クロスフィールド編10・白銀の犬老頭とザックス兄弟の魔蜘蛛
「だらしねえっ! それでも俺の息子か!」
生まれてから八百年、初めてロンバインは父の叱責を受けた。魔皇の怒りなど想像するだけで恐ろしいものであるはずが、父の珍しい姿を見られたというだけでロンバインはどこ吹く風の態度のままだが。
「魔女だろうがなんだろうが、負けは死の精神で突っ込むんだよ!」
「そりゃ無理だろ!」
「無理を通してナンボだろうが!」
ギャーギャーと騒ぐ親子はどこか家庭的な喧嘩で微笑ましさもあるが、場違いながら注意もできない権力者であるために全く質が悪く無視されていた。無理に止める必要もないと、コウハはグランデを見送る。
「お気を付けください。ヒンジャーンを倒した確かな実力もですが、リースは魔女ですから」
「分かっておるよ。じゃが、あの戦い方が続くならば、負けんよ」
その背中は小さく頼りない。だがその存在感はヒンジャーンとは非にならないほど大きい。
リースは自分の前に立った小さな男に拍子抜けた。
「グランデ・ブルヘッドじゃ。一つよろしくの」
「リース・ジョンだ」
リースの腕は折れたままで、ぷらんと垂れているが、その眼差しはむしろ剛毅に燃えていた。
「いいのう、若いというのは。儂は元々短命なゴブリンという魔族なんじゃが、その中に他の魔族の血が混じっているせいで不死なんじゃ。そのために、こんな風に老いてしまった」
「ご老体は戦えるのですか?」
目上に敬意。リースは敵である彼を心配したが、グランデは好々爺然とした雰囲気で笑っている。
「これでもまだまだ現役じゃ」
この戦いに選ばれる以上、それは確かな実力の証明であるはずだ。リースとて苦労なしにこの戦場に来たわけではないのだから重々承知。だがそれでも、目前の小さな魔族の物寂し気な立ち居振る舞いに気をやらずにいられなかった。
『さてさて、まさかの三戦目のリース・ジョン! やはり魔女という種族は強大! これはコウハまで届くのか!』
「魔女と呼ぶな!」
リースの叫びは当然聞こえない。この無駄な抵抗をしていると知られれば侮られるだろうが、その実力は既に折り紙付きのものとなっていた。
『だが、アイアンタスクには彼がいる! 人事部長にして副社長の権限を持つ、元鋼牙隊の副隊長! セルゲイ・ジョネスの腹心と言えばこの男、グランデ・ブルヘッド!』
歓声をうるさがって溜息を吐くグランデは、魔装でもない小さな杖をしかと握った。
「では、始め!」
そして、リースは火華馬猛で駆けだした!
今度の腕は先ほどのように折れた腕を支える塊でありながら、棍棒のように殴るための形をしている。
拳法は使えないが敵を撲殺するなら充分な形だ。それに、鍛え上げた体術を披露するには効率もいい。
だが、幾度となく振り回されるリースの攻撃は、外見から想像もできないほど機敏に動き回るグランデに一度も当たることはなかった。
いまだ健在な足から放たれる蹴りも含めたが、グランデは悠々とその足に乗り、杖でリースの折れた腕を小突いた。
「つっ……」
己で動かす腕ならば痛みもいくらか耐えられるが、銀を叩く杖の衝撃には思わず苦悶の声を漏らす。
乗っかられた足を振り回すとグランデはふわっと跳び、軽やかに着地して再びリースの前に立った。
「血気盛んじゃな。若いのによく訓練された動きじゃ。さて、今度はどうする?」
こんな風な試合を見て、コウハなどは溜息を吐いてしまっている。
「また楽しんでおられる……」
それはリースも感じていた。
遊ばれている、という感覚が強い。腕を小突かず、力があるならリースの顔面に杖を突き立てることもできただろう。首を貫けば、それでグランデは勝てたかもしれない。
ゆらゆらと頼りなげに揺れるグランデは、けれど確かにリースの全ての動きを見切り、最小限の動き、かつ彼は疲れずリースを焦らせるように動いていた。
攻撃の全てが華麗に躱されたことから、既にリースは、仮にその腕が健在であったとしても白兵戦では勝てないことを理解した。ただ己の極めた格闘術でさえ勝てない――それほどまでに目の前の戦士は接近戦においての実力は確かであった。
だが、だからといって諦めるリースではなかった。この大陸に来るまでならば、敵の実力を認め敗北を自ら宣言していたかもしれない。しかし今、彼女は敗北に伴う責任と、自らこの場に進出させてくれた信頼というものを理解し、最後まで戦い抜き、勝ちを求める貪欲さを持っていたのだ!
