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額もなく、縁もなく  作者: 東東
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 もしかすると・・・、否、もしかしなくとも、この作業も含めて、『ぴーす』というこのジグソーパズルの店なのだろう。


 夜、少女のジグソーパズルへ向き合いながら、半ば確信的に、それを思う。あの少女も、このパズルも、常識外の点があるけれど・・・、そんな常識外の点も含めて、この店の一部、つまりこの店を継いだ俺が引き継ぐべきことなのだ。

 幼い頃から眺めていた、祖父がパズルを作る姿。それが今の自分の姿と同じ意味を持つ行為、他人から受け取ったパズルを完成させる行為だったのだと、今なら分かる。

 勿論、自分が好きなパズルを組み立てていることもあったのだろうが、全てがそうではなく、訪れる誰かから受け取ったパズルを作り上げていることもあったに違いないのだ。

 それを確信してしまったから・・・、作らないと、いけない。完成させないと、いけない。


 だって、継いだのだから。俺が、この場所を。


 まだ、完成していない風船は赤と青。この二種類の風船は一番数が多く、幾つか作っただけで殆どを後回しにしていたのだ。そのうちに、青の風船に取り掛かる。

 幾つかある青の風船、その空いている場所に嵌まるピースを探して、似ている形のものを一つずつ、嵌めていく。そこに嵌まるべきピースが見つかるまで、何度でも、何度でも。

 繰り返している行為は、次第に思考を浮遊させる。浮いて漂うそれらは、次第に過去に引き寄せられていった。まだ、幼い頃、祖父がここにいて、こうしてパズルを作っていて・・・、俺も、作っている。勿論、俺が作っていたのは、俺自身が作ろうとして作っていたパズルだったけど。

 自分で選んで、自分で作っていったパズルの絵柄は、一体何だっただろう?

 目は、目の前のパズルを見ながらも、脳裏はかつてのパズルを見つめる。じっと見つめるそれは次第に像を結び始め、探していたピースが一つ嵌まった瞬間、鮮明に思い出された。


 古い、田舎の家のパズルだ。


 正確には、その田舎の家の中の情景、たとえば囲炉裏とか、火鉢とか、土間とか、そういう何処かの家の一部を切り取った風景の写真が印刷されたパズルを作っていた。しかもシリーズ物だったのか、同じ家だと思われるものを、幾つも作っていたはず。

 一体何箱作ったのかは、覚えていない。でもたぶん、シリーズらしきそれらが全て完成すれば、古い、古いその家の中が描けるくらい、細かに撮られた写真の数々で作られたパズルだった。

 まだ小学校に上がったばかりの低学年の頃だったのに、どうしてそんな地味なパズルを好んで作っていたのか、動物で植物でもなく、カラフルな色使いの絵柄でも何でもないそれらを、一つと言わず、幾つも幾つも作り続けていたのは何故なのか、今となっては不思議に思う。

 同じ自分であるはずなのに、幼い頃の自分が自分ではないように思えるほど、それらの心情は酷く遠く、乖離している。

 でも、乖離しているはずなのに、不思議とその時の感情だけは思い出せる。どうしてそう思っていたのかは分からないのに、思っていたことだけは分かるのだ。

 あのパズルを作りながら、確かにその時間を楽しんでいた気持ち、完成を願っている気持ち、完成したら、次は新しいパズルをやるのだという期待の気持ち。


 そして・・・、一つピースが嵌まる度に、絵がピース一枚分完成する度に、祖父の顔を見る、その喜び。


 何故、あんなにもパズルが楽しかったのか。何故、パズルを作っているのは自分なのに、祖父の様子を嬉しげに窺っていたのか。全ては、遠い。とても、遠い。もう取り返しがつかないほど、遠い。

 目の前のピースはまた一つ嵌まり、また一つ分、絵が完成する。

 埋まっていく穴、完成していく絵柄、あの頃の気持ちを思い出せているのに、我がことのようには感じられない。感じられないけど、今、作っているパズルが完成していくこの瞬間に感じるのは、今の自分の、我がこととして感じるしかない感情だけだ。


 青い、全ての空白を試しても嵌まらないピース、そのピースを置いて、また他のピースを当て嵌め出す。


 このピースでも嵌まらないなら、また他のピースなんだろうな、と頭の隅で考えながらも、とにかく、当て嵌めていく。今度は試した場所に相応しかったらしく、ピースは綺麗に嵌まって、その欠落を埋めてくれる。

