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間の悪い令嬢シリーズ

かなしいほど恋愛下手だったのは

作者: さと

きらびやかな王城の窓辺に肘をつき、来客を見送る哀愁を漂わせた後ろ姿は、見る者の憐憫を誘う。

というのも、この背中の持ち主――――アドニス・ユクレシア王子は今しがたものの見事に玉砕したところなのだ。


かねてから噂の絶えなかったお二人───王子の婚約者であったロザリア様とラドベリル騎士団長が、手に手を取って婚約破棄を願い出た。

二つ返事で了承した王子の心中はいかばかりか。

悲しいことに、それを窺い知る者は少ない。


「本当によろしかったの?」

身を潜めていた隣室から姿を現し、事情を知る者の務めとばかりに声をかける。

「ああ。あいつといるときのロザリアは、一段と美しいからな」

いまだに窓の外から視線を外そうとしないのは、未練の残る証拠だろう。

それならば、いっそのこと真実を告げればよかったのに。

なんとも歯切れの悪い結末に、王子の恋愛相談人たる私、ヒルデ・ベニトイユは肩を落とした。




私が風光明媚なこの国に男爵令嬢として転生したのはかれこれ5年前。

色とりどりのドレスや情緒あふれる街並みに心を躍らせたのは最初だけで、前世とは似ても似つかぬ顔に慣れた頃には、貴族社会の闇という現実に辟易する日々だった。

連日のように行われるマウンティングが透けて見える茶会に、家柄と外見しか見ていないご令息たちからアクセサリーのように扱われる夜会。

話題と言えば尾ひれ背びれのついた噂に、親や婚約者の事業の褒めあい合戦だ。

前世に比べて娯楽の種類や職業選択の自由が少ないのだろうが、それにしたってひどすぎる。

せっかく転生したのだから、おもしろおかしく生きていきたい。


そう思って趣味ではじめた街角占い師のまねごとは、どうやら私に合っていたらしい。

貴賤の別なく訪れる客人に、その悲喜交々の人生に係るうちに、この世界も捨てたものじゃないと思えるようになっていった。

この不器用極まりない王子は、その最たる例である。

3年ほど前にお忍びで訪ねてきた際、開口一番に発せられたのがこれだ。

曰く、婚約者と仲良くなるにはどうしたらいいか、と。


どうやら婚約してから2年経つものの、ろくに会えたためしがなかったらしい。

外出中だ、体調を崩して寝込んでいると断わられることは数えきれず。

俺は彼女に良く思われていないと俯く少年に、占いと言うにはおこがましいような助言を繰り返し、拙いながらも得られた成果に一緒になって一喜一憂したものだ。

例えばそう。

婚約者の家には近くを通った際に寄るだけだった王子に、『先触れを必ず送るようにして、たとえ会えなくても気持ちが伝わるよう何か手土産を持って行っては』と助言をすれば、『見舞いにもなるよう花を持参したら、後日城に来てくれた。行き違って会えはしなかったが、手作りの菓子を持ってきてくれた』とか。

『もし会えたとしても何を話していいか』とのぼやきには、『他のことを楽しみながら会話するのはどうか』と促し、『一緒に馬に乗って散策に出れた。花が病気で刈り取られていたため予定していた花冠こそ作れなかったが、おかげで話は弾んだ』とか。

会えないなりにも連絡は取れるようになった際には、『王妃教育に励んでいるらしい、俺もがんばらなければ』と手紙を片手に頬を緩ませたりして。

なんとも歯がゆく、しかし誠実な王子の恋路は、こちらの心をもほっこりさせた。


互いの素性を明かしても砕けた関係は変わらず、ロイヤルウエディングへの道行きを陰ながらお手伝いしているという、どこか誇らしい気持ちでいたのに、そうできなくなってしまったのは果たして何が原因だったのだろう。

