1話
俺はいつからここで漂っているのだろう・・・。
・・・よく思い出せない。
確か俺は仕事が終わって、家への帰途についていたはずだ。
・・・そうだ。俺は社会人として日本の企業で働いていた。
しかし、今の状況が全く理解出来ない。今いる場所が明るいのか暗いのか広いのか狭いのか寒いのか暑いのかすら解らない。そもそも生きているのか、それとも死んでいるのか・・・。
『気が付いたようですね』
不意に声が聴こえた。
『あなたは地球で死にました。そして、これから違う世界で転生して新たな人生を送るのです』
なぜか自然と安心させられる声に不満の声が出ない。自分が死んだとか違う世界で転生とか勝手に云われているのに不思議と納得している自分がいる。
『あなたの新たな人生が幸せてあることを願っています・・・』
その言葉の後、暖かい光が遠ざかるように心地良い風に吹かれて、俺の意識は深く深く潜っていく感覚を最後に沈んでいった。
◇◇◇◇◇
大陸の北端に聳える巌な山々。その山脈の麓に広がるは一年の内、3分の1以上の月日を氷と雪に閉ざされた大雪原が広がる。
真冬ともなれば、吹雪が何週間と吹き荒れ、視界の一寸先は白一色に塗り潰される。気温は軽く氷点下を下回り、村では凍死者が出るのも珍しくない。
そんな過酷な環境が外界からの侵入者を拒むため、訪れる者は滅多におらず、国からも存在を忘れさられる始末。
それでも村の人々は協力し合い、厳しい環境に耐えながらも懸命に生きていた。しかし、資源も食糧も乏しい村では度々、口減らしの為に子供達が売られていく。
もしかしたらこの村の名産品は子供なのかもしれない。
メイラス帝国、北部に位置するミスカーシ男爵領、最北端の名も無き寒村に俺は生まれた。
見渡す限り、銀世界の地平線の遥か彼方から悠然と立ち昇る暁の光。
夜の闇を切り裂き、夜空の星々を呑み込んで世界を新しく塗り替える。
神が人々にその姿を見せなくなってからも悠久の刻、繰り返されてきた世界が生まれ変わる朝。
季節は秋も中頃。大陸の北側に存在する、この村には既に雪が大人の踝まで降り積もり、本格的な冬の到来が間近に迫っていた。
冬が来れば、雪が邪魔をして外で遊ぶことが出来なくなるため、子供達は精一杯に遊び、元気に外ではしゃぎ回る。
そういう俺も子供の輪に加わり、年相応に遊びに没頭する。
ただ村での遊びといえば、専ら戦争ごっこだ。
現在、村には俺を含めて30人程の子供がおり、その内遊び盛りな20人の子供達が半分の10人ずつの集団に分かれて戦争ごっこを行っていた。
この集団の中で最年長になる俺はもちろん大将を務めている。
子供達の年齢はバラバラで下は5才から上は11才までの子供で幼い頃から、こうして遊びながらに戦い方などを身に付けていく。
そして、12才以上になると、一人前として大人達と共に畑や放牧地へと赴き、雑用をこなしつつ、村での心構えを教わる。
これもこの村の掟で決められているのだ。
俺は来年で12才となる為、年下の子供達と遊ぶのも今年で最後だと思うと寂しいものがあった。
来年、12才になる子供は俺の他にもあと一人居り、この戦争ごっこにも参加している。
「はぁ、はぁ、後はあんたで最後よ!オリフィスッ!」
どうやら俺がけしかけた子供達をひとりで倒したようで肩で息をしながらも威勢良く、啖呵を切るのは同い年のレジーナだ。
そして、この村の村長の娘のひとりでもある。
彼女は何かと事ある毎に俺に構ってくる。なので一度だけ「まるで母さんが二人いるみたいだ」なんて言ったら、ひどい目にあわされたっけな。
女心を理解するにはまだ俺では早すぎるみたいだ。
この戦争ごっこでもお互いが大将をやるようになってからというもの俺を目の敵にしたかのように挑んでくる。
「オリフィス!男らしく正々堂々、一対一で勝負しなさい!」
