2話
陽が暮れ始めた頃、家族全員で焚き火を囲い、室内には影が炎の揺めきに合わせて踊る中で夕食を摂る。
いつもは賑やかな食卓も今日に限っては静かなもので時折、家畜の糞を乾燥させた燃料がパチパチとはぜる音がやけに響く。
食事は山羊のミルクと萎びた野菜、少量の塩漬け肉を一緒に煮込んだ汁物に味など度外視に長期の保存だけを考えたとしか思えない硬すぎるパン。
メニューは普段と何ら変わらない物だが今日は母からの最後の心意気か、いつもなら父や兄達に入れられる塩漬け肉のかけらが器に盛られていた。
小さな肉のかけらからは僅かな食感しか味わえないがそれでも肉には違いない。
噛み締めるように味わい、すぐにかけらは跡形もなく口の中で消えていく。
なんとも淡く儚い味はまるで今の俺のように感じた。
食事も終わると早々にみんなで焚き火を囲い、横になる。
明日、俺が村を出るとは言っても父や母、兄達は普段と変わらず仕事があるのだ。
母は焚き火で出た灰を食器にまぶし、汚れを落とすと少量の水で食器を濯ぎ、寝支度をしている。
こういった母の背中を見るのも最後だと思うと涙が込み上げてきそうだった。
最後の夜ということでリリーが一緒に寝たいと俺の布団代わりの毛皮の中に入ってくる。
一生懸命に声を殺して、泣いている妹を優しく撫でて、リリーの幸せを願いつつ俺は今日のレジーナの泣き姿を思い出していた。
昼前、一台の馬車が村の中に入ってくる。
田舎の冷たく澄んだ空気に馬車を引く馬から吐き出される白くなった空気が寒さを物語っている。
村にきた商人の男の指示に従い、村人達が荷物を馬車の荷台から降ろしていく。
降ろし終わった荷物の確認が済むと村人達はさっさと村の共有倉庫へと運んでいった。
その場に残されたのは俺と商人と村長。
そして、離れた場所にリリーとレジーナの二人。リリーはレジーナに後ろから肩を掴まれて泣いているようだ。
冬を目の前に仕事は掻き入れ時ということもあり、他の人達は仕事を優先しているのだろう。
皆、子供が売られていくなど、毎年の恒例で慣れてしまっているのかもしれない。
商人と村長の会話を聴く限り、どうやら俺の代金は降ろした荷物でトントンのようだ。
降ろされた荷物は小麦が入った袋が10袋に塩漬け肉の塊が3つ、酒樽がひとつ。
これが俺の値段だ。
村長の「来年もよろしく頼む」という子供を商品として扱う言葉に褪めた視線を送ってしまう。
商談は問題もなく終わり、俺の手首に木製の枷が付けられる。
まるで数字の3のような形をした枷を上下で合わせて、中央の部分に杭を差し込んで固定するタイプのもののようだ。
荷物を降ろし、空になった荷台へ乗るように指示を出され、大人しく従う。
この村から来た道を戻り、もとの村までは半日掛かるらしく早く出発したいようだ。
唯一の救いは荷台には天幕がついていることか。
馬車に俺を乗せると商人も御者台に乗り込み、ゆっくりと進み始めた。
余りにも呆気ない旅立ちに空虚感が身を襲う。
静かに進む荷台から遠ざかる村を見つめているとレジーナを振り切り、馬車へと駆け寄るリリーの姿が見えた。
俺は立ち上り、手枷がついた腕を挙げて、リリーに最高の笑顔を振り撒く。
最後に見せる顔が辛い顔をしていては俺を身代わりにしてしまったという罪悪感を余計にリリーへ背負わせてしまう。
溢れそうになる涙を堪えて、必死に笑顔で耐える。
やがて、村の入り口でレジーナに止められ、膝をついて泣きじゃくるリリーの姿を最後に村は見えなくなっていった。
「(リリー、どうか幸せにな・・・そして、レジーナ・・・約束守れなくてごめん)」
俺の呟きは誰にも届くことなく、山から吹き付ける冷たい風と供に遥か彼方へと消えていく。
