将軍と副官。「閣下、結婚いたしましょう」「今そんな話してないよね!?」
ユール帝国とリヨン王国は三十年に渡り続く戦争は泥沼の様相を呈していた。
奪われた地を奪い返し、奪った地を奪われ永遠とも思われるこの戦いに人々は疲れ果てていた。
――【東部戦線シルバーナ平原】
この戦争において最も多く戦場となったこの平原は現在、ユール帝国の支配地である。
しかし、それも今日まで。リヨン王国の精鋭第十三兵団がこの地に向かっているとの情報が入ったからだ。
北部戦線に全力を注いでいたユール帝国に平原の支配を維持する兵力は無く、帝国第Ⅶ予備軍に殿を命じ他の戦力は撤退した。
帝国予備軍。徴兵制度によって訓練を受けた国民が予備兵として登録され、普段は一般の仕事をして生活し、
兵力が減った際に戦線維持のため戦線に投入される予備兵力。
職業軍人と違い士気、戦闘能力が低く使い捨てにされてしまう事が多い。
――【帝国第Ⅶ予備軍陣地】
薄汚れ疲れ果てた顔をした兵士達、目の奥に希望は無く皆死んだ目をしている……。
皆、希望が欲しかった。そして希望をもたらしてくれるかもしれない指揮官がいる天幕を一様に見つめている……。
天幕内には椅子に座り机上の地図を見つめている男と傍らに佇む麗しの女性がいた。
男はヒースロウ・アルノーといい帝国貴族、男爵家の若き当主であり、この第Ⅶ予備軍の将軍を務めている。
茶色の髪にはしばみ色の目を持ち中肉中背、能力値も平凡な人物でこの度、捨石にされる哀れな男である。
女性の名はメルセディア・バートン。戦闘貴族バートン家の息女であり、ヒースロウの副官を務めている。
銀色の髪に赤い色の目、女神が嫉妬すると言われるほどの肢体の持ち主、一切の表情を変えない所もチャームポイントとして一部で人気が出ている。
彼女を惜しむ軍上層部より内々に撤退命令が出ていたが、これを拒否しヒースロウに付き従っている。
机上の地図を見つめて難しい顔をしていたヒースロウが重い口を開く。
「……この戦いは既に敗北が決定している。私はこの命を賭してでも出来うる限り予備軍の兵士達を生きて帰したい。……策はあるか?」
この男は自分が無能であることを理解していた。そして傍らに佇む彼女が有能である事も。
自分が犠牲になる策であっても受ける覚悟は出来ているそう示し、彼女に尋ねた。
メルセディアは静かに目を瞑り、深呼吸をするとゆっくりと目を開け真剣な眼差しで言葉を発した。
「閣下、結婚いたしましょう」
「今そんな話してないよね!?」
「……?」
「いや、その何言ってるんですかみたいな表情やめよう?」
「閣下、結婚いたしましょう」
「聞こえてない訳じゃないからね!?」
おかしいな、今のタイミングでバッチリな筈という表情のメルセディアはしきりに首を傾げる。
全然バッチリじゃないからね? むしろバッドタイミングだからね?
ゴホンと咳をして仕切り直し改めて私は彼女に尋ねた。
「リヨン王国の第十三兵団と言えば重犯罪者で構成され、殺戮を繰り返す情け容赦がない者達だと聞いている。
我が第Ⅶ予備軍では全滅は必至だ。君の英知が必要なんだ」
私の言葉を聞いて彼女はハッとした表情を浮かべると素早く動き出す。
何か思い付いっ!? まてまてまてまてえええぇぇぇぇぇ!!
「どうして机の上に寝そべって軍服を脱ぎだすの!?」
「……? 私とのエッチが必要だと」
「エッチじゃないよ!! 英知だよ!!」
こ、この娘、どういう聞き間違えをしたらそうなるの!?
エッチが必要な状況ってどんな時だよ!!
「メルセディア、もうそこまで敵が迫ってるんだよ?」
「わたしは貴方に迫っていますが?」
それは知ってるよ!!
「策を授けてくれと言ってるの!!」
「子なら授かりますが?」
駄目だ……何を言っても男女間の話で返される。
この娘、なんで私との間ではこんなにポンコツなの……?
氷の女帝だとか、怜悧な人形とか言われてるけど嘘でしょ?
