ヴァルハラ編1・アリス登場
二人一組は、一人を見捨て逃げるためのものである。
敵の不意討ちの可能性などを考えると三人、もしくはそれ以上の数で班を作った方が良いだろうが、そうしないのは純粋に人数不足だからである。
「リースちゃん、ここの学校は塔の魔女の領地とぶつかっているの。塔の魔女は七人の魔女のうち一番外出率が高くて、活発に行動しているの。だから、危険だよ?」
「そうか、心躍るではないか」
リースがずんずんと森の奥へ進むのを、シズヤはおどおど後ろからついていった。
「心躍るって、強いんだよ!? 会ったら頭からバリバリと食べられちゃうんだよ!?」
「なら舌を噛み千切ってやるくらいの気概は見せる所存だ」
リースと言い争いしていた時と比べると、シズヤは人が変わったかのようである。
人への思いやりに欠ける先ほどの姿、純真無垢で正しさを持った清い少女、どちらがシズヤの本性であるかをリースは測りかねていたが、どちらも自己保身しか考えないか弱い、唾棄すべきものだと考えている。
「む、何か音がする。行こう!」
とリースはシズヤを置いて走り出す。心配していると思っていても、気にはしない。
「ちょ、ちょっと待ってよ~!」
シズヤも恐る恐る小走りで追いかける。
場所は学生寮北、塔の魔女の森!
鬱蒼とした木々は所狭しと並んでおり!
毒のある植物が数多く生えている!
だがそこに住む魔女が呼び出した生物はその効果を受けない!
今リース達の前に現れた、三メートルを越える水色の巨人も同様である!
「これは、でかいな」
女子の中でも身長が低いほうのリースは、トロールの体長の半分よりもまだ小さい。
「トロールかぁ。倒せるの?」
シズヤは一般常識を尋ねるように聞いた。
「分からん。主は?」
「これくらいなら大丈夫だよ。でも、リースちゃんの力を見せて欲しいな」
ここでシズヤの言うことに従う道理もないが、リース自身戦いたがっていたのは事実。
特に、魔女の眷属たる存在なら尚更。
リースはトロールに立ち向かった。
さて、とシズヤは観察する。
トロールは生物として致命的な欠陥がある、というのも肉が厚すぎて体温調節が上手くできず、氷や炎の近くにあるだけで死んでしまうのだ。
更に脂肪から油が体の外に滴っているために炎は特に過剰なダメージになるし、通電もする、そして斬撃にも弱い。
ただ、その豊富な脂肪と鈍感のために打撃にのみ強い。よってリースとの相性は悪そうにみえる。
肉弾のみでトロールを倒せるのなら、その格闘術は卓越しているに違いない。トロールはその肉の防御のみならず圧倒的な重量からなる打撃も持ち味だから。
だからもしリースが一人でトロールを倒せたなら、リースを見直そうとシズヤは考えている。
鈍重なトロールが呻く間にリースはハイキックを足に当てるが、そこも油と脂肪で上手く打撃が通らない。
事実、リースも最初の何発かは上手く攻撃が当てられず、防戦になった。
そのうち、トロールの拳が巨大な毒キノコを粉砕し煙が噴出する。
「リースちゃん! それ毒! 毒だから!」
「むっ!」
リースは道着の裾を口にあて、トロールとも距離をとる。
シズヤがこっそりと風を操り、毒煙を遠くに払う。
「あのトロールには毒は効かないから、がんばってー」
そんな風に軽い態度で応援すると、リースも呼吸を整えた。
「うむ、すまない。私も本気を出すとするか……」
何のことかと思えば、リースの構えが変わった。
右の拳を固く握りしめ、左の掌でそれを包み込む。
「『炎舞炎膚』流『火乃魂』」
シズヤの目が、トロールのはれぼったい目が、大きく開かれた。
リースの拳が真っ赤な炎に包まれ、燃えているのだ。
「『火華馬猛』」
