大会編16・ブロック決勝イロ・ハッカライネン
ブロック決勝の前、ネロはエレノンとニーデルーネから激励を受けていた。
「やるじゃんネロちゃん。私はネロちゃんは出来る子だって信じてたからね、これで学年最強になってくれたら鎌部も安泰だよ」
人間としてのニーデルーネにしては珍しくぺらぺら喋る、それをエレノンがじろっと諌める。
「……ニーデルーネさん、それ、プレッシャー」
溜息をついて、エレノンが改めてネロと向かい合う。
「……ネロ、勝たなきゃ、好きじゃない。いや好きだけど! その、子供は産まない」
いいながらどんどん赤くなるエレノンを見て、ネロも自然と熱くなる。
「大丈夫です、私は負けないです。なんてったってエレノンの彼ですからね!」
どーんと自信満々に自分の胸を叩くネロは、やはり普段通りでだらしない。
エレノンはネロが変わったものだと思っていた、勝利に執着し、周りをないがしろにし、破壊と殺戮のみを行う人間になってしまったと思ってしまった。
だが違う、結局ネロは最初から最後まで周りに尽くす、ただの良い人だった。
疑ってしまった自分を恥じつつ、そんなネロと共に居れる幸せを感じながら、エレノンは改めて言う。
「……ネロ……好きだよ」
今度はネロが真っ赤になったが、手をぶんぶん振ってはしゃぐように宣言する。
「私も大好きですよ! だから、絶対に負けません!!」
エレノンへの告白のタイミングはバッチリ、エレノンは自分を好いていてくれているし、自分もエレノンを愛している。
そして今それが実った、でも戦いは本気でなくてはならない、なぜならそうしないとエレノンが……。
考えれば考えるほどネロは笑顔が、にやけが止まらない。人生において今ほど幸せな瞬間はないだろう、全体で考えると、おそらくエレノンと結婚する時とエレノンに出会えた時が人生の二大ターニングポイントだろう、
そんなことを考えながらネロは武道場へと移動した。
「一年一組Aブロック決勝戦! まずはコルネロ・プラム、朗らかな笑顔と金色の跳ねっ毛がトレードマークのプリティガール! 高い身長と様々な大きさの黄金の鎌を操る様、何より不死の幽鬼が如く戦う様は皆の心を揺さぶりました、拍手!」
皆がごく普通の拍手を送ると、ネロは笑顔で両手を皆に振り返す。
「続いては一年一組、イロ・ハッカライネン! 長く美しい白い髪と静かで穏やかな態度から思わず守ってあげたいこと間違いなし! その見た目に反する圧倒的な体の硬さを利用した暴力的な戦いは誰よりも男らしいっ!! 拍手!」
皆が社交辞令のように拍手を送るが、イロはそれには応えない。
「イロさん、よろしくです」
校長の言う通り、普段は優しく穏やかなイロだが、ネロに向ける目はとても冷めていた。
「イロさん?」
ネロの言葉に答えず、試合開始の激がなった。
だが、二人は動かない。
「イロさん、戦う以上は、どうして怒っているのかくらい聞きたいです」
敵に馬鹿にされているというよりも、むしろネロは普段と違うことに心配すらしていた。
自分から積極的に喋るようなことはないが、イロは本当に楽しそうに笑う可愛い女の子なのだ。
物静かで、けれど優しい笑顔の似合う誰にでも親切なお嬢様、そんな彼女が、こんなにあからさまな敵意を向けることなんて滅多にない。
ようやく、イロは目を閉じて、わなわなと怒りに震え、皆に初めて怒る姿を見せた。
「どうして!? どうしてですって!? 分からないの!? コルネロ・プラム!!」
「えっ、えっ、わ、わからないです! 私、何か悪い事したですか!?」
ネロには全く身に覚えがない。そもそもイロと喋ることや挨拶することはあるが、グループとしてはシズヤ・イツキグループに属しているのであって、喧嘩するほどの仲でもないのだ。
「……あなたの身に憶えがなくても、私にはあります」
ふぅ、と疲れた溜息を吐いた後、イロは叫んで秘術を出した。
「エレノン様を愛しお守りする会隊員ナンバー四、イロ・ハッカライネン、行きます!!」
「ええーっ!!」
ネロが間の抜けた叫び声を上げると同時に、イロが出現させたのは手の平のクリーム。
それを服の下から素肌に塗りたくる。
「な、エレノンを愛しお守りする会、カナタだけじゃなかったですか……?」
「ネロ、はっきり言ってあなたはずるい。ずっとエレノンの近くにいて、しかもあんなタイミングで告白するなんて……賭けなさい! 私が勝ったらあなたとエレノンの関係は今まで通りよ!」
「そ、そんなの嫌です! 少なくとも恋人! 負けても、その、私がエレノンの子供を……」
「きっ、聞きたくないわ、そんなの! エレノンはみんなで見守るだけよ! やっぱりあなたが負けたらエレノンを愛しお守りする会に強制入会してもらって会則を守ってもらうから!!」
