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額もなく、縁もなく  作者: 東東
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 毎日同じような日々が続く。

 ただ、当然のことではあるけれど、同じようなだけで、細かなことは違う。そして前も起きたことがまた起きようとも、何もかもが同じ、というわけにはいかないものだ。

 たとえ同じ人が、同じようなような行動を取る羽目になったとしても・・・、一度目と二度目は違うし、数回起きれば、数回も起きてしまったという事実によって、違ってくるもので。


「・・・すみません、なんか、また、持って帰ってしまったみたいで」

「え? あ、あぁ・・・、いえ、こちらこそ、なんか、清掃不足みたいで・・・、このピース、なんだか店内に散らばっちゃうんですよね」

「そうなんですか・・・」

「えぇ、よくあるんです。気にしないで下さい」

「それなら、良かったです・・・」


 今日も今日とて、あの白いピースは元気に方々へ散らばっていたらしい。まぁ、今、店に入るなり商品を選ぶより先に申し訳なさそうに持って来てくれた人によって戻されたピースは、今日散らばったわけじゃなくて、その前にこの客が来た時に散らばったのだろうけど。

 俺が殊更何でもないことのように応えてピースを受け取ると、その人はほっとしたように肩の力を抜き、あまり良くない顔色のそこに安堵の笑みを微かに浮かべると、それから会釈をしつつゆっくりと棚の間に入り込んでいく。

 たぶん、五十代くらい。もう少しで会社人生の区切りが見えそうだが、まだ働かなくてはいけない世代だろうその中年男性は、おそらく俺が子供の頃からのここの常連だ。朧気な幼い記憶の中に、この人のもう少し若かりし頃の姿があるような気がするので、たぶん、そう。

 但し、今より顔色は悪くなかったと思う。同じだけ、疲れ切った雰囲気は纏っていたが。

 髪は白髪混じりだが、でも量はこの年代にしては有り難いほど残っており、顔立ちは所謂、ダンディな系統で、腹だって出てない。若い世代に格好良い、と言われそうな見た目をしているので、俺の貧相な記憶力でも残っていたのだと思うのだが、その人はもう何度も白いピースを持ち帰ってしまっているらしい。

 俺が店主になってすら、三回目。祖父の時代にもよく起きたらしく、もう自分でも何回目なのか分からないほど、繰り返してしまっているらしい。

 本人にも、俺にもどうやって起きているのか不明なのだが、話を聞くと、毎回同じで、この店に寄って気に入ったパズルを買って家に帰り、風呂に入ったり夕飯を食べたりして、さて、買って来たパズルにでも取り掛かろうかとのんびり床に座り込んだ辺りで、ふと、視界の端に引っ掛かりを覚えるそうだ。

 それでその場所に視線を向けると、もう見慣れてしまった白いピースがひと欠片、転がっている・・・、というのが、毎回のパターンらしい。

 あまりに頻繁に起きるので、この客は店から出る時、さり気なくスーツの裾や袖の辺り、それに鞄の中まで確認して、何かに紛れてあのピースを持ち帰っていないかどうかを確認しているらしいのだが、どれだけ確認しても、数回来店すると、そのうち一回は同じことが起きるのだ。


 まるで、いくら気をつけて掃除をしても見つからないのに、知らないうちにピースが散らばる、この店の現状のように。


 来店頻度が高い客なので、こういうことが起きる頻度も高いのだろうが、そもそもなんでそんなことが起きるのかがよく分からない。いくら小さなものだからといって、店で商品を買っただけなのに、そんなに何度も家に持ち帰ってしまうような事態が起きる理由なんてないと思う。

 不思議で、不可解な現象。でも、毎回ピースを戻してくれるあのお客の様子が、本当に、心の底から申し訳なさそうなので、この件についてはあまり根掘り葉掘り聞くことも出来ないのだ。聞いてしまえば、責めているように受け取られてしまう可能性があるので。

 別に、責めてなんていない。毎回戻してくれるのだから悪気があってやっているわけではないのだろうし、何よりなんでこんな事が起きてしまうのかが分からないのだから、悪気の有無は関係ないとすら思う。

