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ダーク・ハート  作者: 駿河留守
不死鳥
33/36

闇へ

 あたりはすっかり暗くなっていた。それでも西の空はまだオレンジ色でのぞかせるまだ雪の残る山脈がオレンジ色に染まり幻想的な風景はもう15年も見ているとなんとも感じなくなる。建物を出た広い駐車場には赤いパトライトが暗くなり輝きを増して上空には何機ものヘリコプターが飛んでいる。出入り口では透明な盾を持った完全防備の人たちが取り囲んでいる。銃を持った人が発砲して未だに建物から出てこないとなる当然なのかもしれない。この静かな長垣の町が騒然となっている。そんな状況を見るのも初めてだ。

 私は3階の立駐の出入り口にあるトイレに未來ちゃんと共にかくまっている。明かりはついていなくて、湿気のせいで身震いのする肌寒さがある。外の様子はここに上がってくる際に窓から見えた。もう、警察も慣れない事件にパニック状態みたいだ。

「大丈夫?」

 未來ちゃんは壁に腰かけて体を丸くしている。かすかに聞こえる息遣いとそれに歩調を合わせるように肩が上下に動くのが確認できる。見た目はいつも通り。でも、大きく違うのはこの暗闇でひときわ目立つ赤黒い瞳。私が声を掛けても一向に返事がない。

 藤崎さんは大丈夫だろうか?

 逃げる途中で何度も聞こえていた銃声も今は止んで静かになっている。この静けさが私をさらに不安にさせる。このまま藤崎さんが来なければ殺人衝動に完全に映った未來ちゃんを一体誰が止めるのか。

 だ、大丈夫だよ!陽子!今の未來ちゃんは刃物を持っていない。こんなトイレにすぐに私を殺せるような道具はない。掃除用具入れ場にもカギが掛かってるみたいだし、大丈夫だよ。

「陽子さん」

「は、な、何?」

 急に声を出したものだから驚いたよ。

「何かわたしを拘束できるものはないですか?」

「え?・・・・・いや、そんなものはこんなところには・・・・・」

 前の時みたいに拘束して衝動が起きても動けないようにするみたいだ。

「なら、適当にわたしを個室に押し込んでください。それから開かないように何か障害物を置くとかお願いします」

 でも、トイレの個室のドアは中からの引き戸になっている。外側には取っ手すらない。それでどうやって未來ちゃんを閉じ込めるの?

「早く。お願いします。・・・・・もう、抑えるのがやっとです」

 顔をあげた未來ちゃんの額には大量の汗があり、赤黒い瞳はおろおろと震えている。

「み、未來ちゃん」

「もう我慢ならないんですよ。もう、突き刺したい、斬り裂きたい、えぐり取りたい、殺したくてうずうずしているんですよ。このままだと本当に収拾つかなくなります」

 確かにいつもなら衝動を藤崎さんにぶつける時間帯、そこに海野さんという脅威によるストレスが上乗せされている。そこに未來ちゃんの我慢と来ている。藤崎さんが言うようにこの衝動は我慢をすればその分だけ強くなる。そのせいで集落の半数の人を殺めることになった。今、かなり最悪の状況だ。

 でも、例え個室に閉じ込めることが成功しても扉を壊すかもしれない、よじ登って扉を越えてくるかもしれない。完全な拘束しないと逆効果な気がする。

「早く・・・・・」

「ちょ、ちょっと待って」

 どうすればいいの?そうだ。ここで少しでもストレスを軽減させる何かをすれば・・・・・何か。そうだ、猫!確かゲームセンターのクレーンゲームで取った猫のぬいぐるみが。

「早く」

「待ってね。私に考えが」

 あれ?どこにあるの?確かバックの中に。

「早くしろって言ってるでしょ!」

 洗面台の鏡を未來ちゃんが叩き割ってガラスが割れる音が静かな建物全体に響き渡る。

 その叫び声はいつもの未來ちゃんではない。悪魔だ。

「あ」

 その後すぐに我に返ったように鏡を叩き割った拳が飛び散った破片で血だらけになっているのを不思議そうに見ている。

「だ、大丈夫!」

 バックからハンカチを取り出して血を拭き取ろうとする。でも、その瞬間とてつもない重圧のせいで足が止まる。その重圧が何なのか。血を見た未來ちゃんが感じたのは血の感触と匂い。私はそれが目の前で現れたのを目の当たりにした。

