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額もなく、縁もなく  作者: 東東
2/14

「・・・なら、聞いておけよ、って話なんだろうけど」


 昼間でもお店らしく電気を点けているのだが、それでも尚、薄暗い印象を与える店内で、一人、呟きを漏らす。

 客はいない。店員はそもそもおらず、今は店主である俺一人だけ、という店の中で零す呟きを拾ってくれる人は、当然、いない。それが分かっていても独り言を呟いてしまうのは、少々手持ち無沙汰状態だからなのだろう。

 誰もいない店内で一人、ぼんやり視線を飛ばすと、どうしても意識は過去に引き寄せられてしまうものだ。

 祖父が始めたこの店には、物心ついた時からよく訪れては何をするでもなく、ぼんやりと過ごしていた。店は個人で経営するのに相応しいほどこじんまりとしており、その大して広くない店の中を、棚やらワゴンやらが占拠して、様々な種類のジグソーパズルがそれらの場所に押し込められているだけの、特に面白味も何もない場所だ。

 でもその独特の静けさのような、誰にも構われない空気感が気に入っていたのかもしれない。

 孫だからといって構い過ぎない祖父の、自然体も良かったのだろう。昔から、大人が求める子供らしい活発さに欠けた俺は、それを求める大人の無言の期待のようなものが苦手だったから、ぼんやりしていても構わない、放っておいてくれる、かといって無関心というわけでもない、という祖父とこの空間が、セットで居心地が良かったのだ。

 そうして子供の足でも少し歩けば辿り着ける距離にあることもあって、よく出入りしていたのに、かなり最初の頃から抱いていた疑問は結局、解決されずじまいになってしまった。

 いつか聞こう、そんな思いは漠然とあったのに、いつでも聞ける、という思いがどこかにあった所為で聞かないままでいたら、もう聞けない、という状態に陥ってしまったのだ。


 祖父は最初から俺よりずっと高齢で、つまり何もなくとも、俺よりずっと早くこの世を去ってしまうと知っていたのに。


 ・・・別に、それが全ての理由、というわけではないと思う。ただ他の理由にうっすら重なる程度には、心の片隅に引っ掛かっていた、というだけで。

 祖父の死に目に立ち会ったのが、俺だけだった、という理由を鮮明にする程度の理由にはなる、というだけで。

 店の今後についての話が出た際に、話の流れも飲み込めていないのに思わず、無職状態だからとりあえず継いでみる、と申し出てしまう、その勢いが少し強まる程度の力にはなった、というだけで。


 それだけで、店の経営なんて右も左も分からない、ジグソーパズルなんてもう何年も作っていない俺が、この店の二代目になっている。


 祖父は、とても几帳面な人だった。それは知っていたのだが、知っていた以上に几帳面だったらしく、仕事に関するマニュアルがきっちり作ってあった。

 一日のスケジュール、一ヶ月のスケジュール、一年のスケジュール、それにトラブル対応や、経理関係のマニュアルに、ジグソーパズルに関する豆知識、他にもありとあらゆるマニュアルやメモ書きがあって、何も分かっていない、とりあえず大学を卒業しただけの俺でも親戚や知り合いの力を借りつつ、何とかこうして店を続けられるくらい、それらは頼もしい力を与えてくれた。

 困った時には、まずマニュアル、疑問に思ったら、まずマニュアル、それさえ開けば全て解決する勢いの祖父お手製の諸々に、感謝と尊敬を抱くのは当然だ。当然、だが・・・、今も手慰みに開きながら、どうしても頭の片隅に浮かんでしまう、二つの疑問がある。これらを開くと必ず浮かぶ、疑問。


 一つは、どうしてここまで細かく、完璧なマニュアルを作っていたのか、という疑問だ。


 確かに、几帳面な人ではあった。だから何かしらかのメモ等を作っているなら、それは分かる。でも、残っていたそれらは覚え書き程度のものではなく、本当に、誰が見ても分かるように丁寧に、詳細に書いてあって、とても自分が見返す為に作られたものだとは思えないのだ。