幻覚ではない、両足の踵からもバーナーのような炎が噴き出し、尋常ならざる加速をして、燃える拳で、トロールの胸を貫いた。
そこからは、シズヤにしてみれば見慣れた光景だ、トロールは油から油に火が燃え広がりあっという間に燃え尽きる。
困ったのはそこからである。
本来ならすぐに消えるのだろうリースの火が、トロールの油のためにしばらく残ったのだ。
「ああっつ熱々あっつ!」
「ああああ、馬鹿なんだから……」
突如、地面が割れたかと思うと、巨大な実を茎の頂点に持った植物が生えた。そしてそれは実の大きさのあまり折れてしまう。
その木の切り口から水が流れ出し、リースを頭から濡らす。
水を被ったリースは、シズヤが助けてくれたということをなんとか判断して、素直に感謝した。
「助けてくれたのか。ありがとう」
「これくらいはするよ。一人で戦わせたんだから」
トロールの油はすぐ燃え尽きる上、途中で魔力にかえるため、湿っぽい森に燃え広がることはほとんどない。
戦いは終わったのだ。
「お疲れ、すごいね、本当に一人でトロールを倒すなんて。炎は、魔法か何か?」
「武術だと父から習っている。パンチが効かない時は少し驚いたが、他愛もないな」
そう言いつつも、リースは少し不服そうだ。
「どうしたの?」
「あの程度の敵、奥儀を使わずに倒せないか、とな。大した魔も脅威も感じないのに」
「ふぅん、正論だね」
シズヤはまた臆面もなくそう言った。
「でも、一人で倒せるだけマシだよ。一人であんなのも倒せない人が魔女を倒すってほざいているのを見ると、虫唾が走っちゃうもん」
リースは口をぽかんと空けて呆けている。流石にこのシズヤは初めて見る一面である。
「随分、第一印象と違うな、イツキも、主も」
「第一印象……、ちょっと、わからないかも。私は今まで私通りだから、変わったと思われる理由は、なんでだろう? でも、そうだね……えっと」
悩みながら、言葉を選ぶように、シズヤはふと、口にした。
「今までリースちゃんみたいなのがいなかったからだよ。隠して、なかったことにしていたことを、暴き出すから」
「それはいいことなのか?」
「さあ? 初めてのことだからわからない。でも、あんまり関係ないと思う」
「と、言うと?」
「例えると、リースちゃんは池に落ちた小さな石なんだよ。一瞬波紋が広がるけど、結局は何も変わらない。私達は戦い続けて、遊び続けて、自由になって、魔女は年何回かパトロールしてる人を殺して、それだけ。何も変わらないんだと思う」
淡々と、ただの事実を言うように、シズヤは言った。
それは間違いなく、シズヤにとっては事実であり、常識ですらある。
「なるほど、私も、イツキも、ネロもエレノンも、主自身ですらただの小石であると言うか」
「そうだね。先生だって、ゴリアックだって小石なんだよ」
「ゴリアック!? な、なんだその強そうな存在は!? ほ、本当にそれが小石だと……?」
「三年生で最強の人。つまり学校で最強なの。でも、小石」
「そんな名前の小石……信じられん。シズヤ、少しは考えを改めた方が……」
会話の途中、シズヤの後ろに三匹のトロールが現れた。
先ほどと全く同じ巨体が三体、リースは素早く炎舞炎膚の姿勢をとるが。
「ちなみに、こいつらは三百倍の顕微鏡でも見れないプランクトンだから」
トロールが二人を確認する前に、槍のように伸びた枯れ木がトロールを股間から頭の先まで貫いた。
枯れ木はぎしぎしと揺れながらも、なんとかトロールを支え、浮かせている。
血がドクドクと流れ、体はビクビクと震え、一匹ずつ、トロールは魔力に帰っていく。
それを、リースはただ見ることしかできなかった。