「み、未來ちゃん?」

 後退りする私に対して鏡を砕いた手から血を流しながらもその手でたたき割ったガラスの大きな破片を握る。人を突き刺す、斬り裂く、えぐり取る、武器を手にした。

 このままではあの時と同じ。何もできずに私が殺される。あの時と違うのは藤崎さんがいるかいないかの比べ物にならないほどの大きな違い。

 どうすればいいのか?この状態になってしまった未來ちゃんの対処法を私は知らない。今すぐこの場から立ち去りたい。でも、背を向けた瞬間この世界からさようならとなってしまいそうで怖い。何かないかと未來ちゃんから目をそむけずにバックの中を漁っているとさっき取ろうと思って取れなかった猫のぬいぐるみが落ちて未來ちゃんの足元まで転がっていく。一瞬そっちに目がとられてもそのまま蹴り飛ばして前に進む。

 何をやっても無駄そうだ。あの猫が大好きな未來ちゃんが猫に全く興味を示さずに蹴り飛ばした。そこにはもう未來ちゃんは存在しない。完全に体を悪の心に乗っ取られてしまった闇に染まった悪魔。

「だから言ったじゃない」

 背後から突然聞こえた声に私は血の気が一気に抜けた。その背後にいたのは血のしぶきの顔に付けた海野さんの姿があった。黒いTシャツは半分くらいが赤く染みになっていて右手には未だに血が滴り垂れる未來ちゃんが持っていた小太刀と同じくらいのナイフ。そして、私が目に入ってしまった。この恐怖の代物。それを視界に入れた途端、めまいがしたように視界にノイズが入ってそれを脳が見るなと訴える。でも、それは無理。だって、もう見てしまった。海野さんの左手は真っ赤な血に染まり肌の色が見えない。その左手に握られている塊。どう見ても人の頭。黒髪を引きちぎるように握られて白目をむき鼻、口からは大量の血が流れる。そして、首から下に引きずられるように伸びるのは食道か何かわからない内臓。その首が藤崎さんであると分かった瞬間、胃袋が逆流しそうになって口を両手で塞いでその場にうずくまる。

「あまり見慣れていないみたいね」

「ど、どうしてそこまで。どうしてそこまでするんですか!」

 苦しむ姿は見たくないって言っていたくせに!なんで!

「あまりにも抵抗したものだから。おかげで銃弾は切れるわ、機動隊が突入してくるわ、てんやわんやだったのよ。でも、大丈夫よ。上武は地雷を踏んで体粉々になった時でもちゃんと復活したから大丈夫よ。そんなことよりも人の心配してる場合?」

 背後に感じた威圧感はあまりにも大きく反射的に横に飛んだ。その衝撃で手洗い場の下にある水道管に背中を強打して胃袋の逆流が一層激しくなる。

 私の立っていた場所で未來ちゃんが鏡の破片を突きたてていた。本気で私に差し掛かって来ていた。もう、どうしていいか分からない。

「ついに出たわね。悪魔。あなたの血の気配は猫どころか人間である私すら感じることが出来る。上武を苦しめる歪み。今ここで成敗してあげるわ」

 持っていた藤崎さんの頭を投げ捨ててナイフを構える。未來ちゃんの持っていた鏡の破片は私に突き刺すのに失敗して砕けてもう武器とは言えるものじゃなくなった。それに未來ちゃんの手は血だらけだ。破片を握りしめていたんだ。手の中が切れたんだ。

「丸腰ね。こっちは何度も死地を切り抜け来てるのよ。なめてるんじゃないわよ」

 海野さんの目は本気だ。本気で未來ちゃんを殺しに行く気だ。

 ダメだよ。逃げないと。未來ちゃんも私もこんなところから早く逃げないと。その声は喉ともまで出てきて止まってしまう。これ以上の踏み込みを私の意思ではなく反射的に止まってしまった。それは赤黒い瞳をした悪魔の未來ちゃんが目に止まっているのが私ではなくなったからだ。逃げられるチャンスが到来した。

