クロスフィールド編3・ラムラテ・ザックス
シズヤの秘術は指輪だ。
その能力は植物を自在に操ることと、空気を操ること。
そよ風でスカートをめくるなんてくだらないこともできれば、嵐を巻き起こすことすらできる。これで彼女は一年最強の名を欲しいがままにした。
だが!
今!
彼女は秘術なしで嵐を巻き起こしていた!
「聞こえなかった? 私、リースと結婚します!」
静寂、沈黙、そして小さな声。
「ラムラテ、結婚の意味を教えてくれるかい?」
フィナッカの左手側に立つ眼帯をつけたこげ茶色の髪のメイドは、冷たい声で言った。
「結婚とは、つがいとなる男女が永遠の愛を誓うという名目の契約。魔女の大陸、戦国の大陸のサド国などでは女性同士でも認められているそうだ」
「……だよね?」
「聞いているの?」
シズヤが父に疑問を向けるが、父は疑問を返した。
「聞いているから驚いているんじゃないか。だってパパ、嫌だよ」
「ずっと放ったらかしにしてたんだから仕方ないじゃん。だって見知らぬ親父よりリースの方が好きになるのは当然でしょ?」
「見知らぬ親父って僕のことかい!? 勘弁してよシズヤ!」
「気安く名前を呼ばないで」
父を許す、許さない、などシズヤは考えたが、そもそも受け入れられなかった。
再びフィナッカは放心状態に陥っているが、いい加減テゼルトが声を出した。
「ところで、フィナッカ・クロスフィールド様。私、呼びかけに応じて招集したのですが」
「確かに、テゼルト・ペイルマン様、お忙しい中ご足労かけまして、誠に申し訳ございません」
急に。
フィナッカは完璧な大人の姿を見せた。その変貌には誰もが、シズヤさえも息を巻いた。
けれどすぐにフィナッカの表情は崩れる。
「ですが今、大事な娘の窮地なんです! 今しばらく時間を頂けませんか!?」
テゼルトは嘆息して、壁に背をつけて待った。
「シズヤ、何も僕は女性同士だから反対しているんじゃない」
今度は真向からフィナッカがシズヤに言う。それはシズヤもちゃんと反応した。嫌そうに。
「じゃあ、なに?」
「そのリースちゃん? 弱いじゃないか」
この言葉に最も反応したのは、言うまでもなくリース。
「聞き捨てならんな。私が弱い、と」
「だって見てたよ? シズヤに一瞬で負ける姿」
大会の時、クラス最強を決める戦いでリースは何もできずに負けた。その時のことだ。
「それは昔のこと。今のリースは強いよ」
「じゃあシズヤより強いのかい?」
「それは……」
シズヤは口ごもる。シズヤより強い、とはリースでもシズヤでも言えない。それほどシズヤは圧倒的だ。
「僕はね、シズヤを守ってくれるような人と結婚してほしいんだ。そんなおチビちゃんと結婚するくらいなら、ラムラテに譲った方がマシだね」
言われたラムラテは溜息を吐く。だがリースとシズヤはまだ噛みつく。
「彼女を倒せば、認めてくれるのか?」
それは、浅すぎる挑発だった。それでもリースは乗ったし、返す言葉でフィナッカも乗った。
「ラムラテに勝つつもりかい? 無理だと思うけどねぇ、勝てたらいいよ?」
ますます、ラムラテは溜息を吐く。呆れて面倒臭そうだが、仕方なくやるといった雰囲気。
同時にシキとシズヤがリースの手を取ってその歩を止める。
「リース、たぶんあれは……ヤバいよ。お父さんを守ってるくらいだから、シオンより強い」
「ラムラテという彼女は、筆頭メイドらしい。全てのメイドより強いらしいぞ」
それだけの情報であっても、リースを止めるには不十分。
「心配は有難い。だが、私はシズヤと一生を添い遂げたいのだ」
これには、シズヤのみならずシキまで顔を赤らめる。あまりに告白として大胆だ。
「……うう、愛しいから心配だよ、リース」
「一途なんだな。死ぬなよ」
一つ深呼吸をして、二人の手から解放されて、リースはラムラテの前に立った。
ラムラテも溜息を吐きながら、秘術のように柄から毛の一本ずつまで真っ黒い箒を出現させた。
これは魔装と言い、魔力によって武器を作り出す術である。魔力の限りしか出せず、魔力の強さで武器の強さが変わるため、魔女の大陸の秘術の下位互換と言える魔法の技術である。
