⑧
・・・結局、問題を再び取り上げたのは、店の営業が終わって、夕飯まで食べ終わった後だった。
昼食を食べ終わった後は、今は休憩中だから、という言い訳を自分にして、問題から目を逸らした。午後の営業中は、仕事中なので客がいない時も当然のこととして、問題には向かい合わなかった。
閉店時間を少し過ぎ、いつも通りの閉店作業を終えて部屋に戻った時は、明日も仕事があるのだから、先にやるべき事をやらないといけないだろう、という理由で自分を説得し、風呂に入って夕飯を取って、食べ終わったそれらを片づけて・・・、少しくらいの休息は必要だと更に自分に言い聞かし、いつも見ているテレビ番組が終わるまで、一時間ほど画面に視線を釘付けにして、番組が終わった後、無意味にチャンネルを変えまくり、何か気になる番組がないかと探し回ること、数分。
深夜のニュース番組が流れる時間帯になってしまい、興味が持てる番組が何一つ見つからないことでとうとう諦めて、そこでようやく、逃げ続けていた問題に向き合う覚悟・・・、は決まっていないが、追いつめられた心境で向かい合った。
逃げていた理由は、まぁ、大体が面倒くさいことに関わりたくない、という気持ちによるものではあるのだが、他に、あの箱が実はもの凄く壊れていたらどうしよう、という心配もあったからだ。
上から見る限りはそこまで壊れていないようだけど、底とか、上からは見えない部分があのドアに挟まった時に壊れてしまっていたら、と。
無理矢理押しつけられたものとはいえ、大人として、子供の持ち物を壊してしまったならそれなりの対応を取らなくてはいけないだろうし、という心配もあって避けたい気持ちが溢れんばかりにあったそれに、重い気持ちでようやく向き合う。
部屋の片隅に押しやっていた紙袋を引き寄せて、上からもう一度、自分を励ますように変形がなさそうな様を確認してから、両手をそっと差し入れて、中の箱を取り出す。
手を差し入れた瞬間にも、箱の変形がなさそうだと感触で分かったので、その感触に縋るようにして紙袋から取り出した箱は、紙袋にぴったり収まるくらいの大きさだと分かっていたにも関わらず、想像していたより大きく感じた。
取り出して上面がちゃんと上になるように持ち替え、持ち上げたまま、まずは箱の全面を見る。左右前後を見て、それから底を見て、更に角を丁寧に見ていくと、ぶつかっただろう側面の一部が多少、凹んではいたが、酷い痕がつくほど凹んでいるわけではないく、内側から押せば形が戻る程度の損傷だけで済んでいた。
他に壊れている部分もなく、まずは取り返しのつかない状態になっているわけじゃないことに心の底から安堵する。
身体から力が抜けるようにして、手にしていた箱を畳の上に置く。するとそこでようやく、パズルの全体的な絵柄が描かれた上の面が視界に入った。今まで側面しか見えなかった、その全体像が。
・・・が、目にした瞬間、確かめるように見たことに何の意味もなかったのだと知る羽目になる。何故ならそこには、側面と全く同じ絵柄が絵が描かれているだけだったのだ。
つまりこのジグソーパズルは、カラフルな風船が見えている場所全てを埋めつくさんばかりに広がっている、ただそれだけの写真が印刷された物だったのだ。風船以外の、一切が存在しないパズル。
確かに、こういうパズルもある。風景がや、何かのキャラクターが印刷されていることの方が多いが、パズルとしての難解さを求めるなら、単調な絵柄の方が難しいし、そこまで難しくしたくなくても、はっきりとした分かり易いレベルの絵や写真では駄目だという場合、何故これを印刷したのかと疑問に思うような、ちょっとどうかと思う絵柄も多いのだ。