「そんなことより、もう帰ろう。この実習は時間が経つか魔女の眷属を一匹倒したら帰っていい決まりだから。これ以上は面倒臭いしね」
シズヤは自分が殺したトロールの亡骸を見もせず、ただ何も変わらない調子で言う。
「どうしてだ……? どうしてそれほどの力がありながら! 敵わない敵などいるのか……その力に」
「さあ? ごめん、戦ったことはないから分からない。でも、普通に考えて無理だよ」
言いながら踵を返すシズヤに、リースはこれ以上何も言えなかった。
頑ななシズヤに呆れたのか、強いシズヤに圧倒されたのか、理由はリースにもわからない。
それでも、このままではいけないと、何故か思い続けていた。
と、再び前方からがさがさと何かが潜む音がする。
邪魔な木々をリースが一蹴りでなぎ払うと、そこには茶色い毛の獣人がいた。
ピンと尖った鼻、頭の上に生えた茶色い耳、毛だらけの顔面と体、そして尻尾。
それはこちらを見ると茶色い尻尾と耳を揺らして大声で叫ぶ。
「ひ、ひえええー!!」
「これも眷属か!?」
「えっと、初めて見るけど」
シズヤがリースと獣人の間に割って入る。
「魔族だね。魔女と関係はないと言われているし、魔女の領土に魔族がいる理由は全くわからないけど……敵とは限らないよ」
無論、味方とも限らないが。
怯えて頭を抱える獣人を前に、リースは素直に頭を垂れる。
「それは、驚かしてすまなかった。私は……」
「待って! 簡単に名前を教えちゃ駄目だよ。これからは銀髪ちゃんって呼ぶから、私は茶髪……」
「あ、お名前なら知ってやすよ、シズヤさん。あっし、これでも耳ざとく情報も仕入れているもんで」
犬のような耳をひくひく動かして、獣人は言う。
シズヤは一瞬憎しみをこめた顔になったが、すぐ笑顔を作った。
「それより、あなたはどうしてここにいるの? 事情によっては、捕まえなきゃいけないんだけど」
獣人は手もみをしながら舌なめずりをべろべろした。
「へえへえ、あっしは魔商人のアリスと言いやして、仕事で魔女の大陸に来たもんでして、折角だから魔女にも会っとこうと思いやして」
えっへっへ、と笑うアリスは舌をベロベロ出して、唾液が滴っている。
「女性みたいな名前だけど、男性よね?」
「へえへえ、そりゃあ勿論。返って覚えやすいでしょう? 自慢の名前ですわ」
シズヤは汚い物を見るような目を一瞬だけして、すぐに顔をそらした。
「じゃ、帰ろっか」
「む、放置してもよいのか? 魔女と会えば必死では……?」
リースが噂に聞く魔女は、魔族だろうが人だろうが殺す化け物。しかしシズヤは飄々と。
「魔族なんだからわからないよ。それに、一石投じるのも面白そうでしょ?」
にっこりと、明るく楽しそうな、純粋そうな笑顔でシズヤは歩いていった。
「それにしても……男の人、かぁ……」
「どうかしたのか、シズヤ?」
「いや、初めてじゃないけど、イツキのお兄さん以外の男の人は初めてだから」
新しい情報が飛び交ってリースは少し戸惑うが、特に気にせず、話半分あわせておいた。
戻ってみれば、既に他のクラスメイトはほとんど戻っていて、残るはイツキと先生の班のみである。
「遅いですね、イツキさん達」
「……予言が、当たる……」
といった直後、イツキが戻ってきた。
「イツキちゃん! 先生は?」
イツキは体中に傷があり、少し血が滲んでいる。
「あ、あの人は……」
心底恐ろしいものを見たように恐怖して、体が震えている。
「あの人は……化け物よ」
耳をつんざく爆発音が聞こえたかと思うと、木々が折れ曲がる音の後、巨大な剣を軽々と操る先生が戻ってきた。
「皆揃っているか?」
「は、はい」
「では、今日は解散。っと、リースには話がある。残れ」
教師の事務的な態度に、リースは少し胸を高鳴らせた。