シグルド会戦編8・戦後処理
西方軍、被害ゼロ、戦果は最大の二万超えであるが、氷へと変化し溶けて水になった魔族もいるため正確な数は分からない。
スノウは額の汗を拭う程度の苦労があったが、イェルーンはその戦いの間寝転がったり寝たり、戦い終わったスノウにお疲れさんと労いの言葉をかけるくらいには働いた。
東方軍は遠距離攻撃が可能な魔族により、鎧のないウラヌス達は苦戦を強いられた。
結果として百五十八人うち、神速のキナ含む四十六名が重傷、十二名が死亡となった。だが百人が軽傷及び無傷で済む、奇跡的な結果となった。
同時に敵軍に与えた被害も少なく、敵の将を見つけたキナが突出して隙を作り、それをウラヌスの縛撃で倒すという結果になった。戦争というより暗殺に近い。
南方軍も死者はゼロ。レイヴンはケツがいてぇ、くらいしか言わないが、シンクレアは右腕にギプスをつけて固定し、胴体を包帯で巻いている絶対安静の状態である。
ハッケイもホルガンに放った攻撃が最大最後の一撃であったらしく、戦いが終わってからは二日ほど眠り続けていたという。
ノーベルは無傷そのもの。第二次シグルド会戦と呼ばれるこの戦いは秘密の切り札の快勝であった。
良い事尽くめ、とは行かないが。
「災難だったな」
野戦病院を作る必要もないほどに怪我人も少ないが、シンクレアとキナはしっかり入院することになった。
キナは敵を分断するために敵中突破、その敵将ナクバによる攻撃で腹部に大きな攻撃を受け、肋骨が数本折れる大怪我を受けた。
しかしナクバを殺すまで一切の死者も怪我人も出していない。その後、かわるがわる出てきた代理の敵将を倒すために犠牲が出てしまったが。
「……災難。いつから、いつまでが災難?」
「ははっ! 哲学的だな! ……けがをしたのは災難だ。だが、私達は勝った、幸運にもな」
「幸運……不運……どっちでもいい」
「素っ気ないな」
そこで会話は途切れる。
キナの思考はシンプルだが、シンクレアはそうは済まない。
まだまだ考えなければならないことがある。
ノックする音が病室に響く。
「入れ」
「私だ、快方か? シンクレア、それと、キナ、だったな」
入ってきたのはノーベルと、マンデル。二人ともその手には無数の書類を持っている。
怪我をしたシンクレアを、ノーベルは一瞬痛ましい表情で心配したが、すぐに紙を叩きながらマンデルが喋り出したので気を引き締めた。
「あなた達が全員無事でよかったですよ。計画通り、それぞれの役職、できそうですよ。ただ……」
マンデルがうーんと唸っているのを、ノーベルが先にシンクレアに伝えた。
「スノウについて、だ。あいつなんかとんでもない戦果挙げたことがどうも知れ渡ってしまったようで、そんな人が何の役職にもつかないのはどうなのか、と」
議会としては国防の英雄として何かしら勲章でも与えたい、というのだろう。小さな町の癖して、知識人層は既に国家運営にノリノリなのだ。
「もっとも恨むべき魔族だろうに、皮肉なものだ。もう魔族なくしてここは成立しないぞ」
「む」
キナが小さく不満の声を漏らす。魔族を強く恨むのは彼女の心に根付いたものである。スノウが大量の魔族を虐殺した、とあってもそれはそれ、どうも味方に魔族というのは認めがたい。
「得と言えないこともないが、スノウか。彼女に何ができるか、だな」
「凍らせる以外何もできないよ。あいつは。言われた通りのことさえできない」
ノーベルがそう断じるので、マンデルも頭を掻きながら妥協案を提示する。
「適当な表彰や、特別な権利を与えるとか、そんなんでいいでしょう。銅像でも作りますか?」
全くどうでもいい事だが、国民感情の方に国の方針を沿わせることも大切だ。
特に、これから重要なのだ。
「何故魔族と共生しているのか、これは私の隊の総意です」
イトゥユに呼ばれたウラヌスは、臨時議会になっている公民館の廊下を歩きながら答える。
「生きるためよ。分かるでしょ、生きるために仕方なく」
「それでは納得できません。死んでも戦う、それがエリオット教でしょう」
確かにそのような教えだった、だがそれを律儀に守っている者と守っていない者がいて。
「イトゥユ、あなたは確かドリツェンの直属よね」
