おしまいとはじまりのあいだ
短編です。
教会の鐘の音が聞こえてくる。
1ブロックほど離れた公園のベンチに座っていても、新しい夫婦の門出を祝う歓声が届く。
あー、めでたい。
文字通り一仕事終えた僕はベンチの背もたれに身を預けながら、公園の清掃業者の方に迷惑をかけることが心残りと言えた。
今頃ライスシャワーを浴びているのは、僕の親友である。
僕が言うのもナンだが、いい奴だ。
お人好しで、努力家で、大切な人のために自分を犠牲にしてしまうような馬鹿野郎で、十年以上片思いをこじらせていた男だ。
そして親友の隣に立っているのは、二時間ほど前まで僕の婚約者だった女性。
親同士が決めた仲で、十年以上一緒にいた妹みたいな奴で、親友に心底惚れてたくせに両親からの過剰な期待と僕への無意味な義理立てで、ずっと自分の気持ちを押し殺してきたスットコドッコイでもある。
いや、もう大変だったんだ。あいつら。
僕の十年間は、今日あの瞬間のために存在していたと言って良い。
関係する三つの家の両親を説得し、元同級生や会社の関係者に頭を下げて廻り、二人の前で最低最悪の屑を演じ切ったことで結婚式への乱入を成功させた。
『──それで貴方は親友に殴られ、婚約者とその友人達に突き飛ばされるようにして教会より叩き出されたという訳ですか』
「役者で喰っていけると確信したよ」
まあ、無理だとは思うけど。
未練がましく右脇腹を押さえていた掌を見る。べっとりと餅のように固まった赤黒い餅のような血に、固まる前の血液が混じっている。僕の脇腹には包丁っぽい刃物が突き刺さったままだ。
それから。
ベンチの前には、倒れて動かなくなっている男が一人。
人生のなにが面白くないのか、物騒な刃物を振り回して老人や子供を襲おうとしていた。が、僕の腹を何度も刺して満足できたのだろう、今は首を愉快な角度に曲げて遙かな眠りの旅に出ている。僕も直に旅立つだろうから、その時には彼の愚痴でも聞いてやろう。
ところで──
『なんでしょうか?』
「僕なら放っといてもくたばるから、教会にいるあいつらに祝福の一つでも授けてやってくれませんかね天使さん」
こちらに残された時間は十分もないだろうなと思いながら、僕はベンチの隣に座っている、いかにも天の御使いですよって自己主張の激しいひとに顔を向けた。
夏なのにロングのコートを着た渋い兄さんにも見える。場所が場所なら喜んで騙される女の人が沢山いるだろう。
けど、真白い翼に後光みたいな光の輪。
どの宗教のどの宗派かは分からないし場合によっては堕天使かもしれないけれど、僕みたいなロクデナシの最期の話し相手になってくれたんだ。悪い方ではないだろう。いや、悪い方でも問題ない。僕を地獄に引きずり落してくれるなら、それはきっと歓迎すべき事なのだから。
そんな天使さんは僕の顔をじっと見て、呆れたように首を振った。
『貴方は、たった一つを成すために全てを捨てました。それなのに末期の奇跡さえ譲るというのですか』
「……根回しに忙しくて、あいつらの結婚祝いを用意するのを忘れていたんですよ」
ああ、天使さんてば本当に僕に何かしてくれる予定だったのか。
願い事次第では、僕、助かったのかな。いやいやいや、都合のいいこと考えても駄目だよね。まったく。
馬鹿ですよねえ、僕。
笑おうとして吐き出した血の塊が喉を塞ぐ。失血が死因かと思ったけど窒息かと少しばかり驚きながら、僕こと風見光太郎は二十数年の生涯を大凡のところ満足して完了した。
満足したんですよ?
満足しましたからね?
未練とか残して新婚夫婦を恨むとかしませんよ?
呪おうとして惚気光線に灼かれるのは御免被るし、仮にも十年以上許嫁として扱ってた娘がメスの顔でギシギシアンアンする場面とか見たい訳ないんですよ?
