学校編3・ショッピング&リースの家
どこか遠くから聞こえる女性の上品な声、なめした皮の香り、妙に柔らかい空気。
「これは……服、か?」
「見て分かるでしょ? アパレルショップなんだから。服じゃなかったら何?」
「いやまあ服だな。すまん、さっきと比べ普通だな、と……」
衝撃という点では、先のゲームセンターの方が圧倒的だった。色々余計な話もあったが、そこでの経験はリースに永遠に残るだろう。
が、服屋くらいはリースとて来たことがある。
格闘の大陸では常に柔道着のみであったが、この大陸に来る時の餞別で購入したタンクトップとショーパンを着用している。理由はいうまでもなく動きやすいから。
ちなみにリースの他の服は全て柔道着で、今後はずっと柔道着を着ようと心に改めているところですらある。
「普通の店だけどね。リースは少し色気がない! いや露出度はすごいけど」
細く白い腕と足を惜しげもなく曝す姿、冷静に考えて、イツキは少し目を背けた。
世間も常識もないリースには恥じらいがないのだろう、だから服装も気にしない。
「ま、ファッションについては任せなさい。ボーイッシュなコーデでクラスメイトからモテモテ間違い無しよ!」
「またよく分からんことを……、好きにしたら良い」
「え、本当にいいの?」
「どうせ何を言っても聞かないだろう」
転校当時にはイツキ達が呆れていたのだが、今は立場が逆である。
転校生を珍しがる女子の気に当てられたリースは既にその強さを知ってしまっている。抵抗は出来ないのだ。
「じゃ、水着から見に行く?」
「何故だ!?」
大きな声を出したものの、抵抗はするだけ無駄と、割り切り、結局リースはそのまま付いていく。
普通の服屋と遜色ないように、ビキニもレオタードも飾られている。
「普通の服屋のようだな」
「アパレルショップって言いなさい。せめて呉服屋。あなたの文化圏では服屋なんて言うの?」
「服を売っているのだから服屋でも構わんだろう。何か間違っているか?」
「……そうね、いちいち言い争うことでもない」
数々の水着を確認し、リースに似合うかどうかを考えていくが、イツキはある一つの結論に落ち着いた。
「リースにはスクール水着がいいんじゃないかしら?」
それは、貧相な貧相なリースの胸を見ての判断であった。
「スクール……学校の水着か。まあ、そうなるだろうな」
リースも奇妙な納得をしてしまい、結局は水着を買わないことになった。
「じゃ、服買おうか」
すぐ先の店に戻り、まずはズボンから。
「何色が似合うかしら……うーん……」
そこから長考が始まってしまった。
女は買い物に時間がかかる、という言葉を身にしみて感じるリース。
ただ待つのも退屈なので、適当なことを言ってみる。
「イツキ、主は強いのか?」
「何がー? マクビ以外でも一通りこなせるけど……一番はマクビかな」
「実力だ、実力! 私はシズヤを看ていて主の試合を見ていなかったからな」
「ああ、なーるー。私の実力か……」
ゆっくりと、持っていた衣服をイツキは置いた。
「強いよ」
予期せぬ答えに、リースは思わずイツキを凝視する。
イツキも、リースの方を見ていた。
「シズヤより弱いけど」
「なんだ、それは……」
「シズヤより弱いけど、あなたよりかは強い」
「ほう! それはそれは、言うじゃないか」
「だって私はあなたの戦いを見たもの」
「そうか?」
ふっふ、とリースは笑う。
「私の本領はあんなものではない。なにせ私は為す術なく負けたのだからな。……はぁ」
「うん、元気出して。ほら、これ買ってあげるから」
黒いチェーンのついた短パンがイツキの眼鏡にかなった。
「これなら上が今の黒タンクトップのままでも、男っぽい!」
「男っぽい? それでいいのか? というか、私が言うのもなんだが結構淡白で色気がない気がするぞ」
