第五章:不在証明
それから数十分後、崇史は学校の会議室にいた。
卓の死体を発見したあと、いち早く正気に戻った崇史が二人に声をかけ、三人で職員室まで走った。
そこにいた顧問の久木田に事情を説明し、警察へ電話をしてもらったのである。
それから数分でパトカーが学校にやってきて、崇史たちは簡単に事情を聞かれた後、詳しい話を聞くため、会議室に待機させられている、というのが今の状況だ。
会議室には一緒に卓の死体を発見した賢次と七恵の他に、顧問の久木田、それからサッカー部の一軍のメンバーがいた。
彼らの顔は、みな一様に強張っている。
特に死体を直接見た賢次と七恵は、顔色も悪い。
崇史はというと、まったく嬉しいことではないが、このような状況は初めてではないので、何とか他のものよりかは冷静さを保つことができている。
そしてそれからさらに数分が経ち、やがて会議室のドアがゆっくりと開いた。
全員の視線がドアのほうへと向く。
部屋の中へと入ってきたのは、白髪交じりの中年の男だった。
背は高く、体もがっしりとしている。
サッカー部の顧問の久木田と同じくらいの年齢に見えるが、久木田よりもかなり頼もしく見える。
男は会議室の一番前まで歩いてくると、大きな声で咳払いをした。
「俺は警視庁捜査一課の宝井だ。これから少し話を聞かせてもらう」
どこか尊大ささえ感じる口調だった。
そしてその目は鋭く崇史たちを射抜いている。
「まず、第一発見者は?」
宝井の声に、崇史は賢次と七恵の方を向く。二人は小さく頷いた。
そして三人は同時に手を上げる。
「お前らか。じゃあ、発見当時の状況を聞かせてくれ」
賢次と七恵はとてもものを話すことができそうにないので、崇史が口を開き、死体を発見したときの状況を詳しく説明した。
説明を終えると、宝井は「なるほど」と小さな声で言った。
「お前らが来たとき、部室の鍵はちゃんと閉まっていた。間違いないな?」
崇史は頷いた。
「部室の鍵は部室脇の草むらに落ちていた」
宝井は言いながら、透明な袋に入った鍵を掲げて見せた。
「この鍵だ」
「それは多分、葛井くんの鍵ですよ」
顧問の久木田が言った。
「いつも部室の開け閉めに使っている鍵は職員室で保管しています。職員室にある鍵はすべて厳重に保管してありますし、朝ちゃんと保管場所にありましたから」
「被害者は部室の鍵を持っていたんですか?」
「ええ。部室の鍵は職員室に保管してあるものと、部長が持つもの、二つあるんです。部長が持つほうの鍵は、ほとんど使いませんが」
「では発見された鍵は被害者が持っていた鍵と断定してもよさそうだな」
宝井は納得したように呟いた。
「次にそれぞれアリバイを証言してもらいたい」
アリバイ、という言葉に、会議室が少しざわついた。
副部長の根来壮樹が立ち上がった。
「そ、それってどういうことですか! お、お、俺たちを疑ってるんですか!?」
壮樹の声は、微妙に震えていた。
「あくまでも形式上の質問だ。いちいち騒ぐな」
宝井はいらついたようにいった。
そう温厚なタイプでもないようだ。
「正確なところは解剖してみないと分からんが、鑑識の連中が言うに、死亡推定時刻はだいたい昨夜の午後七時から九時の間くらいだそうだ。その間のアリバイを証言してもらいたい」
ふと、崇史の近くに座る数人が顔をあわせた。
その中の一人、健太郎がまず手を上げた。
「昨日の夜の七時から九時なら、俺、塾にいました」
宝井が健太郎の顔を見る。
「ずっとか?」
「七時五十五分から八時五分まで、十分間休憩がありましたけど……」
「塾というのはどこの塾だ?」
「明栄ゼミナールってとこですけど」
宝井は窓の外を見た。
会議室の窓からでも、明栄ゼミナールは十分見える。