 まるで、第三者、自分以外の誰かがこれを使う事を想定していたかのような印象を受けてしまう。

 あまりに丁寧で、実際にそれらを見ながら店が続けられてしまう現状を思うと、どうしても祖父の最期を思い出す。久しぶりに訪れたこの店の奥、居住スペースで倒れていた姿、慌てて救急車を呼んで、早く来てくれとその到着を願いながら握った、祖父の手の小ささと、皺の多さ。そして、その表情。

 心臓が、弱っているのだと聞いていた。難しいことは分からないけど、薬も飲んでいて、でもすぐに命に関わるような病気ではない、とも聞いていた。

 しかしそれでも倒れて、結局はそのまま運ばれた病院で息を引き取ったのだから、きっと倒れた時点で苦しかったり痛かったりしていたのだと思う。思う、のに・・・、必死に声をかけながら手を握る俺を見た祖父は・・・、


 なんだか、何の過不足もないかのような、穏やかな表情を浮かべていたような気がしたから。


 全てに納得しているかのような表情に見えてしまった俺は、その時、もしかしてこれはエンディングか何かなのかと、命の終わりではなく、とても満足のいく物語の最後なのかと、そんな馬鹿みたいな想像を抱いてしまったのだ。

 そしてその抱いた想像を裏切ることなく、同時に限りなく裏切って、祖父はそのまま、帰らぬ人になってしまう。つまり、終わりは終わりでも、やっぱり物語の終わりではなく、命の終わりだった、ということ。

 しかしその死に顔は、やっぱり穏やかで、微かな笑みすら浮かべているようで、眠っているような表情、とかより、ずっとずっと、幸せそうですらあった。

 だから、一つ目の疑問は疑問でありながら、確信に近くすらなってしまうのだ。準備がよすぎるとすら思えるほどの、マニュアルの多さ。全てに納得したかのような、あの表情。


 祖父は、自分が死ぬことを納得していたからこそ、そして出来れば誰かにこの店を継いでほしかったからこそ、あのマニュアルを用意していたのではないか、と。


 年齢も年齢ではあったし、心臓も弱かったけど、死を覚悟をするほどじゃない。だから覚悟をしていたわけじゃなく、納得していたような気がしてしまうのだ。意志を持って死を受け入れるのではなく、自然なこととしてその事象を受けいれていた、そんな気が。

 でも、死は受け入れてもこの店の後は継いでほしくて、もしくは誰かが継いでくれると信じて、その人が困らないようにマニュアルを残してくれたのではないかと・・・、詳細すぎる諸々を見る度に、思わずにはいられない。

 思う度に、思わずにはいられない。


 受け入れることが出来る『死』というモノは、一体どんなモノだろう? と。


 疑問は、もう一つある。ある意味、こちらが本命の疑問とでも言えるかもしれない、疑問が。

 一つ目の疑問は、まぁ、後付けの解釈ではあるが、答えをつけられなくもない。勿論、その時の祖父の本当の心境とか、そういったものは分からないけど、それでもたぶん、こうだったのだろうと、俺自身を納得させられるだけの答えは見つけられる。

 でも、二つ目の疑問はお手上げだった。一体何故なのかさっぱり分からないし、どこを見ても、答えらしきものを作り上げられるような要素が見つからない。マニュアルにも、メモ等にも何も書かれていないし、俺の頭では俺自身を納得させられる答えすら作り出せない。

 勿論、気にしないと決めて、本当に何も気にしなければ、それで済んでしまうのだろうけど・・・、気になってしまうのだ、どうしても。だって、わりと場所を取っているから見ない振りも出来ないし、何だか分からないそれを片づけるだけの決断力もない。

