(7)
朱華に後ろ手に掴まれたまま、露珠は牙鬼の縄張りを抜ける。居場所を凍牙に伝えるために、小量の血でも道標にしたいところがだが、密着した状態で銀露が出血して、鬼が気付かないわけがない。無駄とは知りつつ朱華への抵抗を続けていると、それを五月蝿く思ったらしい朱華に髪を掴まれる。
「大人しくしてて、めんどくさいから。それにしても、凍牙の角も、銀露も手に入って上々だわ。露霞が……あんたの兄のおかげでね。あんな裏切られ方するなんて、あんた露霞になにしたのよ」
「それは……」
露珠が言い淀む。露霞の怒りの原因のうちのいくつかには心当たりがあるが、どうも露珠が認識している以上に露霞を傷つけていたことがあるようだ。それに思い当たらない、ということ自体が問題なのだ、と角を渡した露珠を見下ろしていた冷たい瞳を思い出す。
「わかってない、ってことね。そりゃ露霞も怒るか」
露霞に対して親しげな朱華を見ると胸が痛い。露珠を陥れ、朱華に与するような行動の理由が自分のせいだと突きつけられる。
「ついたよ」
地面に叩きつけるように露珠を放す。腕を掴まれてはいたものの、怪我をしているわけではない。露珠は難なく着地すると、辺りを見回した。
「ここは……神鹿の森?」
「もう神鹿はいないけどね。私達を産んで死んだ」
「神鹿が鬼を?私達って」
露珠が朱華に問おうとするが、別の妖の気配にはっと振り返る。
「角も銀露もどっちも手に入れたの?流石だね、朱華」
季節を無視したような青々とした木の間から現れたのは、栗色の長い髪に翠の瞳を持つ青年だった。やわらかい瞳に優しげな容貌ではあるが、露珠への視線に嫌な好奇心を感じる。これが、朱華の言っていた棠棣だということは、露珠にもわかった。
朱華と棠棣が棲家としているらしい洞窟に、露珠は連れて来られる。朱華から凍牙の角を受け取った棠棣はどこかへ行き、室内にはまた露珠と朱華の二人だ。屋敷から連れ出されたときの様に拘束されているわけでもなく、上部の穴から指す日差しで照らされた洞窟内に、無言の二人が立っている。朱華は壁にもたれかかって、腕を組んで軽く目を閉じており、全く動きを見せない。角を持っていなくても露珠の攻撃など警戒するに値しないということなのか、眠気に苛まれているのかは露珠には判別つかない。
攻撃するべきか、話しかけるべきか。決めあぐねていると、そのままの姿勢で目だけを開けた朱華が話しかけてくる。
「あんた、露霞を恨んでる?」
「え?」
ここで露霞の話に戻るのか、と露珠は意外に思って朱華を見る。目は開けたものの、手前の地面辺りにある視線は、その先ではないどこかを見ているように焦点が合っていない。
「恨んでは……。事情をお伺いしたいとは思いますが。でも、高藤と真白を傷つけたことは怒っています」
「高藤も真白も、直接攻撃したのは私だ。露霞はちょっと高藤の邪魔をしてくれただけよ」
露霞の裏切りを露珠に知らしめたいのか、それとも露霞を庇いたいのか、朱華の物言いは露珠からみて意図が読めない。
「先ほどの、棠棣と言う方は、あなたとは一体どういう……。角も、私も、あの人の求めだったと言っていましたが」
朱華はようやく視線を露珠に向けた。少しの逡巡のあと、再び視線を床に落として答える。
「棠棣は私の双子の兄弟。どっちが兄か姉かはわからないけど」
「双子?でもあれは」
先ほど会った棠棣を思い出す。どうみても、あれは気配を含めて鬼ではなかった。
「棠棣は鬼じゃない。妖鹿だ。私達の母親はこの森の神鹿で、父親は縄張りを持たない鬼だった。私は鬼、棠棣は妖鹿として生まれた」
鬼と神鹿の子として、双子で生まれた棠棣と朱華。朱華は鬼として、棠棣は妖鹿として生まれた。人型でない妖が、人型の鬼を生むのは負荷が大きい。その上双子とあって、棠棣と朱華の母親は二人を生んですぐに亡くなったという。
