宴会で屁をこいたと叱られて追放された。戻って来いと言われてももう遅い。殿を殺して拙者も死ぬ
時は天正十三年(1585年)の夏の夜の事である。
若き侍の桑田孫五郎は、闇に包まれた佐倉城の廊下を忍び足で進んでいた。警護の兵とは全く出くわす事は無い。孫五郎は城の警備を知り尽くしているからだ。
城内は一寸先も見えぬ暗闇に覆われているが、もし何者かが孫五郎の近くに寄ったのならば、孫五郎の発する気配を感じ取ったかもしれない。
それ程に孫五郎は全身から怒気を迸らせていた。
事の発端は、正月の祝いの席の事である。孫五郎の主君である千葉邦胤は家臣を集めて宴席を催していた。
近習である孫五郎は、配膳などをして働いていた。
そして、孫五郎が邦胤の近くに寄った時、騒がしい宴席の喧騒をかき消す様に、高らかな音が鳴り響いた。
プゥ〜
それはまさしく屁の鳴る音であり、辺りは静まり返った。
プ、ププ、プ、プゥ〜ウゥ〜ウッ
静寂が宴席を包んだ所で更なる放屁の音が響いた。軽快な拍子が滑稽ささえ感じさせる。
だが今は場が悪い。主君邦胤の主催する宴なのである。戦場往来を生き延びてきた豪傑達も、流石にバツの悪さを感じて黙りこんだ。
「孫五郎! この新年の目出度き宴の席で屁を! それも二発もひるとは何事じゃ! 無礼者!」
邦胤の杯を床に叩きつけながら立ち上がり、孫五郎を面罵した。
「な……されど出物腫れ物所嫌わずと申しまして……」
「言い訳無用!」
激昂した邦胤は、孫五郎を蹴倒すと短刀を引き抜いて手討ちにしようとした。
主君への放屁は無礼であるが、命を奪うのはやり過ぎである。周囲の者が静止して一命をとりとめた。
しかし無礼があったとして、孫五郎は謹慎の沙汰を受けてしまった。
そして謹慎から数カ月後、周囲のとりなし故か時間が経過して気が晴れたのか、孫五郎は赦免の身となり再び出仕が許された。
だが、この事件は周囲からの嘲笑の原因となる。
「ははっ。あれが『屁こきの孫五郎』殿か」
「匂いがうつってはかなわぬのう」
「おや? 桑田殿、大変でござったな。療養して尻の穴の緩みは治りましたかな? かっかっか!」
「気にされることはござらぬ。殿に身をもってお仕えした結果ですからな。尻で奉公されたのなら多少緩くなるのも道理でござろう。ふはははは!」
これらが孫五郎に欠けられた嘲弄の言葉の数々である。中でも後の二つは、以前孫五郎が邦胤の寵童として仕えていた事を揶揄するものだ。
孫五郎は今年十八歳になる若者で容姿に優れている。そして以前は女人の如き美形であった。そのため邦胤の寵愛を受け、高い家柄でないにもかかわらず高禄を食んでいたのだ。
しかし、成長につれて男らしさが増してくると邦胤の寵愛は失われていき、時折邪険に扱われるようになった。正月の事件はその様な状況で起きたのだ。
「俺は屁などしていない。屁をひったのは殿ではないか」
そう。放屁の罪により打擲された孫五郎であったが、実際に放屁したのは邦胤の方であり、罪を擦り付けられたのだ。
「俺が邪魔になって始末しようとしたのだろう。前は俺の機嫌を取ろうと甘い言葉をかけてきたと言うのに、これは許せぬ」
孫五郎の心に、愛憎が入り混じった黒い炎が燃え上がる。湧き出ずる衝動に突き動かされて邦胤の寝所を目指して進んで行く。
何のために?
殺すためだ。
孫五郎はすぐに邦胤の寝所に到着した。寵愛を受けていた頃は毎夜の様に訪れていたため、明かりをつけなくても足が経路を覚えている。そして、邦胤が夜伽を命じる時は不寝番を配しないのも承知しており、周期的には今夜がその日である。
誰に見咎められるわけでもなく孫五郎は寝所にこっそりと入り、静かな寝息を立てる邦胤の枕元に立つ。夜伽の者はもう帰ったのかまだ来ていないのか不明だが、邦胤は一人だ。
刺し殺そうと短刀を抜いて邦胤の寝顔を睨みつけた時、孫五郎の心に様々な思いや記憶が押し寄せる。
初めて邦胤に召し出された夜
遠くまで馬を走らせた夏
共に戦場を駆け抜けた日々
邦胤の跡継ぎ誕生を二人して喜んだ日
皆素晴らしい思い出である。
そして邦胤は、平安の世より下総一帯に覇を唱え、源頼朝が挙兵後に落ち延びてきた折はそれを支えて、武士の世を築く礎となった名門千葉氏の末裔である。この戦国乱世においては北条や里見などの新興の大名に押されているが、その家柄の尊さは武門の宝である。
どうして私怨でこれを討てようか。
孫五郎は心を落ち着かせ、寝所を後にしようとした。
その時、
「う~む。そこに誰かいるのか?」
「……!」
「ははあ、寂しさに我慢できず儂の所に忍んできたと見える」
「……」
「さあ来るがいい。菊丸」
「違うわ!」
こうして、名門千葉氏の末裔たる千葉邦胤は、桑田孫五郎に刺殺された。
邦胤の子はまだ幼く、程なくして北条家に千葉氏の勢力は乗っ取られ、大名としての千葉氏は滅亡した。
詳細は不明だが、放屁をきっかけにして千葉氏が滅んだ事だけが言い伝えれている。