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プロローグ


 小さい頃、雪の神様に会ったことがある。一人で暇を持て余した結果、行ってはいけないといわれている麓に近い湖まで来てしまった時だった。


 その頃、山に住む一族は他種族による度重なる侵攻と乱獲により、数を大きく減らしていた。戦える男手も少なく、同い年の男の子は皆訓練に実践にと少女の相手をしている暇はなかった。子供に限らず女の数は男に比べて更に減少していて、子供同士遊べるような年齢の女の子はいなかった。

 敵の侵攻という非常事態も、毎日続けば日常になる。

 その日も、昼過ぎに、「山に侵入者あり」と大人たちと戦える少年達が出て行ってしまい、少数の年嵩の女性やもっと小さい子供達と共に残された少女は、ちょっとした興味で、侵入者の情報があったのとは反対の方角の麓に下りることにした。

 大人の女性達は赤子や幼児にかかりきりで、少女が一人抜け出したことには誰も気がつかなかった。


 少女は露珠(ろしゅ)といい、雪山にすむ妖狐『銀露(ぎんろ)』の一族である。銀露の一族は、その特殊な生産物ゆえに、常に数多の妖やヒトから狙われることが多い。

 露珠が住む大雪山は、その名の通り年中積もった雪に覆われ、一年の半分以上降り続ける雪に閉ざされており、生息できる者は少ない。生きるのには厳しい環境だが、そのおかげで狙われることの多い銀露の一族がこれまで生き残って来られたともいえる。

 そんな大雪山でも、麓に近いところは夏場になると雪が降る頻度も減り、銀露を狙う者が入りこみやすいのだ。


 だが、その湖で露珠が出会ったのは、銀露を狙う虐殺者ではなく、美しい銀色の神様だった。


 凍っていない沢山の水、というのが少女にとっては珍しい。誰もいなければ、凍っていない湖で遊ぼう。そう思って木立の間から湖を覗き込んだ彼女の目に映ったのは、陽光に銀色の髪をきらめかせ、額にこれもまた銀色の宝石を2つ飾った、少年とも少女ともとれる顔立ちの、それは美しい者だった。

首から身体にまとわせる銀色の毛皮があるにしても、寒さなど少しも感じていないように泰然と湖面で着物の裾をはためかせるその姿は、その中性的な容貌と幼い見た目との落差によって、畏れすら感じさせる。


 「雪の神様」


 小さく、思わずもれたその呟きを、銀色の神は聞き逃さなかった。

 その視線が木立の中の自分に向けられるのを感じ、露珠はそろりと木陰から神の前に進み出た。

 視線は美貌の神に釘付けのまま、真っ直ぐに近づく。


 「お前は」


 男にしては高めのその声は、それでも銀の神が男性であることを露珠に知らせた。


 「銀露の、露珠、です。あの。神様?私がいつもお願いごとをしているから、来てくれたの?」


 普段であれば、軽々しく種族名を名乗ったりはしない。銀露だとわかっていない相手に、一々それを伝えてやるなど、狩ってくれと言っているようなものだ。

 その上、神と思っている相手に向かってなんとも図々しい発言だ。だが、その時、銀色の神は少し驚いた様子を見せただけで、咎めはしなかった。


 「願いがあるのか」


 聞き返してもらったことで、願いを聞き届けようと言われたように思った露珠は、勢い込んで話した。


 「はい。銀露を、私の一族を助けてください。みんな沢山殺されて、どんどん数が減って……この前だって何人も。誰も、ここに入って来られないように。お願いします、神様」


 最後は手を組んで跪く。

 銀の神は、湖面を滑るようにして露珠の目の前に立ち、彼女を見下ろす。跪いた露珠と神の、銀色の瞳が見つめ合う。感情の読み取れないその目を見ていると吸い込まれそうで身動きが取れない。


 ふ、と神が息を吐いたように感じた。金縛りが解けたように、視線を顔から逸らした露珠は、影になって見えていなかった神の左肩、衣が破れて奥に血が滲んでいるのを見つけて思わず立ち上がる。

 首飾りにして下げていた白露を首から外し、左肩に触れようとした露珠の手首を、神が掴む。それが治癒を拒む意味合いだということは露珠にも理解できたが、怪我に近づけすぎた白露は、そのまま患部に溶け込むように消え、衣の破れだけを残して傷を綺麗に消していた。


 「っごめんなさ……」


 謝ろうとする露珠の手首から感触が消える。はっと顔をあげるも、湖には露珠一人だった。



 神が背を向けていた側の森の地面には、血の跡が湖に向かって途切れることなく付いている。夥しい量の出血をその犠牲者たちにもたらしたものは、湖でその血を洗い流していたのだったが、露珠がそれを知ることはなかった。


 その後、他種族からの侵攻頻度は減ったものの、銀露の一族の苦境は変わらず、銀露はじわじわと数を減らしていった。結局、あれは神様ではなく、多感な時期に身近な者が多く死んでいくという状況で露珠が見た幻だったのだと思うようになった。

 さらに後になって、あの中性的な神の身体を包んでいた毛皮が、銀露の毛皮だったのでは、と思い至り、露珠は怖気を奮った。


 あの後、姿が見えない露珠を探しに来た大人に神様のことを話したら、神に会っても不用意に願い事などしてはいけない、とたしなめられたことを思い出す。神は時に残酷で理不尽なものだ、もし願いを聞き届けられたとしても、その代償は大きい。一族の神職の言葉を思い出し、あの時にしてしまった願い事が、より一層一族を苦境に追いやったのでは、と露珠は人知れず罪悪感を抱えていた。


 そして今、銀露の長の苦渋の顔を見て、あの時の願いがこういう形で叶えられるのか、やはりあれは神様だったのだ、と露珠は妙に納得していた。


 「牙鬼(がき)の一族に嫁いで欲しい。晃牙(こうが)、いや晃牙様の角による結界、および牙鬼一族が銀露を守護することと引き換えに、晃牙様のご子息と釣り合う年齢の銀露をご所望で、お前を候補とすることで晃牙様と合意した」


 牙鬼一族(がき)の角と守護、それと引き換えにするには銀露の女一人では釣り合わない。力ずくで銀露の全てを奪う力を、牙鬼一族は持っている。実際、十年近く前に少数の牙鬼一族が大雪山に訪れ、銀露が幾人も犠牲になっていた。

 この釣りあわない取引が、牙鬼にどういう利益をもたらすのか、銀露側には分からない。しかし、この申し出を断る術も理由も、銀露はもっていなかった。もちろん、露珠に否という権利はなく、そのつもりもない。


 本当に、その凍牙様とやらの嫁になるのかどうかも怪しい、と露珠も銀露の長も言葉にはせずとも分かっていた。生きた銀露が欲しい、できれば抵抗せずに従順な者を。そういう要望であるということは、露珠に待ち受けるその後が、死んだ方がマシだと思えるようなことである可能性も。


 覚悟と、この破格の申し出をもたらしたのであろう銀の神への少しの感謝を胸に、露珠は長である父を見返した。


 「謹んでお受けいたします」


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