 そして責めていると受け取られたくないので結局詳しくは聞けず、状況を改善出来ないまま、今日も拾ってもらったピースを手で弄ぶ。客が、目当てのパズルを持って会計に来るまで。


「あの、これをお願いします」

「ありがとうございます。えっとぉ・・・、4,860円になります」

「じゃあ、5,000円からで」

「はい、お預かりします。少々お待ち下さい」


 今日、そのお客が持って来たのは、イルカが数頭、群れを成して游いでいる写真が印刷された、それなりのピース量があるパズルだった。5,000円を受け取り、釣り銭を渡して箱を入れる袋を用意しながら、ふと、そういえばこの間はマンタが悠然と游ぐ姿を下から写した写真のパズルだったな、と思い出す。

 同時に、そのパズルも5,000円近くしたな、と。

 釣り銭と商品を渡し、店を出て行く後ろ姿に「ありがとうございました」とお決まりのそれを向ければ、いつも丁寧で紳士的なその人は一度、外に出る前に振り返り、軽く会釈をしてから外に出て行った。

 こんな若造にあんな丁寧な態度を取るような善良な人だからこそ、あんなにも疲れ切っているのかもしれない、等ともしかすると余計なお世話に相当するかもしれないことを思って・・・、同時に、でも毎回高めの商品を買ってくれる良い客だな、という現金な感想も抱いてみて。

 あんなに疲れるほど仕事をして、あんなに疲れるくらい丁寧で良い人。で、仕事量と性格の合わせ技で疲れているのかもしれない人は、そこまで頑張って稼いだお金で、うちの商品を買って行く。

 買って行った全ての商品を覚えているわけではないけれど、確か、小さな魚が集団で回遊する写真のパズルや、他にもクジラやサメの写真のパズルもあったはず。


 海で游ぐ生き物の姿ばかり、買って行く。


 あんなに疲れ切って買って行くのは、広大な海を自由に泳ぎ回る生き物達が散らばったパズルばかり。

 きっと、自由なんてない、息の詰まることばかりなんだと、そんな気がしている。だからああいう、自由を連想させる写真が印刷された商品ばかり買っていくのではないかと、そこまで考えて、思ってしまうのだ。

 もしもそうだとしても、買って行くのがパズルである意味は、どこにあるのだろう、と。それは写真集とか、あるいは動き回る姿が見えるように何かの映像とか、そういうものでは駄目なのだろうか、と。


 決して安くはない金額を今まで注ぎ込んでいるパズル。注ぎ込む時間と金と労力の価値は、どこにあるのだろう?


 でも草原にいる生き物だと自由な感じが足りないのかな、やっぱり海の中にいるのがいいのかな、なんて余計なことをぼんやりと考えているうちに、気がつけばお昼も間近になっていた。

 午前中の客はあの人が最後だなと思いつつ、よく考えたら明らかに社会人だろうあの人は何故、午前中のあんな時間にパズルを買いに来たのだろうかと、また余計なことを考えつつ、昼食を取るべく、立ち上がる。

 個人経営の哀しさで、昼食を取るにしても、その間の交代となる店員はいない。かといって、客が常にいるわけではなくとも、店内で昼食を取るわけにもいかない。食べている最中に客に来られて、口をもごもごさせながら対応となってしまえば、流石に失礼にあたるからだ。

 その為、昼休憩として30分ほど、店を閉めるのがこの店の以前からの習慣となっている。

 店のドアの前に、硝子に貼りつけられる吸盤がついた『お昼休憩中』という札を貼って、来るかもしれない客に昼休憩と示すのだ。本来ならその昼休憩の終了時間も示すのが親切だとは思うのだが、昼間際の客が途切れた時間帯から30分と決めている為、いつも時間が一定にならず、昼休憩の開始時間も終了時間も書けないので、たんに『昼休憩中』とだけ記した札を下げている。