「……いいから、早く戦え!」
観客席からのエレノンのツッコミにより、ネロはハッとして鎌を出す。
既にイロの秘術は使われている、肌に作用するクリームの効果はその時次第、先ほどまでの戦いを見る限りイロは肌のクリームは硬化作用を持ち、肉弾で戦ってきた。
となると、純粋にパワー勝負。ネロの切れ味が勝つか、イロの硬化作用が勝つか。
「ラージサイズ二重奏・沈黙!」
構えつつ、ネロの目はイロを敵とみなし冷酷に見据えるのみでなく、普通に一人の人間として見ている。
どうやら沈黙と言っても先ほどまでとは違い、どちらかと言うと普段通りのネロ状態であるらしい。
「行くわよ!」
走り出すイロを見て不安を感じたのか、やっぱりネロは鎌を投げた。
「ラージサイズ二重奏・遁走曲!」
巨大な鎌が二つ回転しながらイロを襲う、がイロの服が破けるだけでイロの肌肌が鎌を弾いた。
クリームの塗られた素肌にのみ硬化作用があるのだ、服は破ける。
「おっほお! これはこれは……イロといったか、凄い能力だ」
ハッケイが凄まじい声を出すが、リースは淡々と告げる。
「今まではあれほどの秘術ではありませんでした。どうやら、エレノンは人を強くする力があるみたいですね」
「いやないから。それとそのオヤジはたぶん能力に興奮したんじゃないから」
イツキの評価では、ハッケイは最低の人間である。ゴリアックに負けたしスケベ親父だし散々である。だが今それは関係ない。
ラージサイズの鎌が効かないとなると、もう一段階上げて試す他ない。
「フルサイズ独奏・鎮魂歌」
天を衝く大鎌がイロへ狙いを定め倒れる。
「そんなの、当たると思った!?」
だが、その通りこれはほとんど当たらない。でかすぎる上、倒れる鎌の当たる範囲は意外と小さい。
イロが拳を振りかぶると、ネロは小鎌を二本出し、防御体制をとる。
イロの拳はネロの胸ど真ん中を狙う、鎌を交差させ防御したが、鎌はあっさりと壊れた。
のけぞるネロの体に、さらにイロは下から抉りこむように拳を打つ、最後に裏拳で脇腹を打ち吹き飛ばした。
ふぅ、と小さく溜息を吐くとイロは倒れたネロに告げた。
「降参するなら今よ! 次は、顔だって殴るから!」
仰向けに倒れたネロは茫然と天井を見つめた。沢山ある水銀灯が自分とイロを中心に輝いているのだ。
フルサイズは当たらない、ラージサイズは効かない、なら、どうすればイロに勝てるのか。
結論、無理な物は無理、できることだけをしよう。
そしてネロは立ち上がった。
「スモールサイズオーケストラ・遁走曲!」
小さな鎌を投げられる分だけ投げ、とにかく足止めと小さなダメージを試みる。
だが小さな鎌が当たりながら平然とイロは、ゆっくりと歩き出した。
「ネロ、残念ながら、これは邪魔なだけ」
鎌をどんどん弾き返す圧倒的な肌、その姿にはゴリアックの無双ぶりを想起させる。
だがそんなはずはないのだ、ゴリアックを超える人間など存在しないのだから、どこかに弱点があるはず。
と、地面に刺さった小鎌と投げた小鎌が弾きあって高音が鳴り響いた。
イロが目をしかめる、体育館にも響き渡るような金属音だったのだ、近くで聴くとそれはそれはうるさいだろう。
音ならば、圧倒的な硬さに関係がない。
わざわざ技名に音楽用語を起用しているのだ、ネロはそれを試すことにした。
「イロ! 秘策を思いつきました、まだ試したことがないので降参するなら今ですよ!?」
「それで降参する人がいると思うの!? 健全な愛のために、降参するのはそっちよ!!」
落ちた鎌を、足を上げてかわして進むイロ。少しスカートが千切れたりしてハッケイから歓声が上がる。
「オールサイズ斉奏・夢想曲」
ネロの前に、小さな鎌からフルサイズの鎌までそれぞれ二本ずつ、まるでネロへの道を作るかのように大きさ順に並び、重なり合うように倒れる。
小鎌がまずぶつかり響く。
きーんという甲高い音にイロは耳を塞ぐ。
その奥に並んでいる中鎌、大鎌、巨鎌もぶつかり音を立てることは明白、イロは走り出してそれを止めようとする。
「よくわからないけど、それをさせるほど甘くはないわ!」
中くらいの鎌を走ってタックルで弾くと、次にラージサイズも一本だけタックルで弾く。
だが、タックルで飛ばした方の切っ先が倒れてきた方とぶつかり轟音が響く。
そして、まるで鐘を間近で鳴らしたかのような音に、イロは耳だけでなく目まで閉じた。
明らかにただの鎌の音ではない。ネロの秘術が新たに音という能力まで得たのだ。
無論即興の技、定着はしないかもしれず伸びしろも不明。だがこの場で効果が発揮しているということがイロには脅威!