 未來ちゃんがターゲットにしたのは海野さんの握るナイフ。

「いいな、それ」

 トーンはいつもの2、3低くても私の聞いたことのある未來ちゃんの声だ。でも、いつも通りだからこそ不気味に聞こえる。

 海野さんは何を言っているんだと感じ取った時にはもう未來ちゃんは踏み込んで海野さんの懐まで詰めていた。本当に一瞬で死地を切り抜けてきたと断言していた海野さんも反応が遅れた。未來ちゃんは海野さんの首を締め上げるように掴みかかりそのまま押し倒した。

「いいな、その刃物。頂戴よ。そうすれば肉を引き裂いたり血を引き出したりできたりする楽しい楽しい時間が始まる」

「止めなさい!」

 海野さんが未來ちゃんの顔を何度か殴って怯んだ隙に押し倒して引きはがす。首元に未來ちゃんのひっかき傷が出来て少ないけど血も出てきた。

「ちょっと油断したわね。自分で制御できないというだけある殺人衝動ね。まるで人を殺すことが当たり前みたいな感じね」

「そうしないと私自身が死ぬの。殺すことが私にとって食事なの呼吸なの。だから死んでよ。盛大に苦しんでさ。だから、簡単には死なないでよ」

 さすがにその笑顔には青ざめる海野さんはナイフを向けたまま数歩後退りしてしまう。

「あなたはこの世界では有害。私が今まで上武と一緒になって殺してきた奴らの仲で群を抜いて有害よ。最低よ。だから、ここですべてを終わらせる。あなたの悪の心を殺す」

 今度は自分から突っ込んでいく海野さん。ナイフを突き立てて未來ちゃんに刺しにかかる。でも、それを軽く避けられてしまった。そして、がら空きになってしまった腹部を蹴りあげる。その威力はもうただの女子中学生じゃない。お腹を押さえたまま滑るように倒れてしまった海野さんは衝撃でナイフを手から落としてしまった。それを未來ちゃんはゆっくりそれを取りに行って手に取る。

「あああああああああ!」

 海野さんが隙を見て殴りにかかるけど、まるで止まっているものを避けるように交わされてそのまま左肩を斬りつけられてそのまま壁に向かってもたれかかるように倒れる。血の量は決して少なくても痛みをこらえる額には大粒の汗が光る。

「血だ。血だ。血だ。血だ。血だ。新鮮な血だ。生きた血だ」

 楽しそうにナイフについた血をなめるように見続ける。

「あなたは死んでくれるよね?あの不死男みたいに死ななかったらまた殺す。何度でも何度でも刺して刺して刺して刺し続ける。何度も何度も何度も何度も苦しみながら殺してあげる」

 無表情の海野さんの固まったまま小刻みに震える。甘く見ていたんだ。ただの女子中学生が持っている悪の心が悪魔の方面に肥大化して収拾がつかなくなってしまった程度だって思っていたんだと思う。未來ちゃんは違うんだよ。あの子は大人も子供も男も女も見境なしに大量殺人を犯したことがあるんだよ。その時点でただの女子中学生じゃないんだよ。

 私はそれを知っている。でも、海野さんはそれを知らない。

「死んじゃいなよ」

 このままで本当にいいの?

 きっと、未來ちゃんは海野さんを殺して深く傷つく。またやってしまった。これ以上人を殺したくない。そうやってまた同じ苦しみを味あわせることになってしまう。どんな時でも私は未來ちゃんの味方で友達で、悪の心に支配された未來ちゃんでも私は受け入れる。そう言ったでしょ。

ここで友達としてできることは何!やるの!やるんだよ!私!