「レジーナ、正々堂々もなにも俺達しかもう残ってないよ」
「うるさいっ!いくわよ!」
・・・これである。
ちなみにやられた子供は勝負が着くまで冷たい雪の上で死んだふりを続けなければならない辛いルールがある。
「はぁっ!」
レジーナは右手に持つ木剣の切先を俺に定めると気合い一閃、掛け声と共に駆け出してくる。頭の両側で纏めた長い銀髪が波を打ち、後方へ流れる。
俺とレジーナの剣の腕前は正々堂々と戦えば、ほぼ互角だ。11才という年齢もあり、体格にもそれほどの大差なく正面から受ければ、勢いに押されてしまうだろう。
どうしてここまで戦いに熱中するかというとこの世界には人と見れば、襲い掛かってくる凶暴な生き物、『魔物』が存在する。
当然、この寒村の周辺にも魔物は跋扈しており、出会えば大人達が対応する。
退治してくれる国からの兵士などいない為、自分達でなんとかするしかないのだ。
ザクザクと雪を踏み締め、レジーナが木剣を構えて迫ってくる。
俺はレジーナの発てる足音を頭の上に付いた猫耳で聴きつつ、片手で持っていた木剣の先を雪に突き刺したまま、腰を落として構えている。
相手の木剣が俺の間合いに入った瞬間、雪に突き刺していた木剣を勢いよく下から上へと振り上げる。すると僅かだが雪に刺さっていた分だけ抵抗が掛ったがその負荷から抜け出した俺の木剣は力と勢いを増して、レジーナが握る木剣を軽々と弾き上げた。
クルクルと宙を舞い、雪へと突き刺さるレジーナの木剣。
彼女は自身の木剣の行方を眼で追っていたようで気付けば、俺に剣先を突き付けられて既にチェックメイト。
「これでまた俺の全戦全勝だな」
決着がついたことで死体役を演じていた子供達が一斉に起き上がり、「寒い寒い」と言って一目散に家へと向かって駆け出していく。
今日も負けたレジーナは俯き、肩を震わせてトボトボと覚束無い足取りで帰って行った。
いつもなら「次は絶対に負けないからっ!」と言って、勝ち気な性格が折れたりはしないのだが今日は違った。
それもそのはず、俺達に次はないのだ。
俺は明日、この村から出ていく。
正確には村の為に売られることが決まっている。
他の村と比べたら貧しいのだが俺はこの村では平凡な農家の三男になる。
兄弟は全部で5人いて上の二人は兄貴で下の兄弟は妹が1人に生まれたばかりの弟がひとり。
今年はうちの家が村の為に子供を売りに出す番だったのだ。
兄貴達は家を継ぐ関係から除外され、生まれたばかりの弟は売りに出せないので自然と俺か妹のどちらかになってしまう。
俺は可愛い妹に不憫な思いをさせまいと自ら名乗り出た。今年さえ凌げば、次にうちの番になるのは10年は先になる。
そうすれば、妹は15歳をゆうに越えて売られる心配が減る。
哀愁漂うレジーナの背中を見つめていると途中から死体役に徹していた妹が近寄ってきた。
「レジーナなお姉ちゃん、泣いてたね・・・」
「そうだな」
猫獣人の俺達兄妹は音に敏感な為、しっかりとレジーナの微かな嗚咽を聞き取っていた。
それなのに俺は気の抜けた返事をするだけで妹のリリーは特に何も言わなかった。
思い出されるのはレジーナと密かに交わした二人だけの約束。
『成人したら村を出て、一緒に二人で冒険者になろう』
しかし、いつか交わした約束も果たせそうにない。それに対して、妹の為だとわかっているレジーナから文句のひとつもない。
レジーナが内心で悲しみ、どれだけ自身の無力さを痛感していることか。
俺も自分から奴隷になるしか、他に手段を選べなかったから痛いほどわかる。
俺達はどうしようもなく無力だ。
「・・・お兄ちゃん、風邪引くと大変だから帰ろう」
いつまでもレジーナの背中を見つめて動きそうにない俺にリリーは促すように言う。
頭から飛び出し冷たくなった猫耳を震わせ、俺は軽く頷くと妹と手を繋ぎ、明日でお別れとなる家へと向かった。