第四幕「妙なコンビが誕生したな」
◆ ◆ ◆
「驚いた」
上半身裸のアルフレードがつぶやいた。
今、アルフレードとデミトリスは同じテーブルに座り、今しがた淹れたコーヒーを飲んでいる所だった。
リアはいない。リアのメイドアイはアルフレードの服を著しく汚いものと判断した。判断したからにはリアはそれを綺麗にせずにはいられない。今はわずかな水を有効に使いながら洗濯に勤しんでいる。
「驚いた? なにがだ?」
「あの嬢ちゃんだよ」
「リアのことか?」
「他にいないだろ。俺はあんたが女だとはシフトが八つに割れても信じん」
「うむ、我も貴様が女だと言うならば、己の尊厳と偏見と悪意を持って灰燼に帰すことを誓うだろう」
カチャカチャとデミトリスがスプーン回す。
「あの嬢ちゃんはメイドロボだ。それは間違いない。だが、メイドロボじゃない」
「それは謎かけのつもりか?」
「そんなつもりはない。こう言うことをあんたに言ってもしょうがないかもしれないが、この世界にはそれなりの決まりってやつがあるのさ」
「ほう」
スプーンを回す手を止めて、鼻に近づける。くんくんと匂いを嗅ぐ。
ずずず。
デミトリスは顔を振り、カップを逆さにする。
「貴重な水を無駄にすんじゃねえよ。だがまあ、今のと同じよ。こぼれた水は元には戻らない。こぼれたコーヒーも元には戻らない。誰が言ったか忘れたが、そう言うものだ。水は戻らん
し、ロボットが自らの意思で何かをすることもない」
「我はロボットには詳しくないが、そんなに珍しいものなのか」
「珍しいね。――そうだな、ちょうど良い」
アルフレードは席を立つと車の荷台からロボットを担ぎ出す。エプロンやカチューシャを見る限りメイドロボのようだ。リアよりも少しだけ身長が低く、顔立ちも少し幼く見える。栗色髪に色白の肌。
「商売品だ。壊すなよ。結構高い品なんだからな」
テーブルの側に置き、その背中にいくつかのケーブルを繋ぐ。ケーブルはコンピューターにつながれ、アルフレードがキーボードを叩く。タンタンタンとリズムカルな音の響きから、アルフレードがこういった事に習熟していることをうかがわせる。
タンっと一際大きな音で大き目のキーを押すと、メイドロボは目を開けた。
そのメイドロボはこんなことを言った。
「おはようであります! ご主人様! 私のデフォルトネームはステファニーであります! ご主人様、ご命令をどうぞ!」
「何だこれは? 妙に小うるさいな。それに口調もおかしいぞ」
「気にすんな。仕様だ。何故か知らんがお偉がたの間じゃ、こういうものの方がウケが良いらしい。年寄りにはわからん部分さ。ほれ、なんか命令してみろ。主人はあんたに設定してある」
「そうだな。じゃあ、コーヒーをもう一杯淹れてもらおうか」
「了解であります! ご主人様!」
ステファニーと名乗ったメイドロボはきびきびとした動きでデミトリスのコーヒーカップを奪い取り、テーブルの上のポットを手に取る。
「どうぞであります!」
コーヒーが置かれた。
デミトリスはそれをずずずと一口。すぐに捨てた。
「他にご命令はありませんか? ご主人様!」
「そうだな、コーヒーを貰おうか」
「了解であります! ご主人様!」
カップを受け取り、ポットを傾け、コーヒーを注ぐ。
「どうぞであります!」
やはり、デミトリスはそれを捨てた。
「他にご命令はありませんか? ご主人様!」
「うむ。我はこのコーヒーと言うものは気に入らん。貴様は知らんだろうが、これを飲むと我は不快になる。我は無駄なものは好まん。意味はわかるか?」
「はいであります! ご主人はコーヒーが嫌いなのでありますな!」
「そう、我はこれを見るだけで不快になるのだ。嫌いと言う表現も間違いではない。そして、貴様は我を満足させ、不快感を与えないように作られたメイドロボだな?」
「はいであります。ステファニーはメイドロボであります!」
