ヴァルハラ編3・イツキ家にお泊り
学校の南にある学生寮より更に南にある二階建てがイツキの家であった。
「生活感溢れる感じで別にお嬢様とかキッチリとか全然ないけど良い!?」
イツキは家に入る前に大きな声で問うが、リースは呆れて溜息を吐くのみ。
そもそも、既に空は半分以上が闇に染まり、玄関前の電灯に虫が集り、何でもいいから早く入れろという顔をしている。
「要は散らかっているのだろう。食事と寝床さえあればなんでもよい」
「な、なんて可愛くない……」
重い溜息を吐きながら、結局イツキは渋々扉を開けた。
「帰ったぞー」
「おー、お帰りー」
カビのような香りが鼻につくが、薬が塗られたように赤茶色の強めな木で出来た廊下や柱は、どこか親しみやすい雰囲気があった。
「そっち風呂場、あっちがリビング」
とすっかりマイホーム気分で適当な説明をイツキが済ませると、真っ直ぐリビングに向かった。
広いテーブルが一つ、イスは四つ。
気の良さそうな母親と、ぼさぼさの髪で顔が隠れた男性。
「男か、この大陸で初めてみた」
リースが少し驚いた風に目を大きくすると同時に、イツキの表情が無表情から驚愕のものへと変わる。
「やっばい忘れてた! リースは男平気なの!?」
「なんだよ、人を害虫みたいに……」
その男が正論を言うも、イツキはただ睨むのみ。
「我が家の害虫みたいなものでしょ」
笑顔のまま奥様は随分な暴言を吐く。
「男が平気? 平気も何もないだろう。同じ人間なのだぞ?」
おおーっ、とサドシマ家の女性から感嘆の声が、男性から感涙の音が鳴る。
「こんな良い娘さん……おいイツキ、この子は?」
「ああ、紹介するね。リース・ジョンって言ってこの間転校してきた子。何を隠そう、私にこの傷を付けた張本人だ!」
と、イツキは自分の赤く腫れた頬を見せびらかすが、二人の関心はそちらにない。
「へえ、リースちゃんって言うのね。可愛い~」
「本当にかなり可愛いな……俺、生まれて初めて胸がきゅんきゅんしてる」
「は、はあ……」
転校初日の最初だけあった微妙な雰囲気が今再び。リースは少し困った風に息を吐いた。
「俺はサドシマ・ムツキだ。こう見えてもここらで俺以外の男はいない」
「サドシマ・サツキです。娘がお世話になってます」
家族から総スルーを受けたイツキは、しょんぼりと部屋を出て行った。
「それじゃ、お夕飯今から作るから、イツキと部屋で遊んであげて」
「わかった」
ぶっきらぼうなリースの返事を、少し奇異の視線で二人は見送る。
「……じゃ、俺も遊んであげるかな」
「あんたは手伝いなさい」
立ち上がったムツキをサツキが声で止めるが、制止したままのムツキは、今母に反旗を翻す。
「嫌だ! 俺はな、男だからって変な目をしないあの子を気にいったんだ! いや、本当に珍しい!」
と、ムツキも部屋を急ぎ出た。
イツキの部屋は、パソコンとテレビとゲーム、漫画の本棚にウォークインクローゼットなど趣味娯楽に関して隙がないが、カーペットやカーテンが無地だったり家具がシンプルだったり女の子らしさには欠けている。
「はぁ……」
「イツキ、遊ぼう」
「えっ!?」
突如現れたリース、以上に驚いたのはいかにも友達らしい発言。
「あ、遊ぼうって、何して?」
何故かときめくイツキを他所に、リースは意外な提案をした。
「この間二人でやった、あの、まくび? あれをもう一度したいのだが」
ときめきは排され、イツキの瞳は修羅に姿を変えた。
「マックスビィート!」
謎の掛け声と共に、クローゼットから専用コントローラーとゲームのハードが出され、迅速にテレビへと接続されていく。
「ふっ、リース、私とマクビしたいなんて、とんだエム気質のようね。そんなに敗北を味わいたいというのなら、その身に刻み込んであげる」
「い、いや、そういうのはよくわからんのだが、あの最強のキャラをイツキに使って欲しくてな」
