3話
◇◇◇◇◇
俺は仕事を終えて、オフィス通りを自宅へと徒歩で帰路についていた。
堅苦しく首を締めるスーツの襟を弛めて、どういう訳か久しく見る気がするビルが建ち並ぶ、コンクリートジャングル。
会社への行き来でほぼ毎日通っているのにこの懐かしさは何なんだろうか・・・。
場面は急に会社へと移るありふれた仕事風景にデスクに座り仕事をする自分を俯瞰から見ている。
そういえば、職場はこんな感じだったなと思う俺。
そこでこれは夢を見ているのだと気付いた。しかし、夢は覚めない。
夢はその後、子供時代や学生時代、また社会人になってからと様々な思い出を不規則に映し出しては俺の大切だった人達とすれ違っていく。
そして、最後は俺が事故に遭い夢は儚く融けていく。
気が付けば、ひっくり返った馬車の荷台と地面の隙間に横たわり身体中には独特な匂いを放つ香辛料でまみれていた。
こんな状況でもあの夢はいったい何だったのだろうと思っていると夢の記憶が頭へと流れ込み、吐き気が込み上げる。
吐き気が治まるのに時間は掛からなかった。むしろ吐き気が治まった今は以前よりも頭がスッキリしていた。
「あの夢は前世での記憶だったのか・・・」
馬車が転倒して頭を強く打った衝撃でどうやら前世の記憶を思い出したのだと理解した。
もともと、この身体の持ち主だった『オリフィス』と地球の日本で暮らしていた俺は記憶が統合されて、地球での俺の方が記憶が多かったからだろう意識が心が強く出ているようだ。
かなり重要なことではあるが今はそれよりも優先しなければならないことがある。
現在、馬車がひっくり返り、俺は荷台の下敷きではないが下に潜っている形になる、周りは独特な匂いの香辛料が潰れ、普段よりも強く匂いを漂わせていた。
自慢の猫耳を澄まし、転倒した荷台の周りを探る。
襲ってきていた狼達の気配は感じないが
このまま、ここでじっとしていても都合よく誰かが助けてくれるなど、この世界で生きてきた『オリフィス』の記憶から儚い希望だと判断すると意を決して、ひっくり返った荷台の下から這い出る。
辺りは夕焼けに照らされ、空は黄金色へと変わり転倒した馬車の周りは静まりかえった雰囲気に生きている者は居なかった。
打ち身で痛む体を引き摺るように馬車の周りを確認すれば、馬車を引いていたと思わしき無惨に食い散らかされた馬の死骸。
少し離れた場所には元商人だろうか、こちらも無惨な姿を晒していた。
この状況から転倒後にどうなったのか推測するのは容易なことだ。
打ち身で痛む頭を抑えて、とにかく生き残ることを考えなければーー。
頭を触れば、血が乾燥して固まったのだろう黒くなった血がポロポロと肩へと落ちて手を汚す。
俺が生き残れたのは恐らく、体臭を隠してくれた香辛料のおかげだろう。もしくは狼の魔物が嫌いな匂いだったのか。
元商人だった遺体に近付くと財布として使っていた小袋を探す。
幸い商人の財布は遺体の近くに落ちており、無惨に変わり果てた商人を見ても意外と平気だった。
襲われる前の村では売るだけで仕入れはしていなかったのでそこそこな金額が入っていた。
次は殺された冒険者達の元へ向かうと同じように私物を漁り、お金や短剣、携帯食料といった干し肉などを手に入れた。剣もあるにはあったのだが今の俺には長すぎて、扱えず整備も行き届いていない二束三文の品に見えたので置いていく。
あれだけ憧れたる冒険者も物言わぬ死体となってしまっては眼も当てられない。
馬車に戻り、手頃な袋に残った食料を詰めると街道の先にある街を目指して、ひたすらに歩きだした。
俺には故郷の村に戻る選択肢はなかった。
そもそも、これまでに馬車で1ヶ月もの間、旅してきた道程を今の俺が戻れるとは思えなかったし、戻る体力もないのだ。ましてや、村に戻れたとしても閉鎖的な村であり、村の食料事情の関係もあって村長に嬉々としてまた売られるのがオチだ。
だったらひとりでも前に進み、オリフィスの夢だった冒険者を目指すのみ。
残念ながら隣にレジーナはいないが冒険者でいずれ大成すれば、村に堂々と迎えに行くことだって不可能じゃない。
決心すれば後は突き進むだけ。
道中、冒険者達が後2日で依頼も片付くと言っていたのを思い出して、それを信じて前に進むしかない。
魔物に襲われないように祈るような旅は夜通し歩き続けて2日で終わりを迎えた。
眼前に写るは文明を感じさせる建物を守るようにそびえ立つは雄に5メートルを超える街壁。
街道では街に近いこともあり、何台もの馬車や人達とすれ違う。
やっと、魔物からの脅威に解放されると思うと自然と歩む速度が早まる。
街の入り口では兵士の門番が槍を携え、出入りする人達の監視をしていた。
入街に際して、列が出来ており今にも膝から崩れ落ちそうな脚を奮い起たせて、列に並びその時を待つ。
門番達は慣れた様子で列に並ぶ人を捌いていく。
10分程だろうか、ついに俺の番が来た。
門番から身分証の提示を求められたが前に並ぶ人達の対応を見ていたので素直に身分証がないことを告げて、銅貨3枚を支払いとうとう門の内側へと入ることができた。
街の中は人で溢れ、慣れていない人では真っ直ぐ歩くだけでも至難の技だろう。
この光景に俺の中のオリフィスから驚愕な感情が溢れ出す。
今まで閑散な村に引き込もっていたので無理もない。
入街の際に門番に安くてサービスの良い宿屋はないか聞いたが素っ気なくどこも変わらないと言われてしまったので門から近くの宿屋に入り、部屋が空いているかを尋ねる。
身体はすでに疲労困憊で今更、宿屋を選ぶなど論外だった。
ひとり部屋を頼むと1日分の宿泊費銅貨7枚、そのうち2枚は明日の朝食代を払い、部屋へと向かう。
部屋は3畳程の広さにベットがひとつ。
部屋に入るなり、手荷物を床に投げ捨て、ベットへと倒れ込む。
木製のベットはギシギシと傷んでいるのか酷く音が鳴るが疲れきっている今の俺には関係なく、そのまま睡魔に誘われ深い眠りについた。