(6)
「これが、朱華に連なるものだと?」
「あぁ、気配そのものは薄まっているが、混じりけなく朱華のものだ。まあ、朱華の親とか兄弟でも居れば、もしかしたらそっちの可能性もあるが」
絡まった糸の様な形状の妖を切り伏せながら、露霞が凍牙に答える。二人は再び屋敷近くに現れた妖と戦っていた。
鬼に兄弟、とは早々あるものではない、と言う凍牙に肯定を返しつつも、露霞は『露霞の妹』という視点で露珠を気にしていた様子の朱華を思い出す。
「今日のはやけに弱いな」
「そうですね」
今までの妖に比べて弱いそれらを見て、凍牙は露珠から『朱華が眠りすぎている』と報告を受けたことを思い出す。本体が弱っているために、朱華に連なるこの妖も弱いのか。そして、自分自身も力を回復しきれていないことを思い出さずにはいられない。縄張りの再確認に、露霞、朱華と続く来訪、得体の知れない妖の対応、と続く事態に、凍牙も疲労を感じている。すぐには解決しそうもないこれらの問題のために、一度本気で力を回復したいところだ。銀露の力を使えばそれは容易いことだが、それはしたくない。
数だけは多い妖を滑らかに倒しながらも考え込んでいる様子の凍牙に、露霞が気づく。
「疲れているのか?露珠を連れて出かけたらどうだ。露珠はあまり外にでることもないようだし、たまには二人きりで」
思わぬ提案に刀を操っていた凍牙の手が止まる。
「この状況で?朱華を屋敷に置いて留守にはできませんよ。真白になにかあったら露珠に泣かれます」
特に乱牙不在時に全てを高藤に任せていくのは高藤の負担が大きすぎる。「一緒に出かけたい」という露珠の要望も聞いているし、屋敷にいるとなんだかんだと真白を気にしがちな露珠と、二人きりで出かけるというのは凍牙にとっても心惹かれる提案ではある。
「俺が屋敷に残る。そうすればまあ一日くらいなんとかなるだろ。それに――」
凍牙を背後から襲おうとしている妖を、露霞が仕留める。
「この焦らされてるような状況を変えたくないか。隙を見せれば何か動くかもしれないぜ」
★
「一緒に出かけたい」という希望が、こんなにすぐに叶えられるとは思っていなかった。
露珠は、大雪山から屋敷へ来るときの車を引いていた黒虎の子の背に、凍牙後ろから支えられるように乗りながらちらりと凍牙の様子を伺う。
しばらく外出が多かった上に、最近は兄や朱華、屋敷近くへ現れる謎の妖まで現れて、非常事態と言っていい。そんな中、乱牙と凍牙と揃って屋敷を留守にしていいものか、自分のわがままが原因でこうなっているのでは、と露珠は気が気ではない。
一緒に、という点に重きを置いて、大雪山への里帰りではなく二人で少し南の地へ出かけることにした。この間屋敷を出た以外には、大雪山と屋敷のある山しか知らない露珠には、道中から全てが初めてのことだ。露珠が縄張りについて気にしていたことを覚えていて、凍牙は牙鬼の縄張りの南端の山を目的地にした。
牙鬼の縄張りの南端の山へ向かうには、黒虎だけの力では時間がかかりすぎる。凍牙は屋敷から目的地までの半分ほどを、自らの力を黒虎に分け与えることで数倍の速さで移動させた。
「凍牙様!山が――」
凍牙に後ろから抱きしめられる形で黒虎に乗ることに恥じらって落ち着けなかった露珠は、ぱっと開けた視界に入った紅色や黄色に染まった山を見て、歓声を上げる。
「広範囲のものは見たことがないだろうと思って連れて来たのだが、気に入ったか」
目を輝かせて周りの景色を見ている露珠を見て、表情を和らげた凍牙が問う。
「はい!とても。なんて綺麗――」
「山に入るとまた違う趣がある。沢も地も、色づいた葉に覆われて美しいぞ」
紅葉している山の中に入り、小川の傍で黒虎から降りる。
足元は全て落ち葉に覆われていて、紅葉色から梔子色までの様々な色味が重なっている。足元も頭上も、溢れる色彩で彩られた視界を露珠は凍牙の傍らでうっとりと見渡す。落ち葉を踏みしめるかさかさした感触も、その下のふかふかした土の感触も足に心地よい。
