夕暮れ闊歩
新しい靴が私の足にピタリとはまった。
それは最近ひきこもりがちだった私が、たまたまでかけた先でたまたま気が向いて寄った靴屋さんで見つけた、蒼い革が鮮やかなデザートブーツだった。
ひと目見てとても似合いそうだなと気に入って、一切のためらいなく、流れるように購入したそれは、高校生の財布にはなかなかの痛手だったのだが、まあ、いいだろう。
買ってすぐ家に戻り、開けるとすぐ履いたそれは、私の足に吸い付くようにぴったりだった。
何を見ても聞いてもあまり気持ちが動かなかった近頃、久しぶりに浮上した気分で、どこまででも歩いて行けそうな気がした。
「……彼に見せに行ってみようか」
1人なので誰に話しかけるわけでもなく呟いて、私は歩き出す。
自室から玄関へと行き、すでに履いている靴ごと土間へと足を下ろすと、そのまま扉を開けて外へと出た。
靴と一緒に帰ってきたのはお昼を過ぎた頃だったのだが、もう夕方になっていたようだ。あたりを夕焼けが鮮やかに染めていた。
帰ってくる頃には暗くなっていそうだなと思いながら、私は二週間ぶりに学校の方へと足を向けた。
久しぶりに学校にもよろうか。
後ろポケットに入っているだけの、暫く電源を切りっぱなしのケータイに来ているだろう友達からの連絡を思いながらそんなことを思った。
……
何だか、感じが違うな。
久々の道を歩きながらそんなことを思う。
やっぱり、彼がいないからだろうか。
こんな気分になりそうな気がして二週間もの間こちらに来なかったのだけれど、やっぱりなってしまった。
ついうつむいた私の目に、鮮やかな蒼が目に入った。
私の足にはまった、彼の好きな蒼色の、彼に似合いそうな靴。
思い出すのは、隣で笑ってたアイツの全て。
「……まったくさ、酷いヤツだよ、お前」
急にいなくなっちゃうんだもん。
それは変わらない毎日に突然舞い込んだがらんどうな日々。
気づくとそばにいた幼なじみはいつ頃からか気になる相手になっていて、気づいたら恋人で、つい二週間前に突然、交通事故でいなくなった。
イヤホンで音楽を聞いていた彼は、赤信号にも関わらず突っ込んできていた車に気づかずに轢かれ、何メートルか吹っ飛んで、病院に送られる途中で私とおんなじくらいだった人生を先に終わらせた。
つめたくなっていたアイツ。
目を閉じたまま固まっていたアイツ。
あの温かさを感じることはもうないし、あの腕はもう私を抱きしめてはくれない。
私の隣にはもうないあの存在。
もう二度と会えず、もう二度と話せない。
「……く……」
「……遥乃?」
いつの間にか歩みを止めていた私の鼓膜を震わせたのは、二度と聞くはずがないと思っていた声。
「り、く……?」
顔を上げた先にはつい先日亡くなったはずの彼、高坂陸が立っていた。
冷たくなっていた彼はいつもの通りにそこにいた。閉じられていた瞳は驚愕を浮かべて私を凝視し、固まっていた体は強ばってはいるが活動をしていて、二度と動かなかったはずの口は私に向かって声を発ししている。
「陸……」
「は、はるの……!」
彼に、陸に向かっていこうとしたのか、一歩下がろうとしたのか、よくわからずに上がった足は結局、滑って転んでどちらなのかわからなかった。
「っ……」
ひねった足が痛い。
夢じゃない。
「大丈夫か?」
心配して立たせてくれようとする陸の手は暖かくて、いつもと同じだ。
幻じゃない。
「遥乃、お前、どうしてここにいるんだよ」
けれど、気づいてしまった。
彼の影が私より明らかに薄いこと。
「遥乃?」
異質なほどの静寂に陸の声が響く。
……なんで、こんなに静かなんだろう。
固まった頭が検討はずれなことを考えたが、それは考えてみるととても不自然だった。気づいてみると、考えが止まらなくなる程に。
なんで、来る時に誰一人ともすれ違わなかったのだろう。なんで、周りの家からも遠くからも人や乗り物の音が聞こえないのだろう。
今は夕方のはずで真夜中ではない。いつもなら雑多な音や人の話し声が何でもない通りを賑やかにしてくれているはずだ。
それなのに、犬がうるさい山岸さんの前を通った時も、お話の長い永見おばちゃんの家の前を通った時も何の音もせず、今も車はおろか、電車の音も聞こえない。
「おい、遥乃」
そんな中するのは陸の声だけ。
変わらない声で陸が私を呼ぶ。
止まった私を心配そうに。
「陸……?」
名前を呼べばほっとしたように笑う陸。
変わらない。何も変わらない彼。
「なあ、なんで遥乃がこの街に来てるんだよ。……まさかさ?お前まで……死んだ……なんて、言わないよな……?」
陸が泣きそうな顔で私を見る。
ねえ、陸――ここは、どこ?
続きは未だ綴られていない。
しかし、噂によると一人の少女が赤く泣き腫らした目とともに朝日の中を歩いていたという。
足元には、片方だけ靴紐の違う新しい靴があったとか。