「それから、ずっと二人で?仲が良いのですね」
自分と露霞のことを思いながら、思わず露珠がつぶやく。
「仲がいい?棠棣は私が嫌いなんだ」
「嫌い?」
妖鹿だという棠棣。鬼である朱華がその気になればどうとでもできるはずで、嫌われているのに一緒にいる、という状況がわからない、などと思うが、露霞のことを考えると人のことは言えないと思い直す。たとえ嫌いだといわれても、明確に離れろと言われなければ、露珠も露霞からあえて離れようとはしないだろうと思うからだ。
同時に、今までの朱華の言動の意味が少し理解できる。何か声をかけようと口を開きかけたとき、棠棣の声が朱華を呼ぶ。
「朱華―?銀露こっちに連れてきて」
今までの雰囲気を一変させた朱華が、その声に返事をすると露珠の腕を乱暴に掴んで引き摺るように別の部屋へ移動した。
先ほどの部屋よりも薄暗い室内。光源といえるものは、茸のような形状のものが薄黄緑に光っているものがあちこちに散在しているのと、天面を削がれて平らになった中央の大石の上にある球体の中が僅かな明滅を繰り返しながら光っているものだけだ。その光源だけでは部屋の隅まで明かりは届かず、様子は伺えない。それでも、露珠はその部屋の中に複数の妖の気配を感じた。
「待たせてごめんねー?先に角の処理をしちゃいたくてさ。朱華、ありがとう。疲れたでしょ、休んでていいよ」
棠棣の言葉に小さく頷いて、朱華は踵を返す。出て行く直前にちらっと露珠を見るが、結局何も言わずに部屋を出た。残された露珠は正面から棠棣を見つめる。
「棠棣。私に一体なんの用なの」
それに、角の処理とは。聞きたいことが多すぎるが、まずは相手が会話する気があるのかを確認する。
「銀露への用事なんて、そんなに多様性ないと思うけど?」
鼻で笑うように答える棠棣に、対等に話をする気がなさそうなのを感じた露珠は変化を解く。本来の姿をとった露珠は、目を青色に染めて妖気を放出させた。棠棣と同じくらいの大きさになった露珠は、そのまま棠棣に飛び掛る。変化を解かないままの棠棣を大きく上回る妖気は、白狐の牙が棠棣に喰らいつくよりも先に、棠棣の身体に損傷を与える。
不快気に眉をひそめた棠棣が一歩下がり、露珠の背後に向けて呼びかける。
「こいつを捕らえろ!」
露珠が反応する先に、背後から伸びてきた黒い触手に白狐の身体が拘束される。本体と思しき黒い靄に胴体と四足を縫いとめられるように拘束される。
「そういうところだよ、妖狐。鬼には抗わないくせに、僕には勝てると、そう思ったってわけ」
露珠の妖気で傷を負った腕をさすりながら、棠棣が拘束した露珠に近づく。
拘束を解こうと身体を動かそうとする露珠に、黒い靄はしっかりと絡みついてそれを許さない。黒い靄はふわふわとしているようなのに、触れたところがじっとりと湿っていくようで気持ちが悪い。大きさの違いで隙間ができるか、ともう一度人型を取ってみるが、拘束は緩まる様子もない。
「実際そうかもしれないけど。でもね、ここにいる妖は僕が作ったもので、もとは――鬼だよ」
はっと、露珠が周りいる何体もの妖を見回す。目が慣れてきたことで入ってきた時よりも広範囲が見える。自分を拘束している黒い靄、棠棣の背後にいる肌の赤い獣の妖、ほかにも、様々な形の見知らぬ妖が部屋中にいる。
見た目は異なるこれらの妖、これらが全て、もとは鬼だというのか。
「君を拘束しているそれは、鬼の髪。赤いこれは鬼の角。強さは込められた妖気に準ずるから、髪だと弱いけど……それでも、妖狐程度の動きを止めるのには十分だよね」
にやり、と笑う棠棣は後ろの赤い妖を示す。