まぁ、だから壁に掛ける絵や写真を選ぶとしたら有り得ないが、パズルという、遊び道具を選ぶという意味では有り得るものだとは思う。それが、持って来た少女に相応しいかどうかは別にして。
「でも・・・、子供には面白くなかったってことかなぁ・・・?」
だから、パズル屋に作ってもらおうと思ったのだろうか? ・・・等と考えながら、だったら何故、周りの大人を頼れないのだろうか、やっぱり事情がある子供なんだろうか、まで考えてしまった辺りで、浮かんだそれらの考えを一心に振り払う。
大人に頼れない事情があるのだとしたら、それは可哀想なことだとは思う。でも、どこの誰だかも分からない子供の事情に首を突っ込むことは出来ないのだ。出来ない、というか、したくない、だけなのだが。
そう、したくない。面倒なことに巻き込まれるのは迷惑でしかない。でも、既に巻き込まれ始めている証拠が目の前にあるわけで。
どうしようかと悩む。でも、悩んでいると思い込んでみようとしているが、本当のところは、あまり悩んでいなかった。性格上、今の状況で選べる選択肢は一つしかないからだ。
目の前に存在しているものを無視出来るほど、無視して、少女が期待を込めて再びやって来た際に、その期待を突っぱねられるほど、強い意志は持てないのだから。
「まぁ・・・、絵か写真があるパズルなら、出来なくもないだろし・・・」
自分で自分に言い聞かせるように零したそれに、反射的に視線をやるのは『絵も写真もない』パズルの方向。真っ白なピースは、今日も一向に出来上がる気配なく、そこにある。
アレに比べれば、それなりにピース量があろうとも、少女が持って来たパズルの方が断然、簡単だろう。風船しか写っていないが、それでもカラフルな色合いなので、色ごとにピースを分けて進めていけば、必ず完成するはず。
何より、あの白いパズルと違って、縁となるピースがあるのだろうし。
狭いわけではないが、二種類もパズルを広げるには空きスペースが足りないので、仕方なく、居間の真ん中に置いてあるテーブルをテレビが置いてある壁際に寄せて、空きスペースを作る。
居間から見ると、それは白いピースを広げている場所より手前にあたる位置。ピースが混ざらないように・・・、混ざっても、絵柄があるものとないものなのだから、大して困りはしないだろうが、それでも一応気をつけて二つのパズルの間を多少、意識して空けながら、零れそうになる溜息を堪えつつ、箱に再び、手を伸ばす。
蓋を開け、まずは凹んでいる部分を戻す為に。
──ジグソーパズルの箱を開けると、いつも最初に感じるのは、『どうしよう』という、途方に暮れる感じだ。
これが、普通の感覚なのか、店に来る客のように金を払ってまでジグソーパズルをやりたがる人達との違いなのか、それは分からないが、俺は毎回、箱を開ける度にそれを感じる。
迷子になるような心細さに似ているが、微妙に違う。同じ、独りぼっちになる子供の心境ではあるのだが、好き勝手に歩き回って迷子になった時の気持ちよりは、大人しくそこにいたのに、気がついたら周りにいた全ての大人に置いて行かれて独りぼっちになっていた時の心境に近い。
取り残された気分、とでも言えばいいのか・・・、何故そんな気持ちになるのかは我ながらよく分からないのだが、とにかく、毎回そんな気持ちになってバラバラのピースを箱の中に見る羽目になるのだ。
でも、そんな気持ちになるのに、不思議と嫌な気持ちになる、という印象はない。何と表現すれば良いのか、それこそ分からないけれど、取り残されてはいるけれど、独りぼっちではあるけれど、まだ希望があるような、これから先があるような、そんな印象を持っているのかもしれない。
これから、作り上げていくからなのかな・・・?