「え? なんで?」
「本当に強いのか分からないからだ。もしかしたら主が使っていたキャラが最強で、あれが最弱なのかもしれないと勘繰ってしまう」
一瞬素に戻ったイツキだが、またマクビモードに戻った。マクビ風に言うなら、マックス状態である。
「ふふ、良いわ。圧倒的な恐怖と絶望を、一生忘れられないようにしてあげる……」
そしてムツキが観戦する中戦いは始まる。
四カウント、一つのコンボだけでロナはジュライに負けてしまう。
少女の悲痛な叫び声は、曇ったハスキーボイスに全て破壊されてしまった。
ここまで完膚なき負け方では、さすがのイツキも友達を失ったかとリースを覗き見る。
だが、リースは哀しんでなどいない。
むしろ、笑っていた。
「リース?」
「ああ、いや失敬失敬」
リースは笑いをこらえ、含みながら、言う。
「さあ、第二ラウンドだ」
もう数えるまでもない、今度はロナが少し逃げたりガードを成功させたが、ほとんど変わらず七カウントで試合は決まった。
ついにイツキはリースが何を考えているのかわからない。
「これで、分かった」
対照的にリースは、全てを悟ったように言う。
「いったい何がどうしたのか、説明してくれないかしら?」
「ネロが言っていたのだ。最強をイメージしてこその秘術だと」
イツキに少し衝撃が走る、もうほとんど確信したに違いない。
「私にとっての最強はこれだ、ジュライだ。ただの肉弾のみでここまで出来るかはわからないが……やってみる価値はある。この圧倒的暴力、絶対的残虐、それを格闘術のみでこなすのだから、美しい」
リースはコントローラーを置いて、大きく伸びをした。
「もうマクビは良い。何でも好きなことをしよう」
冷や汗を垂らしながら、ともかくイツキは言う。
「結構思ってたんだけど、リースって気をつけたほうが良いよ」
「気をつけた方が良いとは、どういうことだ?」
イツキの少し真面目な態度に、リースも真剣に尋ねる。
「世の中には、内の馬鹿兄貴以外にも野獣がたくさんいるからさ」
つまり色恋について、リースが無防備だろうとイツキは注意したのだ。
「ふん、そんなことか……というより、男はここらに彼だけなのだろう?」
とリースの言葉を予想していたようにイツキは自慢げに言う。
「ふふ、そうじゃないんだなぁ、これが。リース、いい?」
良いも悪いもありゃしない、リースが不満そうに頷くのを満足してイツキはまた意気揚々と言う。
「女の子はね、恋なしでは生きていけないの!」
まるでバァーンと効果音がなったかのように、イツキは迫力をつけて叫ぶ。
リースはまるで意味が分からず閉口し、部屋の外に待ち構えていたムツキが言う。
「何言ってんだお前?」
急に入ってきた兄を睨み、水を差されて気分を害しつつ、イツキはその持論を持ち出す。
「人生は楽しいことがないと生きていけないわけよ、特に戦いと訓練ばかりの人生、みんな心の安寧を求める。するとどう!?」
「どう、と言われても……」
「いや、俺にはわかるぜ! すると女の子は恋しかない、というわけだな!?」
「その通り!」
リースは一人、呆れそうになる顔を抑えながら引き続き聞く。
「……まあ、ここまではわりとどうでもよくて」
「どうでもいいのかよ!」
「それで本題はなんだ?」
そろそろリースが拳を握り締め始めたので、イツキも真面目な顔になる。
「いるのよ、女の子同士でラブしちゃってる人達が」
「ほお! それはそれは。それがどうした?」
少し驚きを見せたものの、リースは全く動じていない。
ここまで鈍感だと苦労しそうだとイツキも溜息を吐く。
「この大陸じゃ女同士で子供を作る方法だってあるんだから、そういうのが結構自然な空気が出来ちゃってるの。私はそもそも外の大陸から来た人だからちょっと変だと思ってるんだけど、ここじゃそれが普通なの。だからあんまり男らしくしてると、そのうち猛アタックとか受けちゃうかもよ?」
