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(2)

 

 本来の姿をとった露珠は、森の中を走る。

 愛しい人の香りを辿って、逸る気持ちと、現実を見たくない気持ちが交互に押し寄せてくる中、努めて足並みを乱さぬように、走った。

 段々と凍牙の香りが強くなる、そこに、半妖の少女のものと思われる香りが混ざる。分かっていたとはいえこの期に及んで感じる胸の痛みを自嘲し歩を緩めた。そして、香りだけではない、周囲の気配に違和感を覚え立ち止まる。

 凍牙、高藤、そして半妖の少女――それ以外に何者かの気配と、森の一部分が騒がしい。

 本来の姿を隠し、気配を隠しながら目的の場所へと向かう。近づくにつれ、明らかに戦闘が行われているのがわかり、露珠は木陰からそっと様子を伺った。


 戦っているのは凍牙と高藤で、その前には黒いもやもやとした霧の様なものが蠢いている。触れていないのに感じるじっとりとした雰囲気と周囲に振りまく黒い影に隠しきれない禍々しさがある。

 凍牙と高藤の二人を覆ったとしても十分に余裕があるだろう大きさのそれは、二人への敵対を示すように、触手のような靄を蠢かせ、その一部を彼らに伸ばしている。

 伸ばされた触手の一端を切り伏せ、凍牙が忌々しそうに舌打ちをする。見れば切り伏せられた触手はすぐに霧散し、本体と思われる黒い塊に痛手を与えた様子がない。

 露珠には早すぎて見えなかったが、すぐに次の触手からの攻撃があったのだろう、凍牙が後ろに飛びのくと、直前まで凍牙が居た場所に大きな亀裂が走る。飛びのきざまに振った刀が触手を跳ね飛ばすが、どうにも様子がおかしい。左手がない、もしくは左半身を使えないようなその動きに露珠が違和感を持ったのと、その理由に気がついたのはほとんど同時だった。

 凍牙の左腕の上、その衣に包まれるようにして、ちらりと白い耳が見える。止まない攻撃を避ける度に揺れる凍牙の衣の隙間から見えたのは、その腕にしっかりと守られ、抱きしめられた少女の姿だった。

 姿を隠して様子を見ていたことも忘れ、露珠は木陰を出て凍牙の方にふらりと近づく。


 ふと姿を現した露珠に、凍牙は険しい視線を向ける。近づいてきているのは分かっていたが、木陰におとなしく隠れていればいいものを、なぜ戦闘中にふらふらと出てくるのか。

 凍牙の鋭い視線に怯んだのか、露珠はそこで歩みを止めて凍牙を見上げる。露珠が何事か呟いたようだったが、それを聞き返す前に、黒い靄からの新たな攻撃が襲い掛かる。


 シュワ


 なんともいえない音と共に、靄の中から液体が噴出される。ジュワっと不快な音をさせ、その液体が触れた木の幹や地面から、白い湯気があがり、一部が溶けたようになくなっている。


 その攻撃が対象に当たらなかったことを悟ったらしい黒い靄は、「溜め」のように一度靄を収縮させると、元の大きさに戻りながら液体を撒き散らした。顔を庇おうと腕を上げようとしたとき、露珠の目に飛び込んできたのは、既に腕の中に守っていた少女を更に抱きこみ、靄の攻撃から守ろうとする凍牙の姿だった。


「……っ!」


 途中で動きを止めてしまったために、袖で覆いきれなかった左の頬に熱さを感じて、露珠は小さく悲鳴を上げた。


「奥方様!」


 かすかな悲鳴を上げて頬を押さえた露珠に、高藤が駆け寄ろうとするが、それを制止するかのように凍牙の指示が飛ぶ。


「高藤、これを守れ」


 投げ出されるように宙を舞った半妖の少女を、高藤が受け止める。その様子を確認するより先に、地を蹴った凍牙は、今までの攻防とは見違える早さで、敵に切りつけた。右手の刀だけでなく、左手に込めた妖気を放出することで、一人で多重の攻撃を行っている。先ほどまでの防戦が嘘の様に、黒い靄が見る見る小さくなり、手のひら大にまでなったそれは、逃げるように後方の山に向かって飛んでいった。


