大会編18・イェルーン・アダムスの狂気
裏路地に出たスノウがしばらくうろついていると、あからさまに柄の悪い魔族に絡まれた。
緑の体表をした人間のような魔族、その後ろには二人、ブルドッグの獣人のと蟷螂のような男の魔族がいた。
全員男という時点で珍しいが、これほど魔族らしい者もこの大陸にはほとんどいない。アリスやコントンという例外を除けば、この大陸には人そっくりの魔族が多いのだ。
なにぶん閉鎖的な大陸だったため、男というだけで珍しいのに、明らかな人外の外見。
けれど緑、カマキリ、ブルドッグの三人が裏路地にいるのは迫害されたわけではなさそうだ。
緑が唾液を垂らしながらスノウに近寄る。
「げっへへへぇ~お嬢さん、こんなところに何の用カナ?」
後ろの二人も下品な笑い声を上げる。それをスノウは、眠そうな瞳を一層狭めて見た。
「あ……ん……誰?」
言葉に慣れないスノウの舌っ足らずに男達がますます笑う。
「お、誘ってんノカ? 何でもいいさ、秘術持った女ってのは高く売れるし、何よりこんな上玉はそうそういねえ。お前ら、やっちまえ!!」
緑の掛け声とともに、ブルドッグとカマキリが両手を広げて走り出す。
スノウにとってそれが敵か味方か、ここで殺して良いのか、様々なことを考える必要がある。
魔族は敵でも味方でもないし、裏といえど街中である以上ここで殺して死体を残すのは問題があるだろう。
だが、どうするべきかを考えるにはあまりに短い時間、あっという間にブルドッグと蟷螂に囲まれる。
「なあリーバス、まず俺たちで楽しまねえか?」
言って振り返ったブルドッグが見たのは、緑ことリーバスと呼ばれた魔族が立ったまま顔を上にむけ、後ろにいる何者かにフラスコの液体をぐびぐびと飲まされていた光景だ。
元々悪そうな肌の色だったというのに、禿げ上がった頭から、顔、首、そして胸元まで赤くなっていき、最後に白目を向いて倒れた。
豪快に倒れ地面に頭を打ちつけ、直後頭を踏み潰す足によって脳天から血と脳漿がぶちまけられた。
「り、リーバス!!」
ブルドッグとカマキリが叫ぶ、スノウは既に事切れたリーバスの後ろに立っていた女を見た。
女性としてノーベルに似た見た目である、スノウが一番最初にそう判断したのは丸眼鏡である。
茶色い髪も円背もノーベルに似ている。
だが不健康そうな顔色と体調悪そうにかいた脂汗、薄汚れた眼鏡、鋭く黄ばんだ獣のような犬歯、目の下に色濃く浮かぶ隈、ボサボサで乱れた髪、魔女のノーベルよりも魔、という雰囲気が出ている。
服もエレノンと同じような真っ黒の外套も、紫マントのノーベルよりも魔女らしい。
「て、テメェなにもんだ!? リーバスに何しやがった!? さてはこの女の仲間だな!?」
とカマキリがスノウの腕を引っ張りその白い顔を見せ付ける。
魔女なのに何故か人質のような姿に、可笑しな話である。
それなりに魔術を研究した者ならば、そうでなくても魔族ならば、これだけ接近すれば隠していても魔力でスノウが魔女だと分かるのに、所詮は裏路地で人攫いするような魔族にはそれが分からないのだ。
「……仲間だったらどうする?」
カマキリが腕の皮膚に張り付いていた、皮膚の一部である刃をスノウの首筋に当てた。
「この女がどうなってもいいのか!? ああん!?」
精一杯赤い目を光らせ凄みを利かせるカマキリ、合わせてブルドッグもスノウの頭を握った。
「目の前で、お友達の脳味噌を見ることになるぜ?」
スノウは考える、この女性はノーベルなのだろうか、ノーベルは魔女の森で別れたためここにいるはずがないのだが、だがそれでも似ている。
そう考えるスノウは、自分の身をまるで案じていない。たとえ切られても死にはしないし、頭を握りつぶされることなどないからだ。
「……せよ、ふひっ」
「は?」
