クロスフィールド編7・コウハ自由
戦う五人はラムラテ達の中でのみ決められたことだが、噂とはどこから漏れるものか、最も秘密にすべきである屋敷内のコウハとセルゲイにも知れ渡ってしまった。
しかも、それを二人も黙っていればいいのに、コウハはそれを知ってラムラテのところへと足を運んだ。
その上最悪なのは、フィナッカの身の回りの世話をしている時に、コウハが来たことだ。
「聞いたぞラムラテ! 君とリースが試合に出るらしいな!」
昔の友人の健闘を讃えるように興奮したコウハが言うが、ラムラテの表情は普段よりも尚冷たい。
「誰からそのことを?」
「そんなこといいだろう! 私は副将で出ることになっている! 是非君かリースと戦いたいものだ!」
自分の言葉の何がおかしいか気付く様子もなく無邪気な表情で捲し立てるコウハに、ラムラテは溜息を吐いて一言だけ言った。
「帰れ」
「そんな冷たいことを言わないでくれ。君達にとって重要な戦いということは分かっている。だからこそ、自分は君と戦いたいんだ」
再びラムラテは溜息を吐いて、コウハの目を見て問う。
「表の警備は?」
「警備? それに該当する人間はいなかったようだが……」
思い出すようにコウハは言うが、これはラムラテにも読めた。どうせ警備していた者がコウハに恐れをなして逃げたか、戦うだけ無駄と思い避けたか、コウハが気付かずに彼らを失神させるなりしたのだ。
フィナッカは座して動かず、珍しく真剣な表情でラムラテを見つめた。この距離で二人の戦いに巻き込まれれば、フィナッカは死を免れない。
「副将がお前ということは、大将はセルゲイか」
「あいつは我欲の塊だからな。目立ちたいわけだ。それより……」
「リライオンはいないのか!?」
ラムラテが叫ぶと、扉を開けて頬にガーゼを当てたリライオンがよろよろとやってきた。
「はいラムラテ様。……リース様とコウハの相手は既に私には過ぎた仕事でございます」
既に不意打ちの訓練は二人に必要ないのではないか、とリースも戦う五人の戦士に選ばれてからというもの、リライオンに一撃を加えるほどになっていた
「御託はいい、彼女を部屋に戻せ」
「それも過ぎた仕事で……」
「やれ」
「全くオラオラ系なんだから……。コウハ様、ここは私に免じてどうかお部屋に戻ってはいただけませんか? あまりお痛が過ぎますと、死人が出ますので」
「それは……自分は死なないだろうから、あまり気にしないが」
宥めるリライオンに、まだコウハは食い下がる。
「ルールを守ると言ってくださったではありませんか! さあさあさあ!」
ちょっと強引にリライオンが肩を押して部屋から追い出す。諦めてコウハも押される。
「頼むぞラムラテ! 信じて……ぐ!?」
リライオンの爪がコウハの首元に刺さる。十指それぞれから異なる毒は、コウハの足をふらつかせた。
「あらあら、油断しちゃ駄目ですよコウハ様! 私のこと忘れられたら、寂しいです」
「魔女の肌に、素手で傷つけられる奴がいるか!?」
呻くコウハに、リライオンは笑顔を向けた。
「暗殺者足るもの、丸腰でも人くらい殺すものです。入念な準備があれば魔女でも殺しますよ。ここは特に我々の本拠地ですので……」
ゾッとするようなことを変わらないいつもの笑顔で言うのだから恐ろしいものだ。しかも、リライオンは恨みがましくコウハに打たれてなおも腫れが引かない頬を擦っている。
「ラムラテ様どころかリース様と同等の力まで落としてあげますからね? いえ、いっそ戦いに出られなくしましょうか……」
暗い笑みを浮かべるリライオンの手を払い、コウハは一人で立った。
「わかった。この一週間、君との戦いに従事しよう。我ながら努力が足りない、努力、研鑽……」
呟き、コウハは部屋を出た。その雰囲気は、公明正大な彼女の態度の中で、最も邪悪な魔女らしさがあった。
「……警備を増やしましょうか」
「そうしよう。いや、コウハはもう来ないだろうけどね」
フィナッカは安堵の息を吐いて、椅子にどかっと座り直した。
しかしコウハの興奮は冷めやらず、リライオンを上手く撒くと今度はリースのところへ赴いた。
そこはシズヤ達の私室で、シズヤが留守でシキが疲労困憊に眠っている時だった。
「リース、いるか?」
「……魔女、何の用だ?」
リースがコウハに抱く感情は複雑だ、無論魔女という敵であることは当然だが、コウハの腕前は確かに尊敬できる領域に達し、人柄もリースが分かるほどに誠実。
けれど、好めない。魔女で、彼女の恩師バニラが自分の恩師ナミエを殺したということは、認められない。
だがコウハにとってリースはもはや愛娘のような存在になっていた。