「さすがに、角から作った妖は強いよ。鬼の角なんて滅多に手に入らないから数は作れないけれど。そうそう、君がその懐に持っていた角。それを使って作った妖に君の血を与えたら、凍牙ともいい勝負になるんじゃないかな?」
もう一度露珠に向き直った棠棣が、露珠の着物の胸元を押す。
「場合によっては、凍牙を倒せると踏んでるんだよね、僕は」
胸元を指したまま、棠棣が、露珠を睨み上げる。
瞳の青色を深めた露珠が、妖術をかけようとするが、触手が露珠の首を絞める。
「――っう」
「意外と好戦的だね、君。朱華の話だと、おとなしく捕らわれの姫君をしてくれそうだと思ったんだけど」
露珠の首を絞める触手をとんとん、と棠棣が叩くと、その意を汲んだように拘束が緩まる。
「凍牙を倒す、っていう発言が、気に入らなかった?」
露珠の殺気を何とも思っていないことを示すように、棠棣は背を向けてゆっくりと周りを歩く。
「凍牙が大事すぎて怒っちゃったのかな?でも、そんな大事な凍牙サマに角を折らせるっていうのは……ねえ、知ってる?鬼はね、角を折ると寿命が縮むんだよ。放出した妖気は回復しても、その力全てが元通り、ってわけじゃない」
「どういうこと」
ずっと反抗的だった露珠が、抵抗を止めて会話をしてきたことに、棠棣は満足そうに笑みを深める。
「晃牙の死は、一般的な鬼の寿命から考えてあまりに早かった。他の鬼との戦いで命を落とすならともかく、あの死に方は寿命が来た鬼そのものだった。子どもを二人成しているからある程度短いだろうとは思っていたけど、それにしても短かった。それで、他に何の要因が、と思ったら」
「待って、子どもを二人って、それと寿命に関係があるの」
「あるよ。子を成した鬼は寿命が早まりがちなのは、一部ではなんとなく知られていることだ。晃牙は二人も子を成していて、それだけでもかなり寿命を短くしていたはずだ。その上角を折ったことで、更に寿命を短くしたんだよ。角を折ることと子を成すことは、鬼にとって同程度に危険なことみたいだね」
鬼に関する思わぬ情報に、露珠が青ざめる。
「あれ?結構動揺しちゃってる?」その様子を見て、更に楽しそうに棠棣が続ける。「でもほら、愛しの旦那サマに子どもを強請って、寿命を縮めることにならなくてよかったでしょ?角一つで気がつけてよかったじゃない」
赤い妖の前に立った棠棣が、そっとその腕を撫でる。
「朱華も、角を折って髪を何度か貰ったら、目に見えて弱ってさ。良く眠るようになった」
「それは……」
青ざめたままの露珠が、非難のまなざしを向ける。
「そう、晩年の晃牙の状態だよね」
こともなげに言ってのける棠棣に、良くは思っていなかった朱華のための不快感がこみ上げる。
「どうしてそんなことを。朱華は貴方の姉妹でしょう?」
「だからだよ。あいつが持ってるものは、元々僕のものだ」
神鹿である母をなくした双子を育てたのは、父である鬼だったが、父は鬼ではない棠棣に興味がなかった。双子として生まれたのに、朱華は鬼として力も、長い寿命も、父親の関心も、全てを与えられ、棠棣には与えられなかった。
「そんな、の」
露珠が何かを言いかけるのを、棠棣がさえぎる。
「わかってるよ、言いたいことは。朱華のせいじゃないって?でも、僕が朱華のせいだと言って、朱華もそれに同意しているんだ。何の問題もないだろ。朱華が鬼として持っているものの半分は、本来は僕のものでもあったはずなんだ。妖鹿と鬼の寿命がどれくらい違うか知ってる?倍じゃきかないんだよ。それの半分かそれ以上貰ったって、何が悪いって言うんだよ」
まくし立てる棠棣に、露珠は言葉を挟めない。ふう、っと大きく息をついて、棠棣が微笑んでみせる。