黒虎に乗っていたときの名残で組んでいた腕を凍牙がそっと放してやると、露珠が弾んだ足取りで周りを歩く。くるくると回りながら色づいた世界を堪能する露珠の様子を眺めながら、凍牙は倒木に腰掛ける。大雪山の植生では見ることができなかっただろうと思い、紅葉の山を選んでよかった。想像以上に喜んでいる露珠を見て思う。露珠の笑みに疲れが吹き呼ぶようだ、と思いつつも、連日の疲れに追加して黒虎へ力を分け与えたことで、凍牙は微かな眠気を感じる。視界の中の露珠がこちらを見て少し驚いた様子だった。
一面の紅葉の中を踊るように歩き回った露珠は、振り返ってみた凍牙の様子に思わず見入ってしまう。溢れる色彩の中でも圧倒的な銀の存在感だったはずだが、今はそれが景色に溶け込んでいるようだった。凍牙の肩に止まった三羽の小鳥、逆の腕に登っている栗鼠、その足元に寝そべる兎たち。いつもならはっきりとしている輪郭が、寄り添う動物達によって曖昧な印象になっている。優しい顔をして、その動物たちを指先で撫でる姿に見惚れてしまう。
小動物に、こんなに優しい顔をする人だとは知らなかった。目の前の凍牙に見惚れる反面、凍牙のことをまだ良く知らないということに、少し焦りも覚える。それ以上に、あまりに優しいその表情が、少しばかり羨ましくもある。凍牙に懐くその動物達は、恐らく露珠に懐くことはない。妖と動物はそう相性のいいものではないし、狐と小動物では言わずもがな。
「どうした、露珠」
自分を見つめたまま動きを止めてしまった露珠に、凍牙が訝しげに声をかける。
なんでもありません、と答えかけて露珠は思い直す。
「少し、その子達に妬いてしまって」
思いもよらぬ露珠の返事に、今度は凍牙が驚く。動物達に見せていたよりも更に表情を和らげて、凍牙が自分の太ももを叩く。
「久しぶりにここにくるか」
その誘いに二、三歩凍牙に近づいた露珠が、あと少しの距離を残して立ち止まる。
「これ以上近づいたら、その子達が逃げてしまいます」
眉尻を下げて情けない顔をするのさえ愛らしく見えるが、それを堪能するわけにもいかない。凍牙は自分に懐いてきている動物達を、何かを言い聞かせるように一通り撫でてやってもう一度露珠を呼ぶ。
「変化を解いても逃げはしない」
恐る恐る凍牙に近寄り、足元の兎が逃げないのを確認すると、肩の小鳥にそっと指を差し出す。首をかしげてちょん、とその指をつつく様子に、露珠は詰めていた息を細く吐き出した。
「凍牙様。少しお疲れのご様子です。いつもとは逆にさせてください」
「逆?」
問いかけに答えず変化を解いた露珠を、凍牙が驚いて見上げる。露珠はいつもの大きさではなく、座っている凍牙が見上げるほどの大きさの銀の狐になっていた。
露珠の意図が読めずに二の句がつげないでいる凍牙の後ろに回りこみ、鼻先で凍牙の身体を押すと、狐の腹に上半身を預けるようになる。ようやく露珠の意図に気がついた凍牙が、そのふかふかの毛に埋もれながら、その顔のほうに手を伸ばす。
「これは、負担ではないのか」
伸ばされた手に、返事の代わりにすりすりと顔をこすりつける。凍牙とその周りの動物たちをその毛皮で包むようにして、狐がその身を丸める。力を抜いた凍牙が、そのやわらかい腹の上でゆっくりとまぶたを閉じた。
小一時間ほどの休憩をとった凍牙が、すっきりと目を覚ます。視界の端をちらちらと動く、兎と戯れる尻尾を悪戯に掴むと身体を預けていた露珠の全身が跳ねる。掴まれた尻尾をバタバタと動かし、別の尾が抗議するように手をパシパシと叩く。
「すまない、つい」
手を叩いていた尻尾を撫で、反対側に首をめぐらせると、逆の手で狐の頬を撫でる。目を閉じて擦り寄ってくるのに顔を寄せて立ち上がると、露珠が人型に変化する。
「お疲れは、多少取れましたか?」
「あぁ。短時間寝ただけとは思えないほどだが……露珠」
真白の悪戯を咎める時の高藤に似た視線を向けられて、露珠が目を逸らす。
「とても、お疲れの様だったので……どうしても、お力になりたくて」
視線を下げて、変化しているのに耳を後ろに伏せているのが見えるような露珠の様子に、凍牙が表情を緩める。
「そなたの血も、涙も、髪の一本まで全て、そなた自身のものだ。そなたの意志でどのように使っても構わない。私がもしそれに異を唱えたとしたら、それは命令ではない、懇願だ」
