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まとめ

 ざっくり言うと、心と世界の対立がクライマックスで頂点になれば成功と言うべきか。


※ ※


 主人公は幼い自分のインナーチャイルドの投影で、親や家族、社会、世界との確執をメタファしたものが対立する。逆でもいいし脇役がそれでもいい。

 表層的には人物、キャラクターである必要すらなく、状況や山とか石ころみたいな無生物に置き換えたっていい。何にだって応用出来る。


※ ※


 善悪も勝敗も、目的の成否も、結末の克服か屈服かだってどっちでもいい、お好きな方で。

 決して交わらないその二つが、極限まで押し付けられた臨界点で激しく爆発する。

 派手なその一点のみが、譲れない部分だ。


※ ※


 静かに激しい光が全方位に広がっていくように。

 破壊的で修復不可な後戻り出来ない人智を超えた現象。

 あからさまな爆発より目に見えない爆発の方が高級感が出せる。

 難しければ最悪ダイナマイトでビル爆破とかでもいいと思う。


※ ※


 内々の設定は表面化しなくても構わない。むしろ暗喩がいい。深くにあった方が受け取り手にバレにくい。すぐにわかってしまうと安っぽい。

 原罪の楽園追放だって、言うなれば悪友とつるんだせいで親に勘当されたバカ息子の話に過ぎない。


※ ※


 その根本をさえ踏まえていればあとは枝葉のバリエーションだ。

 緻密に書くもよし。ざっくばらんに書くもよし。

 話の持って行き方は自由だ。シンデレラ曲線でも起承転結でも序破急でも使えばいい。


※ ※


 誰もが心の奥底に持っている、大人の振りをして忘れたつもりでも、ずっと抱えている幼い頃の自分。

 まずは親、そして兄弟。それから友達や嫌いな奴。世界と関わり合い、世界を知れば知った分、自分は王様ではなくなってゆく。幼い頃は何でも思い通りにできたのに。

 世界と生命の魂、その対立は人に限らず、象だろうが宇宙人だろうがゾウリムシや菌にだって見出せる。

 小説の中にその頃の自分や世界を発見し、意識しないながらもその成長過程をなぞる。

 あるいは予見か。


 畢竟、芸術も人の所業だ。


※ ※


 かの岡本太郎御大も、母かの子女史や父一平氏の子として産まれてまあいろいろあったのは想像に難くない。

 その重圧を受け止め、乗り越えての言葉や行動に、庶民としては頭が上がらない。


 決して母としてはよい女性ではなかった、と控えめに語る御大の姿は想像するに微笑ましい。


※ ※


 人の家庭をとやかく言うのは礼儀に反するが、だれの家にでもあらを探せばどこかしらに問題はあり、完璧な理想形態から欠け落ちたものを希求し、彷徨い、永遠に探し求める。人は誰もがそんな子供だったのではないだろうか。


※ ※


 そんな誰もが持つ喪失感や渇望を、しかし共感的に理解するのではなく、逆に絶望と諦めを突きつけるのが爆発の役だ。


※ ※


 取り戻せないものを人は、受け入れる事でしか前に進めない。

 でもそれを極限までくすぶらせ、絶対受けつけない、否定する、ただっ子のような幼児性。

 かたや世界は、どんなに柔軟に対応してもかたくなに、決して容認しない。凝り固まってせせら笑っている。


 二人を、一言で黙らせる決着。

 彼によって引き起こされた、決して世界も無事では済まない強烈な破壊。


※ ※


 タンスに足の小指ぶつけた、とこれだけでも世界と人の対立なのだが、弱い。

 結びつきを堅く、しかしお互いを受け入れない反発を確固にすれば、爆発を強く出来る。


 大好きだったお婆ちゃんの遺してくれたとても高価な桐箪笥だが、少し大きくて一日二十回くらい足の小指をぶつけるのでだんだん腹が立ってきて、骨折したのを期にとうとう斧で滅茶苦茶に叩き割ったらお婆ちゃんの若い頃の日記が出てきて、読むと傷痍軍人のお爺ちゃんが戦後の動乱のなか必死で働いて貯めたお金でお婆ちゃんに贈った箪笥だった、とか。


※ ※


 賢明博識なる読書諸兄はもちろんお気づきと思うが、抑圧の解放による精神の浄化作用というのはカタルシスの理論である。

 通常は鑑賞者がわの視点から、悲劇を見ることにより、恐れと憐れみを呼び起こされ、浄化されることをそう呼ぶ。


 恐れと憐れみが何と対応するかは、ここまで読んでいれば明白だろう。


 先人の知恵は偉大なり。グーグル先生によればアリストテレスが詩学でそう述べているそうだ。生物学者がやっと認める二千年前にイルカは哺乳類だと言った彼はさすが先見の明に満ちている。


※ ※


 一方、物語を作る技法は言うなれば積分が微分の逆とわかる前の歴史、沢山の三角形を組み合わせて足すような、遠回りの作られ方をしか、されていなかったのではないだろうか。

 作者の経験や知恵、想像力を駆使してエピソードを一つ一つ当てはめて、検討をつけ、間違いを消して正解に近付ける、腕とか勘とか技のみが物をいう職人芸だと。


※ ※


 そこから逆算すれば簡単に答えを導くことが出来る事を、誰が知っているのだろう。この感動の作り方をかの語源になぞらえて勝手に、デトックスと呼ぼうか。

 色々なパターンで利用可能なので、試したらいいと思う。公式はただ使うだけでなく、どのように使うかが知恵の見せ所ですから。


 発表した本日2014年12月25日。今から、この手法で新たに芸術作品を産み出そうとする新進の作家をデトックス派と呼称する事に決めた。自然主義も白樺派ももう古いよ! これからはデトックス派の時代が来る!!


 はじめの警告を無視してこんな稚文乱筆を読んで下さった読者様へのクリスマスプレゼントとします。

 タグに付けるなり自称するなりご自由にどうぞ、GNU・GLP準拠のコピーレフトを宣言します。


※ ※


 数学の才能を持った少年が教育を受けられず、十数年後にかつての先生の前に現れて得意げに語る、自力で考案した世界を変える新発見が、解の公式だったという可哀想な話がある。

 単に私が無知なだけで、それと同じあやまちを犯しているかもしれない不安もある。

 ただ少なくとも今のところ、これを私に教えてくれた人はいない。

 大学でそのあたりを専攻したのに。

 その頃の後輩にも確認してみた。「知る限りでは誰も書いてないですけど、例えば『小説は人の手によって書かれている』というのは誰にも書かれていません、それと何が違うんですか?」

 うーん、違うわい。バカ!


※ ※


 …だとすれば、作家先生たちが恥ずかしくてあえて言わないような事を臆面もなくドヤ顔で説明している訳だ。一番簡単な手品の種が分かっただけで調子こいて。まるでカレーが作れるようになっただけで料理の全てを語るように。

 別にそれでもいい、むしろ気が楽だ。私が知らなかったんだから他にも知らない人はいる。

 そんな事が出来るのは、素人だとか子供の特権だ。中学生は死とか絶望とか言っていいのと同じ。

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