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(3)

 日が沈みかけ、薄く紫を帯びた空の下、露珠と凍牙がゆっくりと歩いている。翳っている太陽からは直接の光は差さないものの、既に昇っている月と相俟って、変にほの明るい。庭全体が浮き上がるよう薄紫を帯びていて、いつもの庭が別の場所のようだ。


 この日の昼間に真白は都に戻った。縄張りを回って戻ってきた乱牙が途中から加わってより賑やかになった日々が終わり、またいつもどおりの静かな屋敷が戻ってきていた。

 真白を送っていった乱牙はまだ戻っておらず、急に静かになった屋敷の夕暮れに少し寂しそうにしていた露珠を、凍牙が庭へ誘ったのだ。いつものように半歩後ろを付いてくる露珠だが、今日はその右手が迷うように持ち上がったのを、凍牙は見逃さず、露珠の手を自分の腕に絡めるように組む。

 一瞬右手に表してしまった逡巡を凍牙にすっかり気がつかれていた照れ隠しに、露珠は両手で夫の腕にしがみつくようにしてその肩に顔を隠す。いつもより幾分大胆に甘えてくる露珠に、それを受け入れていることが伝わるよう、顔の見えない露珠の髪を空いている右手でそっと撫でる。

 真白が帰ってきてから、毎晩露珠と真白が同じ部屋で眠るので、凍牙としては少し待ち遠しかった日常でもあるが、やはり妻が寂しがるのは本意ではない。なんと声をかけようか、と凍牙が考えていると、視界の端をおぼろげな光が掠めた。


 ふよふよと屋敷の庭を横切って、露珠の元に細長い煙のような生き物が集まる。淡く光るそれらが銀色の妖の元に集まる様子は美しくも妖しい。

 露珠の眷族である管狐が、何かしらの報告に戻ってきたらしい。凍牙に預けていた身体を少し起こして、露珠が指先でその管狐の鼻先に触れると、煙が薄くなるようにその姿が消える。何匹かをそうやって戻していた露珠が「え?」と声を上げた。


「鬼毒酒?」




 近頃、都で鬼毒酒が作られているという、管狐から齎された情報を、乱牙の戻りを待った凍牙が、高藤と乱牙に共有する。


「凍牙様、鬼毒酒というのは……?」


 露珠と乱牙には馴染みのない言葉だった。


「あぁ。西の方を治める三社の神が造る、対鬼用の酒だ。鬼以外にはただの美酒、鬼が飲むと毒となる。乱牙には効きは悪いかもしれないが、私や高藤には覿面に効く。一度舐めたが死ぬかと思った」


 鬼毒酒は、以前に一度、晃牙に対してヒトが使ったことがある。

 当時、乱牙の母は入内を控えた有力貴族の姫で、姉のように慕っていた女が帝の寵愛を受けているのに、それを家の力で奪う形になるのを嫌って思い悩んでいた。そんな時に父と出会って、攫ってくれと頼んだらしい。真に受けた父が姫を攫ったものだから、その有力貴族の嘆願で帝が動き、当時四天王と呼ばれた貴族が鬼退治に遣わされた。


「父は好奇心旺盛でヒトにも興味があったから、友になりたい、などと言って近づいてきた四天王を招き入れて酒盛りなどしてな。その時にヒトが持ち込んだのが鬼毒酒だ。うっかり口にしたのが私で……舐めた程度だった故死なずに済んだが、二月は起き上がれなかった。父は四天王をその場で斬首、都の四つ角に一つずつ首を置いて見せしめにし、怒り狂った母のせいで都は長い豪雨に見舞われて、遷都したと聞いている」


「まあ」


 凍牙がヒトに殺されかけた、という話に、露珠が眉をひそめる。

 乱牙は、自分の母と晃牙のなれ初めと、それが要因で起きたという出来事を初めて聞いて驚いている。

 高藤は、既に知っていたことながら、再度、主人が殺されかけた話を聞いて、思わず拳に力が入る。

 その鬼毒酒が今も牙鬼の膝元で製造されているというのは、帝の意図はどうあれ、看過できる類のことではない。実際に鬼毒酒が完成しているのであれば、どのような形であれ他の神が関わっていることになる。


「状況がはっきりするまで、真白をこちらへ戻しましょうか」


 提案の形を取ってはいるが、高藤の心配が声音から滲む。

 立場的にも、社の結界を考えても、真白は比較的安全であるといえるが、別の神が関わっているとなると話は変わってくる。その上、この件に帝の思惑が絡んでいるとするならば、立場的な安全は根本が崩れる。牙鬼に対する真白の価値の判断次第では、人質として使われる可能性もある。


