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第十幕「どいつもこいつも馬鹿野郎ばかりだ」




◆  ◆  ◆




 上空を旋回していたヘリを二機ほど巻き込み、デミトリス戦車の上に着地した。


 真っ赤な炎は人の形を形取り、巨躯の赤き魔神へとその姿を変えた。


 広場には戦車やロボットなどが多数配置されており、デミトリス達を確認したのか、それぞれが侵入者を殲滅せんと動き始めていた。


 目視できる範囲内には戦車5両、戦闘用ロボット8体。


 それぞれが戦車砲の戦車砲の砲身と機関銃をデミトリスに向けようとしていた。


 まずは手近な所から始めた。


 デミトリスの腕が戦車の車体にめり込む。そのまま、腕をさらに伸ばし、装甲を引き千切り動力源を握り潰す。



 爆発。



 もうもうと黒い煙が上がる。


 煙を掻き分け、炎の巨体は戦闘ロボットに向かう。


 機関銃の猛射を弾き返しながら、至近距離まで近づき、組んだ腕で頭頂部から叩き潰す。


 体長の半分ほどまでひしゃげたロボットは機関銃を乱射しながら、もがく様に手足を動かし、やがて爆散した。


 さらに、その横にいたロボットの腹に拳を叩き込み固定した後、頭を掴み、力ずくで引き千切る。


 腹部と頭を失ったロボットは痙攣のような動作を行った後、全身から火を噴出した。千切った頭は空を飛んでいたヘリにぶつけた。


 デミトリスは戦車を持ち上げ、両手の力で左右から押し潰して見せた。


 戦車から漏れた燃料や破片を浴び、デミトリスの炎が猛る。


 そして、気づけばデミトリスは敵に囲まれ、数えるのも億劫な銃口が凶悪な侵入者を倒さんと向けられていた。


 銃声。


 銃声。


 轟音。

 

 あるいは機関銃、あるいは戦車砲、あるいは誘導弾、あるいは光学兵器。


 必殺の攻撃がデミトリスに殺到する。

 

 だが、暴虐の劫火の前には人類の叡智も何と無力なことだろうか。

 

 デミトリスに届くまでのわずかな距離の内で弾丸は融解しその姿を崩した。

 

 光の矢も太陽の前には意味をなさなかった。

 

 デミトリスが牙を剥いた。

 

 まさしく、魔神の笑みであった。

 

 次の瞬間、赤い閃光が全てを包んだ。

 

 デミトリスの炎は地上に現れたもう一つの太陽で、それは一切の有象無象の区別無く、情け容赦なく、防弾装甲を溶解させていく。

 

 あるいは蒸発。

 

 あるいは爆発。

 

