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第十五話 おうちでトレーニング1

 休日のこと。


 俺はゆっくりゆっくり一歩ずつ、自室への階段を上っていた。


 視線を感じて立ち止まると、階上から梨子が顔をしかめて見おろしていた。


「どうした?」

「べつに」


 梨子は部屋へ引っこんだ。


 ――……?


 俺は首を傾げ傾げ自室にもどると、机について勉強を開始した。


 小一時間ほど経過したころ、背後に視線を感じて振りかえると、開け放したドアから梨子が、また苦々しい顔で俺のことを見ていた。


「どうした?」

「べつに」


 ふいっと顔をそむけ、ととと、と階段を駆けおりていった。


 ――……?


 俺はスマホのフロントカメラを起動して自分の顔を映してみた。


 もしかして鼻毛でも出ていて、それで梨子はあんな顔をしていたのではと思ったのだ。

 しかし鼻の下を伸ばして、いろんな角度で確認してみたものの鼻毛は出ていない。寝癖もついてないし、身だしなみにはなんの問題ない。


 俺は首を傾げた。


 二時間ほどの勉強を終え、俺はベッドに横になり、琴吹さんが持ってきた小説を読んでいた。

 するとまた梨子が戸口で立ち止まり、俺を見つめた。


「どうし――」

「運動したら!?」


 食い気味に大きな声が返ってきて俺はびくりとなった。身体を起こし、頭をかきながら尋ねる。


「運動?」

「お兄、今日、一歩も家を出てないよね」

「休みだし……」

「勉強で座りっぱなしになって、つぎは小説読んで寝っぱなし」

「い、いいだろべつに……」

「おまけに階段の上り方は軟骨のすり減ったおじいちゃんみたいだし」

「それはちゃんと考えがあってのことだ」

「軟骨すり減ったおじいちゃんのコスプレをする合理的な理由ってなに?」


 俺はこほんとせき払いをした。


「生物はな、一生のうち鼓動する回数がだいたい決まってるんだ。だからできるだけ心拍数を上げないようにすれば長生きできる」


 梨子は目頭を押さえた。


「え、なにそのリアクション」

「そんな理論武装をしてまで運動したくないのかと思うと、なんか泣けてきた」


 予想だにしない理由で妹を泣かせてしまった。


 梨子は大きなため息を残して自分の部屋へもどっていった。大いに失望させてしまったようだ。


 でも、運動が苦手なのだ。いや、運動自体が苦手というよりは、運動にともなう周囲の目が苦手というか。


 たとえば体育の授業で、自分だけ跳び箱を失敗したときのいたたまれなさとか、ルールすらよく分からない球技に参加させられて笛を吹かれたときの周りの冷めた反応とか、そういうことを繰りかえしていくうちにすっかり苦手意識が根づいてしまった。


 そんな気持ちを抱えたまま無理に運動をしたって、かえって身体に悪そうだ。

 だから俺は運動をしない。これからもそうやって静穏に生きていくつもりだ。





「先輩、わたしと楽しいことしましょう!」


 翌日の放課後、俺の部屋にやってきた琴吹さんはジャージを着ていた。


 俺は嫌な予感がした。


「楽しいことって?」

「運動です!」

「しない」

「ええ!?」


 目をまん丸にして驚く琴吹さん。


「いつもなんだかんだ付きあってくれるのに……」

「いままでのはほら、レジャーだったし。でも運動は基本的に苦しいでしょ? トレーニングとか、ダイエットとか」


 琴吹さんがびくんとなった。決まり悪げに顔をそらす。


「どうしたの?」

「いえ、べつに」

「ダイエット」


 びくん。


 露骨に『ダイエット』という単語に反応する。


「え? ダイエット? 琴吹さんが?」


 足湯のときに見せられた生足は、均整のとれたすばらしい美脚だった。


「必要なくない?」

「で、でも……」


 手をもじもじさせながら言う。


「前にお腹を見せたじゃないですか。腹筋に縦線があるって」

「ああ」


 すぐに目をそむけたからほとんど見なかったけど。


「それが……、なかったんですよ。しばらく運動をしてなかったせいで」

「縦線が?」


 琴吹さんはこくんと頷き、両手で顔を覆った。


「お恥ずかしいです……!」


 ――いや、見せること自体を恥ずかしがってくれ……。


 腹筋に線がないから見せるの恥ずかしいって、それ完全にボディビルダーのメンタリティーだからな。


「でもさ、それなら俺が運動する必要ないよね」

「必要あるかないかで言えば必要ありません。でも世の中のほとんどのことは必要ないじゃありませんか。おいしいご飯を食べることも、きれいな服を着ることも」

「きゅ、急にどうした」

「ってリリちゃんなら言いそうじゃないですか?」


 口元を手で覆って「くふふ」と笑う。


 琴吹さんの冗談はもともと分かりづらいが、いまのは本当に怖かった。顔立ちが整っているから、真顔で、低い声で話されると迫力がすごい。演劇部に入ったらスターになれるんじゃないだろうか。


「つまり、必要じゃないけどしましょう! ってことです! ご褒美もありますよ」

「ご褒美って?」


 琴吹さんは口角を上げると俺の耳元に口を寄せて、ささやいた。


「いいものです」


 耳をくすぐる吐息、甘い匂い。

 背中がぞくぞくとする。


「だから――」


 彼女は小首を傾げるようにして俺の顔を覗きこむ。


「一緒に、しましょう?」

「うん」


 俺は頷いた。頷いてしまった。

 琴吹さんがときおり繰りだす『無意識の小悪魔』に、俺は抗えないようだった。

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