「そうだな。乱牙、行ってきたばかりですまないが――露珠、どうした」


 真白を迎えにいってくれ、と言い終わる前に、隣の露珠の身体がぴくっと震えたのを凍牙は見逃さない。膝の上の手が、何かを堪えるように着物を握り締めるのを見て、凍牙が顔色を変える。


「露珠」


 凍牙が手を伸ばすと、露珠が顔を上げる。


「凍牙様。管狐が。今、都にいる管狐が何か――攻撃かどうか分かりませんが、負傷を。一匹二匹ではなく、っ」


 断続的に、眷族の損傷を感じているらしい露珠の言葉が途切れる。


「露珠、管狐たちとのつながりを切れ」

「いいえ。それでは場所が分からなくなります。消滅はしていないようですが、都に遣っているもののほとんどが同じような状態のようです。鬼毒酒の件と、関係があるのかもしれません。何が起きているのか、確かめに――」


 損傷している眷族の数が段々増えているようで、露珠が息を詰める。露珠自身の受傷ではないので、白露は役に立たない。


「露珠」


 痛みを堪える様子を見て、凍牙が強めに名を呼ぶと、露珠が後ずさるように身体を引いて、ふるふると首を横に振る。眷族とのつながりを切ることを要求されていると分かっていてなお、露珠はそれを拒んでいるのだ。


「場所を――場所を特定したら、つながりを切ります。都の地理には明るくなくて、近づかないと分からないのです。私を、状況の確認に行かせてください」


 明らかに敵意がある相手の元に、露珠を近付けたくはない。だが、これをこのまま放置して牙鬼に被害が出ることがあれば、露珠が気に病むだろう。それに、この件がこれで終わるはずもない。どちらにしても調べる必要があるし、調べるのならば、罠にしろなんにしろこの“手がかり”を逃す手はない。

 本当ならば、露珠に眷族とのつながりを切らせ、大雑把な方角だけを頼りに乱牙に探らせたいところだ。凍牙自身が行きたいが、凍牙や高藤などの純粋な鬼が都を動き回るのは、要らぬ騒ぎを起こしかねない。半鬼である乱牙もその恐れがあるが、それでもまだマシだ。


 少し視線を動かして、露珠の右目をそっと見る。棠棣に傷つけられた時のことを昨日の事のように思い出す。当時の苦い思いも同様に思い出されて、屋敷に閉じ込めてしまえば、もうあのような思いはせずに済むと昏い願望も頭をよぎる。自分が傷つくことに無頓着な露珠を傷一つつけることなく守りたい、屋敷に閉じ込めてしまうというのは実際、凍牙にとっては魅力的な方策だ。露珠がそれを喜ばないのがわかるから抑えているだけで。そう、露珠はそれを喜ばないだろうが、凍牙がそうすれば不平も不満も口にしないだろう。真白に会いたい、とさえ口にせずに、その仕打ちを受け入れるに違いない。だから、余計に凍牙にはそうできないし、それを口にすることすらできない。断られる気がしないからとても要望を口に出せない、とは、露珠が凍牙に向けていった言葉だったが、今ならその気持ちが良くわかる。

 露珠はもう棠棣のことも朱華のこともあまり気にしていないようだ。助命を請うたのが露珠だったので当然とも言えるが、そもそも彼らを助けたいと願うこと自体が凍牙からしたらあり得ない。そういった露珠の様子は歯がゆくもあるが、その実、彼女のそうした性質によって、自身の銀露虐殺が許されている面もあり、凍牙は内心でさえ、彼女を責め切れない。受け入れるしかない。妻のそれを織り込んで、彼女の安全を確保するよう動く以外に方法はない。


「乱牙、露珠と共に行って、管狐たちの状況とその損傷の原因を探れるか。ただし、深追いはせずに、戻って来い」


 露珠をここに留めておきたいのを抑えて、最善と思える方法を取ろうと努める。つながりさえあればほぼ正確に場所を特定できる。無為に乱牙に都内をうろつかせることは避けられる。

 再度、管狐とのつながりを切るよう言われるかと身構えていた露珠が、分かりやすく力を抜く。瞬間、管狐からの痛みを感じたのかピクっと身体を揺らしているのを見て、凍牙の内心は穏やかでない。しかし、痛みをやり過ごした露珠が、少し嬉しそうに自分を見上げるのを見て、それを表情に出すのは堪えた。