「なるほど、それは困る」
とリースは結局平気な顔をしている。
微妙な沈黙で、次発言したのはムツキである。
「イツキはそんなことないのか? リースちゃんラブみたいなこと」
「あはは、それはないね。少なくとも今は」
不穏な発言をするも、やっぱりリースは平気な顔をしている。
「まあそれよりも何かしよう。退屈で仕方ない」
いまいち危険性を理解してくれないことは惜しいが、今は別の話。
「……そうね、ニンサツでもする? アングラ?」
「主には格ゲーしかないのか……私は実際に体を動かしたいのだが」
どちらも物騒というか、普通ではない。そのためか常識人が言及する。
「おいお前ら、そういう女の子っぽくないことばかりしていると、可愛くないぞ」
射るような視線が二つ、ムツキを貫く。その二つとは、イツキの左目と右目。
「兄貴こそ、あんまり甲斐性ないと、臭いわよ」
「何の関係性もないじゃねえか! 臭くねーし! 俺全然臭くねーし! 風呂入ってるし!」
しかし今度はリースまでもが汚い物を見るような目で、二人揃って睨む。
「え……俺、臭くないよね? シャンプーとかしてるんだけど……」
「においではなく、そのしようもない性根を蔑んでいるのだ」
リースの言葉はいつも毅然としているが、この時はなかなかに厳しい視線をしていた。
「え……なにこれ? なんかむしろ興奮するんだけど……」
「おい糞兄貴、もう出て行け」
「リースちゃん、またね~」
笑顔で手を振りながらムツキが部屋を出ると、すぐさまイツキは扉を閉めた。
「ほんっとにごめんね! 元々変な奴のくせして、妙にリースのこと意識してるみたいで」
「気にしていないし、それほど謝ることでもなかろう」
恋についてイツキは熱弁したが、リースにとってそれほど理解し難いものはない。
イツキやネロと出会い、家族のような暖かな雰囲気を感じることはあったが、それが恋でないことは分かるし、恋というものが男性となるものというのも分かる。
だがそれ以上の知識はない、それは男性との付き合いがほとんどない他の皆にも言えることである。
「アングラ! それはアンダーグラウンドの略称であり、世界でもっとも早く誕生した格闘ゲーム! 様々なハードに移植され現在シリーズはファイブまで出ている!
地下闘技場に集められた数々の戦士が協力と裏切りを重ねて黒幕と戦う王道ストーリー! 初心者にもとっつきやすい操作法! イケメン美女化け物勢ぞろいの見た目! 内容も見た目も単純に良い、入門にうってつけの格ゲーと呼べる!
フレームやコンボ数、体力などの数値もこのゲームが基準とされていて、伝説的プレイヤー『知恵ある類人猿』が誕生した機体であり、私が初めてした格ゲーもこれのツーだった!」
「ゴリアック! ……弁舌はいいから、早く始めよう」
どうしてイツキが格闘ゲームにここまで執心するのか理解は出来ないが、その執心が強さの源であることはリースにも理解できた。
「キャラクターは全十四人! 私が使うのは『地下に潜む魔獣・グルース』! 初代から出演を続けている彼は虫使いで誰よりもトリッキーな動きをする。フォーまでは虫の集合体にドクロのような顔の影がある存在だったが、今作からついに本体であるイケメンが登場! しかしその操作性は変わらずむしろ当たり判定が小さくなったこと、新たに虫ゲージが創設されたことで一層ファンを驚嘆させた……」
「イツキ、こいつはなんだ?」
得意の明説を邪魔されても、イツキは嫌な顔一つせず説明を続ける。
「『白銀の騎士ラセツ』! グルース同様初代アングラから出演し、倭ノ国から地下に連れ去られた姫騎士! 最初は全身を鎧で包み性別を隠す戦士であったが『ボス・コング』との戦いで破れギル達と合流する! 範囲が広く威力の高い一撃が特徴的であるがコンボはどれも上級者向けの難しいものばかり! 特徴的なのはどのコンボも特殊なコマンドからなるカウンターにより始まること! カウンターを決めること、読みあうこともまた上級者向けの所以である!」
