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「そう言えばエタンって何の獣人なの?」
リラの素朴な疑問はその響きの軽さとは裏腹に俺の泣き所を抉った。
別に隠しているわけではない。周囲は皆自然に知っている。そもそも匂いに敏感な獣人同士で隠せるものではない。
ただ、リラがまだ知らないだけだ。
この国で一番多い種族は犬。それに猫や虎、狐、熊あたりが続く。
理由は実にシンプルだ。大抵の獣人にとって獣性の強さは異性へのアピールになる。少なくとも耳や尻尾の毛並みの豊かさと、体格の良さ。この2つは雌が雄を審査する際必ず問題になる。
その基準に則って一部の種族が増え、また一部は淘汰されていった。
俺は淘汰される側だった。
頭から生える耳も豊かな毛を持つ尻尾もなく、身長はそれなりだが骨格が細い。
そして、背中一面をぬらりと緑色に光る鱗が覆っている。この醜い背中が俺の獣性。
俺は大陸全土で哺乳類の獣人達が幅を利かせる中、「論外」とされるヘビ獣人だ。
仕事も家もある。気の合う同僚もいる。何の問題もなく社会生活を送っている。
だが、誰も俺を異性として見ることはない。亡くなった両親以外のヘビに会ったこともない。
俺は誰の目にも映らない。まるで透明人間だ。リラ以外には。
「何だと思う?」
俺の頭のてっぺんから爪先まで探るように視線を這わせるリラに、用意していた図鑑を手渡した。
どうせいつまでも隠しおおせるものではない。
「わかった。絶対当てるからね!」
パラパラとページを捲ったリラは納得したように頷き、ニッと笑った。挑戦的な瞳が可愛い。
あの場から掠め取るようにリラを攫って1週間。これはまだ初めて見る顔だ。
人間がヘビをどう思うかはわからない。だが、少なくともリラは「人間から遠いもの」を怖がっている。この背中が好まれるとは到底思えなかった。
「ああ、待ってる」
このままずっと気付かないでいてほしいとも思うし、俺を見つけてほしいとも思う。
いや、違う。俺を見つけても変わらず笑いかけてほしい。
もう透明人間には戻れない。
◇
「おばさん、今日もありがとう。また何かあれば教えてほしい」
「こんなところで何があるって言うんだい……」
リラが一人で買い物に出るようになってから、警邏隊の騎士である俺は日中の巡回ルートに家の前の商店街をねじ込んだ。
リラの安全のためならパン屋のおばさんの呆れた声も右から左だ。
「いくら心配だからってあんまり閉じ込めてるとあの子も息が詰まるだろう」
「リラはまだここに慣れてないんだ」
「2人ででもいいからもっと外に連れ出してやりな。そんなんじゃすぐ愛想尽かされるよ」
幼い頃から俺のことを知っているおばさんの容赦ない物言いに思わず眉間に皺が寄る。
もともとこのパン屋は母のお気に入りだった。
俺の両親は二人ともヘビ獣人で、お互いに諦めきって生きていたところを奇跡的に出会い、遅くに俺を産んだ。肥立ちの悪かった母は俺が物心つく前に儚くなり、父も数年前の流行り病で帰らぬ人となった。
おばさんは一人になった俺のことを心配して何かと声をかけてくれる。
「考えておきます」
「この辺の連中はみんなあんたが騎士だって知ってるよ。一緒にいれば誰も手を出してこないだろう」
「……そうですね」
普通獣人は他の雄の匂いがついた雌には近付かない。これは常識だ。
だが、リラは人間だ。俺らみたいな奴にとって嘘みたいに都合のいい、この世界の理に当てはまらない存在。
見栄もルールもかなぐり捨てて手を伸ばす価値がある。
そういう歪んだ願望が結実した結果、リラはここにいるのだから。
青い空に横たわる亀裂を視界の端でチラリと見上げ、おばさんに別れを告げた。
「本当にヘビは執着が強いんだから……」
歩き出した俺の背中にまた呆れ声が届いた。
執着、そうかもしれない。
恋も愛もわからない。
だけど本能が叫ぶ、これは俺のものだと。
いつも何もかも求める前に諦めてきた。だって仕方がない。望んでも手に入らない。俺はヘビだから。
でもこれは無理だ。これだけは俺のものだ。
リラに会って初めて自分の中にあったどす黒い欲望に気が付いた。
これはきっと恋とか愛とかそんな綺麗なものではない。たくさんの中から君を選んだわけじゃない。そんなフェアなものではない。
だってこんなに自分に都合のいい存在を好きにならずにいられるわけがないだろう。俺にはリラしかいない。次なんてない。もう透明人間には戻れない。
恋でなくても愛でなくても優しくする。大事にする。何でもする。
リラと呼ぶたび、君を見るたび、身の内に収まりきらない執着がドロドロと染み出してくるようだ。
リラが笑うと胸が苦しい。でも、もうリラがいないと上手く眠れない。他人を想うというのはこんなにもままならないものなのか。
俺以外の奴らは皆こんなものを抱えながら日々を生きていたのか。何と、何と恐ろしい。
だけどもう絶対に、知らない頃には戻れない。
リラ、リラ、どうか、俺を拒まないで。