らないという確信が持てれば、依頼人としては無理に悪霊を消滅させる必要性はないのだ。悪霊退治ではなく悪霊退散でもベターな解決として納得できる。
もちろん元凶を消し去った方が安心できる。しかし長期間に渡り本業に支障を出してまで悪霊を追って貰うとなると相応に依頼料も積み上がる。依頼人は別に大金持ちではない。いくら巴が最低賃金で依頼を請け負っているとはいえ、早めに仕事を終わらせてくれれば家計に優しくて助かるというのが本音のようだ。
そして地元に帰省して十日目。依頼人との相談の結果、巴は明日東京に戻る事になった。
悪霊を仕留めきれなかったのは残念だが、東京から追い払って活動を鈍らせたのは十分な成果。今後は東京で本業の暇を見つけて時々で良いから自分の安全を確認し、数カ月から一年ぐらい、もう大丈夫だと安心できるまで見守ってくれれば安心できる、という話である。
そういう話ならば是非もない。俺は巴の協力者でしかない。巴の判断に従うまで。
結局、悪霊は野放しになってしまう。なんとも中途半端な結末だ。
が、依頼人が言ったように巴の脅威を知らしめ、人や幽霊を襲うのを控えるようにさせられたのならまずまずの成果だ。
東京に帰る前の日の最後のパトロールは俺と巴二人で行う事にした。
これだけ探して見つからないならきっと悪霊は東京から逃げた時のように地元からも逃げ、とっくにどこかに行ってしまったのだろう。俺も巴も既に半分諦めている。
どこか気の抜けた巴はほとんど散歩のようにぶらぶら町中を歩きながら四方山話をした。
「知ってる? あの宿屋、家族経営なんだって」
「へえ。知らなかった」
「だよね。この通りは小学校の時の通学路だったからさ、あの宿屋さん毎日見てたのに私も全然知らなかった」
巴は赤信号の横断歩道の前で立ち止まり、スマホを取り出しメールをチェックし始める。
「この町もけっこう変わったよね?」
「変わったか?」
「清明はずっと地元にいたから気付かないのかも知れないけど。私は東京に出て長いからさ、久しぶりに帰ると変わって見えるよ。建て替えなんかもけっこうあって景色変わっちゃったし。後藤さんちの庭のリンゴの木にめちゃめちゃ実が生ってたのはアレなんなの? 今リンゴの季節じゃないと思うんだけど。そういう品種に植え替えたのかな」
「ただの狂い咲きだろう……ん?」
俺は十字路の左方向からけっこうなスピードで大型トラックがやってくるのに気付いた。
その明らかに法定速度を超えるスピードに歩道の通行人は物珍し気に少し距離をとり見物し、追い越された時に驚いてクラクションを鳴らす車もあった。
眉を顰める。俺はトラックに悪い思い出がある。なにせ撥ねられて殺されたのだ。人生最悪の記憶である。
左から来たトラックは十字路が近づいても全く減速しない。むしろ加速しているようにすら見える。
そこで初めて俺は違和感を抱いた。左から右に車道を走り抜けていくのとはほんの少し軌道が違う。僅かに車体が道から逸れ、歩道に……俺達にまっすぐ突っ込んでくるルートに見える。
「巴。おい、巴」
「んー?」
巴はメールの返信をしながら生返事をした。
「気のせいならいいんだが。あのトラックもしかして、こっちに……こっちに!? あ、あああ! 来る、巴、くる! おい! 突っ込んでくるぞッ!」
「え、何が――――」
呑気にスマホから顔を上げた巴は仰天した。スピードを上げたトラックは既に目の前に迫っていたのだ。
あああああああああッ!
この光景は見た事があるぞ! 見た事がある!
ダメだ! まずい! 幽霊の体では突き飛ばして助ける事もできない。恐ろしい焦燥と生前最期の記憶が全身を駆け巡り、しかし何もできない。
「危ない!」
俺は叫んだ。
巴も叫んだ。
しかし俺と巴の「危ない」は少し意味が違った。
巴は必死に避けようとしたが間近に迫ったトラックを避け切れず。
突っ込んできたトラックは急に動いた巴に撥ねられ、綺麗な放物線を描いて吹っ飛んだ。
トラックくん「どうして???」