 今日も今日とて、丁度良い時間帯だしそろそろ休憩に入ろうとして、カウンターの裏側に用意してある札を持ち、立ち上がった。そしてそのままドアに向かって真っ直ぐ歩いていって、ドアを開けて外に出て、再びドアが閉まったところで、手にしていた札をいつも通り、ドアの真ん中、店の中に入ろうとしたら必ず目に止まる場所に貼りつけて・・・。


「あのね」

「えっ?」


 手ぶらになったところでその手を引かれてしまい、真剣に心臓が跳ねるほど驚いて、実際に僅かだか飛び上がり、足が地面から浮いてしまった。

 感じたのは、指先を引っ張る、小さくて柔らかな指先の感触。そして同時にかけられたのは、小さな、どこか舌っ足らずにも聞こえる幼い声。

 口から驚きの声が洩れるのを激しい心音と共に聞きながら、半ば反射のように何かを考える前に視線を向けた先、右の指先が引っ張られる方向には、成人男性として平均的な身長しかない俺の腰の高さと同じか、もしくは少しだけ低い身長の少女がいた。

 俺の指先を掴んで、背中を反らすほど頑張って、仰向いている。俺を、見上げるために。

 たぶん、小学校に入ったばかりか、入る直前か、とにかくそのぐらい幼い少女。間違いなく、自分がこの年頃を脱して以来、接することがなかった年代の少女からいきなり指を引かれ、声をかけられてしまい、すぐには驚きが去らないほど驚き、その驚きが去っていないのに混乱が訪れるほど、動揺していた。

 冷静に考えれば、見知らぬ子供に呼ばれている、ただそれだけのことなのに。

 一体どれだけ応用力がない人間なのかという感じだが、何も考えられないなりに、目は自然と視線の先の少女の様子を確認していた。動かない脳味噌より、目の方が俺の中では優秀らしい。


 小綺麗な感じの、少女だった。


 子供に小綺麗なんて表現もおかしいかもしれないが、本当に、そんな感じの子供なのだ。外で遊び回るような感じの子ではなく、大人しく座って絵を描いたり絵本を読んだりする、そんな行為が似合いそうな、汚れるようなことをしない子供、という感じ。

 紺の、膝下辺りまでの長さのワンピースに、踝辺りまでの白い靴下、黒いエナメルの靴、ワンピースには襟の辺りに赤いリボンがついていて、それだけが唯一のお洒落のように、他には一切洒落た部分がない、ひたすら無難な服装をしている少女だった。

 髪の毛すら、すんなりとした肩より少し下まで伸びたストレートを結ぶことなく流しているだけの、なんていうか・・・、本当に小綺麗だけど、小綺麗なだけ、という外見なのだ。

 今時の子供はもうちょっと個性的な格好をするもんじゃないんだろうか、もしや親が凄い無頓着か、逆にもの凄い上品な上流階級とかなのか、と諸々の動揺から逃れるような思考が脳裏を行き来し始めるが、上流階級にしては服も靴もレベル的には普通っぽいな、という、本当にどうでもよい考察結果にまで辿り着いたところで、ようやく少しは落ち着きを取り戻した俺の脳は、中途半端に開いたまま固まっていた口に、指令を出す。口としての、役目を果たせと。


「えっとぉ・・・、あ、お客さん、かな? お店、入るの?」

「・・・」

「あの、どうぞ、良かったら中、見ていってくれる?」


 見下ろした先の少女は、話しかけてきたはずなのに何も言わない。ただ黙って見上げてくるだけで、話しかけても返事もしないのだ。

 子供が来ることは、あまりない。一度もなかったわけではないけれど、数回経験した子供の客は、どのケースも親などの大人に付き添われていて、一人で来た子供はいないのだ。少なくとも、俺が店主になってからは、一度も無い。

 でもこうして店の前で、指まで掴まれて声をかけられているのに、店に何の用もないとは流石に思えず・・・、一瞬、昼飯が遅くなるとか、商品を買ってくれるちゃんとした客にはならないのではとか、店に招くのを躊躇するような考えが過ぎった後、それでも顔に辛うじて笑みを貼りつけてドアを開け、中に小さな客を招いたのは、店先でいい年をした男が子供、しかも少女と話し込んでいる姿を見られると、変な誤解を受けるのではないかと心配になったからだった。

