脱獄者編7・エピローグ・火種
一通り語り終えたワンダ・ミラボルはエレノンの瞳を見据えて最後に付け加えた。
「こうして投獄されたワンダは、哀れ逃げ延びて、昏い瞳の少女と出会い、新しい何かを見いだせないままに再び捕まるのでした、とさ」
表情は変わらず、自嘲じみた笑みを浮かべた後、だらんと垂れた右腕は別に左手をロイに差し出した。
「私が悪いとは思ってないよ。殺されるところだから逃げて当然だった。でも、こそこそ逃げ隠れてたのも事実だから」
ロイとて今の話を聞けば、心中には迷いが出る。
「……先生」
エレノンの迷う視線が尚、ロイを悩ませる。
だがロイは今責任ある立場であり、代理。独断で行動を変えることはできない。
「……エレノン、僕は」
「ワンダは助けてくれた! 確かにしてはいけないことをした。でも私を、お母さんを助けてくれた。リムを倒す手伝いをしてくれた。ワンダ自身も悩んでた。反省だってしてる。だから」
捲し立てるエレノンを遮ったのは、ワンダ本人だった。
「エレノンちゃん、それは違うよ。私は反省はしてない。悪いとは思ってないから」
「だったらなんで苦しそうなの!?」
その叫び、慟哭にも似たエレノンの言葉にワンダは少し驚いた。
「苦しい? 苦しくなんて……」
「空っぽのワンダはずっと苦しんでる。ずっと他と違うことを悩んでる。違うことを悩んで、苦しんで、それで今も求めてる。それは昔のワンダとはきっと違う。リーナさんを失ってから変わった」
「変わった……? 空っぽのまま、変わった……」
理解しがたい、けれど変化があるという事実をワンダは驚くべきほどすんなりと飲み込めた。
自分が変わったのだ、という確信がワンダにはあった。
「変わったか。そうだね、きっと変わった。でも私は……」
「君はどうしたいんだい?」
ロイが尋ねた。真っすぐ、ワンダの目を見つめて。
「……ロイさーん、大丈夫?」
ニッカが心配そうに尋ねるが、ロイは顔をも見ずに手で制した。
犯罪者のワンダ自身に彼女の進路を尋ねるなど普通はありえない。それを聞いているということは、ワンダの意見を考慮するということだ。
「責任は僕が持つ。ニッカも気にしなくていい、僕の独断専行だ。それでもう一度聞く。ワンダ、君はどうしたいんだ?」
言われて、ワンダは考え込んだ。
したいこと、というのも漠然としていてワンダには程遠い感情だ。
「……私はイェルーンを倒す手伝いをしてほしい」
とエレノンが言うと、ワンダはそれに反応した。
「イェルーン、あの眼鏡女。それだ、私はそれに会いたい」
「なに?」
ロイが眉根を顰めるが、その理由はきちんとしていた。
「牢獄に来て、虐殺を繰り広げたあの女の狂気……、私は少なからず恐怖というものを感じたと思っている。彼女は興味深い」
それは、ある種リーナやエレノンに感じた以上のゆさぶり、ワンダが未来を切り開くほどの危機を感じ取った存在。
「イェルーン討伐か……それなら労役ということにできるな」
「ロイ先生、それはいくら何でも……」
「駄目なら駄目ということで、僕が叱られるさ」
はっきりと言い切り、ロイはワンダの手を取った。
「イェルーンを探し、そして始末する旅に、君は行く気があるか?」
「……うん、私で良ければ」
ロイが認め、ワンダが頷く。
そしてエレノンは思い切り、ワンダを背中から抱きしめた。
「……よろしく」
いつも通り無愛想だ、けれど少し嬉しそうな顔だった。
「……よろしく」
少し遅れてからワンダも同じ言葉を返した。
紛れもなく、その間は感慨だった。牢に入り、そこを抜け、そしてエレノンと出会い、リムと戦い、その自分の経緯を他人に知られるという流れに、ワンダは奇妙な道程を経たことに感慨を覚えたのだ。
やはりエレノンは面白い、と、ワンダは静かに思った。
こうしてワンダはエレノンの実家バルタルタに居候することとなったのである。
帰路、学校へ戻る最中、ロイはニッカに告げた。
「まだリムがどこにいるか分からない。決して警戒は解かないでくれ」
「うーん、そうは言ってもあの大怪我、そうそう戦おうと出てこないと思うけど」
エレノンの攻撃によって落ちたリムの片腕と片足は二人も確認している。いかに陰に潜み、その中では最強とさえ言える能力でも安易に捕まるか殺すかとなれば、逃げる方を優先するだろう。
「それでも油断はできない。少なくとも巡回は日課にした方が良い」
「ふーん。私としてはロイにはもっと責任者としての作業をしてほしいけど」
その言葉にピタリとロイが足を止め、後ろを歩いていたニッカも止まった。
「どしたの?」
「……置いて行かれたくない、とエレノンは言っていた」
ずっと胸に引っかかっていた言葉を、ロイは呟いた。
「僕も同じ気持ちだった。ナミエ先輩やゴリアックが、僕より強い人達がどんどんどこか遠くへ離れていくようだった。だからあの言葉を聞くと、なんだかもっと頑張ろうって気になったんだ」
柄にもないことを言った、とロイは足早に動き出す。
けれどニッカは立ち止まったままだった。
「みんな思ってるんだよねぇ。私も、ゴロロもさ」
誰に言うでもなく、ニッカは呟き、ロイの後を追った。
(くそくそくそぉっ!!)