このまま目を閉じてはいられない、最高のサイズがまだ残っているのだ。
「ネロ、あなたはうるさくないの!?」
ネロに近づきつつイロは叫ぶ。
だがネロに聞こえている様子はない。
小さな小さな、とても小さな鎌をしこたま両耳につめているのだ。あまり激しく動くと傷つくし、今も少し耳の中を傷つけているが、こうするほか防ぐ手段はない。
返事はなくとも、イロには聞こえてないと言うことを判断して、最後の鎌を止めに掛かる。
この最後の鎌さえ止めれば、ネロとの距離は間近、そのままぶん殴って倒せる。
逆に、ネロにとってはこの最後の二本の巨鎌のみが自分を守るもの。
よく見ると最後の鎌は倒れきる前に上空で重なり合う、急いで止めなくては轟音を間近のイロは食らってしまう。そうなるとネロの怪しい作戦にかかってしまう。
右の巨鎌に突進し、しかし動かない鎌を一所懸命イロは動かそうとした。
「んにゃあああああああああああああああ!!」
盛大に叫ぶと、なんとか鎌を固定することに成功した。
「ラージサイズ二重奏・接続曲!」
ネロは二本の鎌を、イロが支えている巨鎌にぶつけた。
「ちょっ、ネロ!」
巨鎌がイロ目掛けて倒れる、支えようにも、でかすぎる、観客席にぶつかるのではないか。
「オールサイズオーケストラ・終曲!」
傾いた巨鎌の上に、様々な大きさの鎌がわんさか降り注ぐ。
「ちょ、ちょっとネロ、ネローっ!!」
名前を叫びながら、轟音と共に数々の鎌が降り注ぎ、鎌の下、イロが呟いた。
「う、動けない……ごほっ」
マットから舞い上がった埃が口に入ったのだろう。
ネロが笑った。
「体が硬くなっても、力が強くなったわけじゃないですしね。引っかかってくれましたね」
体に傷一つなくとも、上に積み重なった巨大な鎌とその上に更に連なる多くの鎌、少女の力ではびくとも動かない。
「わ、私を謀ったの!?」
鎌にまみれて動けないイロの姿は直接見えない。だがネロは調子に乗って言う。
「ゴリアックさんくらい硬いですけど、ゴリアックさんと比べると色々お粗末でしたね、ふふ」
ゴリアックは硬さと回復の秘術ながら、普段の鍛錬による筋力に加え、一つ一つの技の巧みさにより更にパワーが倍増している。
所詮イロも刃物を弾く硬さがあってもただの女の子、金属の巨大な鎌が、いや柱のようなものまで倒れているのだ。動けるはずがない。
「うう、この私がこんなことになるなんて……」
悔しそうにイロが呟く。だが言葉に真剣みが伝わらないのは、無傷だからだろうか。
「さあ、降参してください!」
しばらくの間があった後、イロは鎌の下から呟く。
「……もう、その必要はないわ」
はい? とネロが間の抜けた声を出すと同時に、鎌が吹き飛んだ。
「これだけ時間を与えてくれれば、別のクリームをなんとか塗れるわ」
様々な大きさの鎌が噴水のように吹き上げる様は、意外な驚きと鮮やかな光景のためにまるで時間がスローになったかのような感覚に囚われた。
だがこれは夢でも物語でもない現実。
もはや裸同然のイロが、体から埃を払う。
一瞬ネロを見つめたイロは、先ほどより遥かに早くネロの元へ辿り着いた。
「お、オールサイズ……」
「遅い!」
イロがネロの両腕を握ると、そのまま握りつぶす。
明らかな骨が折れる音、ネロの両手は力いっぱい開かれた。
痛みに苦しむネロの叫びにイロは心を痛めつつも、手を放し、もう一度降参を請う。
「さあ、負けを認めて。もう、鎌を握れないでしょ」
握ることはできるが、今のネロに腕を曲げることはできない。ぷらんと垂れた腕は髪の毛よりも頼りなく緩んでいる。
「あ、あうぅ、負けません、私は、エレノンと……」
「そんなのさせない! ネロ、次は……次は……指、指を折るわよ!?」
何をしようか一所懸命考えて、出たのが指である。それすらイロは躊躇い気味だが。
「オールサイズオーケストラ・小曲!」
先ほどと同じように大量の鎌が落ちてくる。
「ネロ、万策尽きたようね!」
意気揚々と叫ぶイロだが、目の前の腕が動かない少女のこわばる表情を見て、つい尋ねた。
「……ネロ、あなたにこれを避ける手段はあるの?」
「ないです」
イロはすぐに走りネロを抱き抱え、その場から去ろうとした。
ネロのお腹がイロの肩につくような、ネロは肩に背負われた状態で体をそり上げて耳元で呟く。
「……やっぱり能力は一度に一つですか? 硬さと力強さは共存できない、そうなんですね?」
イロは無言でネロを運ぶ、もう少しで鎌の圏内から外れる。
そこでネロは体を勢いをつけて、側頭部同士をぶつけた。
「いった!」
体勢を崩すイロに、もう一度ネロは頭をぶつける!