バニラとゴールという二人の魔女から武術と魔術を習った彼女は、魔女に対する親和性、人間に対する悪意の二つを持っていた。
その中で、自分と似た戦い方の魔女であるリースは、大切な仲間なのだ。なにせ魔女は個体数が絶対的に少ないから。
「君が今度の決戦に出ると聞いたから。自分も副将として出るから、是非手柔らかに」
「手加減はせん。誰と戦うとしても、私は必ず勝つつもりだ」
「その気概で来い! 楽しみにしているぞ!」
慣れない笑顔を向けるが、リースの敵意は変わらないままだった。
そして笑顔のままコウハは部屋を出るが、そこで小さな憂いの溜息を吐いた。
「浮かない表情ですね、コウハ様」
そこには気配もなくリライオンが立っていた。反射で拳を振るいそうになるが、寸でのところでそれを止めた。
「リライオン殿、一体いつから?」
「ついさっきです。そんなに前から来ていたら、何か毒を仕込んでいましたよ」
うふふと笑うリライオンは全く悪びれる様子がない。
「にしても、英雄の魔女様もリース様には形無しですね?」
「ああ……、仲良くなれると信じているが、どうも毛嫌いされているみたいだ」
「魔女の大陸の教育を受けた戦士ですからね。命を賭して魔女を殺す魔女狩りの戦士、敵視は当然でしょう」
「……洗脳されたのか?」
コウハが顔色を変えて尋ねるが、それにはリライオンも普段の笑顔を消して答えた。
「それ以前に、リース様は魔女と人間の遺伝子で作られた人造人間……いえ、より厳密には魔造生物、ゴーレムに近い存在です。私としては、仲間意識を持つより、紛い物を腹立たしく思うと思っていました。お互いに」
その真面目腐ったリライオンの態度にコウハは一瞬真顔になったが、すぐに笑みをこぼした。
「紛い物……? フッ、たとえ彼女が魔女でなくとも、同士の創った存在だというのならば、やはり守るべき仲間だ」
そう、コウハはその場を去った。
リライオンが追撃するにも、その泰然自若とした様子は、恐らくどのような攻撃も通じないだろう。
「ふふ、面白いお方です」
人間は魔族に甘いとよく言われる。仲間意識の強さや脆弱さがそう言わせるのだが、リライオンは思う。
(私より、人間よりも甘いかもしれませんね。最近の人間は敵が人間だろうと容赦しませんが)
同族意識の強さだけは、魔女もなかなかのものである。
訓練の続く残り五日、セルゲイに招かれた魔族達が続々とクロスフィールドへ集まる。
当然、全員がシズヤ達が住んでいるクロスフィールド邸に住むわけではない、だが商業地として最大級のクロスフィールドは宿泊施設も多く整っている。そのうちの一つの建物を丸ごとセルゲイは買い占めていた。
そして招かれた魔族のうちに、アリスとコントンもいた。
「……たく、嫌になるぜ」
「しっ、どこで誰に聞かれているか知りませんよ?」
愚痴を吐くアリスにコントンは周りをきょろきょろ警戒しながら呟く。ホテルはもはや魔族が占拠したような状態、自分達のようなチンピラから、まるで雰囲気の違う大貴族までいる。
セルゲイを憎む者や敵対している者まで集まっているのは、セルゲイ自身がその歴史的な勝利を彼らに見せるためだろう。いかに憎しと言えど魔族として実力を見せつけ支配するという方法は、デビル派の魔族に好印象を与えられる。
しかし、そういうデビル派の魔族にとってデビルの実子でありながら弱いアリス達を見てひそひそと何か言う魔族もいる。ただ、それこそデビルの息子という誇らしき称号はデビルが死んだ今無いに等しい、それがデビル派の考えでもある。
「全く場違いな感じだ。バケモンみてえな奴ばっかりじゃねえか……」
柄が良かろうと悪かろうと、自分より遥かに強い者が多々いる空間、アリスはできれば一刻も早くこの場から逃げ出したい。
そしてそれはコントンも同じ気持ち、セルゲイの命令と同じほどここの魔族は怖いのだ。
だがそこで、二人は余計なものを見てしまった。
「だからよぉ、お前人間だろ、って聞いてんだ」
口から鋭く巨大な牙の生えた大柄の人型魔族が因縁をつけているのは、桃色の髪と服を着た小さな女の子だ。
はた目から見て十歳にも満たないのではないだろうか、ロビーの真ん中のソファでテレビを見ていたのだろう、まだ座っているというのに、魔族は既に敵意を満ち溢れさせている。
魔族がそう因縁をつけるのもアリスには納得できた。その幼女からは全く魔力を感じないからだ。
強大な魔族であればあるほど、その魔力を隠すのは難しくなる。こういった集いでわざわざ己の実力を隠すよりも、見せつけた方が威厳を示せる。
