第三章:事件前日
彩音は昨日と同じように、朝礼台に座ってぼんやりとサッカーグラウンドを眺めていた。
スキー部の活動は週一回で、その活動日は昨日だった。
なのに彩音が何故今日もこうして崇史を待っているのかというと、それはいつも一緒に帰っている友人が、たまたまいなかったからである。風邪らしい。
ほぼ毎日共に帰る友人がいないことで、彩音は一人で帰らざるを得なくなってしまった。
が、彩音は一人というのが大嫌いだった。
話し相手もなく長い道のりを一人ぼっちで自転車をこいで帰るなんて、絶対に嫌だった。
だから今日もまた崇史を待つことにしたのだ。
崇史はサッカー部内に同じ方向に帰る友人がいなかった。運の悪いことに、親しいものはみんな崇史の家とは反対方向なのである。
だから週に一日、彩音と共に帰る日以外、崇史は一人で帰っているのだ。
そして彩音は毎日崇史がひとりで帰っていることを知っていたので、この日も崇史を待っていたのだった。
授業が終わってからサッカー部の活動が終わるまで、かなり長い時間があったが、彩音は本を読んだり、いろいろな部活を覗いてみたりして時間を潰した。
そして今、待ち人である崇史が活動しているサッカーグラウンドまでやってきて、朝礼台に座ってみたのだった。
そろそろ練習も終わる頃だと思ってやってきたが、どうやらその通りなようで、サッカー部は毎回練習の最後にやっている紅白戦をやっていた。
ゼッケンをつけたチームとつけていないチームに分かれていて、崇史はつけていないチームだった。
ボールはゼッケンをつけたチームが持っていて、ゼッケンをつけていないチーム(つまり崇史のチーム)のゴールの目の前までやってきていた。
ボールを持っている選手は、脚を大きく振り上げ、シュートを放った。
が、そのシュートはキーパーに止められる。そのキーパーはサッカー部部長の葛井卓である。
そして卓が見事シュートを止めたと同時に、試合終了のホイッスルが鳴った。
シュートを打った選手―――沖本健太郎がちょっと悔しそうな顔をしているのが見えた。
ホイッスルを鳴らしたサッカー部のコーチ、正井豊は「今日の練習はここまで!」と声を張り上げた。
練習を終えた崇史たちは、部室の中でぐったりとしていた。
グラウンド整備を終えた一年生の高見賢次が部室内に入ってきても、選手の半分以上はまだ着替え終わっておらず、だらだらとスローペースで着替えていた。もちろん崇史もその一人だ。
次の大会が近づいてきているため、ここ数日の練習はいつもの数倍厳しいものになっていた。
疲労は崇史たちの中で蓄積され、結果練習が終わると共にほとんどの者はぐったりとしてしまうのだ。
結局崇史が着替え終わったのは、部室に入ってから三十分後―――後から入ってきた賢次とほぼ同時だった。
その頃になると、もうほとんどの者は着替え終わっていた。
三年生の卓や根来壮樹、富江誠二などはもう既に部室を出ていた。
「三年生の先輩達はもう出てったのか…。早いなぁ」
「三年生は受験があるからな」
崇史の呟きに、福谷良仁が答えた。
「家に帰らずに、直接塾に行ってるんだって。受験生は大変だよなぁ」
「つーか来年は俺らがそういう目にあうんだよな」
考えるだけで空恐ろしかった。
「そういえばフクワラは副部長達と同じ塾なんだっけ?」
「俺だけじゃないよ。健太郎もそうだし、高見もそうだし。あとマネージャーの牧もそうだな」
「え、お前らみんなあそこ通ってたんだ」
あそこ、とは今しがた話題に上がった塾のことで、明栄ゼミナールという、条星院高校から徒歩で五分も離れていない場所にある塾である。
学校の近くということで、条星院高校の生徒は明栄ゼミナールに通っているものが多い。
壮樹たち三年生や、良仁がそうだということは崇史も知っていたが、健太郎や賢次、マネージャーの牧七恵までもが明栄ゼミナールの生徒だとは知らなかった。
ちなみに部長の卓は良仁たちとは別の塾に通っていた。その塾は明栄ゼミナールほど条星院高校に近い場所にあるわけではないが、それでも自転車で十五分以内くらいの場所にはある。
「崇史は塾行かないのか?」
「だめだめ。俺の頭は塾行ったくらいで優秀になるほど良くはできてねーよ」
健太郎の問いに、崇史は軽く首を振った。
「それもそうだな」
「否定しろよ」
納得したように言う健太郎に、ビシッと突っ込みを入れる崇史だった。
健太郎、良仁の二人と別れ、校舎のほうへと走っていく賢次を横目で見ながら、崇史は自転車置き場のほうへと歩いていった。
賢次が校舎のほうへと走っていったのは、部室の鍵を返却するためである。鍵は職員室に保管してあるものと部長が持っているものの二つがある。部室の鍵開けが一年の役目である以上、部長の持つ鍵はあまり使われる機会がないのだが。
崇史も一年の頃はああやって部室の鍵の開け閉めをやっていた。
誰よりも早く部室に来て、一番最後に部室を出なくてはならない。
こういう雑用を押し付けられるのは、一年の宿命だといえるだろう。
今日はちょっと遅くなってしまったから、もしかしたら顧問の久木田正則に小言を言われているかもしれない。
そんなことを考えながら自転車置き場に行くと、そこには一人の少女が立っていた。俯いたまま、動いていない。
「彩音……? 何でいるんだ?」
崇史の声に、彩音はずっと俯かせていた顔を上げた。
「あ、崇史。やっと終わったんだ」
「ああ……。で、どうしたんだよ? 今日は部活ないんだろ?」
「うん。今日は瑠奈が風邪で休みだったから、一緒に帰る人がいなくて。だから待っててあげたの。感謝しなさい」
「勝手に待ってたくせに、感謝の気持ちなんて要求するなよ」
崇史は小さくため息をついた。ちなみに瑠奈とは彩音といつも一緒に帰っている友人の名前である。
「ったく……。待ってると分かってりゃもっと早く部室を出てきたのに。事前に知らせとけよ」
「知らせ忘れたんだもん、しょうがないでしょ。さ、早く帰ろ」
彩音に促され、崇史は自転車に跨った。
二人はゆったりとしたスピードで、並んで自転車を走らせ始めた。