「ラムラテと言ったな、我が全身全霊で戦わせてもらう。怪我をしても恨むな」
勇ましく、体に銀を纏い始めるリースに、ラムラテは一言。
「……強さの果てに求める物はなんだ、小娘?」
それは戦いの檄でもなく、単なる質問であった。
「私はリース・ジョンだ。小娘ではない」
そう返しながら。
強さの果てに求める物。
その意味は分からずして戦いは始まった。
全身をグローリースーツで包んだリースは。
火を纏うまでもなく。
箒の柄で、銀をも砕き、水月を突かれ、倒れた。
「か、はっ……」
意識はまだある。だが体が動かない。
「憶えるに値しない名だ。女を守る資格もない」
「そんな……リース」
シズヤが声を漏らす。圧倒的過ぎる力の差に、怒りすら沸かない。
「全然ダメじゃない。シズヤ、その子との結婚なんて認めないよ」
「……うるさい! 私がリースを守る!」
「落ち着け、シズヤ!」
暴れ出しかねないシズヤをメイド服のシキが羽交い絞めにして止めようとする。
だがシズヤの暴走は止まらない。
「お前なんか、死んじゃ……」
その二人の動きは、ぴたりと止まった。
体に食い込む鉄のように固い糸。
「一歩も動くな、それ以上の言葉と行動は、いかにご息女いえど、万死に値する」
ヴァギンと呼ばれていた執事の手からは、無数の糸が伸びていた。
「こらこらヴァギン! シズヤを傷つけたら駄目だよ!」
言われて、ヴァギンは渋々糸をシキとシズヤから外した。
「……この、最初から糸を……最初から! 戦いに入れないように仕込んでいた!」
シズヤが臨戦態勢であれば、ヴァギンの糸などどうにかできていただろう。だがその執事はあろうことか主人の実の娘に、最初から警戒として攻撃を仕掛けていた。
「シズヤ、落ち着け。相手が悪い」
「うるさい! 私のメイドなら何とかしてよ!」
「いや無理だって」
シズヤが尚もシキを怒鳴っていると、新たに部屋に入る者がいた。
「シズヤお嬢様……!」
ようやく戻って来たシオンが、かつてない憤怒の表情でシズヤを睨んでいた。
強さはそれほどでも、親代わりの人のこの表情には、シズヤもおとなしくならざるを得ない。
大きな客間の一つ、ホテルの一室にも似たそこは、けれど最上級のスイートルームよりも尚豪奢に見える。
キングサイズのベッドが人数分三つ、黄金に縁どられた白いテーブルに巨大なテレビに輝くレースのカーテン、シズヤも含めてこんな暮らしはしたことがない。
言ってしまえば成金の下品で調和の取れていない財を露悪させるようなインテリアだが、それでも金額的には最高といって差し支えない。
だが、素直に喜べるものはいない。
「凄い! この絵はなんていうんだろうなぁ! このお酒とかも……私は下戸なんだけど、少し飲んでみようかな、いいかな、シズヤ!」
「……メイドがはしゃがないでよ」
シズヤはベッドにも乗らず、床の上で三角座り。
(……私も無理してはしゃいでいるんだがな)
そういうムードではないらしく、素直にシキも静かに傍に控える。
リースも窓を鏡のようにして、ただ立っていた。
だがシオンに叱られたシズヤ以上にショックを受けたのはリースだ。
リースは弱くはない。だが、ラムラテには手も足も出なかった。
なぜ負けたのか、その分析をリースはしている。
そもそも彼女の動きが早すぎた、というわけではない。むしろ最初のラムラテの動作は緩慢であった。
箒の柄が急に伸びたというのがまず敗因の一つ。単なる突きのみならず、敵の武器の範囲を誤認した。
また、箒以外の動きに気を取られたというのもある。普通は無駄のない動きを心がけるものだが、ラムラテはあえて足や顔などを不自然に動かし、どこから攻撃が来るのかの予測をリースが立てきれなかった、というのもある。
なんにせよ、それはリースの経験不足だった。
「……私は、弱いな」
「っ! 大丈夫だよ! 私が守る、私がリースを……」
「いらん」
リースはそう言い捨て、部屋を出た。
残されたシズヤは、ただ無言で。
無言で……。
怒りを募らせた。
父とラムラテ達に対する圧倒的な憎悪。
「殺してやる」
「し、シズヤ!?」
「シキ、手伝って」
「いやそれは流石に……」