「はい」
「じゃ分かってるでしょ」
ドリツェンは初期メンバーではないが、それでもエリオット傭兵団の頃からの古株、最も自分の命を大事にしてナンボ、という考えの持ち主だ。
責任感は強いが、それゆえに自分の立場が上になるほどに自分の命の価値を知り、それを重視した。
「……納得しかねます」
「拒絶も無理解もないでしょ」
「……部下に説明できません」
「私が説き伏せるわ」
「死んでいった部下が報われません!」
「死人が何か喋る?」
そこまで言われて、ついにイトゥユは黙った。
単に反論する言葉を失っただけではない、憤りとやるせなさ、そして言葉ではない力による反発を望んで。
だが、ウラヌスとて説き伏せて満足、というわけではないのだ。
「エリオット教は、もうなくなったのよ。エリオットが死んだのに、私達が命を懸けて守るものってなに?」
「それは……」
「自分の一番大事なものを考えなさい。比べて、それでも、命より、この町よりもエリオットの教えが大事ってんなら、それでいいと思うわ。その時は私が相手になる」
そう言い捨ててウラヌスはイトゥユを置いて進む。
様々なことを伝えたい気持ちはある、本音半分建前半分の会話で、けれどウラヌスは自分達の部下である信徒を見捨てたわけではなかった。
――最近は、なんだかぐっすり眠れるようだ。
気分が悪い――
「ん……ああ、スノウか」
「イェルーン、起きた?」
シグルドの町は戦勝の記念式典なるものが開かれ、大英雄のスノウと国家元首扱いのイェルーンは並んでパレードで練り歩くことになっている。
「私は眠っちまってたのかァ……ちっ」
「まだクマがある。寝てていい」
心配そうに頬を撫でるスノウに、イェルーンは、はぁ~、と重い溜息を吐いて、スノウをぶんなぐった。
「キモイんだよ! いっちょまえに人間の知識なんざつけやがって!」
スノウは殴られた自分の頬を撫でながら、心配そうにイェルーンを見つめた。
「私ぁこれがいつも通りなんだよ。ちっ、何がパレードだ、戦勝記念だ。つまんねえつまんねえつまんねえ! あいつらの言うこと真面目に聞いてたらこれだ、なんも面白いことがねえじゃねえか!」
八つ当たりするようにスノウをボコボコに殴るが、スノウは無抵抗で頭を抱えながら防いでいる。
それがますます……いや、もうイェルーンには耐えられない。
「なんで! テメェは! そうなんだよ! 私なんざすぐ殺せるだろォ!? もっと自分で楽しい風にできるもんなァ! 私とは違ってよォ!!」
イェルーンはスノウをそのまま押し倒し、馬乗りになって、両手で首を掴んだ。
「テメェはっ! テメェはっ! ……くそっ!」
だが、すぐに力は弱くなり、イェルーンは俯いた。
不思議そうにスノウは、そんなイェルーンを見守っている。
「……もう私は、お前と会った時の私じゃねえんだ。なぁ……そう思うだろつまらねえ奴なんだよ私は! つまらねえ奴に成り下がった! こんな愚痴や悩みをテメェにぶちまけて! あわよくば殺せって思う程度のミソッカスだ! もう飽きただろ!? テメェは一人で何でもできる! やりたいようにやれる! 殺せる奴を自由に殺せるしそれで人からわーきゃー騒がれて! 私はただのお飾りでしかない! たまらねえんだよ……たまらねえよな……チーム組んでから全然満たされねえんだよ……なんにも楽しくねえっていうと嘘になるがよ……あの裏路地で、くすぶって、雑魚殺して、踏み潰してぐちゃぐちゃにしてテメェに出会うまでが一番楽しかったのさ、ああ後悔してるっちゃ後悔してる。私はヒーローになりたいわけじゃねえんだよ気持ち悪いんだよ今の私が! 今の私はなんだ!? 私は今どうなってる!? わけ分かんねえだろ!? 私はただ幸せな形あるものをぶち壊してぇだけなんだよ……一度たりとも脚光なんざ浴びなくたっていい、声援もない方がいい……。吐き捨てろよ、見下せよ、軽蔑しろ、優しい言葉なんかいらねえ、愛なんて、想いなんて、友情なんて、応援なんて、声援なんてエールなんてなんもいらねえ! もっと敵意を見せろ悪意を見せろそうしたら殺してやる! 殺されてやったって良い! ボコボコに争い合いてえんだよ! それがずっと続いて欲しいんだよ、全部忘れられんだよ、最悪なんだよこの世界は、最悪、全部最悪だ。何も見たくねえ、幸せも不幸せも嫌なんだよ何も考えないでずっとずっと糞塗れの中で殺し合っていたいんだよ、生きてても死んでても同じような地獄を這いつくばっていたいんだ…………朦朧とした頭で…………ただ糞を殺して………………私も……………………そんな最低辺の一人でいてぇ…………」