一つずつ、ピースを取り上げながら、色を見て、大雑把に似た色があるものを纏めていく。
赤っぽい色のもの、青っぽい色のもの、緑っぽい色のもの、という感じに小分けにして山を幾つか作りながら、その中で直線を持つピースだけはまた別に選り分けていき、箱の中のピース全てを選り分けるまで、続ける。
全てを分け終わって、箱が空になったら蓋を閉め、絵柄がよく見えるようにして傍らに置き、まずは直線部分を持つピースだけを繋ぎ合わせ、縁を作っていく。傍に置いた箱の表紙と見比べながら同じ色のピースを繋いで、それから絵柄で隣合っている色同士のピースの塊をまた繋いで、と。
ピースの量がそれなりにある所為で、そこまでの作業をするだけで結構な時間が経っていた。気がつくと、いつもの就寝時間より一時間も遅い時間になっている。
時間を意識すると眠気が襲ってくるし、明日のことも頭に過ぎって・・・、そろそろ終わりにしようと決めて改めて見つめる目の前には、たった今、出来上がったパズルの縁がある。畳、半畳・・・、いや、三分の二ぐらいの大きさの、縁が。
大きいといえば、それなりに大きい。でも気が遠くなるほどの大きさではない。縁が出来上がってしまうと、漠然としていたパズルの大きさが目に見えて、何となく一段落したような、これでもう大丈夫なような、そんな気がしてくる。
勿論、中身をこれから作り上げていくわけで、それは縁を作り上げるよりずっと大変な作業なのだから、今から一段落しても仕方がないのだけど。
それでも、どれだけピースがあろうとも、もうこの中身でしかないのだと思うと、何だか全てが完成したかのような気分になる。
限定されることへの安堵なのだろう。漠然としたものへの心配、終わりが見えないことへの不安、そんなものが消し去られていく、安堵。
でも反面、何となくではあるけれど、僅かな淋しさのようなものを感じるのは何故なのか? あの、置き去りにされたような孤独感とは違う、淋しさを。
完成に、終わりに向かっていくその流れが見えてしまうからなのだろうか、等と考えながら、ゆっくりと立ち上がる。
パズルの完成は、嬉しさと虚脱感があって、それは俺も何度も経験していた。だから、確かに嬉しいけど虚脱感もあるこれを、どうしてあんなに疲れ切った人達が買いに来るのかが不思議なのだけれど。
立ち上がって見下ろした先には、もう完成の形を決められているパズルと、何も決められないままになっている白いパズルが見える。今日は触らなかった、白いパズル。これからこの風船のパズルが完成するまで、触る予定のないパズル。
俺が作る時に感じるものとは違うものを、この店に来る人は・・・、パズルの店を開いた祖父は、感じていたのか?
居間の電気を消して、寝室の電気を点ける。それから布団の上に座って、何となく、再び二種類のパズルを眺めながら、暫しぼうっとする。見ていれば何かが変わるわけでもないし、何かが分かるわけでもないだろうに。
あの客達のレベルに達するまで疲れ切ってみれば、何か、分からないでいるその心境が分かるようになるのかと、ふと、そんなことを思うけれど、思うだけで実行しようとは思わない。
自主的に疲れてまでその心理を分かりたいと思うほどの情熱はないし、たとえ分かってみたところで、意味はないのだろうし。
・・・そう、意味はない。意味は、ないのだ。
視線が、いつの間にか白いパズルだけに向いていた。今日は一度も触っていないパズル。明日も触らないだろうパズル。だから、ピースに動きはない。どれも、昨日までと同じ位置にある。繋ぎ合わさって作られた塊も、大きくもならず、当然、小さくもならない。
ただ、そこにあるだけ。
でも、それなのに見ているうちに、そこに、背を丸めてどことなく嬉しげにピースに向き合う姿を見てしまう。何が楽しいのか、さっぱり分からないのに、嬉しそうにされていれば何となく、嬉しくなるような、その姿を。
触ってもいない白いピースが、昨日と形を変えている気がした。
散らばり方が、繋がったピースの形が、変わっている気がした。
・・・そんなわけが、ないのに。もう、あのピースを動かすのは俺ただ一人なのに。
唐突に、身体のどこかが冷えていく気がした。どこが冷えているのかはっきりしないのに、冷えている、という感覚だけが鮮明になって、身体が微かに身震いを起こしている。
まるで、パズルの箱を開けたばかりの瞬間に見る、取り残された子供の孤独を唐突に思い知らされたかのように。
溜息を、一つ。なんだか溜息が多くなったなと思いながら、また一つ。それから立ち上がって、電気のスイッチに手を伸ばす。押して、暗闇を呼ぶ直前、もう一度だけ見下ろしたパズルは動くことなく、静かにその場に留まっている。いつか、完成することを夢見て。
でも、本当に夢見ているのは、たぶん・・・、