「閣下。そろそろ抱いて下さらないと寒いのですが」
「抱かないよ!? きちんと軍服を着なさい!!」
まったくもう。
……もしかしたら彼女も策が浮かばないのかも知れない。
この盤面はもう詰んでる状況だしな。出来る限り犠牲は減らしたかったのだが仕方がない、当初の予定通りでいくしかないか。
予備軍は訓練を受けた国民主体の民兵軍みたいなものだが、職業軍人がいない訳ではない。
第Ⅶ予備軍にも所属している。正確には職業軍人ではない、我がアルノー家に仕えている私兵なのだけど。
当主様の為にと私を支えるために、ついてきてくれた彼等も死なせたくは無かったけれど彼等と共に戦場に残り、絶命するまで戦うほかに手はないか。
私兵の皆には了解は得ているしそれで行こう。
軍服を着直した彼女の名前を呼ぶ。
「メルセディア」
「はい」
「君には私に仕えているアルノー家の私兵以外の第Ⅶ予備軍の兵達を連れ、この戦場から速やかに離脱して欲しい」
「何をおっしゃっているのかわかりません」
「いや、わかっているはずだ、頭の良い君なら確実にね。私はアルノー家の私兵を引き連れて第十三兵団を迎え撃つ。
なに、君達の逃げる時間は絶対に稼いで見せるさ!!」
ハッハッハと高笑いをしてみる。
「……どうしてわたしに命令なされないのですか?」
「何をだね?」
「貴方の方こそわかっているはずです。……わたしの力の事は。わたしであれば敵を殲滅することなど容易い事に」
「……………」
「貴方はわたしの力を知っても誰にも話さなかった。利用もしようともしなかった、何故です?」
「……君が新兵の時、初めて人の命を奪ったあの時の事を覚えているからかな」
メルセディア・バートンが私の部下として配属されたのは、まだ私が佐官になったばかりの頃だ。
以前の彼女は私を歯牙にも掛けておらず、ゆっくりと戦場に慣らそうとしていた私の命令を無視し独断専行が当たり前な娘だった。
幸い戦闘らしい戦闘に巻き込まれることも無く任務を終えられていたのだが、そんな幸運長くは続かない。
彼女は敵の罠に嵌り捕らえられてしまった。
軍は彼女を見捨て救出は行わないと決定し、それに反発した私が単独で救出に向かった。
闇夜に紛れ彼女が捕らえられていると推定された、
リヨン王国軍の陣地に侵入し無事彼女を見つけたのだが、
彼女は男達に囲まれて襲われそうになっていた。
男たちはどうやら捕虜の扱いに厳格な上官が眠ったのを見計らって、やってきたようで下卑た笑いを浮かべながら彼女に近付き触れようとして……。
彼女の中に眠っていた力が覚醒した、過去に戦闘貴族バートン家の先祖が持っていた一騎当千の戦いの力が。
その力が辺りを一瞬にして血の海に変え、リヨン王国軍の陣地が一夜で壊滅したのだ。
私は何故かそれに巻き込まれずに呆然と彼女を見つめていた。
全てが終わり血溜まりの中で佇む彼女。無表情で何も感じていないような冷たい表情だったが自然と彼女へと足が向かった。
不思議と恐れはなかった。むしろ、泣いているようで傍にいてあげたかったのだ。
彼女の前に立ち目を合わせても、彼女は何も見ていない目で何かを見ていた。
静かに彼女を抱きしめると抵抗もされず受け入れられそしてメルセディアは子供のように泣きじゃくった。
一頻り泣いて、泣き疲れ眠ってしまった彼女を連れて戻り、敵陣から救出した事だけを伝え彼女の力については何も語らなかった。
軍人として、貴族としては失格なのだろう。だが、どうしても伝えることは出来なかったのだ。
あのような、子供のように泣いて縋ってくる彼女の姿を見てしまっては……。
彼女はその後、命令無視などもせず世間じゃ凡将と言われているこんな私に付き従ってくれている。
「貴方は馬鹿な人ですね」
「馬鹿だとも。でも、そんな馬鹿な自分が好きなのさ」
フフッと自嘲ともいえる笑いがこぼれてしまう。
「閣下、結婚いたしましょう」
「またそれかい!?」
「いいではないですか。 わたしのような良い女と結婚できるのですよ?……生きて帰ってこようと思えるでしょう?」
「!! あっはははははは!! そうだな、その通りだ!! わかった、私が生きて帰れたら結婚しよう約束だ」
決して帰れぬ死出の旅だ、そんな約束があってもい
「言質は取りましたよ?」
ん?あれ??? 目がギラついてるんだけどメルセディアどうしたのって天幕を出て何処行くの!!
「皆さん、閣下が私と結婚してくれると約束しました」
「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」」
「わたしが鍛え上げた貴方たちです、第十三兵団なぞ恐るるに足りません」
「「「「俺たちゃ最強第Ⅶ予備軍!!」」」」
「勝ちますよ、貴方たち」
「メルセディア様の為に勝利を!!」
「メルセディア様万歳!!」
「若様の為にリヨン王国の雑魚どもをぶち殺すぞおまえら!!」
「「「イヤッハァー!!」」」
えぇ、なにこれ……なにこれ……。何で皆目がギラついてるの?うちの私兵も殺気が凄い……怖い。
――【東部戦線シルバーナ平原】
この戦争において最も多く戦場となったこの平原は、リヨン王国の精鋭第十三兵団を投じた戦いにて
壊滅的な被害を出し、リヨン王国は永久的にこの地から手を引く事となった。
ユール帝国の輝かしい勝利の影で、一人の男が犠牲になった事は余り知られてはいない。
結婚という名の人生の墓場に入った彼の名はヒースロウ・バートン!!
こ、こいつ…婿養子にされてやがる……!?