(11)
大雪山。
いつかと同じように、凍牙が晃牙の結界に干渉する。前回と違うのは、凍牙の隣に露珠が、その後ろに露霞がいることだ。前回凍牙に対応した初老の銀露が、同じように三人の前に現れた。
「よくぞお出でくださいました、凍牙様。此度は何用――」
二回目になる凍牙の来訪に、初老の銀露は滑らかに挨拶をしかけて、不意に言葉を失う。凍牙の隣に立つ露珠に目を留め、あえぐように口を二三度開いては閉じる。前回の凍牙来訪時の会話で、その死を確信した娘が目の前にいる。
「露珠……お前……」
凍牙の目の前であることも、娘がその妻であることも忘れて、畏まった態度が崩れる。ふらふらと数歩よろめくように露珠に近づいたその男の伸ばした手を、露珠が取る。
「お久しぶりです、お父様」
そういって微笑む露珠を見て、あぁ、と音にならないため息を漏らし、二三度小さく頷き、噛み締めるように声を漏らす。
「元気そうで、良かった」
「はい。お父様も。凍牙様のご厚意で、里帰りをご許可いただきました。それから――」
露珠が、少し距離をとって佇んでいる露霞を手のひらで示す。露珠が兄を紹介するよりも、示された先を見た露珠の父が息子の名を呼ぶほうが早かった。
「露霞……!!」
感極まった様子の父を、露霞は喜びを表現することも冷たく睨みつけることも出来ずに少し困ったような表情で見ている。
「お前、無事で……。今までどこに。とても心配していたのだぞ。あぁ、それよりも私達はお前に謝らなくては」
露霞の反応を待たず――それを待ったら露霞が消えてしまうとでも思っているかのように――矢継ぎ早に話すと、その勢いのまま「少し待っていてくれ」と、族長は露霞の母親である妻を呼びに結界の中へ戻ろうとする。そこでようやく、自分の状況を思い出したらしく振り返って凍牙に深く腰を折る。中座の非礼を詫びて、今度こそ中へ戻っていった。
「慌てすぎだろう、あれは」
露霞の呟きに露珠が笑う。それが露霞の照れ隠しだとわかったからだ。それに、露霞が銀露でない――結界を越えられない――可能性を念頭において、それをはっきりさせないまま、それでも母を呼びに戻ったことが父の露霞への想いを表している。きっと、兄にとっても両親にとっても悪いようにはならない。露珠はそう確信する。
「この辺りで適当にしているから、ゆっくりしてくるといい。私がいると、義父上も、少々やりにくそうだ」
牙鬼への対応と、生きているかもわからなかった娘と息子への対応で少々混乱している様子の義父を見て、凍牙が露珠に声をかける。やりにくいのは父だけでなく凍牙も同様だと察した露珠が頷く。『義父上』などと敬った言い方をしてはいるが、そもそも、銀露が一方的に跪くような関係から始まっていて、それをそのまま続けても問題ない立場だ。それに、晃牙と影見以外に謙ったことのない凍牙には、『妻の父』という立場のものにどうしていいかわからない。
結界がある以上、凍牙を銀露の里へ招いて歓待するようなことはできないし、露霞と露珠の帰郷だけでも、一族は十分な衝撃を受けるだろうし、そこに牙鬼との関係性の話まで持っていくのは止したほうが良さそうだ、と露珠は考えを決める。
「はい。ありがとうございます。そんなに遅くはなりません」
露珠の返答に満足げに頷くと、凍牙は吹雪の中に姿を消した。二頭の白狐が雪の中を転がるように駆けてきて、結界の手前で人型に変化したのはその直後だった。
露霞と両親の再会は、露珠が望んで想像したとおりになった。露霞の無事を喜び、過去の仕打ちを謝罪した両親は、「あなたが銀露でなくても愛している」と告げ、受け入れた露霞が白露を見せた上で結界を通ってみせた。その後は里の中、族長の住まいとしている洞窟の中で、四人は会えずにいた間の話をし合う。