 ただでさえ、人通りの少ない場所で、滅多にいない通行人にそんな誤解を受けた日には、一応客商売をしている俺にとって、マイナスにしかならないことは分かりきっている。

 プラスがなくとも、マイナスは避けたい、そんな打算的な気持ちで貼りつけた『お昼休憩中』の札を外し、ドアを開けて中に誘うと、少女はドアが開けきる前に滑り込むような仕草で店内に入っていった。

 少しだけ開けた窓から入り込む、小さな旋風のように。


 ・・・確かに、どうせなら女性客の方が嬉しいとは思っているけど、いくら何でも若すぎだよな。


 少女の後に着いて行くように店内に戻りながら、零れそうな溜息を堪えて、そんなつまらないことを思う。

 しかし溜息も、そんなつまらない思いも当然、口に出せるわけもなく、カウンターの前まで突き進んでいく少女に追い着くと、カウンターを回ることなく傍に立ち止まり、軽く腰を折ってしゃがみ込みながら、少女に声をかけた。


「パズルが好きなの?」と。


 我ながら、陳腐な台詞だと口にしてから激しく思った。もう少し何か、考えて話しかけられなかったのか、と。

 でも、大人の客を相手にするように、自分で好きな商品を選んできてくれるのを待っているわけにもいかないだろうという、なけなしの大人としての気遣いが、少女に何か助言的なものをしなくてはとせっついてきたのだ。

 本当に買う気があって来ているのか、そもそもお金を持っているのか、持っているとして、買い物をすることを親が許可しているのか、それら諸々の疑問もあるが、来店している以上、そして購入することが出来ないのだとしても客は客なのだからちゃんと相手をしなくてはと、そんな微かな使命感も抱いていて。

 しかし少女は、何も言わない。何も言わないが無視しているわけでもないらしく、じっと、瞬きすら失うほどじっとこちらを見上げて、視線と同じくらい意識を向けてくるのだ。視線だけで全てが伝わると、信じているかのように。

 勿論、伝わるわけがない。少女は伝えてきてくれているのかもしれないが、俺の方に受ける力がないので、無言で見つめてくるだけの少女の気持ちも意図もさっぱり分からない。

 何も分からないから、真面目な顔をして見つめてくる少女に、その真剣さを誤魔化すように曖昧な笑みを向けるしかなくなってしまう。

 こんな笑みで誤魔化すことしか出来ない大人に失望しないかどうかが心配になるけど、失望されても仕方がない態度しか取れないのが失望されるべき大人である俺なのだから、仕方がないのかもしれない。

 でも、少女の顔にはまだ、失望は浮かんでいない。代わりに、真剣な瞳が、黒々と濡れて何かを訴えるように向けられている。もう生まれついて真面目で誠実、でもその真面目さや誠実さで自分自身を追いつめてしまうのではないかと、そう思えてしまうほどの真っ直ぐさ。


 ・・・あまりに真っ直ぐ向けてくるから、まるで、いつかも向けられたことがあるような気がしてきてしまう、眼差し。


「これ」

「・・・え?」

「これ、作って」

「・・・は?」


 自分が大人になって以来、子供に縁は無い。だから最初から分かっている通り、この子供は知らない子。

 それが分かっていても尚、知っている子なのではないか、以前に会ったことがあるのではないかという錯覚を覚え始めた頃、ふいに、黙り続けていた当の少女が口を開く。とても端的な台詞を発する為に。

 ようやく何らかの反応を示してくれたことは有り難いものの、唐突すぎて、端的すぎるそれに、こちらが反応出来ない。思わず間の抜けた声を出しながらも、辛うじて視線は少女が『これ』と示す先を捉える。小さな両手が差し出す、『それ』を。


 握り締めたその手には、少女の上半身を完全に隠してまだあまりあるほどの大きさの、紙袋が握られていた。

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