第十六章:危険な毒物
久木田正則は職員室の自分の席に座り、疲れたようにため息をついていた。
葛井卓、根来壮樹、そして富江誠二と、僅か数日の間に三人もの部員が死んでしまった。
サッカー部の顧問である久木田はいろいろと対応に追われ、今ようやく一段落ついたところなのだった。
本当なら今頃は部員たちは、もうすぐそこに迫っている大会に向けて、最後の追い込みをしているはずだったのに。
それがこのような事件が起こってしまい、大会への出場も辞退することになってしまった。
本当に可哀想だ、と思う。
特に三年生は、今年が最後の大会だったのだ。
しかしもっとも無念だったのは、やはり殺害されてしまった三人だろう。彼らはまだ、二十年も生きていなかったというのに。
ちらちらと感じる、同僚たちの同情の視線が痛い。
久木田は再びため息をつこうとした。そのときだった。
「失礼しまーす!」
静かだった職員室内に、突然よく通る大きな声が響いた。
驚いてそちらのほうへ顔を向けると、そこにいたのはサッカー部の部員の一人、緒方崇史だった。その後ろには、久木田が授業で化学を教えている生徒の一人である、麻島彩音もいる。そういえば二人は幼馴染なのだと、どこかで聞いた覚えがある。
崇史は職員室の中をぐるっと見回し、その中に久木田の姿を発見すると、歩み寄ってきた。
「久木田先生」
「お……、緒方。一体どうしたんだ? そういえばお前、今日、教室を飛び出していったって……」
「すいません、お説教はあとでいくらでも聞きますから。それより、先生に聞きたいことがあるんです。時間、ありますか?」
聞きたいことがある。
そう言われ、久木田は戸惑うしかなかった。が、一応今はちょうど時間も空いていることだし、とりあえず崇史の問いには頷いた。
「よかった! それじゃ、ちょっと来てもらえますか? 二人で……あ、いや、彩音も入れると三人か……。三人だけで話をしたいんです」
崇史は笑って言った。
「一体何なんだ? 私に聞きたいことというのは」
久木田は相当混乱しているようだった。
崇史はそんな久木田を落ち着けるように「たいしたことじゃないんです」と言った。
「俺が聞きたいのは、久木田先生自身のことではなくて、久木田先生の知識なんです」
「知識?」
「はい。久木田先生は化学の教師ですよね? 当然、薬物とかそういうことに関しては詳しい」
「いや……まあ……それは確かに、一般の人に比べればそうだろうが」
久木田はまだ戸惑っているようだった。
崇史はそんな久木田の様子はあまり気にせず、言った。
「なら、先生が知っている限りのことを教えてください。ニコチンについて」
久木田の眉が、不審そうにひそめられる。
「ニコチンについて? そんなことを知ってどうしようと?」
ニコチンについて知り、どうするか。そんなことは決まっている。
情報の一部として組み込み、推理するのだ。
しかしそんなことを久木田に言ったところで、ますます不審がられるだけだろう。
もしかしたら、ふざけるなと怒られるかもしれない。
崇史が答えあぐねていると、横で見ていた彩音がフォローを入れてくれた。
「部長さんを殺すのに使われた毒物が、ニコチンだったらしいんですよ。で、ニコチンとか手に入れるのって、そんなに簡単なのかなって思ったんです。もし簡単に手に入れられるなら、今度は他の部員がまたそれで殺されてしまうかもしれない。だから崇史は知りたいと思ってるんです。ほんの少しでも何か知っていれば、いざというとき役に立つかもしれませんから」
彩音がそう言うと、久木田は少し驚いたような顔をして、崇史を見た。
その顔には、少し感激した様子が見受けられる。
騙されやすい人だな、と崇史は思った。
ころりと彩音に騙されてしまった久木田は、ニコチンについて、何でも聞いてくれと急に積極的になった。
まあ、結果オーライと言うべきか、彩音には感謝すべきだろう。
崇史は久木田の方をまっすぐ向いた。
「じゃあ、最初の質問ですけど、ニコチンを手に入れるのって、難しいんですか?」
久木田は首を横に振る。
「ニコチンは割と簡単に手に入れられる。タバコから抽出することも出来るし、ある種の農業用殺虫剤にもかなりの濃度で使われているんだ」
「そうなんですか……。えっと、それから、ニコチンってそんなに危険なもんなんですか? タバコに入ってるなら、吸ってる人たくさんいるじゃないですか」
久木田は難しい顔をする。
「ニコチンはとても危険な毒物だ。タバコとして吸うときの中毒性も高く、『毒物および劇物取締法』にも明記されているほどだし、致死量も少なく、猛毒といわれる青酸カリよりも毒性が強い」
「え、青酸カリってよく効く毒物ですけど……それよりも毒性が強いんですか?」
久木田は頷く。
入手は割と容易で、毒性が強い。ニコチンについて、大体必要な情報は集められたようだ。
「ありがとうございました」
崇史はそう言って頭を下げた。
久木田と別れた崇史、彩音の二人は、部室の前まで来ていた。
別れ際、久木田に借りた部室の鍵を使い、扉を開ける。
「ねぇ、崇史。久木田先生から話聞いて、何か閃いた?」
彩音が後ろから崇史に声をかける。
崇史は無言のまま部室内に入り、べとつきを感じた電灯のスイッチを何度か指先で触った。
「崇史?」
「……実を言うと、犯人はもう、分かってる」
「え?」
彩音は驚いたように目を見開いた。
「ほんと? ほんとに!?」
「ああ。『そいつ』はちょっと口を滑らせて、明らかに不自然なことを口にしてしまったんだ。それで大体分かった。でも『そいつ』には、部長が殺されたときにアリバイがある。だからまだ、告発することは出来ない」
「そっか……」
「でも」
崇史はいつになく強い口調で言う。
「そのアリバイトリックも、もうすぐ解けそうだ」
「え、ほんとに!?」
「ああ。だから少しの間、考えさせてくれ」
崇史はそう言うと、彩音の返事も聞かずに電気をつけ、ぶつぶつと何か呟きながら部室の中へと入っていった。
彩音は崇史の思考の邪魔をしないよう、無言で部室の入り口付近に立っている。
それから十数分ほど経ち、ぐるぐると部室内を歩き回っていた崇史の足が、ふと止まった。
崇史は目を瞑り、最後に確認するように何かを呟き、そして納得したように小さく頷くと、目を開けた。
「崇史……」
名前を呼ばれ、崇史は彩音のほうへ視線を送る。
崇史は彩音に自信に満ちた笑みを見せ、言った。
「分かったよ。今回の事件の真相が」
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
さて、次からは解答編となります。まだまだ自分で推理したいという方は、推理を終えてから読むようにお願いします。
完結まであともう少しだけ、お付き合いください。
よろしくお願いします。