「ならば、奇策に堕すとしよう! 私を舐めたことを後悔させてやろう!」
銀装・総で全身を銀に包み込み、再びリースはグランデに向かい駆け出した!
先ほどと同じように腕は棍棒のように銀を滅茶苦茶にくっつけたが、今度の攻撃は違う。
振りかぶり、普通に殴る攻撃はやはり躱された――が、その先。
躱された拳から更に銀の針を数本出現させることで僅かながらなダメージを与える不意打ち!
だが、それさえ予期していたようにグランデは躱した。
「馬鹿な!?」
単なる不意打ちとはいえ、それすら回避されたリースは大仰に驚く。が、確かにグランデは先ほどと違い大きく避けた。予期せぬ技であったことは想像できる。
だが続く腕+銀の剣、蹴り技+銀の槍であろうが、どんな奇策もグランデは紙一重で躱していく。
「単調な攻撃じゃ」
そして、先ほど以上に力を込めた杖の一撃でリースは腕を叩かれた。
ガキィンと銀が弾く音はするが、衝撃は折れた腕に響く。
「いっ……つぅ」
「ほれほれ、次はどうする?」
動きを完全に読まれているどころか、まるで心さえ読まれているような動き。
「何故、何故躱せる!? 拳の攻撃はともかく、銀の追撃まで躱すのは……」
「魔力の動きを読み解けば、どこから銀が来るかは分かる。なんての、儂が心を読めるだけじゃ」
想像を絶する言葉に、リースはただ言葉を返した。
「心を、読む?」
「そうじゃ。我が力眼はあらゆるものを見通す。さて、種が分かれば、猶更どうしようもないじゃろ?」
その目には膨大な魔力が溢れている、グランデが生まれてから鍛え続けた目は魔力の流れ、筋肉の動き、そして相手の心を読む魔法、全てを駆使し未来すら読むことができると言っても過言ではない。
かつてはセルゲイと肩を並べ暴力の限りを尽くした彼も、ゴブリンであるがために単なる力の攻撃はできない。だが最も自信があった力を捨ててなお、腐らずに魔法という新たな手段を身に着けたのだ。
グランデは愉快に笑ったが、それは猶更リースを燃えさせた。
「……ならば、見ても意味のない圧倒的な力で叩き潰せばいい」
「ほお? 何をする?」
破我納火であろうと晴日であろうと、零通火であったとしても近接技という時点で躱される。ならば何ができるか。
リースには二つのイメージが頭に浮かんでいた。
一つはイツキと遊んだゲーム、忍獄滅殺のシルバーニンジャが姿を変えた龍。
もう一つは、ネイローとの死闘で自ら命を絶ったバニラの火炎。
「銀装龍! 大発火!!」
そしてリースの体は大量の銀に呑まれた。
その体は二倍三倍などと数えるには足りない、魔女の大陸の第三地域の大塔より尚巨大、それはかつてリースが空に見たデビルの姿を想起し思い浮かべた巨大さ。
全長はなおも伸び続けるが、天に向かう銀の龍は、その荘厳さにグランデすら溜息が出る。
実況が、フィナッカやセルゲイ、ラムラテすらその姿には驚き、敬意を表する。
更にその巨大な龍は一通り体を伸ばしきると、今度は体中に橙の炎を纏い、その咢をグランデに向けて急降下させた。
『心を読めても防げまい!!』
リースのイメージが生み出した龍、それはゲーム画面に広がる魔獣よりはるかに緻密にできていた。彼女が目の当たりにした魔族や魔女の威容をも取り込みながら、眼、鱗、咢、鼻、髭、様々な造形が施された荘厳かつ神聖さすら伴う銀龍こそ、今のリースの魔力の集大成であった。
グランデはそれを臨むように天を仰ぎ、杖を片手に苦しみ悩む。
「この造型……破壊するには惜しいのう」
グランデの左腕から、杖に白い光が灯る。
猛然と下る龍の攻撃を、グランデは今まで見せた運動量とは段違いの跳躍で地面を割る衝撃を躱し、その杖を龍へと投げ放った。
魔女の銀で出来た、圧倒的にも見えた龍の体を杖は貫き、中から何かを押し出した。