「ふふ、馬鹿ね。田舎から出てきたアホっぽさアピールもできるでしょ? こうファッションに興味がないように見えるファッションってわけよ!」
何周回った結論なのか、リースはさっぱりわからないが、無料で貰えるというのだから構わない。
「最後にカラオケね。いやもっと服を買ってもいいんだけど……」
呟きながら、イツキは財布の中を見た。
どうやら買った服は割高らしく、予定外の出費でもあるらしい。
「カラオケよカラオケ! 歌を歌うの!」
「うた!? 私は歌える歌などないぞ!」
「歌詞が出るし、音楽も鳴るから」
「いや、歌詞が出るも何も、歌など聞いたこともない」
「え、ええー……」
予定は完全に狂ってしまった。
「テレビ、見たことあるでしょ?」
「いや、格闘技専門チャンネルをだな……」
「なんで専門チャンネルなんてハイテクなものを見てるの……」
困った風に二人は顔を合わせる。
「家を出たことはある?」
「あるとも、現に今こうして……」
「わかった、その反応は全然家を出てない人の反応ね……」
本来ならこのままカラオケで明日の朝まで粘り、ファーストフードの店で駄弁りながら食事して、寮の風呂に一緒に入って学校に向かうという計画まで立てていたのだが、カラオケが出来ないとなると全てアウトであった。
「仕方ない、今日は解散か」
「ふむ、そうなるか。色々と感謝する」
そういうとリースは服の入った袋を持ったまま踵を返し、イツキの方を離れていく。
小さな背中がどんどん小さくなるのを見ると、イツキは妙に寂しい気持ちが心に広がる。
なので、また声をかけた。
「リース! ちょっと待って!」
「まだ何かあるのか?」
だがリースは少し素っ気ない。むしろイツキを嫌に感じているのではないかと言う程である。
言葉が出ず、妙な気まずさに押し潰されそうになりつつ、イツキは声を絞り出す。
「ええと、どっか行こう!」
「どっか、とはなんだ、どっかとは」
「ほら、わりと日も高いし」
ショッピングの時間が予想以上に早く終わったため、まだ夕と藍が半々といった空の具合、この時点で家に帰るのは中学生くらいだろう。
「しかし、まだ引越し準備も終わってない」
ピカーンと、イツキの目が、いや眼鏡が光った!
「それ、それ私も手伝う!」
ここで初めてリースが心底嫌な顔をしたのだが、イツキはもうどこ吹く風である。
「断らせてもらう」
「シズヤの弟子になりたいんだよね?」
弱みにつけ込むような言葉と視線で、リースもその意図を察する。
「主をそんな人間だとは思わなかった……。別に、シズヤに直接頼めば、主の許可などなくとも」
「私がシズヤに言ったって良いんだよ? リースを弟子にしない方がいい、ってね」
リースの血管が浮く、が、まだ耐えた。
「ああもう、勝手にしろ!」
「じゃ、お邪魔します」
結局は二人、学校の方へと歩いた。
イツキという人間は、勤勉実直に見えて誰よりもミーハーの新しいもの好きであった。
問題児のように見えるが、ただ面倒見がよすぎるだけで、問題を数多く起こすと同時に、他人の問題を解決してやる器量も持ち合わせている。
自分の問題を一つ作る間に、他人の問題を十は解決しているので、教師も悪く言えず、しかし手放しに褒めることもできない、困った存在であった。
要は希代のトラブルメーカーである。
「へー、ここがリースの部屋……ダンボールしかないね」
「そうだな。ご覧の通りだ」
言われながら、勝手にイツキは一つをあける。
『鎧袖一触』『因果応報』『唯我独尊』『快刀乱麻』『獅子奮迅』、とのように書かれた掛け軸がいくつも入っていた。
「これはなに?」
「四字熟語掛け軸シリーズ……このようにあろうという心の在り様を示したものだ。全て飾りたいのだが、壁が足らんな」
「うん、じゃあ燃やすね」
「何故だ!?」
「いや、キャラ強すぎるでしょ? もうちょっとあざといくらいで良いって」