セルゲイの基地と言える場所で無力な存在だということを見せながら、しかし、幼女は危機を何も理解していないように無邪気な笑顔で言う。
「キュート人間じゃないよ! キュートはすっごい魔族なの!」
きゃぴきゃぴとした雰囲気は、この状況では見ていて危なっかしい。
それが、百戦錬磨の魔族相手となると、もはや死んだも同然。
だからアリスが間に入った。
「へえへえお待ちなすってくだせえ大魔族様。そんな小さな女の子に何の御用でしょう?」
「ああ、なんだテメェ?」
「あっしはしがない商人のアリスと申します。へえへえ、この子に何をするにせよ、もっと素敵な提案をできると思うのですが……」
腰を引けて、両手を重ね揉んで、と下手に出る理由は簡単、アリスは一目でこの魔族には勝てないと理解しているから。
「俺はこの人間を食おうと思っているんだが、なんだ?」
「ならもっと素敵な食べ物をご紹介しやしょう! このクロスフィールドには多くの出店がありまして……」
「俺は人間が食いたいんだよ。人間を食える店があるか?」
魔族の言葉に、アリスは一瞬黙った。
けれどすぐに笑顔を取り戻した。
「非合法ですが、ついてきてくだせえ。たったこれだけでもっとムチムチなお姉さんを食べられるお店、しょうかいしやすぜ?」
とアリスは銀貨を二枚手に持ってそう示した。
「ほう?」
興味を示した魔族に、アリスは先導するようにホテルから出ようとするが、魔族は足を止めた。
「いや、今すぐに俺は食うんだよ!」
「だったらこれでも食らってろや!」
幼女に向かった魔族を横からアリスは銀貨をナイフに変えて頬に突き刺した!
だが刺さり切らない! 硬い肌は僅かに傷つくのみで容易く弾く!
「あぁ!? テメェ何しやがる!」
「ゲェーッやっぱ駄目だコントンなんとかしやが……」
コントンがどうする間もなく、魔族の棘だらけの見るからに痛い拳がアリスに向かう。
だがそれは、アリスの眼前で止まった。
そして同時に、アリスは強大な魔力をその幼女キュートから感じ取った。
「キュートを殺そうとしただけじゃなく、途中で他の魔族に目移りするなんて、イケない子」
足もつかないソファから降りたキュートは、その小さな拳を魔族にぶつけた。
「キュート・アターック!」
そして、魔族は触れた部分から粉になり、消えた。
その瞬間、さらに膨れ上がる魔力を、アリスは当然、そのホテルにいた誰もが感じ取った。
同時に、魔女がその場に現れた。
「ああっ! やっと見つけたッス、キュート様!」
そんな風に走ってくる存在は、茶色い髪を編み込んだ、茶色のボロを着ているが女で、やはり膨大な魔力、そしてアリスはその波長を知っていた。
「テメェら……魔女か?」
「あ、はい。私は茶の魔女、安息のリフレッス! リフレって呼んでくれて良いッスよ!」
ぐっと親指を立てて楽しげに言うリフレは、すぐにキュートにがみがみと声をかけた。
「あんまり心配かけないでくださいッス。魔力隠すの上手すぎるッスよ」
「ごめんごめん、でもキュートはキュートだから」
「知らねえぞ、こんな魔女。魔女大陸の七人にコウハ以外にも魔女がいるとは知っていたが、こんな奴ら……」
呟くアリスをいい加減コントンが引っ張り、二人から距離を作ろうとすると、リフレが驚くように叫ぶ。
「これでも私ら元七賢ッスよ!? ええ、知名度とか全然ないんスね……」
「まあだってさ、コウハがみんな殺しちゃったんだもん。キュートの可愛さも広まらないよね」
それには、コントンさえ動きを止めた。
「……七賢、だと?」
いや、周りの魔族も、全員だ。
魔女の七賢と言えば、三大魔皇ほども有名な称号であるが、それはコウハ一人が大陸に一人すら寄せ付けなかったがために誰が七賢であるか、などははっきりしていなかった。
一般的には発覚しているのがコウハのみ。名前を知られているという点ではバニラとトウル、そしてゴールの三人、と言った程度のものだったが。
今、二人。
「桃の魔女可憐のキュート、キュートだよー!」
きゃぴきゃぴと笑顔を振りまくキュートにその雰囲気はないが、先ほど魔族を一人瞬殺した姿は誰の目にも止まることとなっていた。
「キュート様は七賢の序列一番ッスから! みんなも気を付けるッスよ!」
そんなリフレの言葉が、ますます場を騒然とさせるのであった。
二人はセルゲイに呼ばれたわけではないが、コウハが直々に呼んだのである。
五千年前の人魔戦争に出た魔女はコウハのみであったが、今回こそは自分の雄姿を見て欲しい、と先輩方にお願いしたという形である。
良かれと思って、そんな安易なコウハの望みはこのクロスフィールドに大きな大きな波紋を呼び続けているのであった。