「……凍牙様」
白露も血も使って欲しくない、というのは凍牙の偽らざる本音で、なによりそれは露珠のためだ。それでも、凍牙の役に立ちたいという露珠の気持ちもこれ以上ないほど汲んでくれている。
どこまでも優しい凍牙の言葉に、露珠は胸がいっぱいになる。
「ただ、露珠。紅玉だけは、私にくれないか」
「はい、もちろんです」
真剣な面持ちで告げる凍牙に答える露珠に迷いはない。必要だと言ってもらえるなら、今すぐにだって差し出せる。
「私がそなたにそれを求めるまで、預けておく。それは私のものだから、決して、私の許可なしに使わないと、約束してくれ」
先ほどのようには即答はできなかった露珠が、凍牙を見上げて頷く。それを確めて、凍牙も満足気に頷いた。
そろそろ戻ろう、と促す凍牙に従って、来た時と同じように黒虎に同乗する。往路の気恥ずかしさも大分和らいで、後ろの凍牙に身を預けるように少し体重をかける。そんな様子の露珠をそっと見下ろして、紅葉が見えなくなった辺りから、凍牙は黒虎の速度を上げさせた。
異変が起きたのは、屋敷のある山に程近い谷筋だった。
自分を抱きこんでいる凍牙が何かに反応するのを感じて、露珠が声をかけようとしたとき、黒虎と自分の身体に挟みこむように、凍牙が露珠に覆いかぶさる。同時に更に速度を上げた黒虎が、谷を抜けて崖の上へ駆け上がった。
直前までいた谷に、大振りの石が他の小石を巻き込んで落ちていくのを見て、露珠が凍牙を見上げるが、視線は合わない。凍牙は土煙でかすむ崖の先を鋭く睨む。
「露珠、屋敷へ走れ。黒虎、露珠を守れ」
屋敷まで高速で走り続けられるだけの力を黒虎に与えて、凍牙は黒虎から降りる。その間も視線は外さず崖の先を見ている。状況から察するに敵襲なのだろう。凍牙が心配でここに居たいと思うが、足手まといにしかならないことは重々承知だ。うっかり怪我をして相手を強化することにでもなったら目も当てられない。凍牙の言うとおり、できるだけ早くこの場を離脱するべく黒虎にしっかりと座りなおす。
「凍牙様」
思わずもれた呟きに、凍牙は一度だけ露珠と視線を合わせると「行け」と、黒虎の背を叩いた。主人の意を汲んだ黒虎が走り出す。露珠の動いた視界の端を赤い何か掠めた。
★
凍牙が留めてくれているか、幸い露珠への追っ手や別の妖との遭遇もなく露珠は屋敷に到着する。黒虎から降りて玄関へ足を踏み入れた時に、ようやく屋敷内の異様な雰囲気に気がつく。
「真白?高藤!お兄様?」
不安に思い急いで上がり框に足をかけた露珠は、気配に気がついて顔を上げる。青い髪がちらりと見えてほっとした露珠が声をかける。
「高藤。よかった、なにかあったのかと」
露珠の言葉はそこで途切れた。傷だらけの身体を引き摺るようにして現れた高藤が、露珠の前に膝を付く。
「高藤!」
悲鳴を上げるようにして駆け寄った露珠が何か言うより先に、高藤が露珠の両腕を掴む。
「お逃げください、露珠様。何も見てはいけません、早く!!」
緊迫した事態であることは理解できるが、この状態の高藤を置いてはいけない。それに、高藤の言い方が露珠の中の不安を膨れ上がらせる。
「なにも見ずに」。高藤がこんな重症を追うのはどんな場合だろう、高藤が露珠に見せたくないもの――
「真白、真白はどこに」
「露珠様!!早く」
最早露珠を突き飛ばす勢いの高藤の言葉は、しかし、別の声によって遮られた。
「お帰り、露珠」
ゆっくりと、焦らすような足取りで朱華が現れる。柱に半身を隠して立ち止まった朱華にもある程度の傷が見えていて高藤と戦闘したらしいことは読み取れるが、高藤の怪我とは数も重症度も違う。
「朱華、これは一体」
露珠の問いかけにそれは美しく口元を緩ませて、朱華は露珠の前に立つ。その手には、襟元を掴まれてぶら下げられている真白がいる。
「――っ!」
息を飲む露珠に満足そうに笑みを浮かべた朱華が、妖気で伸ばされた鋭い爪を真白の区首筋に当てる。
「ろ、しゅ……さま」
怯えて涙ぐむ真白が、懸命にその腕を露珠に伸ばす。