「高藤、この段階で襲撃などはないと思うが、屋敷を守れ。真白は私が迎えに行く」


 都内をうろつくことはできなくとも、自身が祀られている社に短時間姿を現すくらいであれば大きな騒ぎは起きないだろう。遷都以降初めての牙鬼の顕現となるが、その程度であれば逆に牽制として効果があるかもしれない。それに、少々確めたいこともある。

 真白を迎えにいく、という凍牙に高藤が驚くが、それが最も真白にとって安全であることは間違いない。想定とは少し違う形だが、真白を屋敷に保護したいという望みがかなう高藤に否やはなかった。



 屋敷のある山を下り、いくつかの山を越えながら、露珠と乱牙は都へ向かっていた。都に近づいてからは方角を探りながらになるが、都に近い山を越えるまでは一気に走る。露珠は変化を解いて狐の姿に戻り、森の中を駆け抜ける乱牙と雁行する。


 乱牙の姿を視界の右に捉えつつ走る露珠は、都で何が起きているのか、と思案する。凍牙には言わなかったけれど、今回の件と狼が全くの無関係とは思えなかった。真白は、その四郎という狼の半妖を『招き入れた』と言っていた。恐らく、彼は露珠の社の神域へは入れなかったのだ。結界が、狼を拒んだ。決して居心地の良くないであろう神域の傍に、それでも居続けたのは、真白に招き入れてもらうためではなかったか。

 露珠は四郎を疑っている。一方で、真白が親しくする友が出来たのは良かったと思っても居る。真白が傷つく結果にはしたくない。


 走りながら考えることに困難はないが、断続的に感じる痛みはうっとうしい。凍牙の前では出来るだけ痛みを感じていると悟られたくなかったが、今居るのは乱牙だけだ。都に近い山を下る途中で、露珠が人型に変化する。


「んーーもうっ!!」


 人型になると同時に、露珠が頭を振って声を上げる。途端、乱牙の周りに青白い炎がいくつも浮かぶ。


「おいっ、急になんだよびっくりするだろ!」


 露珠の声と狐火に驚いた乱牙が振り返る。


「だって、もう!痛いんだもの」

「だったら早く繋がりきっとけ。なんとなくの方向わかればもう良いだろ。見つかんなかったらそれまでだ」

「いや。凍牙様のお役に立ちたいの」


 凍牙のいる前では決してしないような幼い言動は、乱牙への甘えでもある。狐火をあえて乱牙の周りに出現させたあたり、完全に八つ当たりだ。


「子供かお前っ!そんなんなら凍牙の前で言っとけ」

「無理!!面倒だと思われたくないもの」

「いや、もう十分面倒だと思われてるだろ」


 乱牙が、意地悪く返してやると、露珠の勢いが削がれる。少々暴れてすっきりしたらしい露珠が落ち着いて、痛みからも気がそれた様子を見て、乱牙はとりあえず息を吐く。乱牙は、露珠に苦痛を与えてまで得る必要がある情報などないと考えているし、恐らく兄もそうだろう。煩わしい、という程度の痛みで済んでいるようなのと、強く言えば眷族とのつながりを切ったように見せかけて、露珠が痛みを完璧に隠し通すだろうと見越したから、凍牙はこういう形をとったのだ。


 乱牙は「面倒……」と呟く露珠を見ながら、その想いを一身に受ける兄が羨ましい反面、惚れた女がこれではいくら心配しても足りないだろうな、と同情もする。

 乱牙は不本意ながらもまた、兄夫婦のためにおせっかいを焼くことにした。


「お前が……自分の手の届かないところでどうにかされるってのは堪えるもんなんだよ。露霞と棠棣の件だって、お前が何も言わなきゃ間違いなくどっちも殺してた。本当ならお前を屋敷に閉じ込めて二度と誰にも傷つけさせない、くらいにはしたいと思ってるだろうよ。もう一度角を折って、今度は俺も高藤も……そう、真白さえお前に近付けないように囲い込むことだってできる。もう少し兄貴の気持ちを汲んでやれよ、役に立つことよりも、お前が傷つかずに笑ってることのほうが凍牙には大事なんだよ」


 俺もな、とは言葉にはしない。そして、実際にそれを実現するだけの力がある凍牙が、踏みとどまっている現状を再認識する。あんまり危ないことして煽ってやるなよ、と胸の内で露珠につぶやいた。



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