女が小さな声で何か言った。消え入りそうな声は他人との会話に慣れていないからだろうとスノウは推測する。
だが、直後女は顔を上げて、狂ったように笑いながら叫ぶ。
「殺せよぉぉぉ!! 首ィ切り裂いてッ! 頭握りつぶしてェ! ぐっちゃぐちゃの脳漿と血液ぶちまけて眼球繰り抜いて滅茶苦茶を見せてくれよォ!!」
まん丸に見開かれたその女の目は、血走りすぎて、でもピンクや白というよりも、汚らしい赤のような色に見えた。
それが、スノウにはどうしようもなく美しい赤だった。
「な、なんだよこの女?」
「頭おかしいんじゃねえの?」
ブルドッグとカマキリが思わずスノウから手を放す。と言ってもスノウもその女に助けを求めて近寄ろうとは思わない。
手の甲に氷の刃を作り、素早く蟷螂とブルドッグの首を切り裂いた。その間も今もずっと女を見つめている。
「あ、あなたは、誰?」
狼狽している風ではなく、しかしどもりながらスノウが聞く。
しかし女は細い瞳をますます細くして、不意に笑顔を見せた。
「良~い切れ味だぁ……赤と緑の血が混じって、ますます輝いて見えるぅ」
ふらふらと腰から上下に曲がりながら、女はがくんと極端な円背で、超至近距離でスノウを見た。
「お前が誰だよ?」
と聞いた瞬間に腰を後ろに曲げて、後ろが見えるほどに仰け反りスノウを見下すように顔に手を当ててスノウを指差す。
「いーやお前が誰なんてつまらないことを聞いて済まなかった!! 私は私でお前がお前、それだけで充分! さっきはいいものを見せてもらった、鮮やかな切れ味、噴出す血液、なかなかいいとこで育った教養と気品が感ぜられる、だがっ!!」
思い切り、女はリーバス、倒れている緑の頭を踏み潰した。
「ひ」
苦笑い、といった感じに女が口元を歪め、もう一度緑の頭を踏みつける。
「うへへっ!」
うひうひ、と笑いながらリーバスの全身をぐちゃぐちゃに踏み潰す、最初は恐る恐る、力強く押し潰す風に踏んでいたのに、今は並木道の枯葉を踏んで遊ぶ無邪気な子供のように高笑いしながら足をばたばたと動かしている。
「……良い」
スノウは無意識的に呟いていた。
先輩ばかりの魔女社会、唯一の後輩のノーベルは妙に偉そうにしている、そんな中でスノウが得た癒し。
世間知らずで変化のない生活の中、この出会いは刺激的過ぎた。
ハッと気付いたように女が顔を上げると、スノウを再び見た。
「何の話をしていたろうか……ハッ!」
ブルドッグと蟷螂の死体を見て、女はスノウの方へ走り寄る。
「お前はっ! 殺し方が、まるでなってなァい!! 確かに! 頚動脈を切り刻む事により血液を噴出させる様はなかなか見ていて満足させる、私の心を満たす、だァが! それだけじゃ感じない、感じないだろ破壊の衝動をォ!? 分かるか!? 分かるなッ!?」
けんけんぱ、するように、女は両足で跳んで、それぞれの頭を踏みつける。
だが潰すには力が足りず、転んで後頭部を地面に打ってしまった。
天を仰いで寝転がる女は、しばらくぼうっとして、すぐに起き上がった。
「こうするんだよ!」
まず右足を強く強く踏みしめて、蟷螂を踏み潰して、次に左足でブルドッグを踏みつけた。
「やってみろ」
血で濡れたローブにスノウは暖かな何かを感じながら、恐る恐る足を動かす。
一度潰れた頭ながら、ぐちゃ、ぐちゃと踏みしめる。
「……ふふっ」
スノウの笑顔を見て、女も満足そうに蟷螂の膝辺りを踏みつけ始める。
「ああ気持ちいいだろ? 気持ちいいなぁ~これ、もっとしたいと思うだろ!?」
女が外套の下からフラスコを取り出すと、それを一気に飲んだ。
「もっとヤりたいだろォ!?」
次の踏み込みは、ブルドッグの足を踏み潰し、断裂させ、そのまま死体の下の石畳をも踏み砕く。
「あなたは、誰、なの?」