スノウにそう言ってから、イェルーンはただただ力任せに叫んだ。
そして、もう一度、真剣な表情で言った。
「私を殺せ、命令だ。氷にでも何でも変えろ」
今までろくに焦点も合わなかったイェルーンの瞳は、まっすぐスノウを捉えていた。
それにスノウは返事した。
「いや」
相も変わらずスノウの表情は変わらない。
だが否定されたイェルーンは、今までで一番表情を変えた。
それは、スノウの初めての否定だったから。
「なんでだ!? 殺す価値もないってか!? こんな風に見下げ果てた私なんかどうでもいいってか!? そうかよ、そうかよチクショウ! ああクソッ! そうだよどうせ魔女サマに比べれば私なんか矮小な人間の一人なんだよ! だろうなだろうなァ! だったらテメェを殺してやる! テメェだって死ぬ気になれば私を殺すだろ!? 殺せよとっとと! こんな人生は糞なんだよ! 死んだ方がマシだって思うだろ!? これ以上変わる前に私に止めを……!」
言いながら懐の薬に手をやるイェルーンの体が凍り付き、ついには微動だにできなくなる。
寒さに言葉を震わせながら、けれどイェルーンは口角を上げた。
「はは……それでいいんだよ…………ライフ、イズ、クリミナァール」
スノウは身動きとれぬイェルーンの体を寝かせると、まるで添い寝する姿勢になる。
「……これでお前は自由だ。あの世から見てるぜ。お前が、もっともっと世界を滅茶苦茶にしてくれるのをよ」
スノウの顔が、イェルーンの顔に迫る。
――永い眠りにつけそうだ。
そんなイメージまでしたが、触れ合った唇は、身体を縛る氷より暖かく、柔らかい。
そして、スノウは唇を離した。
「…………あァ?」
それだけで、スノウはまだ隣で寝転がっている。
「……いや、なんだよ。なんか言えよ」
「トドメとか、刺さない」
「じゃ、なんで凍らせたんだ」
「危ないから」
「じゃあなんで殺さねえんだよぉぉおおおおおおおおおおお!!」
再びスノウはイェルーンに口付けをした。
「これが答え」
「いらねぇ……」
あっさりとイェルーンは言い切ったが、このままでは動けない。
「もういい。解放しろ」
スノウは頷いて氷を溶かす。イェルーンは溜息を吐きながら少し濡れた服を絞り、スノウの顔をもう一度見た。
「そういうのが一番いらねぇって言ってんだよ……。テメェが一番言うこと聞きそうだったから言ったのに」
次点でウラヌスとレイヴン辺りか、とイェルーンは既に見当をつけているが、何度も先ほどのように本音を言うのも憚られる。
「テメェはどうしたいんだよ。どうせだ、このままお飾り団長として、団員サマ達の為すがままになってやる」
退屈に違いないが、そうしているうちにまた急進派の暗殺者や、ステラと戦えたりするかもしれない。
それまでの我慢、と諦めて外へ出ようとする。
「私は、イェルーン、あなたと……」
「早く来いよ」
「はい!」
相変わらずの扱いだが、跳ねるスノウの背中にはいつもと変わった雰囲気があった。
ようやく、改めて、大事な何かを伝えられた、と。
魔女として生まれて幼く、何も知らなかった少女が。
誰もが経験する、大人への階段、成長への道を一歩、確実に進んだのだ。
「お飾りパレードなんざ、よく団長が認めたな」
民衆は確かに熱狂しており、危険なほどの熱気を肌で感じながらレイヴンはシンクレアに問いかける。
「あの人も団長としての自覚が芽生えたのだろう。それより、我々はまだやることが山積みだ」
ホルガン大公国はあの後、大公ホルガンの戦死により群雄割拠の小国乱立状態になった。
バルダ、ナクバ、エークシャなどホルガン部下の有力者も軒並み死に、挙句軍の三分の一強が全滅したのだ。全員をまとめられる統治者がいないのが実情。