体を失っても影に潜むリムは自由に影を潜航することができた。
自分の体を光に変えるように自在に移動できる能力は全く強力だが、弱点はある。
攻撃する際には姿を現さなければならないこと、腕が一本しかないリムにとって継戦は不可能だろう。
そしてもう一つが、影のない場所では何の能力も持たないことである。
夜という安全な時間の中でも、ひとまず敵から逃げようとリムはある場所に移動した。
人がいないだろう安全地帯。
すなわち、魔女の森。
(まずどうする? 失った腕は……科学の大陸の技術で義手を得るか。となると飛行船に乗るしかない。まずはここで羽を休めて……)
「ころころ」
影を燻りだす煌々と輝く炎に、能力が解除されてようやく気が付くことができた。
「なんだっ! 魔女!?」
「さあキル、あなたの力を見せてくださいまし?」
「ころころ」
ゴールが意気揚々と言っているのを、キルは面倒臭そうに、星座を指でなぞるように動かして、着火した。
「ぎゃぁぁぁあああああああああ!!」
リムの全身から火が噴いた。単なる火の魔法、固有の技ですらない。
「影っ! 影影影! 影はどこにっ! 影ぇぇぇええええええええ!! なんで光ってるぅぅぅ!?」
走る。けれど影がない。影を見つけても、何故か自分から離れていくのだ。
「私が光ってたぁ!?」
そんな無様な断末魔を挙げて、夜歩きは光の中で死んだ。
「……なんだか口ほどにもない敵ですわね」
「ころー」
二人そろってあまりの呆気なさに脱力していると、後ろから声が二つ。
「人間なんざ色々居たって結局は雑魚、じゃねーの?」
「馬鹿ねぇ、見たところ腕も足もなかったし、人間から逃げてきた手負いだったんでしょ。殺す前に情報を聞き出しても良かったんじゃなぁい?」
ヴィーが率直な意見を言うが、それすらハイパーは怒り心頭の様子でつっかかる。
「人間なんて全員殺すべきだろうが!」
「短絡的ねぇ……」
そうヴィーが溜息を吐くが、ゴールはハイパーに軍配を上げた。
「確かにヴィーも随分優しくなったのでは? 目に入れば殺す、なんて昔は言っていたと思いますけれど」
言われて、ヴィーも言葉を失った。
確かに昔のヴィーならばそうだった。バニラとトウルが死んだこの間の事件以降、人間に対しての意見が個人個人によって変わってしまっている。
「魔女としての誇りは決して忘れないように、ね? ヴィー」
「……心得ているつもりよん」
そんな気まずい空気の中で、キルはただ力を失ったようにころころと言っていた。
魔女大陸第四地域の学校、第四対魔女学校の校長室でミリィ・ダバウフは尋問されていた。
目の前に座っている十歳ちょっとにしか見えない少女こそが全責任者、つまり第四学校の校長であるらしかった。
「んでさー、その能力をどのくらい譲渡したわけ?」
金色の髪と蒼い瞳の麗しさには似つかわしくない軽薄な態度、エイナ・ウィートは片手にお菓子をつまみながらその作業をしていた。
「ええ、透明化の丸薬三回分ですから三時間です。影に潜むっていうからあんまり使わないと思いますけど」
透明化は日中には貧弱なリムがミリィを発見し、脅して奪い取った『とっておき』だ。
ミリィは脱獄の事実を自認しているために、罪を軽くするために全て正直に話していた。
「厄介なことしてくれたねぇ」
「それは、私も脅されて! なんですよ! 人殺しなんて怖くて怖くて……」
「君だって犯罪者じゃーん」
と言われても、そもそもミリィは人を殺していない。単に犯罪を積み重ねたから反省しろと監獄に入れられ、そこをイェルーンらに襲撃を受けた。そこを命からがら逃げたらリムに脅された。加害者であると同時に被害者でもある。