「誰だっていいだろォ!? 大切なのは楽しむことさ、ライフイズビューティフル、ライフイズカーニバル、ライフイズクリミナル! 人生とはかくも素晴らしく愛おしい! 生きていることはこんなにも素晴らしく麗しいのさ! 分かるか!? 分かるな!? イイッ! お前最高にイイよ!! 気持ちいい!」
艶かしく舌なめずりする女に、スノウは恋にも似た感情を得る。
もっと仲良くしたいとか、もっと知りたいとか、こんなにも自分の本能をくすぐるような存在がいることに驚きもした。
「あなたは……私は、あなたのことを知りたい、あなたと一緒にいたい」
そんなスノウの初めての感情に気付かず、女は笑う。
「ハッハァ! 面白いこと言うね。ただ、私はそろそろしなきゃならないことがある。まずそのきったねえ足をどけな!」
スノウが血に汚れた足をどけると、女はいそいそと死体を三つゴミ箱に入れて、取り出した別のフラスコの中の液体を目いっぱいかけた。
外套からはフラスコが一つ二つと、いくらでも出てくる。
「いいかいお嬢さん、しっかりと片付けないと色々大変なんだぜぇ? でも久々にフィーバーできた……ああん、思い出すだけで体が震えるゥ! ひっひ!」
心底楽しそうな顔をしてゴミ箱に蓋をした後、朗らかな笑顔で、円背で女はスノウを見た。
「聞かせてやるよ、私はイェルーン・アダムス。見ての通り魔女を倒すために学校に通う、生きるのに一所懸命な女の子さァ。ちなみに二年、お前はァ?」
「かっ、かまくらの魔女、豪雪のスノウ、て呼ばれている、魔女。言葉、習ってる途中だけど、私、倒す?」
イェルーンは全く驚いた様子も見せず、でもちょっとだけ考えた後に、頭を掻いた後ににやりと笑った。
「別にいいさ、テメェ倒すのは楽しくなさそうだからなぁ。人生、もっと楽しい風にしないと駄目だぜぇ? あ、人生ならぬ魔女生かぁ? くくっ」
楽しそうに笑いながら、イェルーンはまた別の方向に歩いていった。
イェルーンは裏路地を歩いては旅行者を襲う殺人鬼であるが、狙うのは不法入国者や犯罪者紛いの存在ばかりを狙うために発覚されにくい。
その上、秘術である『入れた液体を望んだ薬品に変えるフラスコ』を使って死体をどろどろのコンクリートに変えてしまうため、行方不明になってしまう。
無論、その際に財布を盗ることは忘れない、イェルーンの生活はこれで賄われているのだ。
「イェルーン・アダムス……イェルーン・アダムス……」
その場に残されたスノウはうわごとのように呟く。忘れないように、言い間違えないように。
初めて平気で喋れそうなほど親しくなった人間であるが、人間を動物のようにしか見ない魔女であるが、スノウにとってのイェルーンは大切なことを教えてくれた先生である。だからこそ、イェルーンを利用して情報を得ることはどこか申し訳なく感じてしまう。
魔女として、しかしスノウは人間であるイェルーンを動物のように見ながらも人間的な判断をした。
イェルーンの考え方は、人間であるが人間的とはとても言えない。不幸な境遇はある。虐待、貧困、迫害、人に嫌われ、人を嫌う生き方をしてきた彼女に同情の余地はある。秘術を得る前から大陸の端辺りで人を殺しては大陸の下へ落として処理したり、魔女の森のものを食べたりしていた。
親の一人を魔女に殺された自分にとって、魔女は自分を不幸にした存在であるが、人生を復讐などに費やすのは無駄使いと考えて気にしない。
三人の魔族を殺している最中にもしもスノウが悲鳴を上げたり自分を通報などしようものなら、イェルーンはスノウをも殺そうとしていただろうが、静かに二人の魔族を殺す手つきを見てテンションが上がったのは言うまでもない。
ちなみに、もう一人の親はイェルーン自身が密かに毒殺している。これも彼女が人生を楽しく生き抜くために致し方ないことであったとか。