なんで僕は椅子に縛られた状態で巨大なモニターの前にいるんでしょうかね、罰ゲームですか? 親友達を煽る時にゲスいことを口走ったのは確かですけどね、僕はアレは愉快な演出じゃないかなーって思うんですよ。情状酌量の余地アリで。
『君の死が公的に判明したのは、二人が新婚旅行から帰ってきた後だ。表向きは偶然に偶然が重なって身元の確認が遅れたため、親族友人を含めて誰も事態に気付かなかったようだ』
あ、天使さんがリモコン片手に現れた。
モニターに表示されたのは新聞の切り抜き記事にニュースの動画。
僕が殺された事件がびっくりするくらい大々的に報道されたらしい。
『君は大量殺戮を未然に防いだ英雄として社会に認知されている。君を殺した男の所有物、その凶器を全て使えば犠牲者の数は戦後最大を軽く超えていたというのが警察の最終的な発表だ』
包丁にナイフに火炎瓶に……なんか工事現場で使うような導火線付きの……いやいやいや、あの人なにを考えてたんだ。
そんなに思い詰めてたのか。僕一人で満足してくれたかな。やり残したことがあるとか、幽霊の定番じゃないか。
後で天使さんに頼んで面会できないか聞いておこう。
しかめ面になっている僕を見て、天使さんは画像を切り替える。事務的に淡々と。
『好奇心旺盛なマスコミは、英雄的な自己犠牲の精神を発揮した君に注目し──君が十数年をかけて成し遂げたことを丁寧に調べ上げて世間に暴露した。美談として』
「ぎゃああああああああああああっ!」
おいこら待て。
なんだそれは。
おいおいおい、プライバシーの侵害じゃないですか。
『なんだ。君は自国のマスコミにそんなものを期待していたのか?』
「ですよねー」
無理だ、うん。
なんだろうね。
モニターではどっかの役者さんが僕の名前で土下座したり、素直になれないイケメン男とキラキラ女をくっつけるために奔走している動画とか流れてるんですけど。これバラエティー番組の再現映像って奴ですか?
『ああ。今流れてるのが、最初に映像化された2時間枠の特別ドラマ』
「んぎゃああああっ!」
『この特別ドラマ、視聴率が好評だったんだよね。おまけに君が学生時代に数多のカップル成立を助けていた事も後々判明して、調子に乗った放送局にスタッフが悪乗りした結果、合計5シーズンものTVドラマが制作された』
「ぬわああああああああっ!」
殺せ!
僕を殺せ!
なんか中学の頃の同級生の名前とかがモニターで乱舞してるんですけど!
『件の結婚式で地に落ちた君の名誉を回復するためだと、昔の友人たちが物的証拠を手に立ち上がったらしい。もっとも、そんなことをしなくても普段とはまるで異なる君の態度と言動に多くの知人は疑問を抱いていたし、君の葬儀を前に口裏合わせをしていた御家族が全てを二人に伝えていたようだ』
「バーカ、バーカ! 暴露したらダメでしょうが、僕のバーカ!」
『……そうでもしなければ、罪悪感と後悔に押し潰された二人が死を選びかねなかったのだよ』
──え?
どうして?
二人が幸せになるためには僕の存在は邪魔で、僕が嫌われたまま死んだから、二人は……あいつらは幸せになれるんじゃないの?
天使さんは僕の顔を見ている。
とても辛そうに。
『事件から間もなく、君たちのことを面白おかしく書き立てたゴシップ記事が出回った。事実を都合よくねじ曲げ、君が婚約者を寝取られ失意の内に暴漢に襲われたピエロで、君の元婚約者と親友は君の親愛を裏切った最低最悪のゲスだと』
「そんなわけが、ないでしょうが!」
椅子に縛られたまま僕は叫んだ。
僕の親友は、僕の妹分は、そんな奴じゃない。大好きな人のために自分の人生を犠牲にできてしまうような人間なんだ。誰かを陥れてまで幸せになろうなんて微塵も考えられない奴らで、だから僕がなんとかしなきゃ一生後悔し続けるくせに我慢するような馬鹿なんだ!
『そうだ、そんなわけがない。君が憤ったように、遺族が、友人が、知人が、君と君の大切な人の名誉を守るために表に出た』
モニターに出てくる様々な映像と沢山の記事。
会社の先輩が、元上司が、近所の商店街のおばちゃんが、沢山の人が映ってる。僕とあいつらのために喋ってる。話を誘導しようとしたレポーターを殴った人もいる。編集前の動画をネットに流した人も……ああ、凄い、ゴシップ紙が潰れて悪徳記者が今までにやらかした悪事を暴露されて……こんなに多くの人が、あいつらの為に。うれしいなあ。
『それでも悔やみ続けていた彼等の転機となったのは、君の死から二ヶ月後。君の妹分が妊娠していることが判明した時だ』
「妊娠、ですか」
『天使の不思議な力でその辺の具体的な日時を説明しておこうか?』
「結構です」
わかります。ハネムーンベビーですね。
まあ僕の死を知ったのはその後って聞いたしね。初夜はさぞかし燃え上がったことでしょ、十年以上おあずけ喰らった男女だもの。
『赤子は色々あったが無事に誕生し、男の子だったので光太郎と名付けられた』
……ねえ天使さん。
そりゃないですよ。
僕はね、最低最悪の屑として死んだんですよ。たとえお芝居でも許されないような台詞を、(自称)アカデミー俳優も真っ青の演技力で。周りがどう思っても当人たちは一生許さないレベルの事をみんなの前で叫んだんですよ。事情を伝えてないけど熱血一直線な男友達と気っぷのいい姉御肌の女友達がガチ切れして友情のツープラトン炸裂させて僕を教会から叩き出すくらいの台詞を! 十年間以上ずっと考えていたんですよ!
それなのに!
どうして子供に僕の名前なんてものをつけさせたんですか!
天使なら不思議パワーで止めてやってくださいよ。あいつら残りの人生ずっと後ろめたさ抱えていくじゃないですか!
