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異世界に落ちたら  作者: 鈴木いち
拾った
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5

 何年ぶりかわからない風邪を引いて寝込んだ翌日、俺達はなぜかベッドの上で向かい合っていた。「話がある」と言っておもむろに正座したリラにつられてつい同じ姿勢をとってしまった。

 まだ少しぼんやりする頭でリラを見つめる。深刻な表情で膝に置いた手を強く握り締める彼女を見て、ついにこの幸福に終わりが来たのだと悟った。




 毎日毎日嫌になるほど雪が降り続ける中、昨日は久しぶりに太陽が顔を出し街に人が溢れていた。

 上がらない気温は相変わらずだが日差しの分だけ暖かく、肺を満たすのは冷たいけれど澄んだ空気。冬が苦手でも、こんな日はやはり気持ちがいい。

 時折住民達に声を掛けながらいつも通りの巡回ルートを歩く。どうせなら今日みたいな日はリラと出掛けたかったと思いながら、それでも足取りは軽い。

 いつも通りの景色をいつも通りに歩く。それだけなのに、リラを想うと胸が弾んだ。


 酒場の集まる通りは自然とトラブルが多くなる。まだ日も高いが用心に越したことはないと入り組んだ路地を回り異常がないかを確認していく。裏通りの影から出たところで甲高い声が響いた。


「いた!騎士のお兄さん!助けて!!」


 必死な声の主を探すと小さな影が2つ、こちらに走り寄って来るのが見えた。


「どうした」

「池で遊んでたら氷が割れてビルが落ちたんだ!」

「助けて!お願いだよ!!」

「わかった、行こう。そっちの君は他の大人にも知らせて」

「うん!」


 先導して駆けていく小さな背中を追って走る。自分なりに鍛えてはいるが、脚力の優れた種族に比べると当然分が悪い。子供相手でも着いて行くのに必死だ。

 やっと見つけた騎士がヘビとは、子供たちも内心落胆しているかもしれない。

 元々、種族による誹りを受けることも覚悟の上で騎士になった。しかし、この街の人は俺が思うよりも善良で、ほとんど俺の杞憂だった。

 だからこそ、絶対に助けてみせる。


 冷たい空気に喉が痛むのを感じながらも必死に走り、小さなため池にたどり着いた。

 立ち止まる時間が惜しいと走りながら剣を置き、上着も投げ捨てて池の中に入る。いつもは頼もしいブーツがゴボゴボと水を含んでどんどん足が重くなる。これも脱いでおくべきだったか。