「絶対に殺す。あいつらだけは許さない」
「待て待て、リースが何を考えているか……」
瞬間、シキの髪と、その後ろの壁に大きな傷ができた。
風圧、ノーモーションから必殺の攻撃を放てるシズヤにとって、そういうラムラテの技術やリースの悩みは考える必要もないのかもしれない。
「黙って聞いてよ?」
「……はい」
部屋を出たリースが向かう先は、フィナッカの私室、つまりさっきの場所である。
そこにフィナッカはいなかったが、黒い箒で掃除しているラムラテがいた。
「ラムラテ殿」
既に敬称をつけ、リースは頭を下げた。
「私に稽古をつけてくれないか?」
結局、それしかリースには思いつかなかった。
圧倒的な実力差を見せつけられて、しかしその技術を認め、素直に師事し鍛えてもらうという考えだ。
ラムラテは溜息を吐いた。
「……それでどうする?」
「どうする、とは?」
「強くなってどうする?」
最初の質問と同じ、強さの果てに求める物。
「私は、シズヤを守れるほど強くなりたい。そして、彼女を守り続けるのだ」
「……そうか」
言って、ラムラテは掃除を続けた。
「待て、稽古は……」
「まず掃除だ。五時間後に地下にある訓練場に来い」
そしてラムラテは掃除を続けた。
「……感謝する」
「構わん」
もう一度礼をして、リースが部屋を出た。
それから三時間後。
「では就寝する。ラムラテ、自由にしてよいぞ」
「承知」
普段はもう少し遅くに就寝するフィナッカであるが、娘と会えて機嫌が良いのか、今日は早い。
部屋に行き、直接リースと話し合おうか、とラムラテが考えている時であった。
前には、メイド服を着た人間一人と息女一人。
「……死ね」
シズヤが呟くと同時に、豪風がラムラテを包む!
ラムラテは一切動かない、ラムラテの周りに荒れ狂う風が彼女の動きを封じているのだ。
そして足元からは蔦がラムラテの動きを封じようと伸び始めている。
この作戦のキーパーソンであるシキは、得意の居合術に加えシズヤの風によって最高の一撃をラムラテに叩きこむことにある。
速攻でリースを倒したラムラテ、その防御力は如何なるものかまだ知れない。
ならば、一年の中でも最高級の破壊力を持つシキの一撃を見舞ってやればあるいは!
「恨みはないが……すまん!」
シキの攻撃は強いだけではない! 速さが強さ、つまり放たれてから躱すことも至難!
「敵を前に謝るなど、言語道断」
ラムラテはその風の中に入り、シキの手を取った。
既に居合の準備に入り刀に手をかけたシキは、それだけで攻撃できなくなる。
「あっ」
そのままシキの顎を軽く殴ってやると、既にシキは立てなくなっていた。
「お嬢様、引いてください」
いまだに風は止まない。いくらかメイドが集まってきている。
それでもシズヤは殺気を止めない。
「嫌だよ。一対一でも殺し合う」
「……他の者よりは心構えが立派だ。殺意においては」
ラムラテが一歩踏み出し、黒い箒を出現させた。
「だが、それ以前の問題だ」
「黙れ! お前だけは絶対に……」
シズヤの言葉を待たずして、ラムラテはただ自分の思うまま、一度溜息を吐いて、シズヤに向かって駆け出した。
「あははっ! 死ね!」
風の切断、そして気圧変更による脳の破壊。
だが、ラムラテは既に炎を纏っていた。
空気によって揺るがない、因果さえ覆す黒い炎を。
「……なんで? なんで死なないの!」
「小娘、弱いな」
「な、んですって……」
今まで、一度たりとも言われたことのない言葉に、シズヤは頭が真っ白になった。
「自分の愛する者を信じることができないなど、あの銀髪の小娘にすら吊り合わん」
「……リースに、私が、吊りあわない?」
「貴様と共になるなど、あの小娘に失礼だ」
「うるさいうるさいうるさい! うるさい!!」
暴風と真空斬がラムラテに向かうが、その全てがラムラテ黒い炎に遮られる。
そして、黒炎の龍はシズヤの目前にまで来た。
「……なんで」
燃え盛る炎は、シズヤの頭に触れる直前で消えた。
「自分で考えろ」
シズヤは、その場に座り込んだ。
ラムラテは平然と、シズヤの真横を通ってリースのいる部屋へ向かって歩き出した。