やっぱり意味が分からない言葉が何度も出てくるが、何となく分かる。
リースはしばらく黙って聞いていて、説明が終わると同時にこう言った。
「では、このラセツとやらを、イツキが使ってくれ」
「私!? 私グルーサーなんだけど……はいはい、わかったわかった」
グルーサーとはグルース使いのことである。
そしてリースは隣の金髪の男を選択する。
「『輝く拳ギル・フリード』! コメリカの武道場師範代だった彼は……」
「いいから早く始めよう」
ここまで中途半端に止められると、さすがのイツキも苦い顔をしたが、言う通りにステージを適当に選び試合を始める。
「ラセツかぁ、あんまり使ったことないんだけど、どう? 接待プレイでもする?」
「ふむ、容赦なく叩きのめしてくれて構わん」
「でしょうね」
手加減をされることはリースにとって不本意だろうし、何より恐らく、リースは遊ぶ目的ではない。
マクビのデュライに見た最強を、再び、より確固たるものにするべくリースは見るのだ。
「ま、適当にパンチ出してくれたらすぐ倒すから」
ラセツは剣を使う。そういうキャラクターだからリースがそれを見て何を学ぶのかは分からない。
ラセツの剣による刹那の見切り、カウンターから始まる空中コンボ。
二ラウンド合わせて二十カウントも三十カウントも持たない、だがリースは満足げな顔をしていた。
「何か掴めたかしら?」
「ふ、まあな」
同時にサツキの声が聞こえ、晩飯が始まる。
それを済ませると、露骨なムツキのアピールを全く介さないリースは、風呂に入ることにした。
場所はサドシマ家の風呂場!
人がやっと二人入れるほどの湯船!
シャンプーや石鹸などが備えられたシャワー台!
小さな風呂場のイス!
たったそれだけ! 二畳ばかりのスペースに二人の女性がいて!
今、一人の男性が入ろうとしていた!
サドシマムツキが一人卑屈に呟く。
「てめえらが悪いんだぜぇ~、一人で風呂に入らないてめえらがよ~」
二人の入浴中に侵入しようとするムツキは重大な勘違いをしている、それも二つも。
一つは、女性たるリースとイツキが男性たるムツキを容易く殺すことができるということである。イツキにいたっては精神面にいたっても殺すことにそれほど躊躇いがない。
もう一つは。
「あれ! お前ら風呂に入ってたの!?」
全く白々しい声を上げながら、期待に声と表情を荒げながらムツキは突入する。
「む? ムツキも一緒に入るのか?」
顔が真っ赤になったイツキは全く行動できず、湯船にゆったりと沈んでいたが。
シャワーを浴びている途中だったリースは堂々と、全裸を曝した。
もう一つの勘違い、それは父と毎晩のように風呂に入っていたリースにそういう恥じらいがないことである。
「三人はちと狭いな……」
リース以外の時が止まる。
「イツキ、どうした? のぼせたか?」
「のぼせたじゃなくて! 死ね!」
素早く二丁拳銃を顕現するとぱんぱんと乾いた音が三発鳴り、ムツキの顔が真っ白な餅に包まれる。
「おいおい、死ぬのではないか?」
さすがのリースも焦る。妹が兄を殺すなど尋常ではない。
「それよりどうしてきゃー、とか、わー、とか言わないの!? 三人で入るわけないじゃん!」
「別に二人も三人も変わらんだろう」
自分と二人の時は嫌がったくせに、とイツキは思う。
イツキの方が焦りは強い。兄にお灸を据えることは当然として、やはりリースの物知らずは治さなくてはいけないだろう。
いい具合にムツキが失神した後に、イツキは解除してやって、二人は風呂から出たが。
「後は寝るだけか」
といいながらリースはしっかりストレッチを続ける。
「こんな時間に寝るだけ? そうはいかないわ」
少し語気を強めて、イツキは宣言する。