 分厚い氷に覆われた水中は想像以上に冷たく痛みすら感じるが、躊躇はしていられない。恐らくこの水温では俺は長く動けない。

 凍りつきそうな体を叱咤して小さな影に近付いていく。

 懸命に腕を伸ばして襟首を掴み、もがくようにして何とか岸に戻った。ぐったりした体を押し上げた後、倒れ込むようにして自身も這い上がる。

「大丈夫か」「しっかりしろ」と声を掛けたところで、街で別れた子供が同僚を連れて走ってくるのが見えた。

 安心した体から力が抜けていく。やはり、体温が下がりすぎたらしい。

 自分はともかく、この少年は助かるだろうか。ヘビでないのだから、どうか、どうか、無事で。


 そこから先は俺の意識は曖昧で、リラによると駆け付けた同僚の一人に抱えられて帰宅したらしい。

 その時に同僚が言ったそうだ。「後は頼めるか?一応詰め所で着替えさせたが、こいつはヘビだからきちんと温めないと恐らく体温が戻らない」と。


 そして俺はありったけの毛布といつもとは反対に俺を抱きしめるリラの腕の中で目を覚ました。

 まだ痛む頭を抱え起き上がるとすぐにリラも目を覚まし、かいがいしく俺の世話を焼いた。

 昼過ぎ、熱が下がったことを確認し、落ち着いたところでリラが告げた。話があると。



「昨日の夜、エタンが助けた子のお父さんが来たよ。エタンにお礼がしたいって。熱はあるけど無事だって」

「そうか。よかった……」

「それで、あの、昨日エタンを送ってくれた同僚さんに聞いちゃった。エタンはヘビだったんだね」

「……ああ」


 少年を助けられて良かった。親切な同僚には感謝している。

 誰が悪いわけでもない。

 いつまでも先延ばしにしてぬるま湯に浸かっていた俺が悪い。


「本当は自分で当てたかったけど、やっとわかってスッキリしちゃった。エタンすっごい冷え性だもんね!」

「うん」

「それでね、いや、それとは関係ないんだけど……私も、言わなきゃいけないことがあって」


 リラの小さな手で喉元に刃が突きつけられる。

 頼む。やめてくれ。


「あのね、私もそろそろちゃんとしなきゃなって思って」

「何で」

「だってずっとここでお世話になってるわけにもいかないし」

「ずっといればいいだろ」

「そんなわけにいかないよ」

「俺は構わない」

「だめだよ。仕事も家もちゃんと探すから」

「だから何で」

「それは……」

「ああ、俺がヘビだからか。耳もない、尻尾もない、雄として論外のヘビだからか」

「そんな!エタン、違うよ」

「じゃあ何で!何でいきなりそんなこと言うんだ!おかしいだろう!俺なんかには何の価値もないって気付いたからじゃないのか!!だから、だからリラは!」

「エタン、」

「俺を、捨てて……出ていくんだろう…………」


 情けない。でも、止まらない。

 今さら何もかも夢だったなんて、絶対に無理だ。受け入れられない。

 どうしよう。どうしたらいい。

 もう熱はないはずなのに頭がガンガンと痛む。


「違うの、エタン……違うんだよ」

「何が違う?いや、もういい。リラが何を言ってもどうせリラは俺のものだ。王家は俺をリラの引き取り手として認めた。獣人は他の雄の匂いがついた雌には近付かない。例えリラが……リラが俺を嫌がっても、もう俺のものだ……!!」


 血を吐くような声だった。

 リラの名前を呼びながら、怖くて顔を見ることもできず、それでも手放したくなくて必死に絞り出す。呪いをかける。


「違うよエタン。エタンに守ってもらう価値がないのは私の方なの。

 私ね、19歳なの。もうとっくに大人なんだよ。多分みんな勘違いしてるなって気付いてた。わかってて、エタンの優しさにつけ込んだの。ごめんね、エタン。ごめん……」


 もう耐えられないとばかりに泣き出したリラにぎゅっと眉間に皺が寄った。


「知ってる」

「え?」

「リラが成人してることぐらい知ってる」

「えっ何で?いつから?」

「最初からわかってた。いい匂いがするってずっと言ってただろ」

「それシャンプーとかこっちに来てから使ってる香油の匂いじゃないの……?」

「違う。リラの匂いだ」


 呆然とするリラに畳み掛ける。


「俺は最初からそのつもりでリラをもらったんだ。理由がそれだけなら絶対に離さない」

「……私ずっとここにいていいの?」

「当たり前だ。リラが俺に触られたくないとか、気味が悪いとか思わないなら」

「そんなの思うわけない」

「俺の背中を見てないからそんなことが言える」

「じゃあ見せて」

「……後悔するなよ」


 もうやけくそだった。

 リラに背を向けてベッドの上で膝立ちになると、乱暴に寝間着を脱いで放り投げた。俺の背中一面にこびりつく、テラテラと光る緑色。両親以外の他人に初めて見せる醜い醜い俺の獣性。


 死刑宣告を待つような気持ちでぎゅっと目を瞑っていると、背中に何かが優しく触れた。こわばった肩がビクッと震える。

 慌てて肩越しに振り返ると至近距離にリラがいて、俺の鱗をまじまじと見つめていた。


「……気持ち悪くないのか」

「うん。自分でもびっくりだけどエタンの背中だと思ったら全然平気みたい。すごい、こんな大きい鱗初めて見た」

「……そうか」

「あのね、エタン。私は耳も尻尾も興味ないし、あんまり大きい人は怖い。肉屋のおじさんの口いっぱいに並んだキバは何度見ても緊張する。いい人だって知っててもだめなの。私はエタンがいいよ」


 リラが手のひら全体で俺の背中に触れた。

 こんな時でもリラはあたたかく、やわらかい。


「……リラはまだ知らないことがある。言えないこともあるが」

「それは"落ち人"のこと?」

「ああ」

「エタンの秘密はもうない?」

「まぁ、そうだな」

「じゃあいい。多分この世界はそんなに私に優しくないから。そういうのはエタンがくれる分だけでいい」


 堪らず向き直ってリラを抱き締めた。


「好きだ」

「うん」

「もう離してやれない」

「うん」

「優しくするから、大事にするから、一緒にいてくれ」

「うん」

「……俺を、怖がらないで」

「エタンを怖いと思ったことなんてないよ」


 情けなく視界が歪むのを感じながら、リラを抱く腕に力を込めた。やわらかくて、甘い匂いがする。

 こんなに胸を焦がす存在が子供のはずがない。


 俺の背に回ったリラの手が鱗をさすって、触れたところから熱が上がる気がした。


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