それはリースの体。
背中を杖で撃たれたリースは、地面に落ち、しばらく痙攣した後、倒れたまま動かなくなった。
本体を失った銀の龍は崩れ落ち、やがては魔力へと帰し、跡には何も残さない。
『誰が! 何を予想できたでしょうか! ヒンジャーン、ロンバイン、両選手を破り圧倒的な力を見せつけたリース選手の更なる輝く銀の龍を、一撃で粉砕したのはグランデ選手!! グランデ選手の勝利!!』
「やっと一勝か。グランデの奴がどれだけ勝ちを伸ばせるかだな」
セルゲイが変わらずに笑っているところで、コウハが溜息を吐く。
「リースも悪くはなかったが、相手が悪かった」
そんな風に呟くと、流石にヒンジャーンがいい加減突っ込んだ。
「コウハ殿はどっちの味方ですか?」
「自分は誰かに肩入れはしない。魔女の味方だ」
そう当然のように言うのをまた咎めようとするが、それは先んじてセルゲイが止めた。
「言っても今回は俺達に協力してくれた。それで充分だろ? ヒンジャーン」
御大将にそう言われては、ヒンジャーンもこれ以上言うことはない。
アイアンタスクという組織として、この戦いにおける意気込みは強い。それこそ傭兵として雇われたコウハの態度に怒りを抱くのも無理はないほどに。
だが、人魔戦争に出たヒンジャーン達だからこそわかることもある。それが、コウハが人魔戦争で並外れた破壊をもたらし、魔族というものを、魔女というものを世界に知らしめたこと。
魔女コウハが味方にいる限り、敗北はないという確信が彼らにはあった。
医務室に運ばれたリースの意識は戻らない。
「リース! ねえリース!!」
「落ち着け小娘、意識を失っているだけだ」
取り乱したシズヤはラムラテを睨み再びリースに抱き付いた。
「うう……でも格好良かったよ、絶対に私、負けないからね」
涙を流しそうになりながら訴えるシズヤだが、リースの反応はなく、先に反応したのはヴァギン・ザックス。
「次鋒は俺だがな」
そんな言葉はシズヤには届かない。
「リースぅ、リースぅ……えへへ」
どころか、シズヤは動かないリース可愛さに少し嬉しそうな表情すらしている。
それをヴァギンは浅ましいものを見るようにして、無言で去った。いや、シズヤを見る目は皆様々に少し引いていたが。
『ではそろい踏み! 二連勝のリース選手を倒したグランデ選手に対するは! クロスフィールド邸の筆頭執事にして、人魔戦争で残虐な兄弟連係を見せたザックス兄弟の弟ヴァギン・ザックス! 邪悪なる蜘蛛の本性はこの戦いで発揮されるのか!!』
そんな囃し立てにヴァギンは眉を顰め、その敵意も憎悪も全て目の前のグランデに向けた。
「ふぉふぉ、血気盛んじゃのう」
「黙れ爺。年は百も変わらないだろう」
「まあの」
『始めっ!!』
モラルの叫びと同時に動いたのはヴァギン。体中から糸を噴出させ、それを張り巡らし、彼自身の巣を作り出す。
それは一つ一つの糸が鋼鉄さえも切り裂く凶悪な武器にして、簡素な闘技場に足場を作り出すことができる。
その攻撃をグランデはひょいひょいと躱し、一本の糸の上に乗った。
千切れそうなほど細く見えて、その強靭な糸は粘着力は強くなく、平衡感覚さえあれば誰にでも乗ることができる。
「乗ることは許可していないぞ」
その後に、ヴァギンも跳躍し、グランデより高所の糸へと着地した。
「許可が必要かえ?」
フィールドに張り巡らされた無数の糸はまっすぐに伸びているが、フィールドの至る所に縦向き、横向きにと複雑で規則性のないジャングルジムのようになっている。
だがそれは、全てヴァギンの意のままに動く彼の体の一部のようなもの。
左手の指、右手の指をせわしなく動かすとその糸全てがグランデに巻き付こうと蠢く!
