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第二十二話 おうちでバンドゲーム2

「それはダメです」


 俺が選んだBluetoothのイヤホンを琴吹さんは却下した。


「なんで?」

「え? な、なんでって……。――み、耳垢が詰まってるんで! お父さんの!」

「え、そう?」


 と、イヤピースのなかを確認しようとした瞬間、イヤホンが奪いとられた。


 お尻の後ろに隠して、明後日の方向を向く琴吹さん。


 ――……?


 よく分からないが、どうしてもあのイヤホンでなければ嫌だというわけではない。俺はべつのイヤホンを選ぶ。


「お、これカッコいい」


 左右分離型のBluetoothイヤホンだ。黒と青のコントラストがきいたデザインが男心をくすぐる。


 手を伸ばそうとしたそのとき、イヤホンが琴吹さんにかっさらわれた。


「こ、これも、お父さんの耳垢がみっちり詰まってるんで!」

「いや、べつに掃除すればよくない? 綿棒ならあるけど」

「ダメです! もう……がっちがちなんで!」

「琴吹さんのお父さん、どっか体調悪いの?」


 固まる耳垢を大量に排出してしまう病気なんだろうか。というか、あるのかそんな病気。


 その後も、俺が選んだイヤホンはことごとく琴吹さんに却下された。

 曰く、


『充電してないので!』

『壊れてるので!』

『色が風水的によくないので!』


 本当だろうか。さっき選んだ黒と青のイヤホンがちらっと見えたが、イヤピースのなかが特別汚れているようには見えなかった。


 恣意的に選別している気がする。それを確かめるため、俺ははじめて有線のイヤホンを選びとってみた。


「これは?」


 琴吹さんはぱっと表情を明るくした。


「あ、いいですね。音を聞いてみましょう」


 やはりだ。無線のイヤホンを排除していたらしい。なにかこだわりがあるのだろうか。


 彼女はイヤホンをスマホにつないで音楽をかけた。


「ううん……」


 冴えない表情だ。


「ちょっと物足りないですかね」


 そう言って俺にイヤホンを差しだした。

 耳に差してみると、ガールズロックバンドのラブソングがかかっていた。


 ――へえ……。


 琴吹さんが怪訝な顔をする。


「先輩、なんで笑ってるんですか?」

「え?」


 知らぬ間に笑みを浮かべてしまっていたらしい。


 彼女の趣味をバカにしたわけではまったくなかった。


 琴吹さんのことだ、意外性のある――たとえばクラシックとか、どこかの民族音楽とかが流れてくるのではと身構えていた。


 それが流行のガールズロックだったものだから、


『琴吹さんもふつうの女の子なんだな』


 と、妙に安心してしまったのだ。


 琴吹さんはむうっとむくれた。


「わ、わたしだって、ラブソングくらい聴きますよ」

「ごめん、似合わないって思ったわけじゃなくて」


『かわいいな、って思ったんだ』


 口をついて出そうになった言葉を、俺はぎりぎりのところで飲みこんだ。


「わけじゃなくて、なんですか?」


 琴吹さんは怪訝な表情で俺の顔を覗きこむ。


「ま、まあ、いいだろ。それよりなにが物足りないの?」


 話を逸らす。琴吹さんはますますいぶかしげな表情になったが、追求する気はないようだった。


「低音、弱くないですか?」

「そうか?」

「もっとズン! と来てドン! みたいなやつがいいです」


 言われてみればたしかにこのイヤホンは、ボーカルを埋もれさせないために中音域を強調しているタイプに聞こえる。


 ポップスを聴くためにはこれでいいかもしれないが、バンド全体のグルーブ感を楽しみたいのなら迫力不足は否めない。


 それにしても琴吹さんが低音域にこだわりがあるとは、これまた意外な気がした。幸いベースを弾いていた経験があるから、あるていどの目利き――いや、耳利きか? ――はできるはずだ。


 彼女のお眼鏡にかなうイヤホンを、ぜひ見つけたい。


 俺はイヤホンを片っ端から試していく。


 比べてみると、イヤホンによって音質が明らかに違った。一般的な形であるインナーイヤー型と耳栓のように差しこむカナル型では、後者のほうが低音や音の締まりが良い。密閉されるかららしい。


 四つのカナル型イヤホンにしぼり、さらに聞き比べていく。


 ――……?