「み、未來ちゃん!」

 私の声に反応した未來ちゃんはこっちを向く。

 その目線から発せられる威圧感に押しつぶされそうになりながらも耐える。

「だ、ダメだよ。み、未來ちゃんはもう誰も傷つけちゃダメだよ。自分でもういやだって言ってたよね。だからさ、そのナイフを下して藤崎さんを待とうよ。あの人は絶対に死なないし、私と同じ約束したんでしょ。絶対にそばから離れないって。あの人は胡散臭くて変態だけど誰よりも強い人だよ。だからね、少しだけ」

 話している途中から未來ちゃんが海野さんに向けるナイフを収めて私に近寄ってきていたのは分かっていた。でも、急にしゃがみ込んで私の懐に飛び込んできてズドッと鈍い音がしたと思ったら私は何も話せなくなった。ゆっくり見下ろしてみればナイフが私のお腹を根元までぐっさりと刺さっていた。なんでどうしてなのか。それを理解する前に体から力が抜けてそのまま倒れる。

「ちょっと静かにしてて。今いいところだから」

 ナイフを引き抜かれると傷口から血が大量に流れ出して押さえても止まる気配がない。すごく痛いはずなのに痛みがまるでない。お腹あたりの感覚がまったくなくて自分の物じゃないみたい。流れ出る生暖かい血の感触だけが確かに感じる。そんな血に対して体はどんどん冷たくなっていく。そして、私は初めて実感する死の感覚。

 横になった視線に見えるのは海野さんが怪我を負った腕を引きずって逃げようとしている姿とそれをゆっくりと追いつめる未來ちゃんの姿だ。浅くなっていく呼吸と遠くなっていく意識の中で私の中の余分な考えが消えた。

 ―――未來ちゃんを止めないと。

 もう動けないはずなのに立ち上がって未來ちゃんの腕をつかむ。

 振り向いた未來ちゃんは驚きで赤黒い目をいっぱい開く。血が常に流れ続けて体の感覚はなくなって軽くなっていく。でも、未來ちゃんを掴む腕の感触だけは確かだ。

「ダメだよ。・・・・・もう、それで誰も刺しちゃダメだよ」

 私に見えているのはもう目の前の未來ちゃんだけでそれ以外の者はぼやけて何が何だか分からない。取り入れることのできる情報はそれだけで十分だった。私は未來ちゃんを止められればそれだけでよかった。

「邪魔しないでって言ってるでしょ」

 私の意思に反して未來ちゃんは再び私のお腹にナイフを突き刺す。血のしぶきが飛び散りパーカー付きのTシャツに赤い血がべっとりとついて汚れる。それでも私は握った手を離さない。

「離せよ」

 ナイフを抜き取ってまた突き刺す。

「離せ。離せ。離せ。離せ」

 その都度ナイフを突き刺してくる。流れる血が足にドボドボとかかっているけど、握る手を緩めることはない。

「なんでそこまでするの?そんなに死にたいの?」

 頭がボーっとする。唯一鮮明に映っていた未來ちゃんの姿もとうとうぼやけて見えなくなって行って聞き取る耳も働かなくなってしまった。もう、未來ちゃんがなんて言っているのかも分からない。お腹あたりを何度も突き刺す衝撃だけはかすかに感じ取ることが出来るくらい。何を言っているか分からないけど、悪魔の赤黒い瞳でかみ殺すような目線で私に向かって何かを怒鳴ったのが何となく分かった。たぶん、

―――どうしてここまでやるんだよ。さっさと死んでこの手を離せ―――。

って言っているに違いない。

そうだ。なんで私はこの手を離さないんだろ?確か伝えないといけない。それで止めないといけないんだった。

出血のせいで頭がうまく回らない中で私はおそらく最後の力を振り絞って目の前にいる未來ちゃんを包み込むように抱き締める。目はほとんど見えていない。でも、この感触は未來ちゃんだ。そう思うと安心した。そして、告げる。

「もう、何も怖くない。大丈夫。きっと、すぐに助けは来るよ」

 脳裏に浮かんだのは藤崎さんの姿。

「私は今の未來ちゃんも好きだよ。嫌いじゃないよ。好きだよ」

 すると急にお腹を突き刺す衝撃がなくなった。見えていない眼が突然鮮明に映し出した者は赤黒い瞳ではないいつもの未來ちゃんの瞳だ。涙をたくさん滝のように流している。

 安心すると足が自分の物じゃなくなったみたいに感覚が消えて倒れそうになる。

 最後にこれだけは伝えないと。そのために未來ちゃんに全身を預けるようにもたれかかって耳元で告げる。

「約束守れなくてごめんね」

「陽子さん!」

 よかった。いつもの未來ちゃんの声を最後に聞けて。

 そのまま私の意識は永遠の闇の中に沈んでいく。

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