 魔神の腕に抱かれた機械達は、完全破壊という運命からは逃れることはできなかった。


「ふん! 味方を巻き込まないというのは精神に悪いな! ハラペコの状態でメインディッシュを目の前に付け合せの野菜しか食べてはならないと言われているようだ!」


 これだけの破壊行為に及んでいながら、デミトリスはまるで物足りないと言わんばかりであった。


 シフトに存在する兵器達。


 一機で数多くの人々の命を奪う凶悪な兵器達も、この炎の魔神の前ではデモンストレーションの道具でしかないようだ。


「お前たち、もういいぞ」


 デミトリスの言葉に塀に隠れていたリアとステファニーがひょっこりと顔を出す。


 辺りに動くものは揺れる炎以外に無く、あれだけいた兵器達はすでになく、ただの溶解した鉄くずと化していた。


 辺りには化学製品が焼ける異臭が漂い、黒い煙が当たり一面に広がっていた。


 リアとステファニーは炎を避けつつ、デミトリスの元へと向かう。


 不思議とデミトリスの周りだけは、炎の熱さから守られるようだ。


 現在のデミトリスは普段よりもさらに巨大さを増しており、目線を合わせようとするとかなり首を上げなければならなかった。


「あらかた片付けた。恐らくアルフレードは建物の中だな。ステフ。先ほどアルフレードの居場所がわかると言っていたな。今どこにいるかわかるか?」


「わかるであります! あちらの方角、直線距離で200メートル先にいるであります!」


 そういってステファニーは建物のある一角を指差した。


 その答えにデミトリスは舌打ちをする。


 予想はしていたが、室内での戦いはできれば避けたいところだった。


 室内では逃げ場所も限られ、また自らの攻撃でリア達を巻き込む危険性があった。


 そして、施設内の構造を相手は熟知しているはずである。現在、イニシアティブは完全に相手にあると言えた。



「……………」



「デミトリス様? どうかしましたか?」


 ステファニーが指差した方を睨み、険しい顔をデミトリスは作る。

 考え付く最悪の可能性。

 この街の技術規模から考えて異常とも思える戦力。まるで誰かを待ち構えていたかのような配置。あっさりと我々と合流したステファニー。


 状況からの推測に過ぎないが、これらから導かれる答えはあまりに残酷であった。


 それをわかっていてなお、リアに運命を突きつける自分もまた残酷であるとは思う。


 だが、これは儀式のようなものだった。


 リアが本当に先へと進めるようになるか。


 我ながら不器用なやり方だと思う。


「リアよ。手を出せ」


 リアは少しだけ不思議そうな顔をしたが、素直にその指示に従った。


 ほっそりとした手が出しだされ、その上に巨大な赤い手が重ねられる。


「魔神の加護だ。受け取れ」


 デミトリスが手を離すと、リアの手には赤い宝石のようなものが乗せられていた。


 中心から炎が湧き出すように赤が広がっていく。その宝石は、所々が尖っており、削りだした原石の装丁であった。


「我の力の一部を込めておいた。お前が念じれば多少の力を発揮する。使うようによって武器にも盾にもなる。どうしても必要になった時に使え」


 それだけ言い、デミトリスは施設の方に歩き出した。


 リアは手の平に乗った宝石を見つめる。


 その宝石はやや熱を帯びており、握るとちょうどリアの手に収まるほどの大きさだった。

 


 ギュッ、と石を握り締めた。



 そこでリアは思い出した。


「あの、デミトリス様……」


「ん? なんだ?」


 リアは無言で隠れていた塀を指差した。


 そこにはメラメラと勢い良く燃える紙袋があった。


「申し訳ありません」


「……いや、これは我が謝るべきことだな」


 敵機械と共に何着かの衣服が灰となった。




◆  ◆  ◆




「……どうしたい? 間抜けな顔してるぜ」

「あなたも随分と落ち着かない様子ですが?」

「まあ、あんなもの見せられりゃ……な」

「ですね……。まさに伝説に出てくる悪魔ですよ」


 アルフレードとケイネスの見つめるカメラ映像には戦車の残骸と炎の黒煙の中に仁王立ちするデミトリスの姿が映し出されていた。


 アルフレードの戦術は専門家から見ても文句無しのものであったはずだ。


 持ちえる戦力を分散させず、対象を包囲し、集中砲火を浴びせ殲滅させる。戦力や攻撃の手が勝っているならば、確実な成果を上げることができる戦術であった。


 だが、それだけの戦術とそれを行える戦力を投入しておきながら、傷を与えるどころか息さえ乱すことが叶わなかった。

 その上でまだ余力があるとの推測される以上、前提となる条件を変える必要があるだろう。


 敵は通常戦力でどうこうなる相手では無かったという事だ。


「ったくよ。これほどたぁ聞いてねえぞ」


「まあ、分かっていた所でどうすることもできなかったでしょうけどね。大昔、神々の時代には彼のような存在がひしめいていたのでしょうか……」


「それは今考えても仕方がねえことだ。俺達がやるべきことは、あの規格外の化け物をどうやって倒すかということだ」


「倒さないまでも“黒い棺”をいただくには、彼には彼女から離れて貰わないといけませんね。……できますか?」


「まあ、うまく立ち回れば予定通り引き込むことくらいはできるだろ。あの野郎だって、この施設を丸ごとローストするような真似はしねえさ。その為に俺がここにいる。だが、問題はそ

