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異世界に落ちたら  作者: 鈴木いち
落ちた
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 異世界に落ちたらしい。

 らしいというのは元の世界の記憶が曖昧だからだ。

 どんなところにいたのかは何となく覚えてる。こちらの世界で初めて見るものに既視感を覚えることもある。

 でも誰の顔も浮かんでこないし、自分の名前すらわからない。

 記憶喪失ってこんな感じなのかな?


 とりあえず不便だからと私を拾ってくれたエタンがリラという名前をつけてくれた。花の名前なんだって。うれしい。

 エタンは私が落ちてきた時に迎えに来てくれた騎士団の隊員で、何もわからず泣き続ける私をそのまま引き取ってくれた。

 だってとにかく怖かったのだ。

 いきなり森の中に落ちて、足は痛いし、囲まれるし。


 それに何より、ここは獣人の国だった。

 獣人というのは獣の性質を持つ人間のことで、大体みんな頭の上に耳があり、おしりから尻尾が生えている。

 それ以外の特徴は人によってまちまちで、普通の人間に耳と尻尾が生えただけの人もいれば全身を毛に覆われた二足歩行の獣みたいな人もいる。

 私が知る限り耳も尻尾もない獣人はエタンだけだ。


 そして獣人は体が大きい。女性でも180cm前後の人が多く、男性なら2m超えも珍しくない。

 つまり、この世界に落ちてきた私を取り囲んだのは身長2m超えの見慣れない姿形の男達。しかもみんな腰に剣を差していて、私はパニックになってしまった。

 とにかく怖くてあちらの話も聞かず泣いて泣いて泣き叫んで、そうしてるうちにエタンが来てくれた。

 彼もまた人間ではなかったが、耳も尻尾もないし、剣を持っていなかった。膝をついて話してくれた。優しい声で何もしないと言う。私を保護してくれると言う。

 わけのわからない恐怖の中、張りつめていた気持ちはもう限界だった。


 そして、私はここにいる。

 あの日からエタンと暮らしている。




「う"うーー寒い」

「おかえり、エタン」

「ただいま。今日も何もなかったか?」

「ちょっと商店街に出ただけだもん。大丈夫だよ」

「そうか。よかった」


 ひんやりとした手で私の頭をなでてからエタンはリビングに直行した。

 冬になってから、リビングに備え付けられた暖炉の前が彼の定位置だ。毛足の長いラグの上にあぐらをかいて手の平を暖炉に向け温めている。

 エタンは寒がりで冷え性で過保護だ。


「今日はトマトシチューだよ」

「やった。俺の好きなやつ」

「もう、エタンは何でもそう言うんだから」


 口ではそう言いながらも嬉しくてちょっと口元がにやけてしまう。

 ここに来てそろそろ3ヶ月。毎日はとても穏やかだ。


 私の一日はエタンと一緒に起きて、朝ごはんを作って食べる。エタンが仕事に行ってる間に洗濯と部屋の掃除をして、必要があれば近所の商店街まで買い物に出かける。お昼ごはんは一人だから適当だ。そしてエタンが帰る前に夜ごはんの準備をして、二人で食べる。食後に少し話をして、お風呂に入って寝る。

 まるで専業主婦みたい。


 昼間、私は暇になると家で本を読んでいる。

 落ち人には翻訳の魔法というものがかかっているらしい。私とエタンが最初から話せたのはその魔法のおかげなんだって。

 何となく事故に巻き込まれた落ち人への神様からのサービスみたいなものかなぁと思っている。まぁ、この世界の神様の名前も知らないんだけど。


 そんなわけでありがたいことに言葉は通じるが、私にはこの世界のルールが全然わからないし、記憶にない物の名前は1から覚えなければいけない。

 そのためにエタンが勉強になりそうな本や図鑑、辞書を買ってくれたのだ。

 色んなことを覚えて早くこの世界に慣れたいとも思うし、まだもう少しこのままでいたいとも思う。



「いただきます。んーやっぱうまい!」

「よかった」


 エタンは優しい。おいしいとか、ありがとうとか、たくさん言ってくれる。


「リラは本当に料理上手だな」

「大げさだよ。でも、ありがとう」


 私みたいな成り行きの厄介ごとにもこんなに優しい。優しくて、ちょっと涙が出そう。



 私には秘密がある。

 私がこうやって毎日家で過ごしているのはエタンが過保護だからだ。はっきり言われたことはないが、彼はおそらく私を子どもだと思っている。

 人間である私は獣人から見るとかなり小柄で、幼く見えるらしい。

 私はエタンの勘違いに気付いている。そして、それを利用している。 

 街にいる人達を見るに、この世界では大体みんな16歳ぐらいで働きはじめるらしい。私はすでに19歳で、この世界では立派な大人だ。

 でも、ここを出て行くのは怖い。いつかは仕事を見つけ、家を借りて出て行かなければいけない。それはわかっている。

 だけどまだもう少しエタンに守られていたい。


「今日は何かわからない言葉あったか?」

「んーん。でも、図鑑見てると私が知ってるのと名前が違う動物がいるみたいで」

「だからまだ俺が何かわかんないって?」

「うー……絶対当ててやる」


 だから、決めている。私がエタンの種族を当てられたら本当のことを話してここを出て行こうって。

 エタンには耳も尻尾もない。ここに来てすぐの頃、エタンに何の獣人なのかを聞いたら「何だと思う?」と言って図鑑を差し出してきた。きっと私に勉強するきっかけをくれたんだと思う。

 エタンの秘密と私の秘密はきっと全然重さが違う。

 エタンは優しい。優しくて、過保護だ。

 それは、私が子どもだから。


 ごめんねエタン、こんなことを知ったらエタンは私を嫌いになるかな。

 そうしたら私は今度こそこの世界で一人ぼっちだ。

 言いたくない、言わなきゃ、言えない、どうしよう。日を追うごとに苦しい。

 ずっとエタンのリラでいたいな。




 夕食を終え、順番にお風呂に入った私達は二人で寝室に向かった。

 エタンは私を子どもだと思っているので当然そういう関係にはない。ただ抱き枕のようにエタンに巻きつかれて眠るだけだ。

 この家に来た当初、エタンは私にベッドを譲り床で寝ていたが、朝起こす時に触れた体があまりに冷たくて私が大騒ぎしてしまったのだ。だって、そりゃエタンの指先はいつもひんやりしてるけど、その日は氷みたいに冷たかったし、それどころか全身どこもかしこも冷えていた。このままではエタンが死んでしまう。

 だからなかなか頷かない彼を半ば強引に説得して一緒に寝ることにしたのだ。


 最初は遠慮がちだったエタンも今はもう平然と私を抱き枕にしている。

 体温が低いエタンは口ぐせのように冬が苦手だと言っているけど、最近はあたたかくてよく眠れるらしい。よかった。


「おやすみ、リラ」

「うん。おやすみ」


 明かりを落として見つめ合うこの時間、エタンの瞳は不思議な色にきらめく。ちょっと目つきが鋭いけど、おだやかで優しい人。

 パン屋の奥さんも花屋の看板娘も耳や尻尾の毛並みが大事だとか体の大きな人が格好いいって言う。だけど私は耳も尻尾も興味ないしエタンがいい。

 エタンは冷え性で体温も低くて、筋肉質な体は全然やわらかくない。

 でも、もっとずっとこのままでいられたらいいのに。


 ずるい私は今日もまた秘密を抱えたまま眠りについた。


数話で完結の予定です。

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