あの茶会で王子が私をかばったためか。

あの2人が仲良く過ごしているところを見てしまったせいか。

夜会でロザリア様に粉をかける輩から助けるつもりが、逆にロザリア様を追い出す形になってしまったからか。


誤解が誤解を生み、噂も拍車をかけ、気づけば雲行きは怪しくなっていた。

手紙のやり取りはなくなり、次第にロザリア様に対して突き放すような言動が目立つようになり──いつしか王子は手を伸ばすことを諦めてしまったのだ。

婚約者から背を向けたその顔は、いつだって苦痛を耐え忍ぶ表情をしていたというのに。

間の悪い者同士ではつらかろうと。



2人を乗せた馬車が見えなくなるまでぼんやりと外を眺めていた王子は、ヒルデ、と私の名を呼んだ。

「何か…そうだな、ズコット以外で。うまいものを作りたい。手伝ってくれないか」

平坦な感情を乗せたその申し出に、一も二もなく頷く。

次期国王たるアドニス様に菓子作りをさせるなど他の者が聞けば卒倒ものだろうが、私にしてみればそんなもの知ったことではない。

ただでさえ常日頃、難しい顔をした大人たちに囲まれ勉学や公務に追われているのだ。

合間を縫っての自由時間くらい好きなようにさせてやればいい。

お菓子だろうと花冠だろうと、請われれば何だって作り方くらい教えよう。

いつだったか王子は、誰かのために何かを一緒に作るのは楽しいものだと笑みをこぼした。

その穏やかな顔が見られるのならば。


さて、そういうわけなので王子とこうして並んで何かを作るのはこれが初めてではない。

1度目はロザリア様が作ってくださったという思い出の品のズコットを。

2度目はロザリア様が好きだという苺がたっぷり入ったフレジェに。

フレジェは結局お渡しできず、それならばと日持ちするものを作ろうとしたのだが。

2人の逢瀬を目撃してしまったために渡すどころか作れる状況でもなくなったため、実質これが3度目だ。

ものを何にと考え、ふと浮かんだサンマルクを選んだ。

ショコラ系の二層のクリームをカラメリゼしたビスキュイで挟んだシンプルなケーキは、しばらくの間大好きなズコットから遠ざかりかねない王子の侘しさを埋めることだろう。

ロザリア様への結婚祝いにするなら少し見た目が地味かもしれないが……その場合は盛りつけでカバーすればいい。


2人で並んでメレンゲを泡立てながら、王子の幸せを想うなら私も身の振り方を考えないととぼんやり考えていると、ふと目の前が陰った。

髪に触れられた気配に一歩分その場を離れれば、傍らの王子は驚きを隠せない様子を露わにした。

宙に浮いたままの右手の指を見るに、髪についていた小麦粉を梳いたのだと知れる。


「なぜ避ける」

「なぜも何も。これから新たな妃を迎えられるのでしょう。私への気安いふるまいは改められませ。でなければ同じ轍を踏むことになりますよ」

「…俺はヒルデがいいのだが」

なんとまあ。

ぱちくりと瞬きで返したが、どこか拗ねたような表情が変わることはない。

王子と私に対する根も葉もない噂にはずいぶん辟易したものだが、師と仰がれる私と王子の間には、色気もへったくれもないというのが真相だった。

ここにきて私を選ぶ理由はただ一つ。

かなしいほど恋愛下手だとは思っていたが、ここまでとは。


「アドニス様、よろしいですか。心が弱っているときに優しくされれば、人は誰しもころっといっちゃうものなんです。将来の王妃はそんな安易に決めてしまっていいものではありません」

「ヒルデのやさしさは、心の隙につけこむようなものだったのか」

あまりの言いように思わず否定しそうになり押し黙ると、その隙を縫うように王子は続けた。

「今この時だからそう思ったのではない。いつだって貴女は、王子という肩書を通してではない、ただの不器用なひとりの男として見てくれたろう。俺はずっとそれがうれしかった」

とつとつと語る様を、瞬きもせず見つめる。

それは単に、出会いが出会いだっただけで。

余りの不器用さに放っておけなかっただけで。


「初恋はかなわなかったが、ヒルデのことはあきらめたくない。すぐには無理でも、これからは貴女を想う一人の男として見てほしい」

いつのまにか取られていた手が、王子の頬に重ねられる。

掌に感じる自分のものではない熱に驚き、慌てて抜き取った。

「私でなくとも、きっかけさえあれば同じような接し方をされる、もっと相応しいご令嬢がみえるでしょう。どうか冷静に、そして広い視野で」

失恋したての一時の感情では判断力すらままならぬだろう。

家格というものがあるのだ、王子と男爵令嬢とでは身分が違い過ぎて、反発されこそすれ祝福など望むべくもない。


さあケーキ作りを再開しますよ、と言い置いて腕の中のメレンゲに向き直る。

ケーキが完成したら、ほとぼりが冷めるまで王子に会うのはやめておこう。

その間に新たな王妃候補が擁立されるだろうし、今のような女性への接し方であれば、もう恋愛相談人がなくてもやっていけるだろう。

そうしよう。


「存外、望みがないわけでもないらしい」

ボウルを抱えながら柔らかな笑みを見せた王子に、何を言っているのかと呆れそうになったのだが。

そのあと私はオーブンに入れたままだったビスキュイを焦がし、チョコレートを見事に分離させ、あげく完成したケーキを皿にのせる間もなく床にひっくり返したのだった。

ドレスに散ったクリームを落とすため、化粧室へと足を向けた私は、鏡に映った自分の顔でようやく悟るのだ。


ああお願い、嘘だと言って。


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