「そうそう、鬼の子どもの話だったよね。でね、不思議なことに、鬼と番になる妖には同じようなことは起きないみたいなんだよね。だから、鬼同士で子を成すとどうなるのかと思って」
「それで、朱華を凍牙様と……?」
「そう。子どもが出来て、力を失うのは凍牙なのか朱華なのか。それともどちらもか。そういう意味では、相手は凍牙じゃなくてもよかったんだけど……近場で、一番力がある鬼の寿命を縮められるならそれはそれで好都合だ――凍牙は既に角を一度折っているし――それに」
再び露珠の傍に来た棠棣が、その頤を指で持ち上げ上向かせる。
「君だ。銀露の力は興味深いね。その血も、涙も。他の体液はどうなんだろう?血も、採っておいて古くなったものでも効果はあるのかな?朱華が持ってきた白露は、微妙に色味が違ったけど、効果に差はあると思う?血は銀露同士ではなんの効果もないみたいだけど、白露は違うんだよね?その差はなに?」
間近にある棠棣の瞳には、自分が映っているはずなのに、全くこちらが見えていないように感じられて、露珠は怖気を震う。
「本物で、生きていて……。色々実験したいね。朱華と凍牙の子どもでも、銀露の君でも、何かしら手に入ればいいと思っていたんだけど……上々の成果だよ。さて――」
露珠から手を離した棠棣が、懐から取り出した小刀を、露珠の太ももに向けて振り下ろす。
「――っ!」
流れ出る血液を、器に受けて、棠棣が恍惚と露珠を見上げる。
「銀露の血に惑わされるとまともに調べられないからね。対策しておいたんだけど、上手いこと効果が出てるみたいだ。よかったよ」
気になる言葉がちりばめられているのに、聞き返すこともできない露珠は睨むように棠棣を見る。
「血はこうしていくらでも手に入るけど、白露はどうしたらいいかな。何をすれば泣いてくれる?」
突き立てた小刀で傷口を抉りながら、棠棣は滔々としゃべり続ける。苦痛に身をよじろうとして靄に押さえ込まれる露珠の悲鳴はその口の中にねじ込まれた触手に阻まれる。
「白露。色味が違うものが時々あるんだけど、それがなんなのかも気になっててさ」
小刀の刃を露珠の体内に残したまま手を離し、袂から小箱を取り出す。それを開けると、数粒の白露が入っている。棠棣はその青みがかった一粒をつまみ上げる。
「これなんかは、青と紫を混ぜたような色味が少し混ざっている。感情に連動していたら面白いな、とか思うんだけど、そんなに沢山の種類の白露を見たことがないからね。屋敷から朱華が持ち出してきたものは薄い桃色だったけど」
このくらいの痛みじゃ泣かないんだね。と、急に表情をなくした棠棣が白露を仕舞うと、露珠の太ももに突き立てたままの小刀を指ではじく。びくん、と跳ねる露珠の身体にも興味がなさそうに、立ち上がった棠棣が顔を覗き込む。
「ねえ、君が可愛がってる半妖の子を連れてきて、目の前で切り刻んだら、君は泣いてくれる?怒り?悲しみ?その時の白露にはどのくらいの効果があるんだろう。楽しみだね?」
返事ができない露珠には構わずに、棠棣はしゃべり続ける。
「その半妖の子を攫ってくるよう朱華には言っとくとして……。まずは君が元気なうちに白露をいくつかもらっておかないと。血は意識がなくても採れるけど、白露はそうはいかないからね。さて、何をしたら君は泣くかな?」
ようやく引き抜いた小刀を、適当に投げ捨てる。
「血を流すような肉体的な苦痛は後回しかな。ちょっと刺したくらいじゃ泣いてくれないみたいだし、体力を奪ってしまうしね。流血しない程度の肉体的な苦痛か、精神的な苦痛か……うれし涙っていうのは現状難しそうだものね?怒り、悲しみ、苦しみ……再現できそうなのはこの辺りかな。意地張らないで、泣けそうならすぐに泣くのがいいよ。苦痛を長引かせたくないならね。あ、生理的な涙っていうのもあるよね」