 ふと手を止めて、自然と前屈みになっていた身体を伸ばすように腰を伸ばして、それから少しだけ距離が出来たパズルを、俯瞰というには足りない距離で眺めた。全体を見渡す、というには大袈裟ではあるけれど、気持ちだけはそのぐらいのつもりで。

 見渡すと、まだ埋まっていない箇所がすぐに目につく。欠けている箇所は埋まっている箇所より既に圧倒的に少ないのに、それでも欠けているところばかりが目につくのだ。まるで、目の中に飛び込んでくるように。

 中でもとくに目につくのは、あの、オレンジの風船の空いている場所だ。綺麗に他が完成しているのに、ぽっかりとピース一つ分だけが空いていて、それがやけに目に留まる。

 何かで早く埋めてしまいたい、完成させたい、そんな気持ちが自然と湧いてきて・・・、伸ばした指先は、自然とその欠落を辿る。指先で、周りのピースを辿り、その欠落の形を指先で覚える。

 そんなものが本当に覚えられるとは思わないけれど。

 あと数日で埋まるはずの欠落。それを思いながら視線でまた全体を俯瞰して、それからまた、あの欠落を指先で辿った瞬間、視界の片隅に何かが引っ掛かった。何の気なしに向けた視線の先でそれを見つけてしまったのは・・・、本当に、何の気なしの、偶然だったのだろうか?

 自分でも疑わしいその偶然は、まだ行き先が決まっていない青のピースの小山、そのすぐ手前にあった。いつものように、ピースの山の中に紛れ込んでいるわけではない。

 そうではなく、その山とは無関係だけど、全く無関係というわけでもないんです、と言わんばかりの絶妙な位置で、ぽつん、とそれだけが一つ、畳の上に転がっていたのだ。


 真っ白な、白以外が意味を成していない、そのピースが。


 ・・・なかった、はずだった。ついさっきまでは。だって、青い風船を完成すべく、さっきまで何度も、何度も青の小山と完成しかけているパズルの間を、視線も、手も行き交っていたのだ。それなのにピースの山の目の前に転がっている存在に視線が留まらないわけがないので、絶対、それはなかったはずだった。

 ましてや畳の上の白は目立つ。尤も青も目立つし、他の色も畳と同系色ではないかぎり目立つので、どんなものであっても大抵は目立つのだが。だから、転がっていて気づかないはずはなくて。

 でも、あった。幻でも錯覚でもなく、そこにそれはあったのだ。たった一つ、目に留めて下さいと言わんばかりに。


 そして、その形は・・・、何故か、とても覚えにある形だった。


 指先を、目の前まで持ってきてじっと見つめてみるが、勿論、そんな行為に意味はない。指先に記憶が残っているのだとしても、その指先を見たところで記憶が見えるわけじゃないのだから。

 それでもじっと指先を見つめてから、どうしても蘇らない記憶に諦めてその指先を伸ばす。転がっている、白いピースに向かって。

 最初は中心を無意味に突いて、それからピースの縁を指先でゆっくりと辿る。でこぼことした四片を、何度も、何度も辿る。指先に残っているかもしれない記憶を、感触として思い出す為に。

 実際に、指先が感触の記憶を記憶として覚えていたのかどうかは分からない。自分のことではあるけれど、断言は出来ないままそれでも何度も辿って、辿って・・・、確信は、指先に芽生えたのか、それとも脳裏に、思考や記憶の結果として芽生えたのか。

 溜息を、一つ。また、一つ。

 なんだか最近、本当に溜息が多いといつかも思ったことを思いながら、でもこの溜息は、諦めの溜息とは違うものなのだろうなと確信する。これは、何かを受け入れた結果、漏らす溜息だ。

 落としたそれが畳の上を転がっていくのを見送ってから、ピースの形を辿っていた指先で、そっと、当のピースを持ち上げる。

 分かりきっていることではあるけれど、確かめずにはいられなくて、摘んだ指でピースを引っ繰り返し、裏側も確認してみるが、どちらが裏だか表だか分からないほど、どちらも真っ白で。