の後だ。とてもじゃねえが、用意していた兵器類じゃたんこぶすら作れねえぞ」


 デミトリスに備え、施設内に配置した兵器達を操作・再配置するアルフレード。その横でケイネスは顎に手を当てていた。


 やがて、軽くため息をつき、顔を横に振った。


「アルフレード技師。全ての戦力を第七訓練場までの誘導に当ててください。その後、隔壁を閉鎖し、彼の魔神からフロイラインを連れ去ってください」


「で、どうすんだ? 隔壁を閉鎖してもあいつのバカ力とバカ火力相手じゃ時間稼ぎにしかなんねえぞ」



「私が相手をします」



 アルフレードの手が止まる。


 画面を睨みつけたまま、ボリボリと頭を掻く。フケが散り、画面やパネルに落ちていく。


 炎に囲まれ何か話をしているデミトリスとリアを見つめ、椅子を鳴らした。


「正気か?」


「正気です。そして、一番確実な方法だと考えています」


「……死ぬぞ」


「その時は、後の事はあなたに任せます」


「俺が“黒い棺”をかっぱらうとかは考えねえのか?」


「ああ、それは思いつきませんでしたよ」


「……馬鹿野郎が」


 背もたれに身を預け、アルフレードの眼鏡に照明の光が反射する。


「どいつもこいつも馬鹿野郎ばかりだ」


「あなたも相当だと思いますよ。今時珍しい馬鹿野郎ですよ。私たちは」


「行け。行っちまえ。せいぜいお膳立てはしてやる。だが、骨は拾わん」


「ありがとうございます。あなたはまるで魔法使いマーリンのようなお方だ」


「誰だそりゃ?」


「神話の中に出てくる不思議な力を持つ老人ですよ。アーサーという名の英雄を導き、魔法の剣と鞘を与えたと言います。剣には敵を打ち倒す力が、鞘には傷を癒す力があったと伝えられ

ています」


「生憎と、お前のマーリンからはそんな餞別はないぜ」


「心意気だけで結構ですよ」


 ケイネスは軽く笑みを浮かべ、出口の方に向かう。


 規則的な足音がアルフレードの耳をくすぐる。


 身を起こし、パネルの操作音でアルフレードはそれに答えた。


「では、また後ほど」


「ああ」


 扉が開き、ケイネスは第七訓練場に向かい、歩を進めた。




◆  ◆  ◆




「伏せろ! リア! ステフ!」


 言われるまでも無く、発砲音にリアとステファニーは素早く反応していた。


 デミトリスは廊下に両手を広げ、立ちふさがる。


 銃弾が胸を撃ち、火花が散る。


 そのままデミトリスは一歩また一歩と足を踏み出し、じりじりと近づいていく。


 赤熱する拳を握り、敵ロボットの銃口に叩きつけた。


「くそっ! まどろっこしいわ!」


 一撃でロボットを破壊したデミトリス。だが、その顔は苛立ちに満ちていた。


 施設に入り、デミトリス達は狭い廊下を進むことになった。


 この狭さが曲者であった。デミトリスの力をフルに発揮するにはこれほど不向きな場所は無い。


 強力な火炎を使用すれば、リアとステフを巻き込んでしまう。さらに言えば、アルフレードに被害が及ぶ可能性もある。


 となると、近距離での攻撃を中心として戦うしかないのだが、それについても敵は良く考えていており、うまくデミトリスをゆれ動かし、その隙にリアとステファニーへの攻撃を敢行する。そうなればデミトリスはリアとステファニーを守るために無理やり行動取る他無い。その上、施設内に入ってからは小型の兵器が活用され始めたせいで、予期せぬ場所からの攻撃が加えられるようになって来た。

 

 体力的にはまったく問題無いが、いつどこからどんな兵器が出てくるかわからないという緊張感を常に強いられるようになった。

 

 それについてはリアについても同じのようで、顔こそ無表情を貫いているが、普段の落ち着いた物腰は無く、しきりに目を動かし、辺りを窺っている。

 口数はさらに少なくなり、すぐに行動できるように四肢は常に高速のパルスを送受信させていた。


「デミトリス様! アルフレード様はあちらにいるであります!」


 そんな中でもステファニーの様子は変わらない。


 いつものように笑顔を絶やさず、騒がしく声を張り上げる。慌てているように見えなくもなく、アルフレードのことを心配しているようにも思えるが、実際にはただプログラム通りの行動を取っているのだろう。