「私は猥褻専門です! 人を傷つけるつもりはない! です!」
大声で言い返すと、エイナの傍に立つ緑色の髪の眼鏡の女性がギラリと睨みを利かせた。彼女こそバーバラ・ハイエッティ、第五学校の元校長である。
「すみません……いやでもホント、私は悪気はなくて」
「じゃそれはいいけど。じゃあさ、猥褻の方はどれくらいなわけよー? だってあの牢獄にぶち込まれんだから相当なもんでしょ? 百件? 二百件?」
エイナが楽しそうに聞くが、ミリィは本当に楽しくなさそうに視線を逸らした。
「まそれは、数えていないといいますか」
「数えきれないほど?」
「数えようと思えば数えられますが」
「じゃ数えてよ」
「もう牢獄に入りたくないといいますか」
「言わなければぶち込むよ。嘘吐いても駄目だけど」
「……」
「……はよ数えてよ」
「能力貰ってから五年経って刑務所に入りましたから、大体その日の数だけ覗きと下着ドロしました。覗きは多い時には一日三回するのでそれ以上です」
「バーバラ、こいつ殺した方がよくない?」
「ちょっと待ってください本当に悪気はないんです! ただこう……ムラムラッとして」
「本当に大丈夫かよーこいつー」
と胡散臭げな目でエイナが睨み始めたところで、ようやくバーバラが横槍を入れた。
「他人に秘術を譲渡できる数少ない能力者です。生かして損はないかと存じます」
「そうかなー? そっかー」
結局は飲み込んで、エイナはミリィを利用することに決めた。
「ところでミリィくん、一つ質問だ」
「へい?」
唐突に立ち上がったエイナはミリィの肩に手を置いた。
「魔女の大陸にいる我々は、全ての魔女を殺したならどうなると思う?」
「さあ……分かりません。そもそも魔女を倒す、ってことがありえませんし」
「それがありえたんだよねー」
「うえっ!?」
牢獄に入っていたミリィはその事実を知らず、予期すらしていない。だが牢獄が見るからに魔族であるものにも襲撃されたことから、言及はしない。
「第二地域の奴らが三人も倒しちゃった。ただ二人大陸から逃がしてる。これで第二地域の奴は大きな勲功と責任を持ったわけでー、最初の話に戻るんだけど」
魔女を倒すというかつてない名誉と栄光、そして同じ苦渋の失敗である魔女を逃がすという失態、だがどちらも歴史の激変であった。
「魔女を全て倒したら、恐らくこの五つの地域は戦いを始める」
「は? なんで?」
「単純な話さ。権力争い、敵を倒せば異なる思想を持った者達は自分の理想のために新たな戦いに挑む。これ以上ない単純な話でしょー? だから、我々はこの大陸のイニシアチブを取らなければならない」
本当に争うのか、どうか。それはさておき、今の状況で大陸の勢力を先導しているのは、第二地域であることは間違いない。
「そのために必要な手段は色々あってねー。魔女を倒すってのも一つだけど、倒す前に潰すってのもある」
「それは……、嘘ですよね?」
「分かってるよミリィくん。それは最終手段さ。だけど、敵の敵が味方とは限らないわけだ。分かってくれたかね?」
楽しそうに、子供のような笑顔を浮かべるエイナに、ミリィは空恐ろしい物を感じた。
「だから協力してもらうよ? なに、君は秘術の力を提供してくれればいいだけだ。あとはこっちでする」
それだけ言うと、エイナはミリィを置いて部屋を出た。
夜風で窓が揺れる。そんな窓から夜の闇を見た。
「ノア、この大陸を導くのは私達だよ」
固い決意を心に、エイナは廊下の奥へと消え去った。