「遊ぶわよ! それはもう、夜が明けるまで!」
「ふむ……トレーニングが終われば、付き合ってやらんでもないが……」
イツキはガチャガチャと機械類をいじくっている。
泊まると軽はずみに言ったものの、リースにとっての利点がまるで見つからない。
挑発に乗ったからだ、と自分を戒めつつ、リースは入念にストレッチを続ける。
「イツキよ、格ゲー以外に何かないのか?」
「えー? 何かしたいことでもあるの?」
「いや、特には……実戦はどうだ?」
「もう顔に傷がつくのは嫌です……」
イツキが本当に嫌そうなので、仕方なくリースも口を閉じた。
しかしゲームもこれ以上、という感じである。
何せデュライとラセツの戦闘を見ると同時に自分のキャラで経験することにより、圧倒的な強さを実感することが出来た。つまり二人の最強が容易に想像できる。
そんな今のイメージを固定させたいために、これ以上二人の対戦を見るのは得策ではない、このイメージのまま秘術を会得したいのだ。
「イツキ、ゲーム以外に何かないのか?」
「……じゃあ、お喋りとか?」
「会話か。ふむ、悪くないが……何を喋る?」
体の向きをゲームからリースに変える。
「喋ることなんてなんでもあるわ。例えば……今日のパトロール、シズヤと二人でどうだった?」
ゆっくり思い出す光景。
トロールを苦心し倒した自分、それを見もせずに三匹倒すシズヤ、魔商人、などなど。
「やはりシズヤは凄いな。だからこそ、あれだけ臆病だと悔やまれる」
「それは、仕方ないんじゃない? そもそも魔女と会わないし」
「む、全員で突撃すればなんとかなるだろう?」
「あはは……それは無謀すぎるわ。それをして失敗したのが二回あるの。歴史上」
五十余名を動員した、第三地域の大塔の魔女討伐、その全員が魔女の姿を見ることなく命を落としたという。
二度目は第一地域の湖の魔女、今度は十七名の精鋭であったが、全員が帰らぬ人となった。
「だからこそ、今回に成功する可能性も」
「そうムキにならないで。もうわかったでしょ? でもそんなに強いっていうから一人で挑む人もいないし、結局今みたいになっているわけ」
「ふむ……秘術を得た時、私は……」
「なに? 魔女に挑むの?」
リースは無言で自分の拳を見た、この小さな拳が誰よりも強い力になる。
イツキの表情が変わった。
「だったら私は認めない。あなたの保証人にもならない」
「なに? 意見がころころ変わる奴だな、今度はどうした?」
「私は秘術を得ても、その経緯を誰かに漏らしたり、ましてこの大陸から逃げたりしないと思ったから保証人になろうと思ったの。でも、それを得て自殺同然の行為を取るなんて許さない」
「自殺? 私は死にに行くつもりではない」
「そうなったら同じでしょ! 危険だから……駄目」
「そうか、なら仕方がないな。主以外の人を探す」
イツキは、何も言えなかった。
リースは何も言う必要がない。
だが、敢えて一言だけ言った。
「話題に事欠かないのではないのか?」
癇に障った、どころではない。逆鱗に触れた。
「リースの馬鹿ぁ!」
イツキは走って部屋を出た。
その瞳に涙がたまっていたかどうかは、定かではない。
「リースちゃん? イツキ、どうかしたの?」
ただならぬ様子のイツキを見て、恐る恐る部屋に入ってきてリースに声をかける。
「ムツキか。いや、私にもよくわからん。どうにも理解できないのだ……」
そんな成り行きを、リースはムツキに説明した。
ただこの日の出来事だけでなく、理解できなかった様々なイツキの行動、イツキと出会ってからの全てと言っても過言ではない。
それをムツキは真摯に聞いて、言った。
「それはリースちゃんが心配なだけだな。リースちゃんに死んで欲しくないからだ」
「ふむ……別に死ぬと限ったわけではないし、第一死んだところで構わんのではないか?」
