プロローグ
―ヤメロ
何故昼に活動できる、何故罠など張れる、やつらの文明力は金属を抽出するほどではなかったはずだ…
見事に縛られたままの右足と左腕が罠の高度さを語る。力を入れれば入れるほど、体をきつく締め付け、生命力を奪っていく。
ここで生を終えるというのか、永遠を謳歌するはずだったのだ。不死の野望はもう百年で完遂するはずだった
―アツイ、アツイ
右の角を切られた痛みが、付着した金属が身体を灼き焦がすのがわかる。痛みの熱と、鉱物の熱が地面に流れ出る血と同じように徐々に勢力を増す。
妖精、精霊、竜、エルフ…超自然的生物は金属に触れると、『焼ける』。二百年程前、洞窟でその痛みは味わったが、剥き出しのそれがここまで苦しいものだとは思わなかった。
―アツイ、アツスギル、ソシテ……サムイ
心臓が脈動する度に体に空いたあらゆる風穴から血が抜けて意識が遠のく。生きようとするたびに死が近づく異様な感覚が未知の感情を呼び覚ます。
―アリエン、我ガ…我…ガ…
この数百年の間、逆鱗に触れられることすらなかった。自分が最も強いと思っていた。実際そうだった。他の竜にも、まして弱く脆い低位種族がいくら束になろうと……と、そう思っていた。
赤く光るその魔物たちはこちらを見下すように視線を向けてくる。
―ッッッ…………体ガ……上ガラナイ………
無力感に追い打ちをかけられ、最後まで閉じまいと抵抗していた瞼までもがとうとう落ちた。
瞳を閉じてすぐ、苛んでいた苦しみが楽になった。それで少し回復したのかと思えば、目は二度と開かなかった。
―コレハ…死ニカケテイルトイウコトカ
そういえば感覚が無くなってきている。さっきまで感じていた寒さもない、抵抗する力も残っていない…
やつらなんぞ尻尾を一振りするだけで骨が砕け、臓器が飛び散り、尻尾を巻いて逃げるだけの矮小な存在だと言うのに。
―ダトイウノニ…何故我ガ…
なぜ我が地に伏している!なぜ我の血が流れる!我は竜、天下無敵の竜種なるぞ!!
頭の中で暴れまわっても体はそのイメージに逆らい、常に下へ向かう謎の力に屈して地面に沈む。
―アト僅カ、コノ時マデ耐エ忍ンデイレバ…
魔力の感じで昼の支配者が、頂上に近付いているのがわかる。星の魔力が降り注ぎ、ほんの短い間、魔法がほぼ無制限に使える時間。
そして、魔物が活動できないはずの時間だ。
そもそも、武器を持とうとその貧弱な体躯でどうして勝る…魔法をけしかけようと無いも同然の魔力量でどうして勝る……森の獣にすら劣るような低位種族共が何故我に勝る……!!
知恵…知恵!何故やつらが知恵を持っている!食事と睡眠と繁殖しか命令を出さぬような脳しか持たぬくせに!考える脳など持ち合わせぬくせに!!何処の神もどきが小賢しさを授けたというのだ!!
募る憤りと、それを発露することもできない身体。
足掻こうが、藻掻こうが、何一つ変わらない現状。
―アア
もう、わかる。体が完全に世界に乗っ取られたのが、死が迎えに来るのが、器が魂を捕えておけなくなったのが、わかる。
―何ナノダコノ感情ハ
死とは…死とはこれ程までも恐ろしい…死には抗えないとでもいうのか。我の幾歳月にも亘る不死の探求は無意味だったとでもいうのか…
それが脳裏を過ぎった途端、憤怒と憎悪と一つの考えが脳を支配した。
―無駄デハナイ
725年、研究してきた『死』、その過程で得た論理。それから生まれた、『生』と『死』に関する術式。今ここで体現するのだ。成功すれば儲け、成功しなければ…
否、迷う必要などあるわけもない。自ら殺るか、血が抜けて死ぬかだ。醜い魔物なぞには屠られぬ!!
竜は覚悟を決めると、空を感じ始めた。
そして、
「聞ケ゛ェ゛ッ!゛!貴゛様ラの血゛ヲ呪゛イ、滅ぼス゛存在゛ノ名ハ天゛星竜アクフィ゛リア゛スなリ!!」
グルゥァァアアアア!!!
碧き竜の最期の咆哮が大気を震わせる。
昼の光がちょうどその魔力で世界を覆い尽くす瞬間、最後の力を振り絞り、一体の竜は自らに魔術をかけ命を絶った。
それは白い月が、ちょうど、最も高いところに我が物顔をして居座らんとする瞬間だった。