「では、コーヒーを淹れてもらおう」
「了解であります!」
そして、またコーヒーを淹れだすステファニーを見ながら、デミトリスは言う。
「なるほどな。確かにリアとは違うようだ」
「だろ」
デフォルメされた顔に満面の笑顔。小さな身体を懸命に使ってコーヒーを淹れる姿はリアとは対照的だった。
「リアにはあんな笑みはできない」
「どうぞであります!」
四回目となるコーヒーが置かれた時、デミトリスはアルフレードの方を見た。
アルフレードは無言でキーボードを叩く。
「ご主人様! ステファニーは眠たいであります! これから少々睡眠を取りたいと思うであります! それでは!」
「最後までやかましいな」
デミトリスがつぶやいてアルフレードを見ると、彼は黙ってコーヒーをすすった。
程なくしてリアが帰ってきた。その手には洗濯物を入れたタライがある。
「ただいま戻りました。アルフレード様、ロープなどはありませんか? 洗濯物を干す場所がありません」
アルフレードは「ああ」と「おお」の中間くらいの声を出した。車の荷台に向かい、どでかいカバンを漁りだす。
リアは合いも変わらずマネキンみたいに突っ立っている。タライとメイド。なかなか興味深い組み合わせだとデミトリスは思う。
――?
ふと、リアが歩き出す。てくてく歩いて、テーブルの足に寄りかかるように置かれているメイドロボを見下ろす。
沈黙がいち、にい、さん……。
リアがこちらを見る。
「デミトリス様」
「なんだ?」
「メイドロボです」
「そうだな」
今度はアルフレードの方を見る。
「アルフレード様」
「なんだ?」
「メイドロボです」
「そうだな」
またこちら。
「デミトリス様」
「なんだ?」
「メイドロボです」
「そうだな」
「………………」
ちょっとうつむいた。
「メイドロボです」
「そうだな」
「…………………」
「………」
「メ……」
「ひょっとして、興味があるのか?」
リアの身体がぴたりと活動を停止した。いつも無表情だが、今は輪をかけて色が無く、固くなっている。猫あたりが突然襲われた時の硬直に似ているな、とデミトリスは思った。
「アルフレード」
「なんだ?」
「こいつ、もう一度動かせるか?」
「もう一度? おい今もう一度と言ったか? 馬鹿にするなよ。俺の手にかかればどんなポンコツロボットも百年保障よ」
アルフレードは手に持ったロープを横に投げ、両手を広げる。どこかの胡散臭い宗教家が行うようなポーズに似ている。
そこからの行動は早かった。
再びケーブルを繋ぎ、システムを起動。
設定を書き換え、リアをご主人様設定にする。全てのシグナルを確認。グリーンライト。プログラムを一気に最終確認段階まで持って行き、了承キーをタンッ。
流石の早業だった。
再び、ステファニーが起き上がる。大きな目がパッチリ開かれ、満面の笑顔を作る。
「おはようであります! ご主人様! 私のデフォルトネームはステファニーであります! ご主人様、ご命令をどうぞ!」
両手を前に組み、やや身体を右に傾け、ステファニーはリアにあいさつした。
リアはネジが巻かれたような動作でタライを置き、両手を前に組み、ぴしりと背筋を伸ばし、丁寧に礼をした。
「初めまして。ご丁寧なあいさつ痛み入ります。リアはメイドロボのリアです。今後ともよろしくお願いします」
「嬢ちゃん。こいつは嬢ちゃんを主人に設定しているんだぜ。別に畏まることはないんじゃねえのか」
リアはギギギと音が聞こえそうな動作でアルフレードの方へ首を向ける。身体は直立不動を保っているので、なかなか面白い格好になっている。
「いえ、リアはデミトリス様のメイドロボです。メイドロボがメイドロボの主人になるとはおかしいのではないかとリアは思います。メイドロボは主人に仕えるものです」
「それもそうか」
