クズ認定受験
土曜日が休みになったのを忘れて、目覚ましを止めた。いつも通りに布団をたたむ。
カーテンを少し捲り、陽射しを目に当てないように外の様子を伺う。
「あぁ、今日も晴れか」寝起きの声にならない声で、静かに呟く。
顔を洗いに階段を下りる。いつも最後の一段に気を付けながら。
昔、足の裏を強く擦り、泣いた思いをしてからは、階段の最後の一段には、一段と気を付けるようになった。
朝御飯は?とお母さんに聞くと、「あんた今日から土曜日休みじゃないのかい?」と、言われてから、自分を、起きてからの自分を強く後悔した。
そうだ、今日から土曜日が休みになり、週の2日、月の6日は休息、休日となったんだ。
しかし、すこぶる目が冴えている。急に休みになった気分だ。
急に起きたことに、起きてしまった自分に勿体無さを思いながら、もう一度、もう一度あの夢の、よくも覚えていないあの夢の続きを観ようと、布団をひきなおす。
当たり前、決まっていたかのように、夢の続きは観れた試しが無いが、そんな事より、まず眠れないので、ある。
1992年に沢山の大人たちが決めた、週五日制度。
ゆとりある学園作りを国を上げて実行した。
学力低下、就職難、非行、不登校、そしてはぐれ者、又は落ちこぼれ。
これらの若者の増加に、国は焦りを感じ、学業の簡易化、緩和化を図った。
それが、ゆとり制度だ。ゆとりの制度だ。僕達の為の制度だ。
実際に僕達に、目に見える違いの変化わ、土曜日が休みになったことくらいで、学校に行かなくていい、こんな素敵な制度が出来たことに感激が止まらなかった。
学園中で、日本全土の、全学校から歓喜の声がこだましたように、そんな気さえ覚えた。
出席する日が少なくなった分、1日の授業量は増えた。
これは、さほど気にはならなかった。
休みの使い方を真剣に考えた。
二日も休みがあれば何でもできる、何処へでもいける、そんな壮大な想像さえリアルに観れた。
ただ、いつまでも浮かれている訳じゃない。
勿論、授業は真剣に取り組んだ。
何しろ受験が目の前に迫っている。
正直、はしゃいでいる場合では無いのだ。
僕は全く勉強が出来ない、出来ていない。
将翔は進路が決まっていた。高校ではどんなお洒落をするかと、ファッション雑誌を一日中見ている。
平ですら、宿題を一度も提出していない平ですら、有名な、普通以上の、選ばれし者しか入ることが出来ない高校の、推薦入学を控えている。
一体、どのような、どんな手を使ったかと、素直に二人の現実を受け入れることが出来なかった。
受け入れたくなかった。受け入れたら、まるで、僕が、その時点で、敗けを認めるという事だからだ。
だが、いっぺんの曇りなく、完膚無き迄に、ぐうの音もでない、張り合うこと自体、恥の極み、僕のコールド敗けである。
親友の二人は僕に、何の情けも掛けず、真剣に勉強を教えてくれた。
何の見返りも求めず、最低ランクの高校だろうと、兎に角、何としてでも、僕を高校に入れようと、必死だった。
何より、僕より、この二人の方が必死で、その気持ちに焦りを感じさせてもらった。
何と、情けない我がやる気。
二人は、将翔と平は僕に悟られぬよう、気付かれぬように、二人で遊んでいた。
新しい服を買ったり、新しいゲームをやったり。
それは解っていた、気付いてはいた、ただ、羨ましいと思うよりも、二人のそんな気遣いに、安心を、安堵を届けたくて、尚、僕のやる気に繋がった。
そして、無事、高校受験を合格という大快挙を、二人に、親に、先生に、日本に、世界中に轟かせることが出来た。
やればやれると自信にみちみち溢れた。
最低ランクのひとつ上の高校だが。
僕はやってのけたのだ!
ゆとり制度がスタートして週五日になったから、僕はこんなに苦労をしたんだと、思っても見たが。
週六日のままでも僕は、今の現状と変わらない気がした。
結局は僕は、スタートの時点で、将翔や平と違うステージをplayしていたんだ。
あの二人はveryhard、僕はまだ最初のチュートリアルの時点だったんだ。
チュートリアルを飛ばし、良くも聞かず、良くも見ず、知った気でいて、いざやってみれば難しい。
でも、慣れだ、やってくうちに慣れて、戦えるようになる。
何回も殺られては挑み、何回もリセットを繰り返して少しずつ前に進めれば、少しでも前進できていれば良かったんだ。
それで、自分の成長に、経験値に、繋がると信じきっていた。
実際は、中学一年生から何も進んでおらず、止まったままで、周りが先に先に、先に行くたびに、自分も先に先に、先に逝く旅に向かっていた訳だった。
つまり、ゆとり制度の恩恵を、心から喜んでいたのは、悪くいうつもりもないが、学校が嫌いなDQNか、僕だけと言う事実なのだ。
僕は、改めて、中学三年生を終わる間近にて、自分は落ちこぼれと言うことに気付いて、築いてしまっていた。