そもそもホルガンは野心家であり、自分の正体すら秘密にしていた。そんなものだから彼の国にも複数の派閥が形成されており、完全に分裂してしまったのだ。
元々ライ帝国の傘下であったにも関わらず、絶対にありえないと思っていたホルガン戦死の熱狂は魔族にも波及し、ライ打倒の動きさえ見られるほどに渦巻く。
「南の小国群は、ライ帝国、魔族大連合、シント派人魔共和連合、この三つがそれぞれに食い潰すだろうな。だから、その三つの国をどうにかしなければな」
外政は最悪、なにせ全てが敵の計算で行っているにも関わらず、ホルガン大公国一つ相手取ってこの国は亡ぶ寸前まで追い詰められた。
次の攻撃を防ぐ手立てが、何もない。
「参謀殿に兵器作らせてんだろ? いやぁ、俺が助かったのもあいつのおかげだ。もう足向けて寝れねえや」
「だが、高位魔族のホルガンには手も足も出なかったそうだ。スノウという大戦力はいるが、ノーベルの兵器を作る速度と、攻めてくる敵の量と強さ次第だな」
「どっちだと?」
「不確定要素が強すぎる。ノーベルは魔女だ。戦力差をひっくり返すほどの発明はできるだろうが……彼我の戦力差は比較に値しないほどに大きい」
優れた科学兵器ならば、例えば訓練も必要とせず、かつどんな魔族も打ち払える、魔法のような機械があれば勝つことも充分可能だろう。
ノーベルの知能ならばそれを作り出すことも不可能ではないかもしれない。
だがそんな悪魔の兵器を作ることにシンクレアは抵抗があった。
なりふり構ってられないのは分かるが、こちらが弱いということは、それを敵に接収される可能性もある。
どんな話にも欠点というのはついて回るものなのだ。
「私は……私やレイヴン、イェルーンやハッケイでさえ、魔族に比べることができる程度の存在だ。だがスノウとノーベルは違う。だが魔女だけでも敵わない。奴らと同じか、せめて対抗できるだけの戦力を、数多く集めたい」
国民の士気を高める束の間の宴会、笑っているのは何も考えないでいい人達だけであった。
「この魔族ばっかりの大陸で人間だけーってのもきついだろ。この大陸に他に人間いんの?」
「それを名目に、我々も南の小国に攻め込むつもりだ」
「あれは? なんとかかんとか人魔共和。人間いるだろ」
「あそこは人間と魔族が共存している。つまり人間が魔族を認めているんだ、我々とまるで違う。……いや、同じなんだがな、この国は歪すぎる。亡びるのは遠い未来じゃない」
「弱気だな」
「基礎がガタガタの建物が地震で壊れるようなものだ。イェルーンに何人の暗殺者が来たか聞いているか? ……警察組織も作らねば。うぅ……何もかも投げ捨ててしまおうか?」
泣きだしそうになったシンクレアの背中を、レイヴンがぽんぽんと撫でた。
イェルーンとシンクレアの思いつきで作ったような国だが、二人とも既に自分自身の責任に押し潰されそうになっているのだ。せっかく空賊団を作ったのだから、という軽い気持ちが、まだ若い二人の心を蝕んでいる。
「お前馬鹿だよな~」
「分かっている! ……ああ、だがここで投げ出すのは良くない。私の善とは違うのだ」
「おおい! シンクレア様!」
そんな折に、急遽マンデルの使いの者が訪れた。
「大変です。外交使節がやってきました」
「宣戦布告か!?」
先のホルガンの戦いではそれがなかった上、事実上ホルガン大公国が滅んだために賠償金も領土も奪えなかった。初めシグルドを奪った時もそうだから文句を言えた立場ではないが、その時は国じゃなかったのでノーカウントと言い張れる。
「それが……セルゲイ派神聖大陸派遣軍、事実上、魔族ヴォイドゥムの国家です」
「ああ……ええ……? 結構離れたところになかったか?」
遥か南西の位置で、ズニとライの国に囲まれている。領土が接することもなければ、共闘することも不可能だと思われる。
そこと外交するなど、必要性がまるで感じられない。
「ですが、来てます」
「え、ええい、外交の担当はノーベルのつもりだったが」
麻薬製造と売買がノーベルの担当であるが故、その辺りをノーベルに一任したのだが今は兵器開発で忙しい。
「私が行く。レイヴン、ボディガードを任せる」
「おう、面白そうだ」
秘密の切り札、この国を取り巻く状況は変わり続ける。
これで会戦編は終わりです。