 ふと視線を感じて顔をあげると、琴吹さんがぼうっと俺のことを見ていた。その表情は、俺の母がスマホで猫動画を見ているときのものに似ているような気がした。


 琴吹さんははっと息を呑んで顔をうつむけた。


「ど、どうですか? いい感じのイヤホン、見つかりましたか?」

「ああ、うん」


 なんであんな顔をしてたんだろう。俺がイヤホンを聞き比べしているあいだあまりに暇だったから、脳内で猫動画でも再生していたのだろうか。


 俺は申し訳ない気持ちになった。


「放っておいてごめん。でも、いいのが見つかったから」


 と、差しだしたのは、日本のメーカー『電音』のイヤホン。低音の音量だけならアメリカの『Dose』のほうが大きかったけど、電音のほうが低音がタイトで俺好みだった。


 琴吹さんはイヤホンを受けとり、耳に差した。ちょっと斜め上を見るようにして、音楽に耳を傾けている。


 その顔が徐々にほころんでいく。


「ど、どう?」

「最っ高です」


 ――よし……!


 俺は拳を握った。


「じゃあ、ゲームを――」

「一緒に聴きましょうよ」

「はい?」


 琴吹さんはイヤホンを片方だけはずして俺に差しだす。


「でも」


 彼女は上目遣いで、ちょっと頬を赤らめている。


「ね?」


 懇願するような、必死さのにじんだ声色。


「う、うん」


 俺は「ね」のたった一文字で意志を(ひるがえ)してしまった。彼女の「ね」にはそれほどの威力があった。


「でも、ステレオだから左右でべつの音が聞こえちゃうな」

「そう思って――」


 琴吹さんはバッグからプラグをとりだした。


「ステレオをモノラルに変換するプラグを持ってきました」

「用意がいいな。――あ」

「ね、わたしが近所で評判なのもうなずけるでしょう?」


 琴吹さんは口元を隠してくすっと笑った。


 変換プラグを噛ませて、イヤホンの左右をシェアした。


 ベッドに腰かけ、肩を寄せあい、音楽を聴く。


 いや、音楽はただ鳴っているだけ。左肩に感じる琴吹さんの体温とやわらかな感触のせいで、音を楽しむ余裕がなかった。


「あ、あのさ」


 俺は堪えきれずに尋ねた。


「ゲームはやらないの?」


 琴吹さんは答える代わりに、さらに身体を寄せてきた。


「こ、琴吹さん……?」


 思わず声が裏返った。


「このままじゃ……ダメですか?」


 彼女は顔をうつむけたまま、搾りだすように言う。


「い、いや……」


 そんな怯えたような声を出されて断れるはずもない。


 ――……違う。


 本当は、俺がこうしていたいんだ。


「……いいよ」


 でも、どこまでもずるい俺は琴吹さんのせいにしてしまう。


 そして、曲が途切れるまで俺たちは、ただ黙って寄り添っていた。





 その日の夜、俺は納戸からベースを引っぱり出した。


 ギターチューナーでチューニングする。アンプの上に降り積もった埃を丁寧に取りのぞき、コンセントにつなぐ。


 四弦を(はじ)く。アンプのスピーカーから、ボーン、との音が鳴った。


 ――よかった、壊れてない。


 低音にこだわりがある琴吹さんに、俺のベースを聴かせたいと思った。


 指を入念にストレッチしてから、床にあぐらをかき、演奏をはじめる。曲はもちろん、文化祭で演奏した『ユートピア』だ。


 半年以上も触っていなかったから、当然のように失敗を連発した。どのフレットを押さえるのか覚えていないし、覚えていても指が思うように動かない。


 でも、俺はくじけずに練習をつづけた。気がつくと、丸めていた背中が痛み、床に直に座っていた足が痺れて感覚がなくなっていた。


 夢中だった。


 ――そうか。


 そのとき理解した。俺がドローンに夢中になれた理由。


 ――琴吹さんだ。


 ただただ彼女の喜ぶ顔が見たくて、だから俺はこんなにも無心に頑張れるんだ。


 いままでの俺は、なにをするにも『コミュニティから排除されないため』が行動の理由だった。他人の評価が基準で、だから実際にコミュニティから排除されたとたん物差しを失い、自分の立ち位置が分からなくなってしまった。最近、コンディションを崩していたのはそのせいだったんだ。


 でも今回は違う。努力の先にあるのは琴吹さんの笑顔だ。自分の立ち位置を気にして怯える俺はいない。ただ彼女を喜ばせたい、それだけだった。


『誰かのために』というだけで、こんなにもエネルギーが湧いてくる。うまく言えないけど、すごくいい気分だ。


 俺は凝りかたまった身体をほぐし、ベースの練習を再開した。

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