とんでもないことを平然とぬかすリースにムツキは面食らうも、それでも平静を保つ。
「リースちゃんは、イツキが死んでも構わないのか? いなくなっても平気か?」
リースの目が、少しだけ、一瞬だけ、大きく開かれた。
「それは……違う。今も、イツキが去って、寂しい」
リースはあまり言葉を知らない。だから表現が全て直接的になる。
「なら同じことだよ。イツキもリースちゃんがいなくなって寂しくなるから、魔女と戦わせないようにしたんだよ」
「でもイツキにはたくさん友達がいる。私にはあまりいない。だから違うだろう」
「同じだ。イツキにとって誰が特別とかはない。君だって大切な友達なんだ」
「私が……」
リースはなんとも言えない不思議な感覚に囚われた。
友達という言葉は難しい、理解が様々にある。
だが自分が友達だと、他人に認められることはまた別な気がした。
「私が、友達か」
「ああ、なら、次に何をするか分かるか?」
ムツキはこっそりドキドキしながら、リースの肩に手を置く。
「ああ、イツキを待つ!」
「いや、追いかけてやれ」
肩に置いた手はすぐに立ち上がらせる手に変わる。
「行ってやれ」
「分かった!」
リースはすぐに駆け出した。
それを見送る兄一人。
「素直な子だなぁ……なんか、今までと違うだけでかなり可愛いと思っちゃうんだけど……ヤバイな、イツキと同いってことは四つ下か。いけるな、うんいける」
一人呪詛のように言葉を吐く様は、誰が見ても危険人物であった。
外に出てリースはイツキを探す。
普通なら走り回って探すだろうが、リースは普通ではない。
イツキ、イツキと大きな声で叫びまわりながら、リースは走ろうとして。
「ちょっと待って! リース、こっちこっち」
小さな声で呼ばれた。
「なんだ、屋根の上にいたのか」
「どうしたの? 急に」
「急にいなくなったのはイツキの方だろう」
リースは軽々と家の外壁を登り、そこについた。
「ちょっと、危ないでしょう! もし落ちたら……」
「落ちても平気だ。この程度の高さでは死なないし、私は頑丈だからな」
頼りない小さな腕で、リースはそう言う。
「とても信じられないわね。ぐしゃぐしゃに潰れちゃいそう」
人形のような可愛らしいリースは二階から落ちても死んでしまいそうだ。
「はっはっは、心頭滅却すればこの程度……それはともかく」
リースが咳払いをして、場の雰囲気を整えようとする。
「イツキ、私と主は、友達である、らしいな」
「な、何をいきなり」
「友達だから私の心配をしてくれたのだろう? 違うのか?」
「う、ん。そうだけど……。改めて言うと恥ずかしいから」
「私も主がいなくなると悲しい」
これほどイツキの胸が高鳴ったことはあるだろうか、それほどイツキはドキドキしていた。
「まあ、でも寂しくなるのは当然よね。で、悲しくなるのも当然、何もおかしいことはない。そうね?」
「ああ、そうだな」
ふぅ、とイツキは少し落ち着く。
自分で言ったことではあるが、リースはとんだ女垂らしになるかもしれない。というより思わせぶりというか、無邪気というか、無節操というか。
だが、純粋な良い子であることに違いはない。
「七難八苦あるだろうけど、あなたとは仲良くやれる気がするわ」
「ふむ、私ももう少し自分を大切にしよう」
「ええっ! それ本当!?」
「嘘はつかん。にしても、何か引っかかるな、その反応には」
「気にしないっ! それじゃ、これからどうする?」
「さあな、星でも見ようか」
「そんなカップルっぽいこと言わないでよ……」
「じゃあ一緒に寝るか」
「分かっててやってる?」
「何をだ?」
「……いや、別に」
そして二人はしばらくネロについて談笑した後、エレノンについての話になった。
「そういえば、エレノンとはあまり会話がないのだ。彼女はどういう人物なのだ?」
「エレノはねぇ、一言で言うと、変な子」