「時折意味がわからないことを言うなぁ……。大事なものだから、燃やすのはやめろ」
それだけ言うとリースとイツキはダンボールをがさごそと探り、思い出したようにリースが言う。
「何を勝手に見ている!?」
「それ今言う? 遅くない?」
掛け軸を見終わった後、別の箱の中に同じ柔道着が何十着も入っているのを見ながら、イツキはのんびり言った。
部屋の内装は大分片付いた。
といってもクローゼットにかける服がない。箪笥に柔道着が大量に入っているだけで、後は家具を適当に置いただけ。
ダンボールの中には食料品が多く、それくらい買えというイツキの言葉の後は、四字熟語掛け軸ぐらいしか残らなかった。
「『百戦錬磨』『国士無双』……『一騎当千』も惜しいな。だが馬に乗らぬ私が……」
「『胸襟秀麗』と『竜章鳳姿』をオススメするわ。なんか格好良いから」
「むぅ! それも捨てがたい……」
リースが真剣に悩んでいるのを、イツキは面倒くさそうに見ていた。
これが、買い物に時間をかける女の子か、というように困った顔である。
大なり小なり差はあれど、結局は皆ただの女の子なのだ。
「で、いつまでいるんだ?」
「私の部屋から寝巻きとかとってくるから、泊まっていい?」
「どうしてその必要があるんだ……? そのまま自分の部屋で寝ればいいじゃないか」
「寂しいこと言わないの。別にシズヤに何か言っていいんだよ?」
リースはいい加減、閉口した。
「あ、お風呂入ろう!」
「ああ、入ってこい」
「一緒にに決まっているでしょ?」
「決まってない!」
「じゃあ服とって来るね」
「まっ待て!」
言うが早いが、リースの制止など全く気にせず、イツキは出て行った。
「なんて……なんて勝手な女だ! はっ!」
自分勝手、という意味を知らされた瞬間であった。
「なるほど……勝手過ぎるから自分勝手なわけだ……これは一本取られたな」
一人ごちりながら、リースは服を脱いでシャワーを浴びる。
先に風呂を済ませてしまえば、面倒くさい奴を放置できるという寸法である。
普段から髪を丁寧に洗ったり体を入念に洗ったりはしない、ただ汗を流すだけ、風呂を行水のような作業と同一に見ていた。
よってリースの風呂は数分とかからない。
だが、イツキはそれ以上に速かった。
部屋まで十秒、タオルとパジャマと下着を取るのに三十秒、戻るのに十秒、合計時間に一分もかからない。
イツキの部屋は、リースの部屋の真上、階段を使わず強引に昇ればすぐであった。
手すりに足をかけ上の廊下の床を掴み、体を反転させてそこの柵に足をかけ華麗に扉の前に降り立つ一連の動作、その身のこなしの一部でも見れば、リースも体術の点でイツキを評価するだろうに、生憎リースは今風呂である。
「ただいまー! あ、リースもうお風呂に入ってる!?」
玄関からシャワー音に気付くまで三秒、そこに突入するのに二秒。
イツキは服を脱がずに風呂の扉を開けた。
リースは、既にシャワーを武器のように構えている。
「勝手に入るな!」
「照れてるの?」
「何を恥ずかしがることがあるか! 私はお前がうっとうしいからこのように言っているのだ!」
憎そうに、忌々しそうにリースは言うが、イツキは定型句で勝負。
「あー、そんなこと言って良いんだー。シズヤになんて言・お・う・か・な」
「貴様の狼藉、全て覚えてやるからな……もういいから出て行け!」
ついに、リースが怒った。
「もう弟子入りが出来ようと出来まいと関係ない! 私を自由にしてもらう!」
それに、イツキも真顔になった。
「そう……なら、無理強いはしない」
少しリースが落ち着くのも束の間、イツキは続ける。
「でも、リースは強さを求めていたわね。だからシズヤに弟子入りしたいわけだし」
「ああ、それがどうした?」
「私と、戦わない?」
ざあざあとシャワーの音だけが響く。