「あそこか……近いな」
「で、でも」
健太郎は少しあせったように言った。
「それでもたったの十分で塾と学校を往復して、そのうえ殺人までやるなんて無理ですよ!」
「分からんぞ。自転車でも使って急いで往復すれば、ぎりぎり間に合うかもしれん。休憩時間、お前は何をしていた?」
宝井に聞かれ、健太郎は視線を中に彷徨わせた。
「確か、トイレに行ってましたけど」
「ずっとか?」
「五分くらいで教室に戻りましたよ」
健太郎は不機嫌そうに言う。
「他のものはどうだ?」
宝井は健太郎から視線を離すと、部屋を見回した。
良仁が手を上げる。
「あの、俺も明栄ゼミナールに通ってます」
すると良仁につられ、数人が同じように手を上げた。
崇史と共に第一発見者となった賢次と七恵、それから三年生の壮樹や誠二などだ。
「そうか。じゃあそれぞれ、休憩時間中何をしていたのか聞かせてくれ」
宝井がそういうと、各々自分のアリバイを証言し始めた。
壮樹と誠二は、十分間、教室で雑談をしていた。二人のほかに石村という友人がいたそうで、彼が二人のアリバイを証言してくれるだろうと言っていた。
賢次は塾の真正面にある自動販売機でジュースを買って飲んでいたという。やはり数人の友人が一緒だったようだ。
七恵は健太郎と同じくトイレに行っていたようだが、やはり休憩時間終了の数分前には教室に姿を現している。
良仁は賢次と同じく外でジュースを飲んでいたと証言した。その際、賢次の姿を見たとも言っていたが、賢次のほうはそれに気づいていなかったらしい。ちなみに良仁も数人の友人と一緒だった。
「つまり全員アリバイ成立か」
宝井が言うと、明栄ゼミナールのメンバーは、ほっとした表情を浮かべた。
宝井は、今度は崇史のほうを向いた。
「お前はどうだ?」
昨夜七時から九時。
崇史は自分の行動を振り返った。
「俺はその時間だったら、友達の家にいました」
「その友人の名前は?」
「麻島彩音です」
「で、何でそんな時間に友人の家に?」
そこまで言わなければいけないのか、と崇史は少しうんざりした。
「ノートを写させてもらうためですよ。授業中寝ててろくにとってなかったんです」
宝井に少し呆れた目で見られた。
そんな目で俺を見るな! とできれば叫びたかった。
それから塾に行っていなかったほかの部員たちにも、アリバイが立証されて、宝井は最後に久木田のほうを向いた。
「あなたはどうですか、久木田さん」
心なしか、宝井の口調は久木田に対するときは和らいで聞こえる。それに、崇史たちに対してとは違い、きちんと敬語を使っている。同年代だからだろうか。
「私ですか? 私は職員室に残って仕事をしていましたけど」
「お一人で?」
「いえ、数人の同僚が一緒でした。結局帰れたのは九時半になってからでしたよ」
「しかしトイレなどには行かれたのではないですか?」
「はい。しかしほんの数分で帰ってきましたし、職員室から部室までは往復で十分くらいはかかりますから、殺人なんて無理ですよ」
宝井は眉にしわを寄せる。
「では、部室のほうに何か不審な人影は見ませんでしたか?」
「職員室からは部室は見えませんから……」
久木田が答えると、宝井は小さくため息をついた。
「全員にアリバイが成立、不審な目撃情報もなし、か」
と、そのとき、会議室のドアが再び開かれた。
まだ若い警察官が、ちょっとあせったように歩調を早くして会議室に入ってくる。
「田村、どうした?」
「は、はい………」
田村と呼ばれた警察官は、少し戸惑ったようにしながら、宝井に何か耳打ちした。
「何ィ!?」
田村の話を聞き、宝井は声を荒げる。
そして彼は、目の前に容疑者たちがいることも忘れ、叫んだ。
「あの被害者……死因は『毒殺』だと!?」