「それは、また。何がどう変なのだ?」
「全体的に変ね。格好もまず、変でしょ?」
黒い髪と黒い瞳はなかなか特徴的であるが、全身を包む黒いローブが何より目立つ。
あまり会話も乗り気ではなさそうだし、誰かと一緒にいるのも不本意といった様子である。
「なぜネロと仲がいい?」
「それは……ちょっと昔の話になるけど、元々二人は仲悪かったのよ。ネロは今も仲が悪いって言い張ってるけど」
「ふむ、ますます意味がわからん」
「確か最初は二人組み作らなきゃならないでしょ? 魔女と戦う時のために。それで、見捨てるための二人組みだから、仲が悪い人と組むことにしたの。で、ネロとエレノンは組んだわけ」
「ほう。仲が悪い同士で意見があったのか」
互いに互いが死んで欲しいとすら思う仲、それが発端だという。
「そうそう、それでパトロールしたら、弱いエレノの方がネロを命がけで庇って、それ以来ネロがエレノにべったりなの。エレノも満更じゃない感じ」
「ほほう、命を守られては、ネロもエレノンに親しみたくなるだろう。だが、何故エレノンはネロを守ったのだ?」
見捨てるためのコンビなのに、見捨てずに助けるというのは矛盾だ。
「そこは秘密なんだって。もしかしたら、エレノンはネロのことが嫌いなフリをしてたのかもって噂。ま、噂だけど」
「ふむ、相思相愛だな」
「恋愛しているかどうかは知らないけど、仲良しなのは間違いないわね」
時間は刻々と過ぎ、空には夜の闇に穴を開ける星の光が瞬いていた。
星空の元、淡々と他愛もないことを会話するなど……恋人同士のようだ、とのようにイツキは思うが、リースはどう思っているのだろうか。
そんなことを考えてまたイツキは恥ずかしくなる。意識しすぎているのではないか。
イツキの部屋で二人の女子が寝ることになり、リースはすぐにすやすやと寝入った。
もっとお喋りしたかったのは違いないが、イツキはこっそりとリースの寝顔を見た。
(純粋に超可愛いけど……男らしさは欠片もないわね)
寝顔の点では、普段の印象と真逆と言ってよい。
それほど普段は、人形のような見た目のくせしてどうも男らしすぎる。
が、リースは鋭い目を閉じて、すやすやと無言で眠っていれば、まさしくお人形さんのような可愛さなのだ。
口と目を開いただけで印象がここまで変わる人物はそういないだろう、と考え、ゴリアックのことを思い出し、嘆息した。
(そういえばあの人とリースって少し似てる。変人なところも、武闘派なところも)
そして豪快で開放的なゴリアックという人物を思い出し、健やかに眠った。
二人の少女が寝静まる部屋で、一人の男が息を潜める。
(てめーらが悪いんだぜ~、油断してぐーすか寝てるてめーらがよぉ~)
今、ムツキは心の中の鬼を解き放つ。
音が鳴らないように扉を開け、リースの顔を覗き込む。
すーすー、と綺麗な寝息を立てているリースを見て、ムツキは一人思う。
(え、なにこれ天使? 俺やっぱり見た目で判断してた?)
まるで違う印象を与えられ、ムツキはリースの虜も同然である。
この状況に加え、更に意識していたリースの無防備な姿まで見せ付けられ、心臓の鼓動はかつてない速さを刻む。
(これが……マックスビート!)
マックススピードとかけた微妙なタイトルであるが、この時ばかりはまさしくそんな気分であった。
これからどうしようか、と悩むムツキであったが、素直に布団をめくることにした。
その直後、誰もが目を覚ますような乾いた音が二度、ぱんぱんと鳴り響く。
「うっげぇ!」
情けない叫び声と共に、ムツキは壁に貼り付けられた。
「そこで一晩反省してな」
イツキは眼鏡を外すと、再び寝入った。
奇跡的にリースは寝たままである。
「…………」
結局ムツキは動くこともままならず、かといって起こすことも出来ず、寝るしかなかった。
結果的には美少女二人と一部屋で夜を明かしたことになるのだから、まあ悪くない。