 恐らくは現在のマスターであるアルフレードが死亡した時点でステファニーは機能を停止し、次のマスターが現れるまで一切の行動が取れなくなるであろう。

 だが、その事に彼女自身が恐怖を覚えることはないのであろう。


 ただ、忠実に“決まり事”に従い続ける。それがステファニーであり、通常のメイドロボのあるべき姿なのだ。


「そろそろ目的地か……。ようやくこの馬鹿騒ぎも終わりといったところだな」


 ステファニーが言うにはアルフレードのいる場所までは後20メートルといった所だ。


 すなわち、直線の廊下を進み、扉を破ればそこにアルフレードがいるはずであった。


「リア。ステフ。お前たちはここにいろ。ジジイの首を引っつかんですぐに戻ってくる」


 デミトリスの言葉にリアは頷く。ステファニーは「了解であります!」といつもの調子で返答する。


 それを見て、デミトリスは疾走した。


 待ち構えていたレーザー砲を炎の弾丸で焼き、配置されていたロボットをすり抜けざまに破壊した。


 そして、壁に向かい巨大な炎弾をぶち込み、そのまま力任せに突撃した。


 炎の一撃でひしゃげていた扉はデミトリスの巨体を受け止めることなどできようはずもなく、内側に破片を飛び散らし、破壊された。


 デミトリスが飛び込んだ部屋はかなりの広さがあり、壁も天井もかなり固い材質でできていた。床や壁には血反吐の後があり、あたり一面に傷がついていた。それらの様子からこの部屋がどういった利用法をされているのか容易に想像が付く。


「何かの訓練場か?」


 そうデミトリスが呟いた瞬間、デミトリスの背後で隔壁が閉まっていった。


 市政府内には火災などの災害や侵入者を閉じ込めるために、いたる所に隔壁が備え付けられている。

 リアとデミトリスとの間、約20メートル間にも3枚の隔壁があり、その全てが閉められたようだ。

 とは言え、訓練場の扉を苦も無く破った魔神だ。隔壁3枚程度を破るなど、リアを傷つけないようにしたとしても、それほど難しい作業では無かった。

 

 だが、デミトリスは動かない。

 

 訓練場の右側にある柱を睨みつけている。

 

 そこから放たれる匂い。

 

 機械の油と人間の匂いが混じったような異様な気配をデミトリスは感じていた。

 