 絵柄は、ない。何も、ない。でも、たぶん、間違いも、ない。


 再び出そうになる溜息を飲み込んで、ゆっくりと指を伸ばす。ピースを指に挟んだまま、その、先に。

 そっと、乗せるだけでよかった。それだけで、答えは出る。静かに沈まんとするその時間の進みの遅さに堪えかねたのは勿論、俺で、指先で表面を隠すように軽く力を入れて、押し込んだ。

 小さなピースは、男として平均的な俺の指先に、大部分が隠される。全て、ではない。中心は完全に隠れたが、四辺、凹凸部分は見えていた、見えて、いたはずなのに・・・。


 それでも綺麗にその場所に嵌まったピースから指を離した時、それは既に、白いピースではなくなっていた。


 まるで、俺の指先に色が印刷されていて、触ることでその色が移ったかのようだった。でも凹凸部分は触れておらず、見えていたはずなのに、その部分の色が変わった瞬間が分からない。見ていたのに、確かに見ていたはずなのに分からないほどそれは自然に変わっていた。

 俺の指先に、何があるわけでもないのに。色が移ったかのように色を失っていくのは、箱の絵柄のだったはずなのに。

 念の為、確認するように見てみた指先、その指の腹には、とくに何の異変もない。いつも通り、少しがさついた指先だ。指紋の形だって変わっていないだろう。自分の指紋の形を覚えているわけでもないけれど。

 人差し指、変わり映えのしないそれを親指の爪先で擦ってみたけれど、付着していた色が落ちるわけでもない。分かりきった答えを確認した後、視線を戻せば、そこには滑らかな表面がある。何も欠けることなく、完璧な姿を晒す、オレンジの風船が。


 白いピースは、オレンジ色に染まり、その欠落を埋めていた。


 ・・・最初から、この姿になると決まっていたのだ、きっと。

 だから何度も、混ざり込んでいた。何度でも、何度でも、何度取り出して、元の白いピースの山に戻しても、何度でもこの風船のパズルに混ざり込んでいたのだ。

 間違って、混ざっていたわけじゃない。必要だから、混ざっていたのだ。こうして、欠落を埋める為に、混ざっていた。


「真っ白、だもんな」


 ふと、零れた呟きが他人事のように聞こえた。

 俺の声を使った、誰かの言葉。今、目の前で起きた事象の説明になんてならない。白だからって他の絵柄の欠落を埋められるなんてこと、有り得ない。

 それでも誰かが教えた答えみたいなその言葉に、他でもない、俺自身が深く、深く納得してしまった。与えられた答えに感謝をしたくなるほどに、納得してしまった。

 他人事みたいに聞こえたって、所詮、自分の言葉だったのに。


 真っ白だから、どんな色にだって、なれる。どんな絵だって、描ける。


 だからなんだ、と思う。何が『だからなんだ』かも、説明出来ないのに。

 指先を伸ばして、また、何度も撫でる。なだらかになった、完成したオレンジの風船、その絵柄を、何度も、何度も、何度でも撫でる。確かにそこに完成していることを、確かめる為に。

 確かにそこにあった欠落が、埋まったことを確かめる為に。

 撫でている指先をそのままに、視線は自然と流れて・・・、残された青いピースの小山に辿り着く。まだ埋まっていない欠落を埋める為の残りのピース。その、ピースの中にある、たった一つの白。


 青い風船の中にも、欠落があったのだ。どのピースも当て嵌まらない、箇所が。


 その箇所を、欠落を埋める為のピースなのだろう。もう疑いようもなく、確信する。ついさっきまで存在しなかったはずの白、でもあの白を取り除いてしまえば、このパズルは、あの青い風船は完成しない。

 このパズルは、そもそも欠落を抱えたパズルだったのだから。その欠落を埋める為に、あの白いピースはあって・・・、あの少女は、だからこの店に持って来たのだ。自分で作るのでもなく、他の店に持ち込むのでもなく、欠落があるからこそ、この店に。

 脳裏に蘇るのは、少女の姿。そして、少女が去り際、残していった言葉。何故かあの時にはよく聞き取れなかったそれが、今になって鮮明に聞こえる。脳裏に記録してあったものが、今、再生されていく。「あのね、パズル、作ってほしいの。ちゃんと──、」と、よく聞こえなかったはずの、その先まで。


『ちゃんと、私も戻りたいから』

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