アルフレードはボリボリと頭をかく。フケがもわもわと編隊を組み、空へと離陸する。
「アルフレード。服よりも貴様の方を洗濯すべきではないか?」
「ああ、そのうちそうさせてもらうよ」
アルフレードはカチャカチャとキーボードを操作する。片手でもその動作は淀みが無い。
ステファニーは命令がないので、いつまでもニコニコ笑いながらリアの方を向いている。
「で、どうするんだ?」
「何、簡単なことよ。俺を主人に設定してその後、リア嬢ちゃんの指示に従うように言えばいい。そうすりゃ万事解決だ」
タンッ。
「ピンポンパンポン! 新たなシステムがインストールされました! システムを再起動します! それではご主人様! また会いましょう!」
「!」
その言葉と共にステファニーの身体から力が抜けた。ガクンと一揺れ。尻餅を付いて、再びテーブルの足に寄りかかる。
リアは高速で首を戻し、ステファニーを凝視する。
心なしか、いつもよりも目が大きく開かれているような気がする。気のせいかもしれないが。
「アルフレード。大丈夫なのか?」
「何すぐにわかるさ。ほれ」
言うや否や、ステファニーは三度起き上がる。
「おはようであります! 私のデフォルトネームはステファニーであります! アルフレード様、今日は何するでありますか?」
「おお、よろしく。さっそくだが、この嬢ちゃんの指示に従ってくれ。お前の先輩みたいなものだ」
ステファニーははにかんだ表情を作り、リアを見上げる。メイド服こそ着ているが、その馴れ馴れしさや動作は歳相応の少女を思わせる。
リアは、
「初めまして。リアはメイドロボのリアです。今後ともよろしくお願いします」
「嬢ちゃん。それじゃさっきと変わらねえって」
リアはたっぷり五秒間、フリーズした。恐らく思考回路をフル回転しデータを整理、的確な返答を弾き出そうとしているのだろう。
やがて、結論に達したのか、虚空を見つめていたリアの瞳はステファニーへと向かれる。
リアは右手を上げ、
「ガッデム」
「リア。貴様は何を言っている」
「申し訳ありません。一時的にシムテムが混乱していたようです」
無表情、無感情に言ってのける。
デミトリスは「むう」と、一唸りアルフレードの方を見る。
「アルフレード。大丈夫なのか……?」
「―――」
「アルフレード?」
「お、おお。なんだ?」
ボケたか?
じっと、リアを凝視していたアルフレードはやっと気付いたという感じで、デミトリスに向く。
「どうした? 死の天使でもいたか? それともヴァルキリーか? いや、貴様には似つかわしくないな。コキュートスへの入り口でも見つけたのか? 我には見えなんだが」
「いや、そうじゃねえ。そうじゃねえさ」
「むぅ?」
むぅの語尾は尻上げである。
アルフレードはごまかすようにリアの方に目を向ける。
「まあ、なんつうかリア嬢ちゃん。別に無理せんでもいいし、普通に友達同士が会話するみたいにすればそれなりに対応するぞ」
「そうですか。了解しました。リアは普通にします」
リアが改めてステファニーの方を向く。
ニコニコ。
一瞬、瞳が揺れた気がする。
一息分の間。
「――はじめまちゅて!」
「…………………」
「そんな目をされても困るな」
◆ ◆ ◆
結局のところは落ち着くところに落ち着き、リアはとステファニーは共にテキパキと仕事をこなしている。
そして、食後の時間。船内には丸くて白いテーブルを囲み、神経衰弱をして遊ぶ四人の姿があった。発案者デミトリス。
「だからですね。リア、私のことはステフで良いであります! なぜならば、その方が響きが可愛いからであります! では、せーの」
「――ステフ」
「わーい! よろしくであります。リア!」
「妙なコンビが誕生したな」
「ああ」
ぺら。ぺら。
プラスチックのカードがめくられる。ダイヤの五とクローバーのジャック。
「ところでだ」
「今集中しているところだ。しばし待て」