 そして、そいつは今までの機械どもとは違う、警戒に値する力を持っていることを。


「誰だ? 出て来い」


「おや? もうバレていましたか? あわよくば後ろから不意打ちをかけようかと思ったのですが……」


「ふん、そんなに殺気を放ちながら不意打ちもあるまい」


「おっと、それは失策でした」


 柱から出てきたのはケイネスであった。普段通りの黒いスーツ姿で、髪をきっちりとオールバックに決めていた。


 手には武器も持たず、普段通りの軽い笑みを浮かべている。


 ゆっくりと靴を鳴らしながら、デミトリスの前に回りこむ。


「ボーラシティの市長、ケイネスです。よろしくお願いします。あなたのお名前は?」


 瞬間、ケイネスのいた場所に火柱が上がる。


 爆発。


 ケイネスの居た場所には黒い煙が立ち昇り、視界を黒く染めていく。


 デミトリスが刹那のスピードで炎を投げつけたのだ。


「……ずいぶんと、手荒いあいさつですね」


「奇襲の手本を見せてやろうと思ってな」


「それはありがとうございました」


 黒い煙を抜け、ケイネスが姿を現す。


 その顔は先ほどと変わらない笑みが浮かんでいる。

 まるで何事も無かったかのような笑みが。


「今のは戦闘の開始の合図と取ってよろしいのでしょうか?」


「好きに取ればよかろう。どの道、貴様の相手をしている暇などは無い。アルフレードを出せ。拒否するならば貴様を殺す」


「それは困りましたね。あなたにはここで倒れてもらわなければならないのですから」


 ケイネスのスーツの至る所に炎が移る。それらは徐々に広がり、ケイネスの肌を焼いていく。


 だが、それでもケイネスの表情に変化は無い。


 炎に焼かれ、焼け爛れた肌の下に銀色の輝きが覗く。


 それは人工の輝き。機械という人の叡智の結晶であった。


「貴様、自動人形であったか……」


「少し違います。ロボットではなくサイボーグです。身体のほとんどの部分を機械に取り替えているのですよ」


「さながら人と機械のキメラといったところか」


「流石は魔神殿。あなたとは話が合いそうですよ」


「そうか。だが、残念ながら二度と話をすることもあるまい」


 デミトリスの身体から炎が噴出した。


 天井まで焼きつくほどの炎は、ケイネスの髪をじりじりと熱し、その無慈悲な力は全てを焼き尽くす。


「……手加減無しですか? アルフレード技師の居場所を聞き出さなくてよろしいのですか? 私を殺してしまっては聞き出せませんよ?」


「白々しい真似は止めろ。大方の事情は予想がついている」


「参考までに聞かせてもらえますか?」


「ステファニーが案内した場所にあのクソジジイがおらず貴様がいたこと。まるで我が追ってくることを予想していたかのような敵の戦力・配置。お前が我を知っていたこと。それらを付

き合わせればおのずと答えは出る」


「なるほど。ご明察ですね」


 その炎を拳に纏い、ケイネスの元へ一足飛び。叩きつける。


 その一撃で、訓練場の床は陥没し、砕けた破片は天井まで届いた。



 だがその瞬間、デミトリスの右腕に亀裂が走る。



 腕の炎の一部が凍り、デミトリスの皮膚に痛みが走る。


「良かった、効いてくれましたか。これが効かなければ私はあなたからひたすら逃げ回らなくてはならないところでしたよ」


 そう言ってケイネスは自分の左手を見る。


 申し訳程度にスーツが張り付いた腕は不気味なほど静かであった。


 音も鼓動も全てが止まってしまったかのような錯覚を受ける。


 デミトリスの炎に景色が揺れるのに対し、ケイネスの周りはまるで高純度のガラスのようにはっきりと映る。


 ケイネスが床を蹴る。


 腰を低くし、デミトリスの死角に入り込む。


 そのまま、左手をデミトリスの腹に向かい、突き出す。


 その瞬間、消火器をぶち撒けたように白い煙が視界を覆う。


 デミトリスの炎を巻き込んで、白い煙は全てを包み込む。


 煙が晴れた後、ケイネスが姿を現す。


 その左腕は完全に機械部分が露出してしまっている。


 ケイネスは左手の指を握り、開くという動作を繰り返した。


「なるほどな。極寒滅殺の腕か……」


 白い煙を炎が吹き飛ばした。


 その中からデミトリスの赤き巨体が姿を現す。


「ご名答。流石はデミトリス殿。私はこの腕をヘルヘイムと呼んでいます」


 絶対零度。


 理論上の最低温。


 あらゆる物質はエネルギーを持ち、このエネルギーが最小になった状態が絶対零度と呼ばれる状態だ。


 この状態では酸素や窒素すら凍りついてしまう。


 さきほどの白い煙はこれらの物質が気体から一瞬にして固体となって発生したものであったのだ。


 そう、それは凍えた炎。

 

 ケイネスの左腕は炎すら凍らせる銀色の悪魔が宿っているのだ。


「ヘルヘイム……。半死半生の女神が支配する氷と死の世界か。ずいぶんと大仰な名前を付けたものだ」


「そうだったのですか。実は伝承で知っただけなので、詳しい名前の意味は知らなかったのですよ」


「ろくな場所ではないな。大抵の神々は嫌う場所だ。……しかし、そんな攻撃を二度も受けてしまうとはな。我の身体もかなりなまっているようだ」


「それはありがたい。今のうちに倒してしまいましょう」


「無理だな。貴様の貧弱な腕、柔腰では我には届かぬ。次の一撃で貴様を灰燼と化してみせよう。……だが、少々貴様に興味を持った。アルフレードを締め上げて聞き出そうとも考えた

が、貴様に答えてもらおうか」


「おや、何をですか?」


「貴様がリアを狙う理由だ。この茶番がリアを狙って行われたことくらいはわかっている。だが、肝心のリアを狙う理由が不明だ」


「なるほど、いいでしょう。時間稼ぎは私としても本意ですから」


 ケイネスは左手を下ろし、戦闘態勢を解除する。デミトリスもまた炎を収める。


 お互いの状態を確認した後、彼らの視線は数秒の間絡み合った。


 やがて、ケイネスの口が動き出す。


「リアさんでしたか、彼女の中には“黒い棺”と呼ばれるものが埋まっているのですよ。私の狙いはその“黒い棺”を手に入れることです」


「“黒い棺”だと?」


「お恥ずかしいことですが、私も詳しいことは知らないのですよ。とある企業が偶然にも作り出した、あらゆるものに命を吹き込むアイテムである……、そう聞いています。現在の賢者の