その手を掴むことができずに、露珠は真白を抱える朱華を見る。
高藤が一方的といえるほど劣勢だったのは、真白を人質に取られていたからだ。真白を損なえば凍牙も露珠も悲しむ。しかし、高藤にとって、真白は露珠と比較するには及ばない。露珠の安全のためなら、自身と真白を犠牲にするのに戸惑いはなかった。だが、露珠がそうではないことも高藤はわかっている。そのために、露珠をこの場から遠ざけたかったのだ。案の定、人質に取られた真白を見て、露珠は逃げる選択肢を完全に排除した。
「朱華、どういうことなの。真白を放して」
「待ちくたびれたよ。目論見どおり、凍牙はあいつの相手をしてくれてるらしいね」
「あれも、あなたが?」
「まあね」
目的は凍牙だったはずの朱華の突然の暴挙に、その目的が分からなくなる。凍牙と番うために、目下邪魔な露珠を排除したいならともかく、何故真白なのか。
その露珠の疑問は、次の朱華の言葉で解消する。
「角が欲しい。お前が懐に持っているそれだ。それと引き換えに、この半妖を返してやるよ」
自分を排除するために、この身を護る角が邪魔ということか、と納得した露珠は、どうやって時間稼ぎをしようか考える。
「余計なことを考えずに、とっととその角渡すか、この半妖を見捨てるか決めた方がいいと思うけど。白露だって死者を蘇らせることはできないんでしょう?それに、いくら後で治せるからって、痛い思いはさせてもいい、とか思っちゃうわけ?かわいそうに。まだこんなに小さいのに」
朱華の爪が先をずらし、真白の眼球を捉える。おぞましい想像をした露珠が悲鳴の様な制止の声を上げるのと、真白が恐怖に叫ぶのは同時だった。
爪は真白の目蓋を傷つけて止まるが、目蓋からの出血で真白は視界を奪われる。片目を血に濡らす真白の様子は痛々しく、涙が混ざった桃色の液体が真白の頬を滑り落ちていくのを、露珠は自分が傷つけられる以上の恐怖を持って見つめた。
脅しが十分に効果を発揮したのを見てとって、朱華がにやりと笑う。
「わかったでしょ。早く、角をこっちに投げて」
「いけません、露珠様」
もう後などない。真白ごと朱華に攻撃するべく、高藤が全ての力を一点に集中させる。その力の篭った拳の先を、一瞬黒い光が掠めた。
「くっ……露霞」
高藤は憎しみの篭った声でその名を呼ぶ。姿こそ見せなかったが、今邪魔をしたのは露霞だと確信がある。真白を人質に取られていたからと言って、高藤は手を拱いていたわけではない。真白を守りつつ朱華を攻撃できる機会を作っても、ことごとく露霞が邪魔をしたのだ。
「お兄様?」
露珠は、高藤と自分の視界内にいない兄とのやり取りが感知できていない。露霞の名を呟いたものの、兄の裏切りを露珠に説明するのを高藤は躊躇するが、もちろん朱華は遠慮しない。
「ふふ。あんたの兄も協力してくれてるのよ。どう?兄に裏切られる気分は。痛い目にあわせてやりたい、っていう露霞の気持ちも、わかんなくないわね。そのお綺麗な顔が歪むのは見ていて楽しいわ」
それで、と朱華がもう一度爪を真白に向ける。
「角。くれるのくれないの、どっち?」
制止する高藤の横を通り、朱華少し近づいた露珠は、懐から出した角を朱華に投げ渡す。角を手にした朱華が、片手で真白を露珠に投げつけ、受け止めた露珠がたたらを踏む。
「真白、真白」
朱華に背を向け、真白を庇うようにして抱きしめる。真白の後ろにいる高藤にも手を伸ばそうとした露珠の銀色の髪を、真っ赤な爪の手が掴むと、乱暴に後ろに引く。
「――っ、朱華」
「角だけじゃなくて、あんたもだよ。棠棣が欲しがってたから、連れてく」
「棠棣?」
聞き返す露珠に答えるつもりはないらしい。朱華に引き寄せられながら、露珠が懐の白露を真白の着物に滑り込ませる。髪に朱華の息を感じるほど近くに引き寄せられた露珠が全力で抵抗を試みるが、弱っている様子とは言え鬼。その上凍牙の角を持っているせいで露珠の攻撃はほとんど朱華に通らない。つかまれた髪ごと切ってしまおうと自身の爪を振り上げるが、その腕をとられて捻り上げられてしまう。
「五体満足で連れて行ったほうが棠棣も喜ぶと思うし、余計な手間かけさせないで」