「エレノンを倒した頭突きです!」
「そんな不安定な頭突きじゃやられないわ!」
ネロをぶん投げると、イロはその投げたほうへ、ネロに止めを刺しに走る。
「ラージサイズ・息継ぎ!」
だが、間に大鎌が三本立ちそれを阻む。
それだけでイロは立ち止まり、その場に身構える。それを見てネロは苦しそうに笑った。
「ただの刃物でそのビビリよう! 負けませんよ、まだ、まだ負けません!」
立ち上がるのも必死なネロだが、鎌を杖のようにして顎で立ち上がる。
鎌を間に、二人はにらみ合う。
状況の優勢を感じるネロ。
小賢しい策に困らされるも、近づきさえすれば勝ちは確定、悔しそうな顔のイロ。
「ネロ、私が体にもう一回硬くなるクリームを塗れば、それで勝ち確定だと思わない?」
「そうなれば、また重い鎌を沢山のっけてあげますよ」
「くー、ネロ、あなたって人は……泣いて謝ったって許してあげないんだから!」
いいながら、イロはまたクリームを出した。
「そ、それは何のクリームですか?」
「なんだと思う?」
ふふーんと笑いながらクリームを塗るイロは、実に色っぽい。ハッケイが息を呑んでじっくりと視るほどに。
クリームを塗っている最中は隙だらけなのか、それとも同じ種類のクリームを塗っているだけで油断している風に見せかけ攻撃を誘っているのか、ネロには判別できない。
だがそんなもの誰にも判別はできない、今はただ攻撃するのみ。
「オールサイズオーケストラ・小曲!!」
小鎌を一本だけ口にくわえて、他の鎌を全てイロの周りに降らせた。
「勇ましい姿ね、ネロ!」
上を確認し、イロは鎌を飛び越えた。跳躍力からしてやはりパワーアップのクリーム。
ネロは喋れないが、必死にイロの動きを見る。あまりの必死さに睨んでいる風にすら見える。
顔を見れば油断しようなど思わないが、それがなくともネロの頭突きの必死さは充分イロに伝わった。口に構えた鎌の威力も、充分致命傷になるだろうから油断どころか警戒しかしていない。
その警戒がイロの決心を強めた。
五体満足で勝とうなどとはもう思わない。
両手に新たなクリームを持った状態でイロは跳ねた。
ネロとは必死の距離、落ちる鎌にはもう期待できない。
イロのクリームか、ネロの鎌か、どちらが先に敵を捉えるか。
ネロは顔を傾けて、思い切り真下のマットに突き刺した!
何事かと思えば、マットの下から激しい金属音が鳴り響く。
だが思ったほどの効果ではないのは、マットの下がために音が大きくならなかったこと。
ネロはオールサイズオーケストラの時点でマットの下に鎌を仕込み、音で敵を怯ませて切ろうと思ったのだが、それが上手く行かなかった。
「ネロ、策に溺れたようね!」
引っ張ってもくわえた鎌すらマットに引っかかって抜けず、結局丸腰でネロはイロと対面した。
だが、イロの行動は誰にとっても予想外なものだった。
なんと、両手をネロの服の下に入れ、全身をくまなく弄ったのだ!