時間はいくらあっても足りないものだったが、凍牙を待たせていることもあり、露珠は日の暮れる前に戻ることにする。露霞は両親からこのまま里に残ることを提案されたが、気持ちの整理が付かなかったのか、次に露珠がここに来るときに共に来ることを約束してそれを断った。
それでも、また来てくれるのか、と念を押す両親に近いうちに来ることを約束して露珠と露霞は里を後にした。
約束した次の訪問だけでなく、その後何度か露霞一人でも里へ行くようになり、両親に限らずそれに近しい者、さらに里全体へと露霞の存在が知られていく。
何度目かの訪問時に、露珠が凍牙を伴ったときには、結界の外に神蔵を作り歓待した。結界の外に大人数が出たのはこれが初めてで、その上もてなす相手が鬼とあって、緊張感からか妙に神事がかってしまったのを、露霞が凍牙と銀露の間を取り持つことで場の雰囲気を和ませたこともあり、露霞は概ね好意的に里に受けいれられていった。
閉鎖的であった銀露も、凍牙が一人で大雪山に来て族長と接触してから、意識的に外に情報収集に出るようにしていたらしい。それを機に、外へ開く機運が高まっていたこともあり、里に馴染んできた露霞が、族長の補佐をするようになり、棠棣に銀露のことを調べさせることを提案したときも、条件付で許可された。数を減らし続ける一族への危機感が、新しいことへの抵抗感を薄れさせ、自分達の能力を知ることへの欲求を高めていたらしい。
「義兄上殿も、あいつらも、うまい具合に収まって良かった」
夕暮れ時、庭を臨む内縁で、凍牙と露珠が隣り合って座っている。庭側の戸を広く開けて、外に足を投げ出す形で寛ぎながら、露霞が銀露として里で上手く暮らしている様子を報告する。露霞だけでなく、朱華と棠棣が露霞を介して銀露と協力関係を築けたことを凍牙も歓迎しているようだ。
「はい。凍牙様がお兄様たちに寛容な処置をしてくださったおかげです。銀露の里へ戻ることまで後押ししてくださったおかげで、お兄様も帰るきっかけができたのだと思います」
そのつもりのなかった露霞を大雪山に連れて行くことができたのは、凍牙が今回の件の埋め合わせとして、露霞にそれを求めたからだった。
「それに、お兄様と棠棣の関係は元から悪くないようですし、私が直接対応するよりも上手くかと」
その切欠を作った露霞よりも、実際に露珠を傷つけた棠棣のほうが凍牙としては気に入らない。そういう意味でも、露珠と棠棣が直接会わずに済みそうな今の形が、凍牙にとっても良い。露珠はそこまで気がついてはいないようだが、結果が同じならあえて口にする必要もない。凍牙は鷹揚に頷く。
「管狐での監視は続けられそうか」
「はい。問題なく。――このように」露珠がそっと手を庭に向けると、その手のひらに乗るように空中から管狐が現れる「代わる代わる状況を伝えにきてくれます」
手のひらに乗った管狐を、露珠が凍牙の前に差し出す。凍牙がそこに手を出すと、管狐がその指にすりよる。全く躊躇のないその動きに一瞬指を引きかけるが、指に鼻筋を擦り付けて目を細める管狐を見て力を抜く。眷属として、ある程度露珠の影響を受けていると思うと、その様子が快い。
変化を解いている露珠にしてやるようにその眉間を撫でてやると、もとより形が曖昧な管狐はより一層空気に溶けるように広がる。管狐と触れ合う姿を嬉しそうに見ている露珠に凍牙が目をやる。
「牙鬼の勢力維持に手を貸して欲しい。縄張りの様子を管狐で見れるか」
思いがけない凍牙の言葉に、露珠が目を大きくして一瞬呼吸を忘れる。それでも、その内容を理解するにつれてじわじわと喜びがこみ上げてきて、凍牙が自分を気遣って前言を撤回する前に、と慌てて口を開いた。
「はい。はい、もちろんです。是非、私にやらせてください」
勢い込んだ露珠が回りに多数の管狐を出現させたので、凍牙が思わず笑う。