 その様子を目で追っていた凍牙は、ちらりと後方の高藤に一瞥をくれると、「追う」とだけ言い残し、露珠を全く視界に入れることなく背を向けた。

 頬を押さえたまま呆然と凍牙を見送った露珠に、高藤が控えめに声をかける。


「奥方様」

「まだ、そう呼んでくれるのね。その子が、真白?」


 高藤の腕から下ろされた半妖の少女は、高藤の着物の裾を少し掴みながら、露珠の様子をうかがっている。


「私は――露珠、といいます。貴方と少し、話がしたいの。いいかしら」


 名乗るときに、凍牙や高藤との関係を説明すべきだと思いつつ、今の関係を説明する言葉が出てこない。警戒されないように微笑もうとして、頬の痛みに顔をしかめてしまう。


「奥方様、それよりも先に手当てを」

「いいえ。大丈夫よ。真白と、二人きりにしてほしいの」

「ですが……」


 渋る高藤を押し切るように、手前の真白に近寄り、その手をとる。


「あちらに、滝があるのよ。そこで少しお話しましょう」


 返事を待たずに手を引くと、真白は抗わずに着いてくる。その警戒心のなさが、羨ましくも嫉ましくもある。滝がある方向に顔を向けた露珠の虹彩が細く、瞳が青を帯びる。

 その攻撃色を確認してか、その殺気を感じてか、背後で高藤が刀に手をかける様子が伺えた。その様子を目の端でとらえた露珠の殺気が霧散する。

 高藤にとって攻撃対象となった、という事実が、凍牙が迷わず真白を守り、露珠を無視したとき時よりも、余程自分の今の状態を表しているようで、自虐的な笑いが漏れる。

 露珠が高藤にとって守るべき主君の妻ではなく、主君の大切な者に害をなす存在になり果てたということだ。主君の命に絶対服従の彼がそうするのであれば、きっとそうなのだろう。凍牙ともっとしっかり話したかった、という心残りはあれど、露珠はこれで決心がついた。


「高藤、今までありがとう。これを」


 もう一度高藤に向き直り、小指の爪ほどの大きさの、乳白色の石を手渡す。


「奥方様、これは」


 言いかけた高藤に向かって、露珠は人差し指を顔の前に立ててみせ、言葉を遮る。


「お守りよ。病気や怪我をしたときに、必ず役に立つわ。」


 手に渡された石の正体を知り、高藤は驚愕とともに決意を新たにする。

 先ほど奥方様がその瞳を青く染めた時に、我に返ったのだ。

 奥方様にそれをさせてはならない、後でどのように叱責され、たとえ命を奪われようとも、奥方様がそうする前に、私が真白を殺そうと。


 背後の高藤の決意には気が付かぬまま、露珠は真白を連れて滝へ降りると繋いでいた手を放し、真白に向き合う。できるだけ怯えさせないよう、穏やかに声をかけようと口を開きかけ、その耳と尾を見て動きを止めた。

 白味が強く、ところどころ灰色が混ざるそれは、犬のものより太く大きい。

 真白が何の半妖なのかを理解したことが、露珠の瞳を潤ませる。


「お姉さん、大丈夫?怪我、痛い?」


 全く警戒せず、心配して頬に手を伸ばしてくるその様子から、真白の純真さと、凍牙が彼女を大事にしていることが伝わってくる。


「大丈夫、心配させてごめんなさい」

「どうして真白のこと知ってるの?凍牙様のお友達?」


 自分と凍牙との関係をなんと名乗ればいいのかわからないが、真白の言葉に乗ることにする。


「ええ、そうよ。凍牙様のことが大好きなの。あなたも、そうでしょう?」

「うん!凍牙様、大好き!」


 それからしばらく、露珠は真白と凍牙の話をしていた。真白と凍牙がどのような生活をしているのかも。

 二人はあまり会話もなく、真白が凍牙について行っているようなものだが、話を聞き現状をみるに、凍牙としては驚くほど真白に優しく、また気遣っているように思えた。

 少なくない頻度で、凍牙は高藤と真白を置いてどこかに行くことが多いらしい。日数も数日から数週間に及ぶこともあるようだ。


「凍牙様がいない間に、怖い思いをしたことはない?」

「凍牙様が助けてくれるから怖くないよ。高藤も強いもん。でも…時々こわい。」


 少し声を落として、内緒話のように真白が漏らす。その様子にふ、と微笑むと、露珠は懐から銀糸と金糸で織られた巾着を取り出し、真白に渡した。


「これをあげる。お守りよ。これがあれば、怖い妖は寄ってこないの。それから」露珠が巾着から紅い石を取り出す。「これはなんでも治せるお薬。どうしようもない怪我や病気をしたときに使ってね。できれば、凍牙様のために。」


 真白が、受け取った巾着から手に余る大きさの銀の円錐を取り出す。銀がきらめくような遊色をもつそれに、真白の目は釘づけられる。


「これ…凍牙様の角みたい。」


 凍牙の額の左右に2本生えている角に、それはそっくりだった。


「ね、お守りになりそうでしょう?」


 紅玉も一緒に握らせて、真白の手ごと露珠が包み込む。


「これを持っていることを、できるだけ誰にも知られないように。大事にしてね。」

「いいの?お姉さんの大事なものじゃないの?」

「あなたに持っていてほしいの。きっと役に立つ。凍牙様にも。だから、ね?」



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