それをグランデはリースの攻撃を躱したように、蠢く糸から糸へと足場を替え、軽やかに動きより高きへと目指していく。
上手くいかないのはヴァギン、グランデを捕えようと視線を動かし糸を操るが、どんどん彼に上へ昇られ首が仰いでいく。
「ゴブリン風情が!」
怒り心頭に発したヴァギンの、バンダナのように巻かれた額の包帯が千切れ、そこに見るも悍ましき、赤い六つの目が輝いた。
それと同時に、ヴァギンの背中から毛の生えた触手のような蜘蛛の足が生え、元々あった二つの目まで真っ赤に染まっている。
半魔体、元々化け物である彼は人に近づくため人の姿を取っていたが、その力の半分をようやく解放したのだ。
忙しなく動くのは指のみならず、背中の六本の巨大な足も、だがそれでもグランデはついに頂点の糸へと辿り着いた。
「さて……どうしたもんかの」
「くたばれ犬が!」
ヴァギンの六本の巨大な足がその先端を擦り合わせ、そこから無数の糸をまっすぐ、光線のように放った。
糸とは名ばかり、この無数の鋼鉄のような糸は光線のように当たればグランデの体を貫けるだろう。
当然グランデはそれを躱す。何発も放たれる糸の攻撃を躱し続ける。
だがヴァギンとて躱されるのは計算のうち、この糸は再び足場として活用できるし、ある程度なら操れる。
時間が経てば経つほど止めをさせなければ不利になるのはグランデ、攻撃を躱せるといえど、ヴァギンの本領は防衛戦、特に罠を張り待ち伏せする蜘蛛本来の戦法。
現にグランデは的外れな攻撃を繰り返すヴァギンに全く近づけないでいた。
「ちまちまちまちま、地味な男じゃの。男らしく戦わんか」
「……なんだと?」
策のうちにも入らない挑発に、あっさりとヴァギンは乗ってしまった。
瞬間、彼の執事服が弾け飛び、トレードマークの眼鏡も控室のある方へと物凄い勢いで投げつけ割れてしまう。
だがそれより変貌したのはヴァギンの姿、背中から生えていた六本の足は更に大きく太くなり、体中はこげ茶色の毛に包まれ、肥大した目はそれぞれが意志を持ったかのように動き回る。
太く厚い筋肉に包まれた人間態の時に腕と足であった部分はそれぞれ二本の腕が一つに、二本の足が一つになることで、それぞれが一本ずつの巨大な足になる。
そして彼の頭が割れて、巨大な牙が二本。
『後悔するなよ雑魚犬めが!!』
ヴァギン・ザックス本来の姿、醜悪な巨大化け蜘蛛の姿が顕現すると同時に、腹の部分から大量の糸が直線的にグランデの方へ放たれた。
それを躱すのはグランデにとっても骨が折れる作業だが、不可能ではない。魔力を込めた杖で弾きつつ受け流す。
ヴァギンは糸を発射しながら自らも動く。その巨大な蜘蛛の足で自分の張った巣に乗り、八本の足を動かしてグランデに真正面から迫ったのだ!
あまりに愚直な突進! 生物としての本義を忘れた突撃と言わざるを得ないそれは、付け入る隙がありすぎる!
「後悔……? 成功の確信じゃな」
杖の一撃が、張られた糸を叩き折る。
『ぬ、お!』
最強の姿を晒した蜘蛛は、その糸が破壊されることを予想だにしていなかった。巨体はすぐにバランスを崩し空中に投げ出される。
そのフォローは簡単にできる、また腹の部分から糸を出し、自分を滞空させる程度、彼なら簡単だ。
だが、それには大きな隙が生まれる。
リースを倒した杖を投げる攻撃が再び放たれ、ヴァギンの腹を貫き、地面に串刺しにした。
蜘蛛の標本を作るには充分過ぎる一撃であった。
『勝者、グランデ選手!!』