石といったところですよ」


 デミトリスは顎を動かし、話の続きを促す。


 ケイネスは少しずつ歩きながら、話を続ける。デミトリスはそれを目で追った。



「“黒い棺”は当初ただの噂かと思われていました。シフトではこのような噂はよく流れるものです。狂った機械兵、天上の城、神々の遺産……。それらは大抵が発見者の勘違いや物語的な脚色がされたものに過ぎません。ですが、私は“黒い棺”の存在を信じていました。ザイガの著名な技術者の突然の引退、研究施設での事故、そして知人たちからの確かな裏づけ情

報……。それらは私を動かすに十分な理由となりました。それから数年、私は市長としての地位を得ることと情報の収集に全てを捧げました。この身体はその途中で得たものです。少々荒事になることもあったもので」



 ケイネスは静かにデミトリスの右側に回りこむ。


 ゆっくりと、敵に敵意を感じさせないように。


「そして、アルフレード技師の存在を知った時、それは確信となりました。知っていますか? アルフレード技師はザイガでも指折りの技術者なのですよ。という事はこのシフト全体でも

最高クラスの機械の専門家ということになります」


「知らんな」


 そのきっぱりとした答えにケイネスは苦笑する。


「アルフレード技師はザイガにとって無くてはならない存在だったはず。それが浮浪者のような真似をしているということはザイガとの間に何か途方も無い事件があったということ。私はアルフレード技師を追うことにしました。そして、今日……」


「のこのこと当の本人がお前の巣に舞い込んだという事か。まぬけな話だ」


「ありがたいことです。しかも、“黒い棺”と共にですから。驚きましたよ。私の目的に必要なものがあっという間に手の中に転がり込んできたのですから。もっとも、とんでもないお付の方も現れましたが」


 デミトリスを中心に半周、ケイネスは足を止めた。


 左腕を上げ、身体を適度に緊張させる。


「違うな。リアが我に付き添っているのだ」


 デミトリスもまた身体の炎を再びたぎらせる。


「……いくつか聞いていないことがあるな。貴様が“黒い棺”を求める理由と、あのジジイが貴様に協力した理由だ」


「そうでしたね」


 ケイネスがゆっくりと左斜めに歩を進める。


 それに対しデミトリスは動かない。炎を揺らせ、ケイネスの挙動を窺っている。


 ケイネスが左手に意識を集中し始める。絶対零度へと温度低下は加速し、腕に白い霧を纏い始める。


 足が一歩踏み出されるたびに、凍えた床の霜がパキパキと音を上げる。


 デミトリスが右腕を上げる。灼熱そのもののというべき腕は周囲を赤く染め上げる。


 デミトリスとケイネスの間には、超高温と極低温の温度差によるゆがみが発生していた。


 ゆらめく空間の中、二人は勝負の一瞬を待ち続けた。


「……アルフレード技師が私に協力したのは、自らの過去を清算するためだと言っていました」


「……………」


「そして、私が“黒い棺”を求める理由は……」


 後、数センチ。二人の制空権はもはや触れるか触れないかのギリギリのラインまで来ていた。


 もう一歩踏み込めば、二人の必殺の一撃を叩き込むことができる。

 

 ケイネスは静かに、しかし深く息を吸った。



「大切な人を取り戻すためですよ。そのためならば、他の何もかもを捧げます。この手を血で染めてようと、誰かの夢を奪おうと、躊躇いはありません」



 最後の一歩だった。


 踏み込みは同時。



 デミトリスの右腕が振り上げられ、ケイネスの左腕が突き出される。



 超高温の炎がケイネスの頭上から振り下ろされた。その身を、肉を、骨を業火の前に焼き尽くすために。己が主の元に向かうために。



 極低温の腕がデミトリスの心の臓目掛け伸びる。一撃で、その鼓動、呼吸、意識を停止させるために。己が最愛の人を取り戻すために。



 二人が咆えた。





 隔壁の向こうで銃声が鳴った。







つづく

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ファンタジー近未来メイド魔王メカ
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