「露珠、そんなに気負うな。やりすぎてそなたが消耗しては意味がない」
隣の露珠の髪をそっと撫で、前髪を耳にかけてその右目を露にすると親指でそっと目蓋をなぞる。
「いつも傷を負わせてばかりで守り切れないのを、不甲斐なく思っている。大雪山に帰してやろうかと思ったが」
凍牙の角を新たに露珠に渡しても、凍牙や乱牙、高藤たち鬼の傍で生活をさせようと思えば、結界に隙を作らざるを得ない。その点、晃牙の結界は余計な条件をつけずに山と銀露の守りに徹しているから、強い。そう説明して、露珠の横にあった側柱に手を付き、柱と自分の間に露珠を閉じ込める。
「出来そうにない。牙鬼の縄張りを維持したいのは、そなたを守るための力はあればあるほど良いからだ。……恩着せがましく聞こえるだろうか」
ほの暗くなった周りをうすぼんやりとした光を纏った管狐たちが、泳ぐように回遊する。弱気に聞こえる発言を恥じるように凍牙の瞳が揺れた。
「いいえ。そう思っていただけて、嬉しい。私も」 閉じ込められている懐の内から、手を伸ばし、両手で凍牙の頬を包む。「烏滸がましいとは思いますが、私は凍牙様のためにお役に立ちたい」
至近に見つめあい互いの想いをその瞳の中に確認する。
凍牙が柱に付いていた手を離し、露珠の頭の後ろに添えて自分に引き寄せる。
「私はそなたよりも長く生きるだろう。どうか、できるだけ長い間傍にいて欲しい」
返事を待たずに、凍牙が露珠に口付けた。
★
「と、凍牙様――」
いつもどおり優しく褥に押し付けられた露珠が――おそらく初めて――凍牙の行為を制止する。
さほど強い制止ではないのを見てとった凍牙は、常より幾分かゆっくり露珠の着物を肌蹴させる。少し勢いの落ちた動きに、凍牙の聞く姿勢を感じるものの、首筋や肩口を撫で上げられて、はくはくと口を動かすばかりで声にならない。
着物の袖口を引っ張って抗議すると、面白そうに口角を上げた凍牙の手がおくみを割って太ももを撫で上げる。
遊ばれている、と分かっていても、言いたいことを言わせてもらえない状況に、露珠の瞳がじわりと潤む。
その様子を見た凍牙が、ふっと、小さくため息をつき、露珠の目じりに口付けを落とす。
「どうせ仕様もないことを考えているのだろう」
「そんなことは」
潤んだ瞳で自分を見上げながら睨んでくる露珠に、このまま続けて泣かせてしまおうか、と、いつもは意図的に端へ追いやっている欲望が思考を掠める。露珠が言おうとしていることのおおよその見当がついていて、それが自分のためであることも分かる凍牙は、先ほどより大きなため息をついて、露珠の隣に横になる。
「子が出来たら、などと考えていたのだろう?」
露珠が身体ごとこちらを向くのを感じながら、天井を見上げたまま凍牙は言う。
「凍牙様の、命を減らしてしまうのでしたら、私……」
棠棣との一件で、鬼が子を生すことが、角を折ることと同様、その寿命を大きく減らす要因であることがわかった。既に自分のために角を折らせている露珠が、これ以上凍牙の寿命を減らすことは出来ないと考えるのも無理はない。
「子ができないのなら、こういうことはしたくないか」
天井を見ていた凍牙が、露珠のほうに向き直る。
「鬼との間に子ができるかどうかは、おそらく鬼側が決められる。角を折るときに込める力を制御できるように。分かっている鬼も少なそうだし、分かっていても上手く制御できないことがあるから、鬼に子は出来にくいのだと思う」
思わぬ事実に、露珠はいつもより早い瞬きを繰り返す。
「では、その……」
「お前が望まぬのであれば、子をつくろうとは思わぬ。ただ」
凍牙がもう一度、露珠をその腕で閉じ込めるように身体をかぶせる。
「先ほどの答えは聞かせてくれ」
今も昔も露珠に否やはない。降りてくる唇を露珠は精一杯受け止めた。