そもそも過去の出来事なのだからと天使さんは映像を切り替える。
焦燥していた親友と元婚約者が、生まれてきた赤子を慈しみ愛情を注いでいる姿だ。
『諸々の懸念と余計なことしか言わない連中を黙らせるためにDNA鑑定もきっちり行い、実子であると周囲も認めたようだ』
「鑑定しないと疑われるようなこと喋りましたからね」
結局童貞のまま死にましたけどね僕は。
『授かったのが男の子と分かった時に、二人は君の生まれ変わりだと確信したらしい』
何故。
そりゃ種付け日と僕の命日は一緒なのだろうけど。
「僕とは別人ですよね? 生まれ変わりとかじゃないですよね?」
『うん』
天使さん凄くばつの悪そうな顔だ。
『彼と君は別人だ。が、二人を含めて周りの人間は信じた。偶然にすがった。授かった命の意味を、そこに見出したかったとも言える。
困ったことに君の臨終間際、ベンチで天使と会話していたという目撃報告が沢山あった。感性豊かな人間があれほどいたとは私にとっては誤算だった』
「それって天使さんがやらかしたんじゃないですかあ!」
『結果として信仰心が爆上げになったので上層部は問題視していない。ちなみに劇場映画では天使の手助けもありバッチリ二人の子供として君が転生したことになってる』
「んぎゃあああああああああっす!」
恥ずかしい!
殺せ! もう死んでるけど!
『さて、君の親友と元婚約者だが。二人は生涯仲睦まじく、大過に見舞われることもなく大病もせずに天寿を全うした。誰とは言わないが末期の奇跡を譲るという申し出が通った結果、君の死に様に感銘を受けた何処ぞの天使長クラスの上司が二人のために物凄く頑張ったと聞いている』
「うわぁ」
『そして余談だが私の同僚にもドラマや映画のファンが大勢いてな。君と私が会話をしたベンチに腰掛けるのが地上ツアーの定番になり、映画ファンもベンチに座る者が多かったのでオカルトマニアのみならず信心深い者たちが巡礼を欠かさぬようになったよ』
「……とんでもない事になってませんかね、それ」
モニターが切り替わった。
信心深いって言葉で片付かない衣装のやんごとなき集団とか映し出されたけど、気にしてはいけない。
オカルトマニアがベンチの一部をナイフで削った途端に修復する場面とか、もはや自重していないし。
『この辺は我々の都合もあって』
「はあ」
天使さんモニターを眺めつつ今までにもまして気まずそうだ。
あ、胃の辺り押さえている。
『それで。先程も述べたが、あの二人の子息が君の生まれ変わりという認識』
「ええ、仰いましたよね」
『事件の知名度にドラマ性、映像化された作品の人気など諸々影響が大きくて──赤の他人の筈なのに、かの子息の魂は風見光太郎という属性を得て安定してしまった。世界が、そうであると認知したのだ』
「……え?」
『本人も、そういう気持ちでいる。天使仲間がうっかり君の生前の記憶とか流し込んだりもして』
「おいまて」
『つまるところ、風見光太郎と認知される魂はこの世界に二つ存在することになった』
堕天使だってもう少し慎み深いと違いますかね。
『上層部的には毒にならない奇跡をアピールできる場はきわめて限られてるため、この機を逃したくないと言う点で一致したらしい』
「会社ぐるみかよ」
『削ったベンチは再生するわ、ベンチに座ったら難病が治るわ、おかげでこの一世紀ほど信仰心の集まり具合がバブリー極まりなく。地球上でもっとも天使の目撃例が高いベンチとまで認定されている』
「自重してくださいよ」
『天使が我が慎み深く行動してもだな。なにせドラマは海外にも輸出されてたし、海外でアレンジされた作品も山のように生み出された』
「ぬわーっ!」
『ハリウッド版だと死んだ後に天使となった君が友人と元許嫁を守るために奔走し、ラストシーンでは無事に転生した君が生前と全く同じ仕草で周囲を驚かせていたな』
まあ諦めてくれと天使さん。
確かに僕は死んだままですしね。文字通り口出ししようもない。とはいえ……
「もう一人の風見光太郎は、どうなったんですか?」
『125歳まで生きて天寿を全うしたよ』
おい。
「僕より、百歳くらい長生きしたんですね」
『おかげで次の人生を送らせるために二つの魂を統合しようとすると、確実に君の存在が飲み込まれて消える。蓄えた情報量が桁違いなのだよ』
「ですよねー」
こちらとら大学出て2年経たずに死にましたからね。
125歳には勝てないよね。おまけに僕は童貞だったし。
それにしても飲み込まれて消えるか。事前に教えてくれたのは、覚悟を決める役には立ったとも言えるし。うん。
妙に悟りきって、二度目の、そして完全なる消滅を受け入れようとした僕に、天使さんが切り出した。
『そこで君に提案だ。君という自我を保てるように処置をした上で──異世界に、転生してみないか?』