 何も分からなくても、祖父が広げたものであることは確実なのだから。


 奥の居住スペース、寝室と居間に跨がって、そのジグソーパズルは広がっている。


 この建物は、一応、二階建てだ。但し、二階はほぼ倉庫になっていて、ジグソーパズルの在庫や、普段は使わないのだろう祖父の私物が押し込んであり、生活出来る空間はない。

 つまり生活スペースは一階にあり、店と繋がっている造りになっている。カウンターを回って数歩歩くと、営業中はきっちり閉めている襖があるのだが、その先に居間があるのだ。

 居間には、テレビと炬燵にもなるテーブル、座布団があり、他には壁に沿って収納棚などもある。店舗から居間に上がると、すぐ目の前に置かれたテーブルを飛び越えて右手奥にそのテレビがあるのだが、左手にはもう一部屋、寝室にしている部屋があって、襖で区切ることも出来る造りになっているのに、その襖は取り払われている。反対側、右手にはちゃんと襖があって、そこを開けると、小さなキッチンやトイレ、風呂などの水回りがある。

 そちらは、特に気になる点はない。気になっているのは、襖が取り払われた寝室と居間の間、そこにぽっかり作られた空間と、その空間に広げられている物のことだ。実はこの店の名前同様、幼い頃から目にしていて、ずっと気になっていたのに、結局聞けないまま今に至ってしまった、疑問。


 そこには、白一色のピースが散らばっている。所々、身を寄せ合うように微かな塊を作りながら。


 何の絵も、描かれていない。どのピースも、白だけ。たとえば雪の絵が描かれているとか、そういう微かな絵柄すらなく、本当に白で塗りたくったようなピースなのだ。ご丁寧に両面塗られている所為で、裏か表かすらよく分からないピースが、それはもう、数える気が起きないくらいばらばらと散らばっている。

 幾つか繋げることが出来たらしい塊は寝室側に纏められていて、しかしその塊同士を繋げることが出来ずに、それらもまた、大きな塊として寝室側に散らばっているだけだった。

 そして一つとして繋げることが出来ないでいるピースが、居間側に散らばっている。散らばりきれないピースは、端の方に積み上がっている。


 この真っ白なピースが、二つ目の疑問だった。


 ずっとずっと、このままなのだ、このピース達は。勿論、そのまま一切動きがない、というわけではない。新しい塊が出来たり、少しピースの位置が動いたりはしているが、劇的にその塊が増えたり大きくなったりしているわけではなく、相変わらず、どこにも繋がらないピースは散らかったままでいる。

 一向に完成しない、白一色のジグソーパズル。こういう店を始めるだけあって、祖父はパズルの類いが好きで、店の商品でも気に入ると自分で一度作ってみたりするほどの人だった。それなのにこの白いピースだけはもうずっとこのまま、完成していない状態なのだ。

 それだけでも不思議なのだが、このパズルに関しては、もう少し不思議な点があって・・・、散らばっていたり積み重なっていたりするピースを探しても解決しない、謎。


 何故か、直線を持つピースが一つも見つからないのだ。


 普通、ジグソーパズルには直線を持つピースが必ずある。それは縁になる箇所で、その直線を持つピースを最初により出して、全体の形を作り上げてしまうのがセオリーだ。

 それなのに、ないのだ。このパズルに関していえば、直線を持つピースが一つとして見つからない。意図的だとしか思えないほど見つからないのだから、何か、特殊な理由があるのだと思うのだが・・・、何も聞かずにいた所為で、それらの答えは分からないままでいる。


 部屋の中、まるで主役のように二部屋に跨がって結構な場所を取っているそれらは、今もきっちり、主役としてそこにいた。


 生活する上で多少、邪魔になるのだが、それでも蹴ったりしてないように注意して、暇があるとピースを探して繋げたりもしている。つまり、出来たらその完成を果たそうとすらしているのだ。

 直線を持たないパズルが完全な完成をするとは思えないし、そもそもどうしても完成させたいと思うほどの情熱までは持っていないのだが、それでも・・・。


 祖父が嬉しげに白いピースを手に取っていた姿がこの場所に留まっているような気がして、何となく、手に取らずにはいられなかったのだ。



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