「ひゃああああああああ!! 何するんですか!?」
「わ、私だってそんなつもりじゃないわよ!!」
一体どこをどう触っているのか、ネロは身じろぎするも時折妖しい喘ぎ声を漏らし、観客席もざわめき始める。
「いいぞ! もっとやれ! 服を脱がせた方が楽になるだろう!!」
「……死ね」
ボソっとイツキが呟くと、ハッケイはそっと目をそらす。
リースは無言で様子を見ていた。
ふぅ、とイロが溜息を吐くと、ネロがすぐに離れた。
「い、一体何を塗ったんですか!?」
「すぐにわかるわ、降参させるクリーム」
その言葉どおり、すぐに効果は発揮した。
「……あ、熱い! 熱い、体が熱いです! 熱い熱い熱い!!」
両腕が使えずに身をよじることでしかネロはその苦痛から逃れることができない。
「熱い、熱いです!!」
ついには倒れて、体をマットに擦り付けた。
「お、おお、なんだか色っぽいな……」
ハッケイは再び息を呑んだ。溜まらん、この感覚はなんだ、娘と風呂に入ったってこんな気持ちにはならなかった。胸の奥から湧き上がるこの気持ちは、戦いでは得られない新たな感覚。
「……死ねっ、死ねっ、死ねっ。ネロっ! 大丈夫っ!?」
イツキの応援を聞けば、ハッケイも応援せざるを得ない。
「別に死にはしないわ。でも、とても苦しいでしょ? ネロ、早く降参しなさい」
確かに暴力で気絶させれば良い。
だが、イロは本来ネロが思っていた通り心優しい少女なのだ。無闇に力づくで倒すくらいなら、こういった傷の残らない方法で降参をさせたい。
ネロは苦痛に顔を歪ませ、体をよじり転がりながらも、イロを睨む。
「嫌です! 私は、絶対に負けません!」
そうは言いながらも、叫び声を上げなければ耐えられないほどの苦痛、逆転はありえない。
「ネロ、もうあなたの負けよ。例え私が負けたって、あなたじゃリースさんにもシズヤさんにも勝てないと思う。ここで諦めて」
「ぐうぅ……それでも……エレノンと約束したんです!」
「そんなの認めない、認めないわ!」
転がるネロの腹をイロは遠慮気味に蹴り飛ばす。
だがそれは逆効果だった、ネロにとって単純な痛みは耐えがたい熱さを一時でも忘れさせてくれる。
「スモールサイズ三重奏・練習曲」
ぷらんと垂れた両手と、口にそれぞれ三本の小鎌を装備する。
「ネロ……まだ戦うの?」
両手に握り締められた鎌は放さないが、何もしないうちに口の鎌は落ちた。
「ああっ! 熱い! ああああああああああああああっ!!」
両腕が折られたのは幸いだったかもしれない、今のネロなら耐え切れず二つの鎌で自らの体を切り裂いていただろう。
だがネロは見開いた目をして叫ぶ。
「スモールサイズ八重奏・受難曲!!」
八本の鎌が出現したかと思うと、それはネロの体を切り裂いた。
突然の自傷に誰もが驚きを隠せないが、ネロだけが走り出す。
走る最中も鎌がネロの体を傷つける、そんなことを厭わずにネロは走る。
「なっ、なんなのよっ!?」
イロの右ストレートがネロの顔面にめり込んだ。
だがイロは狼狽しすぎた。まさしくネロの幽鬼が如く特攻が功を奏したのだ。
鼻から血を流し、茫然と拳を伸ばしたままのイロを尻目に、ネロは腰を回転させて腕を振り回した。
腕の先の鎌は見事にイロの体を切り裂く。
驚き苦しむイロの顔と、全力を出しつくしたネロの様子に、誰も言葉が出せなかった。
体の前面に大きな切れ目ができてしまったイロは地面にしりもちをついて、ネロを見た。
息を切らし、苦痛に喘ぎながらも、鋭い瞳は戦意をまるで失っていない。
両腕は力なく垂れ、膝は少し曲がってしまっている。それでも立っている姿に、イロは戦士というものを感じた。
「……かっこいい」
敵であり、戦闘中でありながら、心打つ姿。
そのネロは、まだ普段の姿ではない。窮地に追い詰められて苦渋の表情を浮かべつつも、イロを睨む顔はまだ勝機を失っていない。
そして、腹から流れる自分の血を見て、イロは諦めた。
「降参します」
「試合終了! 勝者、コルネロ・プラム!」
歓声が鳴り響く。誰もが二人の激闘にエールを送る。
ハッケイはスタンディングオベーションをしていたが、イツキはそれを疎ましげに睨んだ。