◇◇◇
生まれ育った村を離れてから半日、辺りは暗くなり夜空が主役に躍り出た頃、見知らぬ村へと着いた。
寒冷地の陽暮れは早く、気温は下がり肌に突き刺さる寒さが酷く痛い。
特に手枷がつけられた剥き出しの手が冷えて、吐いた息で暖めるが焼け石に水といった具合にすぐに悴んでくる。
今日はこの村で夜を過ごし、明くる朝に出発するようだ。
商人は行きでもこの村で空家を利用したのだろう。顔見知りの村人と簡単に話をつけると迷うことなく、村の中を進んでいった。
◇
間借りした家から早朝、また荷台へ移る。
朝食はコップ一杯の白湯に硬いパンが半分。酷く冷えた手に白湯が入ったコップが暖かく感じ、ひと口啜れば身体の芯を温かい白湯が流れていき、生きている実感が沸き上がる。
商人はこの村で仕入れをしたようで山羊のチーズや独特な匂いを放つ香辛料が荷台で俺の同乗者になった。
本来なら奴隷に落ちた俺に対して逃げないように足枷やロープで縛るのが普通らしいのだが俺がいた村から売られた子供達は抵抗せずに従うから楽だと荷物を積み込む合間に商人が話していた。
その後、いくつもの小さな村を巡りつつ南下を続けてその都度、商人が賄いを行い同乗者の商品が入れ替わっていく。
最初に同乗し、未だに残っている独特な匂いを放つ香辛料には意味不明な親近感が沸いてきている。
他にも現状の変化としては食事に一欠片のチーズがつき、手枷が外されて新たな同伴者が増えたくらいだろうか。
村を3つ、町を1つ程経由したところで反抗も逃亡の恐れがないと判断されたようで手枷は外されたのだ。
新たな同伴者は道中の護衛及び奴隷である俺の監視を果たす冒険者達だ。
村にいた頃、数年に一度くる吟遊詩人が謳う英雄譚に憧れ、将来は冒険者になるとレジーナと語り合ったことを思い出した。
その願いも叶うことなく、今では夢だった冒険者達に護送される始末。
実際に冒険者を見たのは今日が初めてだが皆それぞれが英雄譚で謳われるような屈強な体つきをしており、俺ではまったく歯が立たないだろう。その辺も俺の手枷が外された理由の一端だと思う。
旅路の中でいつまで俺は荷台に積まれているのか疑問に思い、商人に聞いてみたところ、南の地方で売られるとのことだった。
なんでも最近まで隣国と戦争をしていたようで人手が足りず、高く売れるんだと特に獣人である俺は人よりも身体能力が高く頑丈な為、酷使しても早々に潰れないからすぐに買い手がつくとのことだ。
相変わらず、荷台に揺られ続けるそんな日々が1ヶ月程経った頃、雪はなくなり冷たい風だけが吹き、故郷では完全に冬を迎えているのだろうと思いを馳せていると問題が起きた。
護衛として着いていた冒険者達が何やら騒ぎ出し、商人と揉め始めたのだ。
聞き耳を立てて、様子を窺っていると急に馬車は速度を速めて走り出す。
付き添う冒険者達も慌ただしく並走する。ただ防具に身を包んだ人間が馬車の速度を維持できるわけもなく、冒険者達とは次第に距離ができていた。
何が起きたのか理解している俺は荷台から後ろを不安気に見つめる。
そこには茶色な毛に被われた狼の集団が迫っていた。
恐らく魔物だと思われる狼達は遅れた冒険者達へと追い付く。
追い付かれた冒険者達は観念したのかはたまた、覚悟を決めたのか「くそっ!やってやる」なんて台詞を吐き捨てて応戦するようだ。
冒険者達には申し訳ないがこれで俺は助かることが出来ると思った矢先、地面から飛び出ていた岩に馬車の車輪がぶつかり、足元から大きな音が響く。
次の瞬間には身体が浮遊感を覚え、馬車は転倒した。
荷台に乗っていた俺は地面に叩きつけられる衝撃で意識を手放してしまったのだった。