デミトリスはカードを睨む。ゴゴゴゴゴ、と効果音が聞こえてきそうな程気合の入りどうである。
「――ここだ」ぺら。ぺら。ダイヤの五とスペードの五。
満足げに二枚のカードを手元に寄せる。
「で、なんだ?」
「これからのことだ」
その横でステフがカードをめくる。何も考えていない完全ランダム制御な手つきなのだが、何故かデミトリスに次ぐ枚数を獲得している。
「いつまでもここに居るわけにはいかん。と言うか、ぶっちゃけ食料も尽きつつあるし、燃料も心もとない」
「燃料?」
リアの手番。開けられたカードについては記録しているが、それ以外は完全に情報がない。手近なカードを開く。クローバーのジャックとクラブのジャック。初黒星。
「リア嬢ちゃんやステフの燃料だよ。メイドロボだってゴムで動いてるんじゃねえ。そう言うものが必要なんだよ」
「おお、そうであったな。昨日、リアがそんなことを言っていた」
「おいおい、一応ご主人様だろうがよ。しっかりしろや」
ハートのクィーンとハートのエース。
すかさずデミトリスの手が動く。ハートのクィーンとクラブのクィーン。
「そうだな。従者の管理も主人の役目。リア、これからは必要なものがあれば、あらかじめ報告しておくように」
「はい。デミトリス様」
「つーか、お前らを見てて思ったんだが、やっぱり常識つーものがねえな」
ステフ。クラブの七とはクラブの八。
「あうー」
「常識が無い、か。確かにな。我はこの世界について重要なことは何も知らないとも言ってよい。だが、そのためにアルフレード。貴様を招いたとも言える。案内役としてな」
リア。ダイヤの四とクラブの八。
「そうかい。ま、でなきゃとっくに魔神様の腕に掴まれて地獄に引きずり込まれてるか」「いや、我は貴様のことがなかなか気に入っているぞ。冷静な精神と熱い魂。貴様のような男はいつの世にも必要とされる。我も嫌いではない」
「そいつはありがでえ」
ダイヤの四とハートのキング。
「で、だ。本題に入っちまえば、近日中に街に向かうべきだと思っている。どう考えても物資が足りん」
ダイヤの四とクラブの四。
「街か……、良いな。見聞を広げることもできよう。それにmリアの身体ももう少し綺麗にしてやらんといかんな。魔神デミトリスの従者としてはしたなくいつまでも胸に穴なんぞ開けて
いられては困る。身も清めよ」
「それもあるんだよ。買出しの他に。ボーラの街には俺の拠点もあるからな。リアの修理もできるぞ」
「わっふぅ! ゲットであります!」
「ふむ、温泉はあるか? 我は宴にも温泉にも目が無いのだ。魔神にして支配者たるもの、常に身を清めておかねば。それは、時に頭に王冠を乗せるよりも大切なことだ」
「公衆浴場はあるな。ってもそこに行くにも金がかかるぞ。スラムの方じゃ行水だって贅沢なんだからな」
「良し行くぞ。準備をせよ。温泉が消えては困る」
「いや、温泉は……」
椅子を蹴飛ばすように立ち上がり、足早にデミトリスは扉に向かう。
「リア。寝室の準備だ。急げ。寝るぞ。明日は早いぞ。貴様らも早く寝るように」
「はい。デミトリス様。すぐに用意します」
「ステフも手伝うでありますー!」
慌しく出テイク三人組み。
やれやれと言った顔でアルフレードは適当なカードをめくる。
ピエロがニヤニヤ笑っていた。
「はー、ったく」
ボリボリと頭をかく。フケが舞い、テーブルに降り注ぐ。
「やれやれだな。まったく、とんでもねえ奴らに捕まったもんだ」
アルフレードは保存庫の中にある水を取り出す。グラスに注ぎ、一気に飲み干す。
別に意図して行った訳ではないが、この自分の行為が昼の出来事を思い立たせる。
「メイドロボに……、神話の魔神か……」
グラスの底にわずかな水が残っていた。底に映るアルフレードの顔はひどく疲れ、擦り切れたような雰囲気が漂っていた。
「畜生め……」
つづく




