第二章:いつもの光景
授業終了のチャイムが鳴った。
礼を済ませると、緒方崇史は大きく伸びをした。
長きに渡る勉強地獄も、今日はとりあえず終わりだ。
あとは部活を残すのみ。
崇史は素早く自分の荷物をまとめると、前の席に座る沖本健太郎に声をかける。
「おい、まだかー?」
「今行く」
健太郎は首だけ崇史のほうへ向け、言った。
健太郎は崇史と同じサッカー部に所属している。だから教室から部室までは、いつも一緒に行っているのだ。
適当に喋りながら、崇史と健太郎が鞄を持ってともに歩き出そうとしたところ、突然「沖本くん!」という甲高い声が聞こえてきた。
二人がその声が聞こえてきた方向を見やると、そこには箒を片手に、高橋というクラスの女子の一人が立っていた。
「今週あたし達の班が掃除当番でしょ? 忘れたの?」
「あっ…。やべ、忘れてた」
健太郎は「あちゃー」といった感じで頭を掻いた。
「じゃ、沖本くんは黒板をお願いね」
高橋はにっこり笑うと、再び床を箒で掃き始めた。
健太郎は小さくため息をついた。
「悪い、先行っててくれ。全体練習までには間に合うと思うけど」
「ん、分かった」
崇史は「頑張れよ」と健太郎の肩を軽く叩き、教室の後ろの方へと向かう。
一番後ろの席は、崇史や健太郎と同じサッカー部の、福谷良仁の席である。
良仁は既に教室を出る準備を済ませていた。
「よし、じゃあ行こうぜ、『フクワラ』」
「ん」
そう言うと、二人は並んで歩き出した。
目的地はもちろんサッカーグラウンドである。
ちなみに『フクワラ』とは良仁のあだ名のことだ。もともとは、顔のパーツがアンバランスなことと、名前の「福谷」をかけて『福笑い』と呼ばれていたのだが、いつの間にかそれが縮まって『フクワラ』になってしまった。
良仁は『福笑い』なんてあだ名がつけられても、あまり気にしなかった。にこにこ笑いながら「やーなあだ名だなぁ」とは言っていたが、本気で嫌がってはいなかった。だからこそ崇史も良仁のことをそのあだ名で呼んでいたのだが。
サッカーグラウンドに着くと、ちょうど一年生の高見賢次が部室の鍵を開けているところだった。
サッカー部は条星院高校のメインといってもいい部活なので、部室が二つ与えられている。
ひとつは一軍が、もうひとつは二軍以下が使っている。当然ドアの鍵も別物である。
部室の鍵を開けるのは一年生の仕事だが、一軍には一年生は一人しかいない。その唯一の一年生が、高見賢次なのだ。
だから必然的に、一軍の部室の鍵の開け閉めは賢次一人の仕事となっている。
賢次は崇史と良仁の姿を見つけると、「こんにちは」と挨拶をした。
「あれ、沖本先輩は?」
賢次はドアを開け、先に二人を中に入れながら言った。
「沖本は掃除当番だと。多分全体練習までには出てくるだろ」
崇史が言うと、賢次は納得したように頷いた。
やがて部員も集まり、着替えを済ませて部室から出ると、そこには既に条星院高校サッカー部のコーチ、正井豊が立っていた。
いつものことだが、顧問の久木田正則の姿は見えない。彼は顧問とは名ばかりの、サッカーに関してはほぼ素人の教師なのだ。
「全員そろったか?」
豊はあごヒゲを右手で撫でながら言った。
「あ、健太郎が掃除当番でちょっと遅れてます。多分もうすぐ来ると思いますけど」
良仁が小さく手を上げながら言う。
豊は了解した、という風にちょっと頷いて見せた。
「よし、じゃあとりあえずグラウンドを二週して来い。それからストレッチだ。沖本が来たら適当に混ぜてやれ」
「はい!」
部員達は声を揃えて返事をすると、指示通りグラウンドを二列になって走り始めた。
先頭は部長の葛井卓と副部長の根来壮樹。その後ろが富江誠二ら三年生、その後ろが崇史たち二年生で、最後尾が一年生の賢次である。練習前のジョギングのときは、いつもこの学年順の並びで走っている。
崇史たちは掛け声をかけながら、グラウンドをゆっくりと走った。
グラウンドの隅では、マネージャーの牧七恵たちが部員達のための飲み物を作っているのが見えた。少し苦労しているようなのが、後姿で分かった。
七恵は時々ありえないような大失敗を犯す。
彼女が一度、火を吐くほど辛いスポーツドリンクを作ったことがあったのを思い出し、若干の不安に駆られる崇史だった。




